2016年07月20日

押入れの世代交代

Futons_rangesごきげんよう。

薄暗い。四角い。
押入れは不思議な魅力空間。

時には綺麗な模様のデパートの紙袋が出てきたり、ひな人形が出てきたり、木彫りの熊が出てきたり、輪ゴムで束ねられた札束が出てきたり、自由研究でつくったもはやゴミよりもゴミらしいアートが出てきたり。嗚呼、押し入れというのはなんて素敵なものあれこれと収納してくれるんだろう。

住人しか知らない、いや、住人すら知らないもの(虫とか)ものだって入ってる押し入れの神秘。


かく言うわたしも10代の頃は押し入れをベッドにして寝ていたものよ。自ら荷物となって、毎晩望んで収納されていたわ。

そんな思い入れ深い押入れを、今日は紐解いてみたいとおもうの。


まずは押入れとは何か。


「押入れとは、日本の住宅や和室において寝具・衣類・道具などを収納するための空間。大抵は四方のうち三方が壁で一方を襖で仕切ってあり、そこから荷物を出し入れする。ほぼ部屋の一方の壁全体をその入り口にする。押込み(おしこみ)と呼ぶこともある。(Wikipedia)」

うん、これくらいは認識してる。

さて、ものごとを掘り下げるには何事も活用展開しろって誰かが言ってた。かもしれない。


動詞「押入れる」の場合は下一段活用

未然形:押入れない
連用形:押入れます
終止形:押入れる
連体形:押入れるとき
仮定形:押入れれば
命令形:押入れろ


いや待て、「押入る」の可能性もある。


動詞「押入る」の場合は五段活用

未然形:押入らない
連用形:押入ります
終止形:押入る
連体形:押入るとき
仮定形:押入れば
命令形:押入れ


はいここで問題が浮き彫リクスになったわね。「押入れ」という名前が、もしかしたら動詞「押入る」の命令形かもしれない説。

だとしたらだいぶ変わってくるわね。
住居と住人の関係性が根本的に変わってくる。

人間の慢心は怖い。
てっきり住人サイドが主体となって「押入れます」という意味での名詞「押入れ」だと、なんの根拠もなくそうだと決めているから怖い。

住居サイドから住人への「押入れ」という命令だったとしたら?あくまでも主人公は住人ではなく住居だったとしたら?

そうなると、我々と押入れの歴史はいわゆる一つの奴隷史と成り代わるわね。

押入ることを強要され続け、どんなに温厚平凡な人間も押入れの前では、大胆に、道徳を踏みつぶすような形相で荷物という荷物をぶち込まなければならない。だってそれが押入れからの命令だから。

入れたくもない荷物をしぶしぶ入れ、しかも押しながらにして、入れる。押しながらにして、入れる。そして覚えたくもない収納術を覚え、100均グッズでチマチマと収納の工夫をし、日々苦しみながら収納する。『わたしはこんなことのために生まれたわけじゃない、もう押入れにものを押し入れる人生から離脱したい。夢見るはただひとつ、この支配からの卒業…』


そんな奴隷史に彗星のごとく現れた救世主がいた。


その名も

クローゼット。


洋風建築が流行り出してから、突如しゃしゃり出てきたクローゼット。

何がいいって英語だからいいわね。この手の英語に我々はずいぶんとお世話になったものよ。そう、チラシをフライヤーと、スパゲッティをパスタと呼び始めた頃のドキドキ感。その刺激的な感覚を、きっとクローゼット登場の時代にも人々は味わったはずだわ。

にじみ出、溢れ出すオシャレ感。洋風な生活を小粋に彩るアクセント、それがクローゼット。「わたしの家にはクロゼットがある」ただそれだけで、強くなれた気がした。ただそれだけで、時代を生きている実感があった。クローゼットと過ごしてる時間が一番自分らしくいられる。そんな最高のアイテムクローゼット。

だがしかし、押入れの座を奪い切るには問題があったわ。

クローゼットは基本狭い。(先入観)
近現代日本でもてはやされたいわゆるマンションやアパートは、個々の平米数が和風建築よりも格段に少なかった。そんな狭い空間に設けられたクローゼット。もはや間取り図に「クローゼット」と書きたいがために無理やり作ったような激狭空間。

押入れの収納力には遠く及ばないクローゼットの実力。名前はカッコいいのに中身がついてこない!これは恥ずかしいぞクローゼットォ!

そんないまいちパッとしないクローゼットが悶えていたその頃、最強の刺客が突如として姿を現した。


彼の名は、

ウォークインクローゼット。

クローゼットという名がついてはいるけど、上記のクローゼットとは一線を隔すのがこのウォークインクローゼット。

例えるなら「タラバガニはやどかりなのに、カニを名乗っている。」(たとえが下手)


ウォークインクローゼットはその名の通り歩いて入れる空間。3帖以上という決まりがあるみたい(諸説)。

だけれど、正直わたしはかつて0.5帖のウォークインクローゼットというのを見たことがあるわ。これは子猫ちゃんを捕まえてきて「こちら百獣の王です」と紹介するようなもので、ウォークインクローゼットだと紹介された0.5帖の空間からは渋めのブルースが聞こえてきたわ。

ともかくウォークインクローゼットは押し入れよりも広くて、押入れよりも名前がお洒落で、もはや収納界に敵無し、そう、「収納無双」と言っていいほどの完璧さがあるわ。

こうして押入れの奴隷史は終了し、我々の住居史はウォークインクローゼットと共にウォークインし始めたのね。



ただね、最後に一点だけ。

不動産屋さんにてよく目にする間取り図にて、「WIC(walk in closet)」と表記されることがあります。

これは全然いいでしょう。






でも時々「WC」って書かれるから!

ぬぐいきれないトイレ感あるから!




アディオス!

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2016年02月06日

家電転生

image
ごきげんよう。
家電とは。

「家電機器とは、主に家庭で使用される電子機器・機械である。(wiki)」

出ました、wikiのぶっきらぼうな説明。
とにかく辞書ってぶっきらぼう。

「これは何?」に対しての回答がなんか冷たい。温かくてもいやだけど。

さて、家庭で使用される電子機器は昨今目覚しい進歩を遂げているわね。

よくわからん機能がついたり、吃驚仰天な便利機能がついたり、行き過ぎると家電自体が喋り出したり、サーモ的な機能で勝手に快適なサービスを繰り広げやがる。

行き過ぎた彼氏のような家電。

「足元寒くない?」
「洗濯は朝一でやっとくね」
「肉じゃがならもうちょっと弱火がいいから調節しとくね」
「しばらく使わないなら電源切っておくね」
「猫ちゃんのカリカリは時間になったらあげとくね」

こんな彼氏はいやだけど、まぁ家電ならいい。

いや、本当は心のどこかで、こんな風に四六時中わたしの気持ちを汲み取ろうと奔走する存在が愛おしい。彼氏よりワタシ本意。愛犬よりワタシ本意。そんな人間の業が渦巻いて家電の進化は遂行されるのよ。


本日はそんな家電に生まれ変わるとしたらどうかっていう、そこはかとなくどうでもいい考察をみんなに届けようとおもうの。


輪廻の生まれ変わるカテゴリーに家電があるかどうかはわからないけども、取り敢えず家電だった場合、わたしは何になりたいか。



[簑庫
冷蔵庫は避けたい。
まずもって避けたい。

毎日無慈悲にパカパカ開けられてプライベートが一切ない。さらに自分の内蔵を卑しい目で撫で回すように見られる。腹が減った人間の目は卑しい。

それだけならまだしも、自分の意志とは裏腹にいろんなものを入れこまれるわ。
納豆、ビール、ケチャップ、ベーコン…

できれば和食素材は上段に、洋食素材は下段に、飲み物はドアポケ、調味料はできればまとめて箱的なものに理路整然と入れて欲しい。それなのにアボカドの横に食べかけの納豆なんて置かれて悔しい。



奥の方で、もやし、腐ってますよ。

あなたがワインビネガーと呼んでいるそれはバルサミコ酢。

保冷剤そんなにいります?

宝くじ冷やすのやめてもらえますか

すぐ冷やしたい気持ちで入れた冷凍庫のビール、先ほど破裂しました。



そんな気持ちも人間には伝わらない。



▲僖愁灰
パソコンも避けたい。
毎日毎日凝視されてプライベートがない。
スペック重視の世界はまるで学歴社会。とにかくコアがあればあるほど重宝される。(でもエヴァの使徒だったらコアが多いと倒すの大変。)

時には中身を開けられて、メモリをぶっ刺される。これは履きたくもないブルマを履かされるようなもの。今のわたしで勝負したいのに。ブルマを履いたわたしをみて人間は満足げににやつく。このクソド変態が!!



デスクトップに保存しすぎです

この恥ずかしい検索履歴早く消してほしい

あ、そのソフト重いから、同時に他の…あっ!…だから言ったのに…

その黄色みを帯びたPCメガネなんかじゃなくて裸眼で見てよ、わたしのこと



でもパソコンが冷蔵庫よりもポイント高い理由は、本気でムカついたら自分のタイミングで「重大なエラーが生じました」と言えるところ。あと突然シャットダウンしたりするの、あれ絶対気分いいだろうなって。なんかTATOOみたいでかっこいい。



A歃機
掃除機はさほど出番がないからプライベートがあるわね。(とにかくプライベートがあるかないかにこだわる)
持ち主にもよるけど、多くて1日1回、少なければ週1、月1…。使われない時はだいたい薄暗い場所でジッとしとけばいい。

でもどうかしら。
吸い続けることへの絶望感。

ホコリやチリを。ってかチリって何?
そういうお悩みの答えはだいたい教えてgooかYahoo!知恵袋にある。

ホコリは見えないくらい小さいもんで、チリは見えるくらいのもん。(雑)でもアタシには関係ない、見えようが見えなかろうが、答えはひとつ。


吸う。


内臓に溜まっていくホコリとチリ。
持ち主のいろんな毛。

そしてたまに誤って吸われるデカイもの。一円玉とかティッシュとかネジとか指輪とか。でもアタシには関係ない。デカかろうが小さかろうが、吸えるもんは全部吸う。吸って吸って吸い尽くす。

内臓がパンパンになった。
フィルター取替えサインを静かに点灯する。でもサインが地味すぎて持ち主は気づかない。

取替えて!
取替えて!

パンパンになりすぎて、体が熱くなる。ケツから熱風がではじめる。何かがこげた匂いがする。吸引力がガタ落ちする。

ここで初めて持ち主が気づく。

遅い。
遅すぎる。

掃除機に転生するならば、このお知らせサインを異様なまでに派手にすることを要求したい。(除夜の鐘くらいのサイン)



ぅ┘▲灰
エアコンはいい。
ほぼ干渉されないから、確実にプライベートがある。
リモコンを通しての関係だから、人見知りでも大丈夫。基本ぼんやりとため息を吐き続け、たまにくる温度調節に応える。いわば在宅ワーク的な気軽さがある。

年に1度、中身を開けられて、アタシの汚れたあばら骨に興奮する掃除マニアとのやりとりさえ我慢すれば、他は至って平穏。

時に乾燥についてのクレームが寄せられるけど、そんなもんは加湿器(年中べしょべしょ)に任せておけばよい。

真夏に設定温度を下げまくるデブの家に勤務する場合はけっこうなハードワークだけど、ロハスやらオーガニックを愛するようなモデル気取りのババーの家なら超ラク。夏でも設定温度は28℃で軽作業。冬はオイルヒーターとか使うから基本長期休暇。

さほどスペックに対する競争もないし、一度取り付けられたら10年くらい安穏とした日々が待ってる。


そうだ、エアコンにしよう。
来世の選択を家電カテゴリーで選べと迫られたら。


霧ヶ峰というハクのついた名前も気に入ったわ。

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2015年10月16日

おしゃれタウン恐怖症

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ごきげんよう。

代官山や中目黒に、あなたは行ったことがあるかしら。

世が「おしゃれタウン」に指定しているその指定地区に足を踏み入れたことがあるかしら。


さて、おしゃれタウンの恐ろしさは、駅前の華やかなエリアにあるわけではないのよ。

そもそも華やかに栄えた街というのは人にやさしい。どでかい看板に、もはや老眼を馬鹿にしてるとしか思えないほどのどでかい文字が書かれ、至るところに矢印があしらわれる。「こっち→200m先」というような矢印がどでかい説明と共に街のそこかしこにあって、とにかくアホでも目的地にたどり着けるような工夫があるの。

殊、東京駅においては、その傾向をこじらせ、なんと同じ目的に対して複数の矢印が与えられ、「丸ノ内線→」と「丸ノ内線←」が同時に出現したりする。田舎からやってきたわたしはこれを「都会からの挑戦状」と捉えざるを得ないけど、結局この挑戦を受けようが受けまいが、どの矢印を選んでも必ず目的地にいざなってくれるわけ。

華やかなエリアは何事も分かりやすくないといけない。
分かりやすくないと栄えない。
我々が道に迷わないように、丁寧に丁寧に、案内をしてくれる。
もはやビルの真横の看板に「ココ→」って書いてあったりするのよ。

そう「分かりやすい」エリアは、万民に、やさしい。



じゃぁどのエリアが恐ろしいか。

考えてもごらんなさい。


代官山駅を降ります。
駅を出ます。
地図やら看板を探します。


はい、ストップ。
ここでまず問題が起きるのよ。
代官山には圧倒的に地図やら看板がない。

その時、代官山(a.k.a.DAIKANYAMA)がわたしに言い放ちます。

「え?道知らないの?いやいや、この街は洗練されてるんだからそんなバカでかい看板なんて置くわけないでしょ。これだから初心者は。今月のfashion pressちゃんと読んでる?HOLLYWOOD RANCH MARKETって知ってる?Monsoon Cafe行ってる?Instagram上げてる?espressoはsolo派?doppio派?あ、知らないんだ、あ、なんかごめんね。あ、目的地のフライヤーあるから、この地図見たら分かるよ。ハイ、どーぞ!」


苛立ちながらフライヤーをゲットします。
地図を見ます。


はい、ストップ。
ここでまた問題起きます。


「明治通り」が「Meiji St.」って表記されてて、まずここを飲み込むのに20秒くらいかかる。
コンビニが「Convenience store」って表記されてて、一瞬「ん?コンバースの店か?」と空目して、「あ、コンビニか」と結論に辿り着くまでに15秒。
「ここ→」が「HERE→」になってて、一旦気持ちが滅入って、回復するまでに25秒。

計60秒のロス。


なんなのかしらね。
このフライヤーをなにかと英語で書く風潮は。
(そもそもみんながチラシをフライヤーと呼び始めた頃、わたしは右手が震えた)

明治通りを「メージストリート」と呼んでいる人をわたしは知らないし、わざわざ英語で書くことで生じるロスタイムを移動時間に使いたいのよね。わたしなんかは。


代官山は英語に溢れているわ。
店名もだいたい英語。地図も英語。

おそらく代官山に「岡村食堂」という名前の定食屋ができてもすぐに潰れるでしょう。でも「dining bar Hill Village」だったらなんとかやっていける気がしちゃうから滑稽。

(なぜか「伊太利屋」だけは例外)



さて、英語ばかりの地図にもめげず、なんとか目的地に着いたとしましょうよ。



はい、ストップ。
ここでまた問題起きます。

お洒落すぎて入りづらい。
これ、死活問題よね。

せっかく辿り着いた店の扉がお洒落すぎてどうやって開けたらいいのか分からなくて、周辺をうろうろしながら身を潜め、誰かが入るのをじっと待つ恐怖。この恐怖、ホラー映画3回分。

入ったら入ったで、お洒落すぎる店員が目を見開いて近づいてくる恐怖。

店員の説明にカタカナが多すぎてほとんど意味が分かっていないのに、分かっているような返答をしてしまい、分かっていないことを見透かされていやしないかという恐怖。

ちょっと気になった洋服に値札がついていなかった時。
「値段聞くか?いや、でも聞いたら購入へのレールを敷いちゃうよ。いやでもすでに店員こっちに向かって歩き始めちゃったよ。とりあえず手にとった服を戻そうか。電話かかってきたフリするか?あ、やばい、もうこっちに、あっ…」の恐怖。

ボロボロになりながら結局購入し、もう二度と来ないであろう店のポイントカードに無表情で記名する時の喪失感。



5年分の恐怖体験をしてお腹が空いたから、ご飯でも食べよう。



はい、ストップ。
ここで最後の問題起きます。


忘れちゃいけない、昨今の「隠れ家」ブームを。
隠れ家ほど恐ろしいものはないわ。

入口がわからない。
先程は扉の開け方がわからなかったわたしだけど、今度はもう入口そのものがわからない。
隠れ家としては100点。


結局空腹のまま、おめおめと自宅に帰り、カップラーメンをすする。


やっぱカップラーメンって最高に美味しいわよね。



※ちなみに中目黒でもこれとまったく同じ現象が起きます。
※ちなみに最も恐ろしいことに、この恐怖が「おしゃれタウン」のプライドにつながっている。

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2014年10月10日

パン粉を考える

imageごきげんよう。

さほど食に執着はないし、外食(外出)を積極的にはしないわたしだけど、これが食べたい時は外出しましょうってものがあるの。

とんかつ。

早速Wikipediaで調べる。
「 豚カツ(とんかつ)は厚みのある豚のロースやヒレのスライス肉を、小麦粉・溶き卵・パン粉をまとわせて食用油で揚げた料理。 表記は「とんかつ」・「とんカツ」・「トンカツ」・「豚カツ」など様々である。単に「カツ」と書かれることもある。 」

家で揚げ物をするのが嫌って言うわけでもない。だってコロッケは家でつくるわ。里芋やらサツマイモやらカボチャやらを大胆にぶっこんで、思うがままのコロッケを食べたいから。そう、人知を超えた創意工夫で自分だけの芋栗南瓜料理に酔いしれたいから。

でもトンカツは特にこれといって、我が家でつくるこだわりはないし、どうせなら、なんかそれっぽい職人さんが眉毛を三角形にして揚げたそれを食べたい。

素手で油の温度をはかるなどといったターミネーターもびっくりな職人技で紡ぎだされるとんかつを。


というわけで、年に一度はとんかつを食べにわざわざ外出するのよ。

そんで、とんかつ屋さんでとんかつ頼んで待つ間、ここ数年いつも同じことを考えてるから発表するわ。


「パン粉」ってへりくだり過ぎじゃないかしら。

粉(こな、英語:powder)とは、固体物質が非常に細かく砕けたものである。特に穀物等を砕き微細な粒状に加工した食品の意味でよく用いられる。(by Wikipedia)

果たしてパン粉が「非常に細かい」かどうか。

わたしの結論としては「細かいけど『非常に』なる形容をするほどではない」


それなのにパン粉はみずからを「パン粉」と名乗り、へりくだっている。


「自分は粉みたいなもんなんすよ」

ちょっと待ちなさい。
過剰なへりくだりは良くない。

自己評価のバランスというのは、殊この腐った平成においてはとても繊細な問題なのよ。

とにかくたまにそういう自己評価低すぎる人いるけど、周りが困るじゃない?

「いや、お前はそんなタマじゃねぇよ。お前ならこの腐った平成を変えられるサ!」

みたいな無責任な励ましの誘因となるだけ。

「粉」なんて言わなくていい。パン粉よ、君はもう少し大きい。もっと自分を評価すべきだ。「パンくず」くらいは名乗っていい。

ただ「くず」は良くないわね。

これまた「ぁなたはクズなんかぢゃなぃんだょ!そんなふぅに自分をゎるくぃわないでぇ!」というわけのわからんフォローが聞こえてくるわ。

では何がパン粉の呼び名としてふさわしいか。


「パン粒」はどうだろうかしらね。

なんか「ごはん粒」みたいでいいじゃない。ごはん派の人も、パン派の人も、それぞれの粒を大切にできるし。あとなんか上品じゃない?適度に慎ましやかで。


あとは「パンパウダー」もいいかもしれない。

パン粉を英語にしただけじゃないか!という声が聞こえてくるけど、あんた日本人がこれまでどれだけこの単純変換のもたらすお洒落感に救われてきたとおもってんのよ。

粉をパウダーと変換するだけで、粉感が払拭される。喉の奥にくっつきそうな粉感は半濁点の「パ」によって潤う。(気がする)

そしてパウダーの「パウパウ!」みたいな語感が人を陽気にしてくれる。あまつさえ「パン」がくっつくわけだから「パンパウパウ」感は最高潮に達するわけ。


ここで大切なのはあくまでも英語に単純変換するというところであって、実際アメリカで使われてる「ブレッドクラム(パン粉)」とかいう単語を使わないこと。

「ブレッドクラムとポークのサルヴァトーレフライ〜季節の有機野菜を添えて〜」とかそういうこと言わないでほしい。(真顔)特に代官山とかでそういうこと言わないでほしい。


あんまりけったいな名前を与えると、今度は調子に乗りすぎてしまうとおもうのよ。


「自分なんかは帝国ホテルの食パン出身なんすよね。ヨーロッパから直輸入した発酵バターをたっぷり練りこんでもらっちゃってて。んでドイツ製のセラミックカッターで細かくしてもらってるんっす。え、製品後?あぁ
製品後は成城石井を主なマーケットにしてる感じっすね。あ、じゃあ自分今日は代官山のリストランテでカツレツとのセッションがあるんでこの辺で失礼します。ちーっす。スタタタ」


爆撃する。

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2014年07月25日

大人の約束

yoyogi


ごきげんよう。

東京に来て間もない頃、かろうじて右と左だけわかる頃(お箸を持つのが右)、とある路上ライブを見に行くために代々木公園に向かったの。

公園の名前というのはとてもシンプルなもので、切っても切れぬ地名との縁がそこにあるとおもうの。

つまり上野には「上野公園」。新宿の中央には「新宿中央公園」。日比谷には「日比谷公園」。

この愚直なまでのひねりの無さこそが公園のネーミングの込められた親切心であり、義理深さであるとわたしはおもうのよ。

まぁちょっと味付けしましたよ程度に、「葛西臨海公園」は臨海感を演出。「上野恩賜公園」は恩賜感でやんごとなさアップ。「府中の森公園」からは森推しで他公園とは一線を隔すプライドすら感じるわ。

そう、公園のネーミングは地名を冠詞にして成り立っているのよ。説明を兼ねたネーミング、それが公園ネーミング界の暗黙の掟。大人の約束。


話は戻って18歳のわたしは代々木公園に向かうため、黄緑色の電車に乗ったの。

そして降りた。
代々木駅。

さて、代々木公園はと。
探すともこ。
地図見るともこ。
人に聞けないまだウブな18歳。


そうこうしてるとその路上ミュージシャンから電話がかかってきたの。



ミュージシャン「もうそろそろライブ始めるけどまだ来ないの?今どこ?」
ともこ「代々木駅についたとこです」
ミュージシャン「え?…あ…あぁ!もしかして代々木と間違えた?!あ、そうだよね、わりぃわりぃ!」
ともこ「?」
ミュージシャン「代々木公園は原宿駅が最寄りなんだよーあっははは!」
ともこ「…」


18歳のともこはそれでなくても傷だらけだった。

方言コンプレックスで恥ずかしくてほとんど会話できなくて傷ついていた。必死にイメトレした標準語で決死の思いで会話すると、無粋な東京人がいちいち方言の揚げ足を取り、オウム返ししてきやがって傷ついてた。

初めてのコンビニアルバイトでフェイスアップした生卵が全て落下して傷ついていた。

初めての一人暮らしが思いのほか寂しく、傷ついてた。

毎晩家に帰るのがさみしくて、会って間もない友達の家に仲良しぶって泊めてもらったりして、ホームシックを癒しながらも、埋まらない心の隙間に傷ついてた。

帰りたくなくて、コンビニに長居することも少なくなく、やたらシュークリームを毎日買って食べてたら、案の定太り、傷ついてた。

そんなすでにけっこう傷ついていたともこは、このミュージシャンのせいで、というよりも、代々木公園のせいで、さらに傷ついたのよ。

代々木と名乗りながらも、代々木駅が最寄りではないというパラドックス。

そもそも「代々木」を名乗る駅は多すぎる。「代々木駅」に始まり、「代々木公園駅」「代々木八幡駅」「代々木上原駅」。かくも展開する「代々木」。渦巻く代々木ブランディング戦略。

「代々木」という冠詞がどうやら好きらしい。ステイタスなのだわね、この街の名は。

そのうち「代々木五反田駅」とか「代々木蒲田駅」など、「代々木」に憧れた街がみんなそう名乗り出すにちがいないわ。

いつかわたしも岡村トモ子を辞めて、代々木トモ子と名乗る日が来るかもしれないけど、その時は強めのグーパンチで目を覚まさせてほしい。

そう、みんなが「代々木」の「代々木」具合に憧憬の念を抱かざるを得ない時代、それが平成。


でもそんな腐った平成に警鐘を鳴らすべく、代々木トモ子は立ち上がった。



代々木公園に言いたい。
名前は「最寄りは原宿です公園」にしよう。

もしくは「ヒポクラテス公園」とかでもいい。
このギリギリ知ってそうで知らなそうな、覚えてそうで忘れてそうなネーミングならば、わたし達はググらざるを得ないし。ちゃんと検索するから、先入観で代々木駅に降り立つこともないとおもうの。

そう、あえて公園名でその場所を特定できないようにすることも、親切のひとつだとわたしは思うわけよ。


以上のことを、一応「東京ディズニーランド」にもお伝えして、筆を置くとするわ。

ちゃお。


新宿御苑についての寄稿はこちら

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2013年08月30日

対のもの

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ごきげんよう。

対ってあるじゃない。

Wikipediaによるところの「 対(つい、たい)とは、2つ一組で存在するものの場合に、その2つを一組とする見方の元でそれを指していう表現で、それらが対をなすという。特に、その2つが対象物の中で反対に位置するものをこう言うことが多い。つまり、そのものの軸に対して向かい合った位置に同等のものが存在する場合に、それらをまとめて言う表現である。 」

まぁたとえば雛人形とかね。
お雛様とお内裏様で対をなしてる。
それぞれ単体での活動はありません、辻ちゃん加護ちゃんとは違います。っていうのが対。

まぁでもこのご時世、シングルマザーもがんばってるし、独身女性も多いし、フェミニスト達も鼻息荒くして奮闘して、電車には女性専用車両も獲得した今、お雛様ソロデビューってのもいいかもしれないわね。

「『お』も『様』も脱ぎました。ちょっぴりオトナに堂々デビュー!その名はHINA!!」

バックダンサーは「the 3 KANJO」
HINAの12単衣はたったの5枚に!

ま、一族の繁栄を願う日にわざわざそんなもんを孫に買い与えるじいさんもいないだろうけれども。


あと対といえば、まぁそうね、月と太陽とかね。誰も割って入れない感。

「部屋とTシャツ」とか「俺とお前」くらいだったらまだもう一個くらい(「わたし」や「大五郎」など)抱き合わせてもいいよ感を残しているけれど、月と太陽は無理ね。

アダムとイヴもそう。
誰も割って入れない。
っていうか割って入ったら人類史変わる。



さてそんなことはさておき、今日わたしが声を荒らげて提起したいこと、それは「誰がパンティとブラジャーを対としたのか」

パンティの起源は紀元前3000年ごろ。メソポタミア南部シュメールのテラコッタ像とレリーフに、パンティーをはいた女性と腰布を巻いた女性の姿があるとのこと。

かたや、 現在のブラジャーの原型は、フランスで1889年にエルミニー・カドルが発明した「コルスレ・ゴルジェ」だとのこと。


おかしいわね。

これはおかしい。


紀元前3000年から人間の股間を守り続けたパンティさん、守り続けて早5013年。人類史上希に見るロングヒット。これほど長く流行ったファッションは他にないわ。

かたや1889年からのポッと出、芸歴124年のブラジャー。まだ3桁。
パンティ先輩の芸歴の40分の1。

こんなパンティ先輩とブラジャーが対とされるのはおかしい。格差が過ぎる。誰なの、この別に出会わなくてもいいロミオとジュリエットを引き合わせたのは。

熱心なわたしは調べたわ。
わたしはこれを調べるために生まれた。
パンティとブラジャーのさだめを解き明かさずして死ぬわけにはいかない。


入念なネットパトロールスタート。
検索履歴には「ブラジャー パンティ セット なぜ」と入力し、エンターを強めに押したわ。やり手サラリーマン宜しく「タタァーンッ」と押したわ。

こうしてわたしは知った。
誰が対にさせたのか、その経緯はわからなかったけど。
ただ、何がこのセット化を加速させているかはよくわかったわ。

「男性は対の方がいいみたいよ」という女たちの裏付けなき妄想会話が、ブラジャーとパンティの「対たらんこと」を加速させていると。


男性は対の方がいいですって?
それ本当ですか。
ちゃんとアンケート調査してますか。


熱心なわたしは聞いた。
実際に聞いた。

「ねぇ、ブラジャーとパンティ、セットの方がいい?」

おかむらのシンプルな質問を前に、男たちは何かを勘違いしているのか、なぜか少し恥ずかしそうに嬉しそうにはにかみながら、大半が「いや、どっちでもいいよ、どぅふふ」と答えて、チラッと目配せをした。

そりゃそうよね、貴方たちが用があるのはパンティやブラジャーではないし、ましてや視覚的用件でもないものね。
まぁ時として視覚的興奮を求める人もいるだろうけれども、でもそれは既成概念に囚われた興奮であって、根本的興奮とはなりえないもの。


ほら、もはやパンティとブラジャーが対であることの根拠や意味は現代には残っていないのよ。

残っているのは女たちの「セット神話」だけ。女たちが見えない強迫観念と、ananによる説法によって、知らず知らずのうちにパンティとブラジャーのセット化を加速させ、「女のタシナミ」とまでさせているのよ。


まぁ100歩譲って、セット化はいいとして、わたしが気に入らないのはパンティとブラジャーがバラバラの女に対して世間が残念な顔をするというところにあるのよ。

そのおぼこな価値観。先入観。選手意識の低さ。スポーツマンシップのなさ。


喝。



とりんぷっ!

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2013年08月05日

わかってるよ、なテイスト

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ごきげんよう。

コンビニエンスストアってあるじゃない?
そう、直訳するところの「便利な店」、「好都合な店」

あれについて考えたの。


コンビニの便利さというのは、どこにあるか。
それは食品から生活用品まで、わたしたちの生活を見透かしたように「いや、うちで売ってますけど」的な仏頂面でわたしたちの隣に居続けるというところ。

「ボールペンがなくなった、」
「お腹すいたーー」
「ジャンプ発売日じゃん」

など、「彼氏がほしい」という要望以外はほぼすべて叶えてくれると言ってもいい。いや、それすらも叶えてくれるかもしれない。

それほどコンビニはコンビニエンスであり、もはやその打算的品揃えと戦略によって、いつしか我々がコンビニにとっての「コンビニエンスピーポー」となり替わっていることを忘れてはならないのよ。

これぞ「必殺・気づいたらコンビニ」「奥義・用はないけど足が向かう」という技をも繰り出す所以なの。

気がつけばコンビニの自動ドアをかいくぐり、その瞬間、突如として物欲が産声をあげ、美しくフェイスアップされた商品を片っ端から検閲する。次に我に返った時には、時既に遅し。読まないであろうanan、食べたくもないヨーグルト、すぐゴミになるであろう食玩などを片手に、燦々と輝くコンビニの看板を背にすることとなるのよ。

そう。コンビニエンスである、ということのマインドコントロールによって、我々は「コンビニにとってのコンビニエンスなピーポー」に成り下がっているの。これぞコンビニ下剋上。


さて、そんなコンビニが差し出すのは商品だけに限ったことではないわね。
うん、そう、サービスも差し出すの。


トイレを貸す、という究極のサービス。

みんな心当たりあるとおもうけど、ここ数年、このサービスに革新的な変化が訪れたわね。



「いつもきれいに使用していただきありがとうございます」



現代人は敏感で、反抗的で、感情的。だからこそ、「絶対汚すなよ、このオボコが」とか書こうものなら、その匿名性でもって、そのトイレは大惨事になること請け合いだわね。


だからコンビニはへりくだった。
へりくだりにへりくだりを重ねた結果、コンビニは「元カレの境地」に至った。


「いつもきれいに使用していただきありがとうございます」

つまり、こう↓

「お前ってほんと昔からそうだよな、ほんっとトイレきれいに使ってくれてさ、隙あらばマジックリンとかしてくれてさ、トイレットペーパーをひどく鋭角に折りたたんでくれてさ、ほんっと最高だよお前。あれから他のオンナと付き合ったりしたんだけどさ、やっぱあれ程のトイレ自治体制はお前にしか成し得ないよ。あとさ、お前が使ったトイレってフローラルの香すんだけど、あれなんかまいてんの?」


この「元カレテイストが人を悪い気にはさせない」という研究結果を応用した上級テクニックでもって、褒められた本人は実力以上の実力を発揮するのよ。


人生の初夏を丸腰で迎えつつあるわたしのようなピュアなオンナ(人生の真夏について行けずに屈折しまったオンナ)は、このコンビニさんの粋なはからいで、心豊かなトイレタイムを過ごすことができると。そういうわけ。

この人はわかってくれてる。
そう、わたしがトイレをきれいに使うことを。
誰よりも理解し、評価してくれている。

わたしは便意だけでなく、腐った平成への鬱憤や理不尽な社会評価への苛立ちすらも、コンビニのトイレで成仏させることができる。

あぁ、素晴らしきトイレタイム!


※注「そもそも元カレなんていませんけど」って人には、お母さんテイスト(「あんたはほんとトイレをきれいに使うね。子供の時からそうだったよ。」)として解釈すると、日頃のパンク精神が少しだけ羽を休められるヨ!


しゃばだば!

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2013年05月07日

大切にすること

大切なものを大切にする方法は人それぞれで、決して正しさも間違いもない。

わたしはわたしの大切なものを、わたしのやり方で大切にする。

それが自己満足だとしても。

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2013年04月24日

人生のフォーシーズンズ

ごきげんよう。

フォーシーズンズ。
それは全世界に進出するセレブホテル。

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本部はカナダ・オンタリオ州トロントなんだって。

「創業当時は具体的な会社のビジョンなどが一切決定していなかったが、1972年に今日の姿である『中規模でラグジュアリーなホテル』を会社のビジョンとした。」(by wiki)

ここで海より深い溝が生まれたわね。
わたしとフォーシーズンズに。

『中規模』格差とでも言おうかしら。
世界にはいろんな人がいるからね。
人それぞれの「中規模」観があっていいのかもしれない。

でも今回はどうかしら。
どこをとってフォーシーズンズが中規模なのかしら。
それって「神田うのが、うまい棒食べて、感激してる」ような苛立ちを覚えるのはわたしだけなのかしら。

だってフォーシーズンズが中規模だったら、どのホテルが大規模って言えるの?
アパホテル?

まぁ蓋を開ければ「客室数は少なめで、豪華な設備と質の高いサービス」という意味での中規模らしいけど、じゃぁアパホテルはどうなるの?って折り鶴の代わりに聞いてあげたいという、わたしの中の大和魂が叫んでいるわ。

ちなみに、フォーシーズンズは2007年にビル・ゲイツが37億ドルで買収したんだって。



で、前置きが長くなったけど、わたしはこんな豆知識と折り鶴擁護のために、今日筆をとったわけではないわ。


フォーシーズンズ。
そう。訳すると「四季」。
四つの季節と書いて四季。


先日わたしは同窓会という戦場に向かったのよ。
わたしは丸腰だったわ。いや、武器、という選択肢を知らなかった。

無垢な野うさぎだった、と言えば可愛いかもしれない。
でも現場の空気はわたしをただの「ガードの甘い豚」レベルまでに貶めた。
繰り出される新型兵器に驚きながら、ただただ見つめ、四方から攻撃をくらい、よぼよぼになって、豚はアナーキーな気持ちになった。


わたしは思った。
人生、たとえば100歳まで粘り強く生きたとすると、
「25歳までが春、50歳までが夏、75歳までが秋、死ぬまでが冬」


そう、現在29歳のわたしの春は音もなく終わっていたのよ。
しかもけっこう前に。

みんな夏を迎える前に、それなりに「エアコン」という名の「結婚」を手に入れ、「蚊取り線香」という名の「生命保険」を確保し、「Tシャツ」という名の「余裕」すら配備していた。

いやらしい。なんていやらしいの。
みんなそんな話題何も言ってなかったのに、いつの間にそんなものを着々と準備して、そして人生の夏至に向けてハスハスしているじゃあないのよ。




…暑中お見舞い申し上げます。
わたしは丸腰で初夏を迎えています。
みな様におかれましては、ご健勝のことと存じます。
猛暑の折、お体はお大事になさってください。
かしこ。



…なんて言ってる場合じゃないよ。

「いや、別に焦ってないし」という言葉さえが、「Gマイナー7th♭5」の悲しい響きがする。

たとえ焦っていなかったとしても、丸腰で初夏を迎えているわたしのような女は、のんきに暑中見舞いなんて書いたら、核弾頭みたいなお中元(「結婚しました♥」のハガキ等)送りつけられて、返り血を浴び過ぎるからね。まじで注意して。


とはいえ、焦りは禁物。

初夏からでも作物は育ちます。
ただ秋まで収穫を待ってたら、うっかり50歳になるから注意して。
植える作物はきちんと選びましょう。



いや、でもね、わたしはやりたいことできてるしね。
音楽し続ける幸せあるからね。
別に一般的な幸せとかと違うからね。


ほら、何を言っても「Gマイナー7th♭5」の響きがするでしょう。
これが丸腰で人生の初夏を迎えた女の実態。


以上、現場よりお伝えしました。

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2013年04月12日

保険

先日サラリーマンと話す機会があったの。

サラリーマンというのは時として厄介で、議員を無視した議題を卓上に並べ出すものよ。

おかむら議員はたじろいだわ。
議題は生命保険。

これはまずい。
知識と興味がなさすぎる。
バッファー事件以来の窮地だわね。

でもだいじょうぶ。
おかむら議員にとって、サラリーマンとの交流はいつだって戦場。いつだって備えがあるのよ。

議員は必殺相槌作戦に出る。

生命保険に入ろうと悩んでいるA太郎が、保険通のB太郎に指南される展開を、さもしげな顔で見守る。

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「ライフネット」、「アフラック」、「ソンポジャペン」など、様々なカタカナが並べられた後に、「アクチュアリー」、「ソルベンシー・マージン」などの保険用語が駆け巡り、まるで新作ハリウッド映画のタイトルのよう。売れなさそう。

勉強熱心なおかむら議員ではあるものの、ホケンは興味が無いのよ。なぜなら毎日の生活がキリキリマイなおかむら議員にとっては、生命保険は貴族の遊びでしかないの。そんなおかむら議員から苦し紛れに出た言葉、「ホケンなんてロックじゃないね!キリッ」

途中で完全に議題についていけなくなり、華麗にダンマリを決め込んだわたしはワイングラスの角度を強めたわ。

そしていつものように自分の世界に入り込み、思考を深める。
もっと庶民に親しみのある保険制度について。


■その1〜失恋保険。

失恋した場合、毎日さみしさを紛らわすメールが届く。相田みつを名言集、瀬戸内寂聴によるコラム、一般投稿による「聞いてちょうだい、私の方が不幸なの」のコーナー(人気No.1コーナー)などがメルマガとしてひっきりなしに配信される。

またさみしさを引き起こす「暇な時間」対策としてアルバイト情報が山程届く。そう、傷心者にとって、暇な時間はおセンチ起爆剤でしかない。ひたすら何かに没頭する必要がある。

また企業に設けられた失恋雇用枠において、優先的に面接を受けることができる。失恋で躍起になった人間の異常なエネルギー、土日なんかいらない、という献身的なマインドは企業側にとって好条件といえる。

永遠を信じられない人のための切ない保険制度であり、恋人ができた翌日から加入することができる。


■その2〜親不孝保険。

これは親が入る保険で、子供が親不孝者に育ってしまった場合、子供に代わって定額の仕送りをしてくれる。

また各月で子供の現状を調査し、「お父さん、お母さんへ、僕は今、、、」という書き出しで代理手紙を送ってくれる。語り口調は三つのタイプ(ヤンキータイプ、夢追いタイプ、引きこもりタイプ)から選ぶことができ、より高額のプランに入っていると手紙の文末に「お父さん、お母さん、いつもありがとう」と添えられる。(ノーマルプランの場合「以上。」で終わる。)

また家出した子供の説得、万引きで補導された子供の引受、盗んだバイクの回収、学校の窓ガラス破損の保証などのサイドサービスも充実している。

基本的に子供が生まれてすぐに加入する保険制度であり、成人すると解約可能となるが、近年はアダルトチルドレンプランに変更することを勧められる。

※子供向けには別プランで放蕩者保険が存在する。


■その3〜脱税保険。

いつか自分は脱税してしまうのではないか、という自分で自分を信じてあげられない悲しき人々に向けた保険。

玄関前でできるだけマルサを足止めするサービスがあり、この間に帳簿を燃やすことができ、これだけでも加入の価値がある。

脱税が発覚してしまった場合に、追徴金や罰金などをフォローしてくれる。また脱税発覚から立ち直った先人のエッセイ集が毎月送られてくる。(確定申告がある三月は特大号〜俺の壮絶申告伝説、総集編〜)

事業を立ち上げた際に加入する保険だが、ただ、この保険に加入した時点で、税務署に目をつけられる。

エサをまくようなものなので、脱税の摘発も早い可能性も大きいが、摘発されても安心。なぜなら脱税保険に入ってるから!という摘発しがいのない脱税者をつくる保険。


など。


このご時世こういったベタつきのない保険があってもいいわよね。


チャオ!

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2013年04月11日

素晴らしき街、上野

思い出は美しすぎてごきげんよう。

さてわたしが目に星を浮かべて上京した18歳の春。

右も左もわからないまま、都会の選択肢の多さに翻弄されながらも、必死に情報を掻き集めては街へ街へと繰り出したもんだわ。


そんなわたしが上京して最初に必要となったもの。
「家電製品」


お米、焚きたい。
パソコン、叩きたい。
エレクトリカルシティーライフ、満喫したい。


だから東京で最初に知り合った人に聞いたの。
人見知りなわたしが必要に駆られて自ら他人に声をかけた第一声。

「ベスト電器はどこですか?」って。


説明しよう。わたしが生まれ育った山口県において、家電製品は「ベスト電器」で買うものであり、我々にとって「家電を買う場所」の総称が「ベスト電気」といっても過言ではなかったのよ。これが固有名詞だという自覚はもちろんないわけで。

だからわたしはエリート大学に進みながらも、どこか「ベスト電器」を国の公的施設だと思っていた節があって。だって学校でも塾でもそんなの習わなかったもの。つまり、そう、電器を買う選択肢を一つしか持っていなかったし、この国の人間はみなそうだと思っていたのよ。共産的。


今思うと鼻で笑っちゃうけど、ビッグカメラや、ヨドバシカメラはカメラ屋さん。さくら屋は和菓子屋さんだと思っていたのは本当の話よ。


で、わたしの質問を受けた東京人は迷いなく
「上野にあるよ」

と答えたの。
今思うと、一体どういうことだったんだろうかしら。
冗談だったのか、悪意だったのか、都会的隠喩だったのか。
この質疑応答は。

「エレクトロ」を求める質疑に対して「上野」という町を持ち出す応答は。


でも当時のわたしには猜疑心を持つほどの知識も経験も邪心もなかったわけで、数時間後には上野駅をウロウロしていたわけ。



これが上野との出会い。
そして上野はわたしの最愛の街となったのよ。



上野はわたしを心良く迎え入れたわ。


そびえるABAB。
歴史を語る聚楽。
広がる上野公園。
迎え撃つパンダファンタジー。
めくるめくアートの世界。
混沌としたアメ横の郷愁。
品薄知ラズの商店街。
もつ煮の大統領。
メンチカツの大山。
どらやきのうさぎ屋。
純喫茶の古城、王城、ギャラン。


どれをとっても最高。
気どらない上野は容易く門戸開放し、わたしを魅了したのよ。

そうね、言うならば「油断の大盤振る舞い」という表現がぴったりなこの街をどうして好きにならずにいられようかしら。

すぐに恋に落ちたわ。
音もなく。
息もできない程に恋したの。
いや、愛したの。
一瞬で恋が愛に変わる奇跡を。


そして今日の今日まで飽きることなく、むしろ日に日に深みにハマって惹かれていく一方なのよ。


上野はいいわ。

六本木や表参道などの新興ステイタス保護地に見られる傲慢さがないからいい。
代官山のように道に置かれた地図看板がスタイリッシュすぎて読めないなんてことがないからいい。
麻布のように町をゆく人々がジャックナイフのような目でオシャレに洗脳されてないからいい。
目黒のように不便さや見つけにくさを「隠れ家」の一言で丸めこまないからいい。

形式主義の流行に惑わされないからいい。
アメ横のおっさん商売人が揃いも揃って「そこの美人!」と声をかけてくれるからいい。
そのおっさん達が無防備にも半裸なのがいい。ここはアジアだと再認識させてくれる体当たりのメッセージがいい。
喫茶店に必ず場末のママとパトロンらしきカップルが見受けられるからいい。



街中が「ワケあり」感に溢れていていい。



ほんとに素敵な街だと、心から思うの。

だからぜひみんなも上野に。
なんならわたしがいざなうから。


ただ、家電は買えないから注意して。

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2013年04月10日

フェミニスト、電車に乗ってどこまでも

ごきげんよう。
藪から棒だけど「痴漢」というのがあるわね。

特に満員電車などのカモフラージュに溢れた環境で、出来心でちょいと目の前のヒップにタッチ。そこにヒップがあるから。

最近では「おれ痴女に遭ったんだぜ」なんて誇らしげに語る男がちらほら見受けられるようになったわね。

そんな痴女たちの登場で、痴漢に遭う乙女の心情を知った男性たち。
そしてようやく痴漢行為が深刻な犯罪として社会全体に見つめ直された頃、あれは何年前かしら、女性専用車というのが目につくようになったのよ。

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フェミニストたちが鼻息を荒くした女性専用車の登場は、全国の痴女たちに支えられている、そう考えると痴女行為も立派な社会運動だったのかもしれないわね。


さて女性専用者の歴史について、熱心な(暇な)わたしは調べた。
すると、日本初の女性専用車の登場はなんとも明治期まで遡ることが判明したのよ。

当時、都内の女学校に通う女学生が利用する電車は「花電車」と呼ばれていたんですって。いかにも痴漢を誘発しそうなネーミングには、日本古来の「禁断の美学」を感じざるを得ないわね。

その花電車を狙った不良男子が、通勤通学ラッシュに紛れてラブレターを渡す、ナンパする、サボタージュにいざなう、ちょっと触れてみるなどのけしからん行為を排除するために登場したのが起源。施行されたのはオレンジ色でおなじみの中央線。

それにしても花電車っていいわよね、なんかとてもいい匂いがしそうで、それでいて処女性溢れる超差別的な話題でクスクス笑っている純粋で残酷な女学生が目に浮かぶわ。

そんな彼女たちを痴漢から守るのは素晴らしいことだと思うけれど、「ラブレターを渡す」ことと「痴漢行為」が同等程度に危険視されていたのが、興味深いわよね。不純異性交遊が許されない人々が、現代のフリーラブを見たらどう思うかしら。

今になってみれば、「ラブレターを渡す」なんて、電車で出会い系サイト叩いてるよりもよっぽど健康的だと思うけれど。


それはともかく、周知のとおり、女性専用車というのはつまりそこには女性しか乗ることができないという、立派な男女隔離トレインを指すのよ。

朝晩の通勤ラッシュでちょっと手が当たっただけで振り返りメンチ切るOLたちに、冤罪を抱えたサラリーマンは怯えていた。そう、OLはつかれている。サラリーメンズよりもずっと。

彼女たちには課題が多い。机の引き出しのお菓子の補充、アフター5の青年実業家との合コンセッティング、婚期について思案、辻ちゃんのブログチェック、ネイルの予約、給湯室での権力抗争、等々。

そんなOLが通勤電車で見せる般若の形相が、サラリーマンは怖かった。そのほとんどがただ手が当たっただけの冤罪だったとしても、デリケートなサラリーマンは通勤電車での冤罪を軽く一週間は引きずり、大事な商談も破談、大切なデータも破損。

そう、女性専用車はそんな破談と破損を少しでも予防するための、サラリーメンズのための車両なのよ。そう、危険な猛獣は檻に入れたほうがいいに決まってる。


そんな女性専用車に乗った女性というのは、海辺のチューブくらい我が物顔になる。パエリアの中の海老くらい威張った顔をする。フェミニズムを履き替えた女たちが、女性専用車という名のチューチュートレインで踊っている。


女性専用車の女性のモラルは、他の車両より低い。
これは女子高に通った女の子の方が、共学の女の子より、座った時の足の広げ具合が大胆で、性的表現がダイレクト、ということにも通じるものがある。女子は群れると男性化する。いや、男性化とも言えない、単純にモラルが低下する。なぜならそこに一種の浪漫があるからなのよ。

たとえば「ピアスをあける=かっこいい」をこじらせると、穴だらけの珍人物になる。「日焼けする=超クール」をこじらせると松崎しげるになる。「オリーブオイル=かければかけるほど美味い」をこじらせると2ちゃんで叩かれる。

これらと同じ原理で、群れた女性というのは「男っぽくふるまう=ちょっとイケてる」をこじらせがちになる。そうすると内面のプリチー度とはバランスが取れないほど言動、所作がアッパラパーになる。ということです。


このメカニズムで、女性専用車は少しずつアッパラパーになっているのよ。

ちなみに女性専用車は、基本的に朝の通勤ラッシュに時間限定で設けられる場合が多いため、女性専用時間だと気づかずに乗車してしまった鈍感なサラリーマンは、今日も女子たちに渾身のメンチを切られ続けているわ。

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2012年08月31日

ペンの貢献

ぺんごきげんよう。
ペンってあるじゃない。

そう、人間が記録をするためのあれ。
ここでは記録のためのあらゆる道具を様式に関わらずペンと呼ぶことにするわ。


ペンは文化を育み、経済を養ってきたのよ。


ペンがなければ源氏物語もなかったし、聖書もなければ、論語もなかった。

したがって口承だけが伝達を請け負い、伝言ゲーム宜しく精細を欠いた情報に人々は戸惑い、「キリストは40にして不惑となられた」とか、「源氏は藤壺の右脇から生まれた」とか「ヨハネが立った」とか「孔子は忽ち海をお割になられた」とかたくさんのクロスオーバーが生じててたに違いないわ。

そうしてあらゆる文化と経済の進歩が足踏みをしていたのよ。
ついでに伝書鳩ぽっぽもお役御免でコース料理の片隅で小洒落たソースかけられてたことでしょうよ。
ペンの功績は偉大だわ。今や世界の情報を司るパソコンなどの電子機器すらもペンなくしては生まれなかったもの。


さて、あなたたちのような一般的日本庶民が生まれて最初に手にとるペン、それはだいたいクレヨンなんじゃないかしら。

ペン界の中でも際立つ先端の鈍丸さが安全保証となり、幼児という幼児に与えられる。それはそれは記録的な鈍丸さで、あれほど突き刺さりにくいペンわわたしは他に知らないもの。

最近は食べても大丈夫なクレヨンがあるくらいらしいけど、食育の観点からいうと、食べ物でお絵描きしていいのかいお役所さん、って問題に文部省はまだ気づいてないの。


さて小学校に上がると共に鉛筆との出会いがあるわね。毎晩毎晩、明日の授業でつかう鉛筆を一本一本丹誠込めてけずる。

その姿は機を織る鶴さんのようで、全国の親御さんの胸を打つ。これがあるから小学校ではシャーペンの使用が禁止されている。


小学校時代には、これ以外に特筆すべき出会が二件あるわ。

ロケットまずひとつめはロケット鉛筆という世紀の大発明品との出会い。

あれの素晴らしい点は言わずもがな、一本が5本分のペンを内蔵しているところよね。書き減らしてちびった鉛筆はもどかしい。

どれくらいもどかしいかというと、割り箸を袋から出したときに諸とも落ちて行く爪楊枝くらいもどかしい。もしくは階段を上る女子高生が鞄でお尻を押さえている光景くらいもどかしい。もしくは市原悦子の覗き見のはみ出具合くらいもどかしい。

そんな平成のもどかしさを、ロケット鉛筆は解き放ったのよ。

この発明ばっかりはもう少し評価されるべきだったわね。
ファニーでキッチュな存在として文具カルチャーを支え、片やその驚くべき機能性で筆箱の整理に一役買いながらにして、アナログなくせに滲み出すメカ感にみんな頬を赤らめてたのよ。あまつさえ「ロケット」というラディカルなネーミングでSF好きのオタクをも虜にした。かもしれない。

しかしこのペンの台頭により、名物「鶴のペン削り」が葬られたために、PTAはざわめいた。

そしてもうひとつの特筆すべきペン、これこそ言及、追及しなければならない。

クレパス



















クレパス。

小学生低学年という本当に限られた時間に与えられるそれの存在にわたしは違和感を抱かずにいられない。

クレヨンより鋭利で、かといって色鉛筆よりは鈍丸。そのグレーゾーンを果たして設ける必要があったのかしら。

クレパスっていうのはクレヨン+パステルの商品。
紙に定着しやすいクレヨンと色の混合がしやすいパステルのいいとこどりをした、ゴジラ、もしくはリンスインシャンプーみたいな存在なのよ。

ここにはきっとビジネスが絡んでいるに違いないわ。
文具といえばコクヨか、コクヨが噛んでるのか。

熱心な(暇な)わたしは調べた。調べ上げた。
「サクラクレパス」だった。そうだ、わたしたちが学校で交わされていたのは紛れもなく「サクラクレパス」だった。癒着だ!癒着にちがいない。文部省と癒着しておる。


そんな癒着に躍起になっていた今、もっとけしからんペンを思い出した。

クーピー「クーピー」

あれはなんだったのか。
鉛筆削りでの削り感がキュルキュルしてて最高なあれは、なんだったのか。

ちょっと息が詰まりそうなネーミングのクーピーは、消しゴムで消せるという、確かに画期的な商品でもあった。しかも「ペン全体が芯」という、大胆さがあった。

ペン全体が芯。
どこか自己犠牲の精神みたいなものも感じ取れるこのクーピーから、道徳教育を促す狙いもあるのかもしれない。

しかし画期的な機能と道徳教育は置いといて、わざわざ教材としてひと箱買わせる必要があったのだろうか。

あの商品も思い起こせばあれも「サクラクレパス」の商品だった。


さらに掘り起こせばサクラクレパスには、サクラコンテパステル、サクラクレヨンをも小学校に送り込んでいる。完全独占なのよ、小学校の画材ビジネスを。


いったいサクラクレパスは文部省にどんな美味しいハムを贈っているのか。それとも高めのas you like贈ってるのか。それとも何か下衆なゴシップでも握られているのか。


どっちにしたって、私たちの淡い思い出には何かどす黒い汚泥があるのよねきっと。

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2012年08月07日

Bar Kitchen Tour 2012

2012.7/20〜23
“Bar Kitchen Tour 2012”


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2021年7月20日、わたしの九州ツアーが始まった。
何度目だろう。

地元でライブをしたいと言って北九州市役所に電話をしてたらい回しにされたのももう一年以上前。なんだかんだで一年で5回くらい演奏ツアーしたかもしれない。こんなに行ってたら『あいつほんとはこっちに住んでんじゃないの?』というエリッククラプトンみたいな存在になってしまいそうだよ。

わたしは山口県下関市出身で、それなのになぜ九州が地元ツアーなの?といぶかしがる人もいるかもしれない。

北九州はほんとに近いんだよ。隣町というよりもっと近い存在で、色気づいた高校生が寄ってたかってデートをする町、それが北九州。そんな色気づいた町北九州をさらに南下すると、さらに色気づいた町、博多がある。

色気づく度合いで、下関の青年たちは南下してゆくのである。そして色気づききったわたしは今回、むしろ博多から北九州へと北上するというツアーに取り組んだ。
思い出の土地でのツアー。
しかもソロツアー。

東京ではやっていないソロ活動を、九州限定で始め、必死にがんばってるうちに少しだけ形になってしまったという経緯。



出発前日。
CD制作で徹夜。

九州ツアーへの意気込みは尋常ではない。尋常では、ない。

そんな意気込みを表すひとつが限定CDの作成。前回はライブ録音だったけど、今回は東京のおともだちに協力してもらってわざわざスタジオでレコーディングして、曲まで作ってというやる気。

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「乙女心雨模様」
sax:岡村トモ子
Piano:梅野絵理
Guitar:宮城由泳
Bass:石田じゅん
Per,Dr:岡部量平

1.恋人よ我に帰れ
2.珈琲ルンバ
3.Nearness of You
4.Bar Kitchen
5.真っ赤な太陽


そんなCDの制作が前日の深夜に及び、朝を迎え、寝不足で飛行機に乗る。

福岡空港、雨、大雨。
長年の雨女疑惑を確かなものにした瞬間、突然の快晴とともに驚きの梅雨明け宣言が町を駆け巡る。

やってきましたよ、ここに!
ハレオンナがね!ふふふ

さてツアー初日は、ご縁がご縁を呼んだ箱、petrole blue。
店長のこいでさんは昔ゴールデン街で働いていたのだそう。ニアミス。

リハの前に早めに行って、前回のツアーで知り合ったデザイナー聡子さんのモデルをつとめる。恐縮です。素敵な浴衣を着せてもらう。きゃほ。

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褒められながら写真を撮られてると、ツアーメンバーが到着。
Piano久保田浩さん、BassYUKIさん、Gt白石じろうさん。
みんな九州在住で、いつもわたしのツアーを手伝ってくださっている有難い方々。足を向けて寝れないやつです。

さっそくリハ。
今回はオリジナルもあったし、カバーものもアレンジ凝ってたりしたから、入念にリハ。さすがに手練れのみなさまはすぐにわたしの意向を汲み取ってくださった。羽毛布団のような人々だねもう。

こいでさんのつくる最高に美味しいジンリッキーをライブ前からいただき、おかげさまで演奏にも力が入る。相変わらず感情移入しまくる演奏でハァハァ言いながらライブ終了。

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前回来てくれていたお客さんもけっこう来てくれてて感動。これを世間ではリピーターと言う。ありがとうございます。

燃えきったライブ後は焼き鳥打ち上げ!
よく考えたら徹夜明けだったけど3時過ぎまで飲んでたな。いろんな話が聞けてたのしかった。


ツアー二日目。
博多を後にして北九州市八幡Take5へ。
梅雨明けした九州はあつい。。。

Take5はライブスタートがとても遅い。
今回は21時半から。じわじわとお客さんが集まってきて、2ステージ終えて、24時過ぎたころ、またお客さんが。ほんんと夜更かしさんの多い町、八幡。

だいぶ経験値の高そうなマダムがご来店したので、彼女たちのためにもう1ステージやることに。そんなことじゃないかと思ってたぜ。だって前回Take5でやったときも夜遅くまでフィーバーして、ハイボール飲みすぎてLeft Alone吹いたらえらい気持ちよかった記憶があるぜ。

5

ここではけいかさんとようへいくんという新しいお友達も増えた。イベントスタッフやDJやってるお友達。ほんとに人見知りで社交性欠如してていじめられたりいじめたりしてた小中高生の頃の岡村トモ子に声をかけてやりたい。「トモ子、将来北九州におともだちゼロの段階からけっこうできるよ」と。

ライブはマスターに好評いただいた。前回よりうんと良かったと。あんまりお世辞とか言わなさそうなマスターなので信じることにした。ちなみにマスターは来月、出場者が欠乏したバンドコンテストに出場するらしく、今のところ、マスターのバンドしかエントリーしていないため、優勝決定していることをエキサイトしながら話していた。優勝おめでとうございます!

ライブ終わったのが何時だったんだろう…。
とりあえず宿の近くについたのが3時半だった。

今回の宿は地元の友人のマンションのゲストルームを借りてたんだけど、その宿が関門海峡沿いだった。3時半に関門海峡の海を目の前に茫然。ベンチに座って疲労感の中、ぼけーっといろんなこと思い返してたら4時に。九州ツアーをするといつも感情的になる。たくさんの人の協力に感謝しながら、ひねくれたわたしは懐疑的になったりもする。なんでこんなに良くしてくれるんだろう。

高校生の頃、いつも眺めていた関門海峡を28歳になってツアー中に眺める。変な感じ。と同時になんかよくわからん気持ちがこみ上げてきて涙を流す。ははは。潮風がしょっぱい。

6

部屋に戻って、布団を目前にソファで撃沈。


ツアー3日目。
楽しみにしてたイベント、「スナックサボテン」@黒崎。

今ツアー唯一のイベント。あとは全部ワンマンだったから、ほかの出演者がいるイベントというのが楽しみでならなかった。

しかも九州ツアーをきっかけに仲良くなったサボテンと。
サボテンも岡村トモ子も東京にいるのに九州で仲良くなって、今は東京でもよく一緒にイベントに出演してたりする。世間はこれを逆輸入という。

猛暑の黒崎駅ではおやじバンドのベンチャーズ演奏が漂う。
お祭りもあったみたいで、ベンチャーズと相まって異様な活気、黒崎2012。

箱はストロベリーサワー。
箱の人がみんな肝が据わっているストロベリーサワー。
ちょっと怖い、ストロベリーサワー。
でも親切、ストロベリーサワー。

サボテンのふたりとは6月に渋谷でやったイベント以来。
たをやめ主催の「管楽器の入ったバンドって、なんかいいよね、の夜」にBloodest Saxophoneをお迎えしてたからね。

でも九州で会うゆきさまとしんたろうさんはまた一味違う。
なんか違う。気がする。
少し背が高い気がする。気が。する。

この日は東京から来てくれてたお客さんもいた。富山から来てくれてた人もいた。「ここでしかCD買えないって言うからー」って言ってたけどほんとなのか??正気なのか?喜んでいいのか?邪推したほうがいいのか?

いや、素直にうれしい。
ほんとにありがとうございます。

この日もありったけ一生懸命演奏したな。両親も来てたし参観日的な。
母が一曲目から泣いていたな。そんな曲じゃないのに。ははは。心配かけてすみません。お嫁にも行かずにこんな感じでやってます。あ、お嫁に興味は持ってます、興味は。

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このイベントの主催者は強者で、「いとぴー」と呼ばれる人物。
自身もブルースシンガーであり、強烈あっぱれキャラクターが北九州全域に愛されている(ように見える)。サボテンとわたしを結びつけてくれたいとぴーさんには感謝。今回も最高のイベントをありがとうございます。

ずっとドラムレスの編成だったけど、この日はドラムに中川ともくんをお迎えした。珈琲ルンバとかやっぱりドラムあると全然ノリがよくなる。で、このイベントで前回もピアノを弾いてくれた上村貴子さん。わたしはメンバー紹介で「かみむらたかこー!」と二回も叫んだけれど、本当はうえむら様です。。。

イベント最後には前述のいとぴースペシャルセッションにて、サボテン、岡村トモ子、そして九州の強者サックス奏者3人、まおくん、リクくん、井上たかしさん、と異様なサックス人口の中、異様な熱気でセッションを終えた。

8

熱いライブ終わってお蕎麦屋さんへ。
疲労感の耳鳴りの中で昼に聞いたベンチャーズが執拗にリピートされた。

さすがに疲労がたまってきて、危うくわかめ蕎麦に手を突っ込んだまま寝るところだった。(前回ツアー最終日の失態:お弁当に手を突っ込んだまま寝落ちした。)

宿に戻る前に父が渡してきた袋にはアリナミンVとウコンの力が。前者には「残りのツアーがんばれ」という激励、後者には「でも飲みすぎるなよ」という切なる願いが込められていることを娘は読み取った。

さて、ツアー四日目、最終日。
思い出のつまったチャチャタウンの中庭ステージ。

暑さの形容詞として、「鬼」がぴったり。

高校の頃、観覧車に乗った。映画をみた。プリントクラブした。
そんなチャチャタウンの中庭は地獄のような暑さでしたが、そんな地獄にもやってきて、演奏を聞いてくださった皆様、あなたはきっと良い来世を送れます。

終始険しい顔をしていたらしく、カメラマンの宮崎さんから『演奏中の写真はつかえるものがありませんでした』とメールがあった。むしろ興味がある。どんな顔してたんだ。つかえない顔。

鬼暑い中、2ステージ、無事終了。
倒れなくて良かった。。。

9

ライブ後、見に来てくれていた姉とお寿司を食べる。
夏バテして弱った胃に、サバ、カンパチ、ねぎとろ、タイを与え、ついでに大吟醸も補給してみる。

夜はいよいよ最後のライブ。
88nelsonでのセッション。

88nelsonといえば、わたしにとって聖地であり、ホームであり、ユートピアでもある。九州でのソロ活動はこの88nelsonというお店と、店主であるじろうさんの協力がなければ始まらなかった。これ以上書くと感謝しすぎて気持ち悪い感じになるので、とりあえず紹介はこれくらいで。

そんな恩の詰まった88nelsonは月曜日に毎週セッションを行ってて、今回、奇しくも100回記念だった。奇遇すぎて運命感じずにいられようか。二年間、雨の日も風の日も休まずセッションしてたんだってよ。すごいよね。継続。

記念にはボーカルあいちゃん、ギター竜徒くん、ベース丹羽先生、そしてじろうさん、YUKIさん、久保田さんなどなど素晴らしい方々に加えて、たくさんのセッションラバーの方、お客さん、なぜかラーメン屋さんまでいて、それはそれはぬくぬくとした雰囲気の中、わたしはジンというジンを飲みながら5曲くらい演奏したかな。

わたしが最初に市役所に電話したときに何件目かに出会ったホリホリさんとも共演。最高のブルースハープ。かっこよかった。

10

「福岡の神」という枕詞で紹介された丹羽先生はほんとうに素晴らしいベーシストだった。丹羽先生はあまつさえパンデイロも叩いちゃったりして。神はお茶目であられた。

4日間のソロツアー。
今までのソロツアーの中で一番濃度が高かったような気がする。

何よりもツアーを支えてくれたじろうさん、素敵な姉貴で今回も大いに笑わせてもらったYUKIさん、そして最高のピアノで今回もたくさんの刺激をくれた久保田さんには心からの感謝を。そして暑い中足を運んでくれたお客さんにも。

今回のライブは殊更の疲労感と達成感と充実感があった。
じろうさんは暑さのせいかなぁと言ってたけど、それもあるかもしれない。
なんせ鬼暑かったからね。
でもそれだけじゃない気もする。言葉にはできないけど。
「それだけじゃない」と感じさせる「何か」はツアーで出会った人とわたしだけが共有できるもの。


早くも次のツアーがたのしみだな。
それまで東京でまた邁進精進の日々。


岡村 トモ子


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【ソロツアー略歴】
2011年 6月 初めて88nelsonでセッションライブ
2011年10月 “CARAVAN TOUR 2011”3days
2011年11月 2daysライブ
2012年 1 月 “Ney Year Live 2012”
2012年 2月 “岡村トモ子のたのしい時間ツアー”4days
2012年 7月 “Bar Kitchen Tour2012”4days


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2012年04月26日

岡村トモ子HP移転のお知らせ

コム

岡村トモ子HPお引越ししました。
内容もデザインも変わりませんが。
夏には一新する予定です。何卒。

http://ocamotts.com/

かしこ

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上書きホゾン

上書きされたくないごきげんよう

なんだかうすら春めいたからといって、浮つきたくないのよ。冬の厳しさに憧憬して、過酷に身を追い遣りたい、それが春

さて、そんなこと抜かしながらしっかり陽気にワクワクして、乙女よろしく春に妄想を抱いたところで、今日はホゾンのお話よ


誤解や失敗に溢れた人の一生。わたしたちはいつもどこか都合よく、たくさんのものを塗り替えて生きているのよ。

そしてパソコンに向かえばいつも左手の小指と中指が押している。
そう、コントロールとSを。

この場合の「S」は「さてと」のS。
わたしたちはいつも「さてと」の切り返しで何かを闇に葬り続けているのよ。

「さてと」ってのはとにかく接続詞界において最も無責任で傍若無人なものだとわたしは思うわ。わたしは思う。

中でも、不倫したサラリーマンが夜明けにワイシャツを着ながら小声で言う「さてと」については特筆しておこうと思う。

ベッドに残された女はドラマの見すぎで「まだ飲んでいるでしょうが!(夜明けの珈琲)」って気さくに、それでいて小粋に切り返すも虚しく、サラリーマンは無言でホテル代を置き、うすら明るい町に消えていく。


その「さてと」の権化、それが上書きホゾン。
わたしの知識欲を満たし続けるwikiには載っていなかった「上書き保存」という言葉の説明。これは忌々しい。ユユシイ

wikiが知らぬふりをしている。
「上書き保存」という言葉に背徳感を感じている。後ろめたがっている。


コトバンクだけがその背徳感をも乗り越える現代的無情を持ち得ていたのよ。

上書き保存:「既に存在するデータを新しいデータに置き換えること、あるいは文字入力の際に、既存の文字の上に新しい文字を入力し、既存の文字を更新することである。」<

いつも思うけど、こういう辞書的な説明ってとても一方的でサディスティックでゾクゾクするわよね。

それはさておき、パソコンが日常に入り込んで、上書きホゾンという選択肢が与えられたばっかりに、わたしたちの小指と中指は日常でもうずうずしているわ。

昨日うまくいかなかった仕事が今日うまくいったとき。
朝からずっと取れかかっていたつけまつ毛に帰宅後気付いたとき。
苦手だと思っていた人物が案外良いヤツだったとき。
あの言葉が嘘だと知ったとき。
前言撤回したいとき。
朝令暮改したいとき。

そんなとき、わたしたちの左手の小指と中指は悲鳴を上げながら震え始めるのよ。

ただ、そうは問屋が卸さない。
卸さぬ問屋の無言の圧力。

そう、わたしたちの人生に放棄はあっても上書きホゾンはないのよ。ババーン。

上書き保存と見せかけて、それはただの放棄なのです。そんな平成を見逃してはいけない。立ち上がれ、立ち上がるんだオトメよ。

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2012年03月07日

エゴ

迷惑をかけたくないとか、心配されたくないとか、そんなエゴイスティクな自立心が一番の我儘なのね

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2012年02月21日

遠近感

大切な人をちかくで大切にするのはむずかしい。

とおくで大切にするのは簡単だけどヒリヒリする。

ちかくで大切にするには「当たり前」が邪魔をする。

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2012年02月19日

フードプロセッサー

ルードプロフェッサーごきげんよう。

あなたこのブログ、好きね。

さて、もう本題よ本題。
フードプロセッサーってあるじゃない。
フードをプロセスするあれ。

あれってみんな持ってるのかしら?

少し前まではちょっとした金持ちがステイタスとして手に入れたものの、結局のところオブジェにしてしまっている悲しきイメージだったけれど(え、ちがう?)。

最近は安価な類似品が登場して、庶民たちも諸手を挙げてこれを迎え入れ、これに興じている。そう感じるわたし少しひねくれ過ぎているかしら。


さて、フードプロセッサーはまず名前がいいわね。うん。名前がいい。

カタカナにした時の文字の見た目にパンチがなくていい。
あと関係ないけど響きが「ルードプロフェッサー」に似ているからいい。

いや怠惰な教授は置いといて、日本人は「プロセス」という言葉が大好きだから。猫も杓子も「プロセス」を大切にしてるから。
そのこともきっとフードプロセッサーの市民権を大きく支えているに違いないわ。


暇だからとりあえずwikiでも調べてみたわ。

【フードプロセッサー】食材を、粗いみじん切りからペースト状にまで細かくすることが可能で、特に肉のミンチ・魚肉のすり身・野菜のみじん切りなどを作る際に絶大な効果を発揮する。(by wikipedia)


「絶大な効果」という表現にえこ贔屓を感じるのはわたしだけじゃないはず。
wikiがフードプロセッサーの肩を持ってる。忌々しい。ユユシイ。


ふーん、そう。
そうですか。
そんなに便利ですか。

わたしだって本当は気になっているのよ。
もう5年近く気になってる。
恋よ、わたしはFPに恋してる。
わたし、FPに赤い実はじけてる。


わたしはずっと思ってた。


彼を手に入れたい。
彼と居ればお互いを高めあえるきっと。
彼がいることで今までできなかったことを実現できる。
彼がわたしの時短を可能にしてくれる。
彼とわたしが二人でつくりあげた愛の結晶はわたしの人生を豊かにする。

でも彼に頼りたくない。
彼に依存したくない。
彼がいないと何もできなくなってしまいそうで怖い。
いつかは彼と別れてしまうかもしれないのに。

わたし一人で頑張れる自信をつけたい!
そして彼迎えに行く!

そして彼を家に呼んで、ゆっくり休んでもらって、その間に腕によりをかけてハンバーグをつくるの!もちろんみじん切りは自分でやるわ!そう!そして彼に言うの「FPなんていらないわ!」


御後がよろしい。
とてもよろしい。


岡村トモ子

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2012年02月18日

モットー

jpg_effectedごきげんよう。

何気に新年初の随筆、お騒がせするわよ。

気まぐれに更新するこの乱文乱筆ブログだけども、最近会う人会う人に「もっとまめに更新してくださいよー」なんてお世辞言ってもらって。

嬉しくて少し図にのりながら謙遜しつつも、本当は心の底では「そんなにまめに読みたいなら辻ちゃんの子育てブログでも読んでな」なんて思ってること、口が裂けても言えないわね。


さて年が暮れるだの明けるだの騒いで早一ヶ月が経ったのね。

別に年が変わることで何かが変わるわけじゃない。
でも区切って区切られて、それが文明社会のやり方。
秩序のための秩序。


「クギリ」をつけるのはいいことなのよ。
「クギリ」で人は決断をし、覚悟をし、そして妥協をするの。


年にも。
仕事にも。
恋愛にも。
勉強にも。
RPGにも。


「年」にクギリがなければ、賞味期限切れの調味料を捨てるタイミングに困るわ。
「仕事」にクギリがなければ、エンドレス残業で歯車もガッタガタ。
「恋愛」にクギリがあるからこそ、素敵な愛が待ってる。はず。
「勉強」にクギリがあるからこそ、社会の実践が物を言う。
「RPG」にクギリをつけられないと人間として大変なことにナール。


ただ「クギリ」に跨って、有り続けて欲しいモノもある。
クギリなんてものにクギられずに、ずぅっと横たわって欲しいモノ、曲がらずに有り続けて欲しいモノ。

それが「モットー」ということになるわね。


16歳のときに決めたモットー「毎日がスペシャル

そして18で加算された新しいモットーとしての村山槐多の言葉「ためらうな 恥じるな まっすぐに行け」

そして、28歳を迎えた岡村トモ子がさらに追加したこれからのモットーは「不撓不屈」。

来る困難に決して負けない、屈しないという決意と共に生きる。
そして自分の活動に責任と誇りを持つ。


これから、また一味違うんだからね。
見ときなさいよ


岡村トモ子

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2011年12月29日

ドナリ

腐った平成に大声で怒鳴りつけてやりたい気持ちはいつもあるわ。

でも、それ以前に自分が腐っている時などは、時代に怒鳴りつけられるような出来事が起こるものなのよね。


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2011年12月24日

オトコなど

クリスマスかよごきげんよう。

オトコなどという哀れな生き物に翻弄される、もっと哀れな生き物です。


さて。
お世話になっている先輩から半年前くらいに、突然郵送されてきた二冊の本。

「恋愛脳〜男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか〜/黒川伊保子」

「男の気持ちがわからない君へ/秋元康」

ある日突然こんなものを送ってきて!
なんのアテツケなの!
失礼だわ!
しかもこんなミィハァな本を!
無礼者!

なんて思いながら、次の瞬間には熟読するわたしを笑うがいいわ。


ためになったんだか、知らなければ良かったんだか。


・女性脳は恋するだけで傷ついている。
・女にとって一生愛するという約束は、一生「愛している」という約束だ。
・男は共有する時空に飽きたくらいじゃ、女を嫌いにならない。
・男は小学生が小学校に通うような感覚で女のところに帰ってくる。
・女は言葉で癒される動物だ。
・女と男は理解し合えないからこそ、肉体で結びつく。


なんだか「はいはい」と思いながらも、真剣にうなづくわたしを笑うがいいわ。


でもぐるぐるぐるぐる考えてたら急にどうでもよくなったわ。
いや、正確に言うと面倒くさくなった。


結局はわたしは自他共に認める箱入り娘で、親からも折り紙つきで我儘の称号をいただいてるのよ。

これといってそれを改める予定も必要もないし、かといってあるがままのわたしを受け入れてくれるオトコなんてきっといないし、今のところいなくていい。

わたしは自分と自分の活動と熱愛中なわけで、正直それ以外の物は美味しいとか、楽しいとか、よく寝れるとか、そういう生活環境さえあればいいのよ。


「好きなのに」
「好きだから」
「好きだけど」

そういうクレイジーな自分に翻弄されてるととっても疲れるのよ。
まぁ心のどこかで、そのクレイジーさを追い求めてる節もあるけれど。


ほら、キャンディダルファが言ってたわ。
「サックスって恋より楽しい!」


こいつどうかしてる。

そう思わせる域に達したのは、きっとさぞかしクレイジーな恋愛をして、そのクレイジーエネルギーを他のものに還元したからこそよ。

ふむ。
なんかもっと面倒くさくなった。


あ、メリークリスマス!

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2011年11月30日

ながい夢

ながい夢を見ていたわ。


夢のわたしはいつも追われて、すべてに盲目で。
執着し、嫉妬し、悲しみ、そして奮起し、開拓する。


無駄なものを捨てて、この先の道を狭いものにする。
広い道を歩くよりも何倍の覚悟と責任を持って。


そしてまたわたしは夢を見るんだと思うの。

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2011年11月18日

箸袋検定

ハシでわかる見栄ごきげんよう。
あなたは今日もうすら暇なのね。

さて、とにかくわたしはマトリョーシカ並みの箱入り娘で、22歳までは親から多額の資金援助を受け、バイトを禁止され、多額のお小遣いを消費できずに、毎月貯金が増える、というほくほく娘だったのよ。

ただ、若者には「反動」というものがある。
禁止されるものは、とにかく侵したくなる。

そんなわたしが内緒で始めたアルバイト。
それはわたしの人生で唯一の純粋なバイト経験。

これぞ「豚まん事件」でおなじみのセブンイレブンなの。

18歳のころ、わたしはセブンイレブンでバイトしてた。

ほんの数カ月ではあるものの、その唯一のバイト経験は、わたしの価値観を大きく変え、いまだに判断の一部になっているのよ。


当時いろいろな発見があったわ。
中でも一番興味深かったのが「箸」について。

箸については「箸袋のジレンマ」にて取り上げたけど、もう一つ箸について考えることがあったの。


食べ物を買ったお客が「お箸おつけしますか?」の質問に どう答えるか。


私が働いていたセブンイレブンの店長は、エコへの関心が高く、二言目には「仕事もモノも無駄は省け」と狂ったように叫びながらフェイスアップしていたものよ。


そんな店長の方針で

『割り箸はな、要る人にだけ渡せばいいんだよ。なんなら全員無しにしてもいい。 家に帰ればあるんだからな。ハハハ。』

という教育が施されていたの。

さすがに「全員無し」への疑問は店員全員が抱いていたものの、とにかお箸を渡す際はそのお客に「いるのか、いらないのか」と尋問することが義務付けられていたのよ。

だいだいオトコの人は「つけてください」と言う。
そして女子は半々。「つけてください」と「いらないです」。


いらないです、という女子の大半はレシートを欲しがる。
そう、彼女たちは家計簿をつけている。

あと「2本つけてください」という人。
これは恋人がいる人、見栄を張っている人、このどちらか。


見栄を張るお姉さんがいたの。
サラダ、おにぎり、女性セブン。
これに箸は2本いらないわ。

でも「箸二本」と要求されたからには、心の中で店長に謝りながら2本差し出していたの。サービス社会に頭を垂れながら、エコを裏切り、真実の追求を放棄するわたし、18歳。

わたしは虚偽と分かっていながら虚偽に頭を垂れたのよ。


わたしは感じた。


箸ひとつに、日本社会の問題が浮き彫りになっている。と。

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2011年10月30日

オレオ

はがして食べる派ごきげんよう。

オレオってあるじゃない。
そう聞いて、ソニーロリンズを想い浮かべた シミッたれたJAZZ野郎は早く寝るがいいわ。

とにかくナビスコの方よ。
あのほろ苦いココアビスケットで、クリームとも言い切れないシャリシャリしたマジカルデリシャスクリーミーペーストを挟み込んだ、あの。

20世紀にもっとも人々に食べられたクッキーとしてギネスに載ってる、あの。


わたしったらそのオレオに、ここ最近また熱を上げているの。

オレオって食べた後、歯の溝という溝を埋めるわよね。
人間関係の溝はそうそう埋まらないというのに、オレオはいとも容易く埋めていく。溝という溝を。

今後は気まずい相手にオレオを渡して仲直りするというような戦略でのビジネス展開もいいかもしれない。ほら、キットカットが受験に結び付けられたように、オレオは関係回復の糸口として。

国家間でもやりとりして政治緊張を緩和。ゆくゆくは国連も見ぬふりをできなくなり、世界オレオデーを制定。となると、発案者であるわたしが初代オレオ大使となり、発案した本日10月30日がオレオ記念日となる。翌日であるハロウィンの日本での定着ぶりがいつまでたっても違和感を払拭できないでいるから、ちょうどいいんじゃないかしら。


それはともかく、オレオを食べた後、鏡の前で口を開ける達成感、充実感、優越感は何物にも代えがたいものよね。白い歯と美しいコントラストを奏でるオレオin溝は、モダンアートを刺激するベタつきのないインスピレーションに満ちているわ。


さらに食後、時間が経過し、もうオレオなんて忘れた頃になって、ひょっこり溝から顔を出してきて、口の中にほろ苦い記憶を喚起する。


あれに似ている。

官僚に。



さて、そんなオレオを生みだすナビスコ、ヤマザキ製パンの傘下なのよ。知ってたからしら?
わたしたちの食環境は、すごい勢いでヤマパンに包囲されているのね。


ヤマパン。


なんかアヤパンみたいなファニーな響きだけど、アヤパンとヤマパンでは背後にそびえる権力の差が…いや…そう考えると…同じくらいの権威がありそうだわね。クッ。


ハバナイスオレオ。

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2011年10月08日

シバフ

ぺろりごきげんよう。

隣のシバフは青い。

これはもともと、
「The grass is always greener on the other side of the fence.」
という英語のことわざの訳語だったって知ってたかしら?
わたしは知らなかった。和風の影にひそむ欧米の微笑。おそろしい。

これはイクラがロシア語で、オクラが英語だと知ったとき以来の衝撃であり、マンボウがフグ科と知った衝撃にも酷似しているわね。ちなみにトマトがナス科だと知ったときの喪失感とは一線を隔す。

確かに日本には芝生のある庭なんてそもそもなかったものね。コケムス文化だから。

そんな中で生まれ得るのは…

「隣の苔に扇風機(他人のものを台無しにするの意)」とか
「隣の苔に国歌(本家に自慢話をするの意)」とか
「隣の苔にポルノ(湿度と淫度を組み合わせることから、過剰演出の意)」

そういうことわざだったはずよね。

芝生が日本に入り込んできたなんて最近のこと。
うーん、小坂明子が「あなた」で歌う家の庭には芝生がありそうよね。そして子犬の横にはアナーター。


で、そんなことはさておき、「隣のシバフは青い」問題について。


本当にそうかしらね。
本当にその青さは貴方が思うところの青なのかしらね。

本当は貴方はそんな青は望んでいやしないのよ。
ただ、そのお隣の青を見たことがなかっただけで刺激を受けただけ。


貴方の中にはもうとっくの昔からただ一つの揺るぎない青があるのよ。
その青を疑ってはいけない。
その青を軽んじてはいけない。

その青は貴方が思っている以上に尊いものなのよ。
そして貴方が思っている以上に平凡であり、非凡なものなのよ。

その青を信じてあげられるのは貴方だけで、その青を人に伝えることができるのも貴方だけだという使命感から逃げてはいけないの。

その責任と使命に、当事者意識が芽生えた時に、何かが生まれる。
そうじゃないと生まれない。



だから他人のシバフなんて見なくてもいい。
あんなもんは青くない。

や、むしろアオい。

ペッ。

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2011年09月30日

コドク

いらないものは捨てればいいごきげんよう。

孤独。
Wikiは言う。他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に孤独という。と。
小西真奈美は言う。孤独と五徳は似ている。と。


それは違うんじゃあないかしら。


他人との接触なんて無人島にでもいない限り有り続けるもの。
孤独はむしろ他人との接触が生み出すものなのよ。


そう、ルールがなければ自由が生まれないパラドックスのように。
戦争がなければ国家も誕生しなかったという、野蛮さに裏付けられた文明のように。


いつだって物事は、作用しあって生まれてるのよ。
そしていつも対極に支えられて成り立ってる。
カバオに支えられるアンパンマンのように。


だから一人で家にいるときよりも、烏合の衆にまみれる時間の方がよっぽど孤独なのよ。


だって一人でいるというのはとてもラクだから。
寂しさを嘆いて喚いて自己陶酔する自由があるから。


けれどなんとなくその寂しさの捌け口を見つけた時、孤独が始まるの。この瞬間を孤独元年と名付けるわ。

孤独は「相手」となる環境がいないと始まらないの。「相手」が見つかった時、イギリスのチーズ転がし祭よろしく、高速で堕ちてゆく。小口切りにしたネギがまな板から堕ちていくあの光景のように。そう、自ら進んで孤独の淵へ。


孤独は判断をにぶらせる。


けれど、孤独にまかせた決断は、孤独にかぶれている。


そして孤独は孤独を生む。



どうすればいいかって?
まずはすべての決断を振り返るのよ。

そして問うの。
それがカッコよかったかどうか。

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2011年09月23日

CARAVAN TOUR 2011

いくでー

























北九州、下関へのソロツアー第二弾!
2009年、女子19人によるトロピカル楽団「たをやめOrquesta!!!」を主宰。作曲、アレンジも兼任。

2010年、B.sax、Accordionとわくわくトリオプロジェクト「ラ・しゃらら」をスタート。東京を拠点に活動する彼女が、「CARAVAN TOUR」と題し北九州ツアーを敢行!オールドスタイルのドラムレス編成でDUKE ELLINGTONのスタンダードナンバーをお届けします。


2011.10.14.Fri. 昼
@チャチャタウン小倉
14:00〜/16:00〜 観覧無料 FREE!!!
岡村トモ子(AS)・久保田浩(P)・YUKI(WB)・白石二郎(G)
小倉北区砂津3丁目1-1


2011.10.14.Fri. 夜
@ストロベリーサワー
20:00 OPEN /20:30 START/CHARGE¥2,000
岡村トモ子(AS)・久保田浩(P)・YUKI(WB)・白石二郎(G)
八幡西区黒埼4丁目1-8 


2011.10.15.Sat. 昼
@門司港デッキJAZZ 18:00〜/19:00〜 観覧無料 FREE!!!
岡村トモ子(AS)・久保田浩(P)・YUKI(WB)・白石二郎(G)
門司区港町 門司港レトロハーバーデッキ


2011.10.15.Sat. 夜
@Take5
21:00 OPEN /22:00 START/CHARGE¥2,000
岡村トモ子(AS)・久保田浩(P)・YUKI(WB)・白石二郎(G)
八幡東区中央2丁目9-6


2011.10.16.Sun. 夜
@BRAVO!
"サボテン"LIVE
saboten
1997年結成。 テナーサックス押川幸正(from BLOODEST SAXOPHONE)× テナーサックス甲田ヤングコーン伸太郎(from BLOODEST SAXOPHONE)による変態 DUO。 イヴェント、クラブ(地方も含む)、ライブハウス、結婚式、路上など、神出鬼 没な 活動により人々の失笑を買うが、その圧倒的なライブパフォーマンスは他の追随を許 さなぁ〜い。 というか浮いている。 ある意味孤高の存在?

Opening Act
岡村トモ子(AS)・上村貴子(P)・YUKI(WB)・白石二郎(G)・中川智之(D)

BRAVO!
八幡西区黒埼4丁目1-2


【ご予約・お問い合わせ】
A.sax@hotmail.co.jp


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2011年09月20日

紛失物





あなたが失ったものというのは、結局はあなたに必要なかったものなのよ。






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2011年09月16日

敗北から

野菜たちの送迎ごきげんよう。

なんだか夏が終わりそうで終わらないこの時期には、センチメンタルにもアッパーにもなりきれずに、みんな変な顔をしているのね。

もともと変な顔なのかしらね。

そんな難しい季節でも文句垂れながらもシャンとしているわたしだけれど、とりあえず、みんな夏に頭を垂れすぎてるんじゃないかしらって思うの。

だってそうでしょ。

夏が来るってウキウキして、ワクワクして、何でもかんでも夏のせいにして。


アヴァンチュールも
失恋も
怠慢も
TUBEも
失業も
終電逃しも
メイクの乱れも


まぁそれだけならまだ可愛いもんよ。
そうやって理由を見つけながら、周りを伺いながら少しハメをはずしてみるなんて可愛いもの。
そういう「夏」の使い方は宜しい。


ただ。
許せないのはあれよ。



…夏バテよ。


なんなの。みんなして。
「あたし夏バテしちゃったぁ」なんて言っちゃって。
気がついたらわたしもこの一週間連呼してるじゃない、この言葉を。
夏への敗北を恍惚とした表情で口にする。

敗北ってのはハンケチを噛みながら、一人屈辱を抱きかかえるものであって、できれば誰にも知られたくないものなのに。それなのに、それなのに、みんなこぞって夏に頭を下げる。


夏の終わりの魔法なのかしら。
みんながこぞって「夏バテ」を容認する。


いや、これは勲章なのかもしれない。
誇示なのかもしれない。
いかに「夏」を謳歌したかの。
夏休み明けに日焼け具合を競い合う小学生のように。


少し大人になって、カラダの不調が自慢に変わってくる頃、夏バテは「夏への敗北」から「勲章」へと変わるのかもしれないわ。



そうなのね。
だったら胸を張って言える。


夏バテ、したわよ。
あたし、夏バテしたのよ。
誰よりもラディカルな夏を過ごしたんだもの。
3kgくらいくれてやるわ。


ふん。

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2011年09月14日

エナジー






わたしの原動力はいつだって怒りとジェラシー。






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2011年09月12日

鯛の鯛

ジェラスごきげんよう。

4か月ぶりの更新。
すんごい久しぶりだわ。

音沙汰ないのが元気な証拠というけれど、人は黙って死んでいくものなんだから、やっぱり音沙汰ない奴には心配してあげた方がいいとも思うのよね。

まぁそんなことは置いといて。


「鯛の鯛」ってあるじゃない。
今日はあれの話よ。


ほとんどの硬骨魚が持つ肩帯の骨。
肩甲骨と烏口骨が繋がった状態のもの。


硬骨魚の中でも、とりわけマダイのものが最も形が美しいんですって。「鯛の中に存在する鯛」だから「鯛の鯛」と言っておめでたジョークの大好きな江戸っ子が持て囃したそうよ。

イワシにもアジにもマグロにもフグにもある「鯛の鯛」

イワシなのに「鯛の鯛」
アジなのに「鯛の鯛」
フグなのに…


こういう事例をみてると、わたしなんかは「鯛の鯛」にジェラスを抱かずにはいられないわ。だっておかしいじゃない。わたしはイワシなのに、人はわたしの中身を見て「鯛」と呼ぶ。本人の鯛は有名人気どって陰からわたしを笑っている。

鯛は代官山を歩けばスナップショットを撮られ、ananでは大胆な性的連載を持ち、ローソンのおにぎりを監修するまでに上り詰める。「カリスマ」とか「絶大な支持」とかそういう枕詞に酔い痴れて二日酔いの毎日。

鯛はどんどんと知名度をあげ、そこにはイワシたちの不本意な荷担としての布教活動があることも忘れて、踏み台宜しく駆け上がってゆく。こんな鯛にイワシのわたしがジェラスを堪えられるわけがないのよ。


これは忌々しい。
これは辻ちゃんが加護ちゃんに間違われるときのジェラスと似ている。


もし。

もしもの話。


「女の女」、という存在が現れたら…


いや、もしもじゃぁないわ、わたし知ってるもの。
「女の女」を。


見たことある。
話したことある。
妬んだことある。


「女の女」はスパッツを上手に履いてた。
「女の女」は声が尋常じゃなく小さい。
「女の女」は下を向いてわらう。
「女の女」はホントに「くすくす」と笑う。
「女の女」は箸を噛んで目線をあげる。
「女の女」は絶妙になれなれしい。
「女の女」は不思議で天然。
「女の女」はちやほやされることに鈍感。
「女の女」はハムスターを飼っている。
「女の女」は会話の間を恐れない。


モテていたわ。
「女の女」はわかりやすく、こんな理解が遅いわたしにも親切なほどわかりやすく、モテていた。まわりの男たちがみんな同じ形の目をしていた。


そしてわたしに優しく話しかけてきた彼女。やましさのない言葉にひさしぶりの綺麗なぎゃふんを体感したのよ。あぁ、いい人なのね、それでいて、森ガールも容易くこなし、悪意のない小悪魔をも習得している。


腹立つ?…いいえ、これは単なるまじりっけのないジェラス。
このジェラスが天然石だったら、この上ない純度に市場が恋をするに違いないほどの。

わたしにない全てを自然体で欲しいままにする「女の女」を、心の底からうらやましいと思ったわ。かなわないとも。くやしいとも。

でもそんなこと思いながらも、そうはできない嫉妬深い自分を、「女の女」になんて到底太刀打ちできない凸凹の自分を、しっかりと愛しく思えるアッパレな女にわたしはなりたい。

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2011年05月11日

人生の間違い探し

花がキレイでよかったたとえば、1+1が2だと真剣に論じる学者がいて。

たとえば、1+1が無限だと必死に歌うロッカーがいて。

どちらが正解かといえば、やっぱりどっちも正解のようで間違いのようでもやもやした感じになるものよ。

正解などない。
間違いなどない。

正しすぎることも、間違いすぎることもない。

でも世の中には確かに存在する正解と間違い。

じゃあ、何がそれを決めているの?と疑問に想ったりするの。


自分?
自分の価値観?
自我?

そうじゃないんじゃないかしらって最近思うようになったの。

そもそも自分や自我の存在が、怪しいの。
環境なんじゃないかって。

だって自分と浮世の境界線なんてあって無いようなもので、「わたしらしさ」なんてものなんてあるようで無い。境界線もなくなって、ひとつ溶け込んでいくように。海に浮かぶクラゲのようにぷかぷか世を渡るの。

そもそも「自分らしさ」や「生きがい」なんて価値観自体が、豊かさに恵まれた国に与えられた妄想だと思うから。


正しさや間違いを決めるのは、環境なんだと思うわ。
自分が判断しているように見えて、本当は自分が置かれた環境が判断しているの。

でも最後の救いはその環境は他でもない自我で取捨選択ができるの。


だから何だって?

そりゃ人生には間違いだと思いたいことも、これで良かったと思いたい正解もあるわよねっていう話よ。

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2011年05月07日

整体天国

読みやすいことは認めるごきげんよう。

この世に天国があるのだとすれば、それは大好きな彼の懐でもなく、銀行の金庫でもなく、アーノルドシュワルツネッガーの上腕二等筋肉でもなく、間違いなく整体だわ。

「断定」への責任を逃れ逃れる平成の風潮を斜めから見下して、今ここで断言するわ。この世の天国、それは整体よ。


体が痛い。

ボロ雑巾のようなココロと、錆びついたブリキのようなカラダを携えて、時間を持て余す土曜日の昼間…みんなよくあることよね。

時間を持て余した土曜の昼の焦燥感、絶望感は何物にも代えがたいデカダンス気分をわたしに与えるの。

ひとしきり尾崎豊と太宰治に共感して、悦に浸って歩く高円寺の町はそれはそれは荒廃していたわ。


そんな廃人岡村トモ子がふと目を上げると、緑色の怪しい看板。


「高円寺整体サロン」

異常にでかい文字で書かれた看板は、もはや老眼を馬鹿にしているとしか思えないわ。緑色の看板に赤い文字。それにしても緑と赤を組み合わせて、ここまでクリスマス感が出ないのは不思議だわね。


こんな見るからに怪しい店に何の気なしに入ることができたのは、他でもないデカダンストモ子の底力とでも言おうかしら。


ガラガラと窓のような扉を開ける。
店内に響き渡るオルゴールのヒーリングミュージック。
すると奥から…


「イラシャイマテー」

一瞬で『中国式マッサージだったか…』だと悟ったわ。

そして目の前に現れたのはわたしにそっくりな中国人のお姉さん。
本人が似ていると思うからには、本当に似てたんだと思うわ。そして向こうもそう思ったはず。


まずはソファに座らさせられて、メニューを決めところから。
わたし似のお姉さんにいろいろ質問したんだけど、お姉さんは日本語がちょっぴり不得意なため、メニューの差が分からなかったため、「オススメ!」と書かれた60分の整体+アロマフットマッサージを選択。


その後ベッドに案内されて、着替えを指示される。
お客に有無を言わさず、皆等しくわんちゃんの絵があしらわれたパジャマ配給される。老いも若きも、男も女も、皆このわんちゃんドリーミーパジャマに袖を通す。

これはもしや中国と日本の歴史に深い関わりがあるのでは…、いや反日感情から来る無言の…?!と邪推するわたしにお姉さんは足湯を運んで来る。

「マズ足カラ温メル」

と呪文を唱えられ、足をお湯につける。
お湯は黄緑色、バブの匂いがする。

5分ほどつけると体がポカポカになって眠くなったところで、お姉さんがやってきて、足を拭いてくれるわけだけど、こういう局面でどうしても申し訳ない気持ちになるうちは、まだまだ小物だなぁと思うわけ。


そして

「ウツブセニ」

という最後の呪文の後は極楽の整体タイム。
年恰好の似た中国人に施術される不思議な快感がうたた寝を昏睡へと導く。

気がついた時には整体も終わり、足のアロママッサージも終わったらしく、足がツヤツヤ、体ホクホク、心ポンヤリ。


せっかく整体レポートしようと思ってブログ書き始めたのに、施術中のことをさっぱり覚えていないことに書きながら今気づいたわ。

というわけで、また行こうと思ったの。

残念ながらわたし似のお姉さんの名前を聞くのを忘れてたから、次回行ったら「わたしに似た女を出せ」と言うつもり。

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2011年05月04日

ワインの末路

wineごきげんよう。

ゴールデンウィークなのに、こんなブログ読む貴方ってどうかしてるわ。
そんなどうかしてる貴方に送ります。
なぜならそう言うわたしもどうかしたゴールデウィークを過ごしているから。

とにかく飲めばいいのよ。
シラフの夜は、すぐもやもや悩んじゃうからね。

『トモ子、本当にこれでいいの?』
『トモ子、もっと頑張れるんじゃないの?』
『トモ子、化粧は薄めにね(by母)』

というわけで、そんな夜にはお酒を飲むの。
そんな夜って言っておきながら、どんな夜にも飲んでるわけだけど。(お父さんごめんなさい)

何をってワインを。

酒界一の酒税の安さでワインを選んだのがもう5年以上前。
1リットル当たり80円という破格の酒税はワインに与えられた神からの祝福。
ちなみに細かく言うと酒税が一番安いのはみりん(1リットル当たり20円)

それにしても、ほんとこのワインちゃんは健やかなるときも、病めるときも甲斐甲斐しくわたしの面倒を見てくれてるってものよ。ワインには足向けて寝れないなと思いつつ、毎朝足元にワインの瓶がごろり。


さて、ワイン飲んだソムリエの表現で「雨に打たれた茶色の犬のよう」とか「森の下草の香りのよう」とか「このワインの色は雉の目の色のような色だ」とか「黒のニュアンスを感じさせる赤色だ」とかよく言うけど、あれってなんなの。

他の何色でもなく、「茶色」と指定された犬の茶色のそれ。
森の草は草でも、「下」と限定されてた下草のそれ。
雉の目なんてこれといってこれまで生きてきた記憶には残っていないけど、それ。
「黒のニュアンス」がそもそもなんなのかが良く分からないけど、それ。


無関係と関係させる美学…いや、「それっぽさ」の過剰追求がそこにあると思うんだけど、そこんとこどうなのかしら。

これは近代から現代にかけての芸術志向の転換と深い関係があるようで、無いとみたわ。


ワインが過剰追求に煽られて、そのうち「銀河の…」とか「人類の…」とかどんどんスペクタクルなものと結び付けられて、結果陳腐なものになるようで心配だわ。


いっそ「おかんのやさしさのよう」とか「タンスの引き出しの香のよう」とかどうしようもないもので比喩された方がワインの価値が確固たるのでは。


少なくとも「雨に打たれた茶色の犬」を想い浮かべて飲むワインよりは美味しいはず。


ぼへみあーん。

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2011年04月15日

お花見調査団

河津桜が世界一きれいだと思うごきげんよう。

どんな世の中にも春は等しく来るのよ。
どんなデカダンスを送っている者にも等しく来る、それが春。

春はまるで博愛主義者の薄情者のように。

そしてその博愛と薄情にどれほど心を救われることかしら。
博愛と、薄情と、分かっていながら、わたしは春の微笑に一喜一憂する。

こんな春のようなオンナがいたら、すぐにブックマークするってのよ。それほど春ってのは悪女たらん振る舞いでわたしたちを魅了する。

ときには露出狂までも容認するかのような寛大な春を、貴方はお好きかしら?


春は桜を芽吹かせる。
芽吹いた桜に人々は心躍らせる。

やいのやいのとお酒を持って、下心を持って、やってきたのがお花見シーズン。


お花見会場で交錯する邪な思いを今日はレポートしようと思うの。


先日のこと、お花見シーズンなんて知らないつもりで代々木公園に散歩にでかけたの。

べ、別に桜を見たかったわけじゃない。
べ、別に花見に興じる人間観察をしたかったわけじゃない。
花見に興じて、そんでもって乗じて計画的にハメを外す破廉恥な人間観察をしたかったわけじゃない。

気が付いたら足が代々木公園に向かっていた、ただそれだけのこと。


春の原宿は浮ついていたわ。

下関西高に通っていた頃、何かにつけて先生に「軽さとノリに誘惑されないように」と言われたものだけど、春は「軽さとノリ」を誘発する。いや、啓発する。


夕方の代々木公園は淫らだったわ。淫乱だったわ。


お酒で赤らめた頬が。
「大学生」という響きが。
団体行動から抜け出す二人組が。
茂みのカップルが。
謎の熟年男女が。
こぼれたビールが。
ビールこぼされたオンナが。
バトミントンの羽が。
頬張る団子が。
露店の「露」の字が。


すべてを淫らにして、代々木公園は暮れていったわ。
わたしというロンリーガールを尻目に。


っていうか今「ろんりー」って入力変換したら一番最初に「論理ー」って出てきたからゾッとしたわ。わたしのパソコン入力ライフが危険だわ。


とにかく、花見って淫ら!



わたしはひとり河津桜(わたし至上一番きれいだった)でも思いだして、浸るとするわ。

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2011年04月11日

人が人になる

あんにゅい人が「人」になるのはとっても難しいことなのよ。

生きた時間が長くなればなるほど、引きずる荷物は重くなるばかり。

加えて変にバランス感覚よくなっちゃって。
さらに経験値なんてものがとっても邪魔。

そのバランス感覚と経験値を頭の中でうまくコントロールできたら人を「人」と呼ぶのが平成的なのかなーなんて感じたのよね最近。

でもそんなのつまんないとも思うわけ。
そんなの文明を誤解して創られた、文明を阻む観念なんじゃないかって思うの。

知らず知らずに手に入れたバランス感覚や経験値で、感情的な欲求を抑え込んでしまったとしたら、それってもったいないわ。だってそこには素敵な爆発があるかもしれないのに。

バランス感覚と経験値に直面して苦しまない人生なんて、形ばかりの経済と文明に生かされてるだけ。

平和に潜む啓蒙的安定主義は、わたしたちのインスピレーションを鈍らせる。

私はなんとなく生かされて、なんとなく死んでゆくのが怖いなぁと思ったりするの。

悲しみたいし、苦しみたい。
その分貪欲に、喜びたい。

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2011年03月12日

祈願

地震、ほんとうにこわかった。
こんなに揺れるなんて、ようやく家に帰ってテレビを見たらもっとこわくなった。

わたしは無事だったけれど、今困難を抱えているすべての人に、心から無事を祈ります。

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2011年03月07日

不可視保護団体

にゃにゃにゃーごきげんよう。

目に見えないものってあるわよね。
愛とか、感情とか、花粉とか。

そういうものって歌詞にはなるけど、可視にはならなくて。

目に見えないものってどうなのかしら。
大切なのかしら。


目に見えるものってどうなのかしら。
大切なのかしら。

目に見えるものと、見えないものと、どっちが大切なのかしら。



たとえば、今わたしの目の前にある山口の地酒「秋吉台」は大切で、一方で今わたしが抱えてる形のない悩みや欲望はそれはそれで大切で。


例えば、目に見えるものや、共有できるものを欲しがるのが青春で、目に見えないものや、自分だけの感情を大切できるのが成熟だとしたら。


うーん。


わたしは一生青春しながら成熟もしていきたいと、そう思うわ。


ただそれだけよ。

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2011年03月03日

陶磁器マダム

まいせんごきげんよう。

先日、六本木のサントリー美術館に「マイセン磁器300年〜壮大なる創造と進化〜」を見に行ったわ。

昨年2010年に開窯300周年を迎えた、ドイツのマイセン磁器の歴史を振り返り、今を見つめる美術展。

これでも大学時代は第一文学部美術史学専修だったわたしだからね。『そういえば美術史学専修に友達が一人もいなかったな』って回顧しながら美術館に向かったのは平日のお昼。

空いているだろうと期待させた平日の美術館は、予想に反する盛況ぶり。有閑マダムなのか何なのか、とにかくマダムとおばさま、おばはんが烏合の衆状態で、芋を洗うかのようなぎゅうぎゅう詰め。

ここにいるマダムの7割は「陶磁器」を「湯治期」と間違えたのか、それとも「マイセン」を新手の韓流スターと間違えたのか。そう思わせるほど、陶磁器に思い入れがあるとは思えないマダムばかりだったのよ。

まぁでも平成は美術を愛する心を万民に許しているわけだから、そんな雑念は捨ててわたしも一心不乱にマイセンの300年を鑑賞しようと勢い勇んで、展示室へ…。


まずはマイセンの創成期を…


あぁ、だめだわ。
全然だめ。
話になんない。


マダム怒涛のおしゃべりが館内に響き渡り、止むことを知らず、いつしかわたしの崇高な美術鑑賞の時間はマダムのおしゃべり拝聴タイムと化したのよ。

1300円の入館料で、マダムのおしゃべりを堪能。
マニアにはたまらないのかもしらないけれど。


/綢牡曚帽圓辰撞を見ながら「あれ美味しそう〜」とか言ってしまう系列のどうでもいい感想。

「うちの湯飲みに似てるから交換しちゃおうかしらー」
「こんな金ぴかで紅茶飲んだら美味しいでしょうねー」
「あれ、あれ茶渋じゃない?使ったのかしら、もったいなーい」
(※馴れ馴れしく言いますが、ルイ15世レベルのあり得ないくらいの上流貴族が使用していたことを分かって欲しいです。)


曖昧な癖にどうしても知ったかぶりたくて言ってしまう系列のうんちく。不確かな確信を暴発連発。

「これはね、釉薬の関係でこういう色になるんじゃないかしら」
「アールデコの時代特有の表現よね、このクルクルは」
(※大きく間違わないように石橋を叩くような会話が続きます。)


とにかく知っていることは全て口に出す系列の駄言。

「これよ、これ、日曜美術館に出てたの!」
「これポスターになってたから有名なんじゃないのー?」
(※こういう作品周辺は異様に混雑するので、今後は一番の駄作をポスターに起用してほしいものです。)


ず能形態、普通の会話
「そういえばこの前のお茶したカフェのケーキが美味しくてねー」
「奈々ちゃんもう小学生になったのー?」
(※これくらい無関係な会話になるとむしろとても気になります。)


まぁこんなもんだったかしら。
静粛な空間であるべき美術館内は、まるで修学旅行でオクラホマミキサー踊る直前に、男子と手をつながんとする興奮で舞い上がった女子たちの発する鼻息交じりの甲高い声のような騒音で充満。


とにかく300年の長い歴史の中でも、ケンドラーの作品は取り立てて素晴らしかったのに、どうしてもその作品を思い出そうとすると、グイグイ割り込みながら「あったわよー!ケンドーラ!」と堂々と名前を間違えながら友人に紹介するマダムの顔の壁画のようなメイクが思い出されて悔しいばかりなのよ。


あれはむしろキュビズムとしては名作だったかもしれないわ。

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2011年01月10日

やり手ということ

やり手に叩かれるenterキーが少し羨ましいごきげんよう。

先日やり手サラリーマンに会ったの。

「やり手」という言葉はギラギラして、どこか高圧的、それでいて陰湿な謙虚さが滲み出てていいわね。

「仕事ができる」という枕詞与えらるよりも、「やり手」と冠詞を付された人物は間違いなくギラついているのよ。

そのギラつきが日本経済を支えている。

そう考えると、無垢な瞳に幾千の星を浮かべながら「貧乏ヒマなし」を体現するオンナは日本の仕組みが分かったような気分になって、ますます「我が人生に幸あれ」と強く願うものよ。

さて、やり手サラリーマンに会ったという話だけれども、でも彼らが日中どのような仕事ぶりかなど知る由もなし。

でも分かったわ。

不思議よね。

言葉では説明できないオーラ、雰囲気、人相、自信、謙遜…そんなものが交互にバランスよくわたしに語りかけてきたのよ。

あぁ、この人は間違いない。
やり手だ。
やり手の権化だ。

言葉で説明できないと言ったけど、2点だけ見つけたわ。
それをここに記すことで、このブログを読むレベルの貴方達に日本の仕組みを叩きこむとするわ。


まずはタッチ。
PCのキーボードのenter部分を叩くタッチ。

これが激しければ激しい程、その人物のやり手度は高いと見てよし。
ややSっ気を帯びた中指が、平成の腐敗や昭和の矛盾への憎しみを怒りに変えて、大きく振りかぶって…enterは叩き込まれる。

そしてキーボードのenterの文字は薄れているの。
『彼は現在に至るまでなんて沢山の決断を…』その決断力に心ときめかずにはいられないわ。

というわけで、enterを撫でるように押すような者に仕事を任せてはいけないことが判明したのよ。



そしてもう一点。

それは言葉。

「バッファーを設けた方がいいよね。」
「バッファーを設けた方がいいよね。」
「バッファーを設けた方がいいよね。」


投げかけられた言葉。
わたしの頭の中には大群のバッファローが駆け抜けたわ。
生き物地球紀行で見ていたあの風景。


でも違う。
バッファーのことはよく分からないけど、バッファーとバッファローが違うことは分かる。


やり手サラリーマンはこのように難しい言葉を使うのよ。


でもそんな目に見えない大きな影に負けたくなかったわたしは

「バッファーを設けた方がいいよね。」

というハイレベルな質問にイチかバチか「そうですね」と真顔で返してやったのよ。

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2011年01月07日

スリッパ道中膝栗毛

チグッパ2011家に帰って、玄関で何となしにスリッパを履く。

暗い廊下を通って、リビングまで辿り着き、部屋の電気をパチンとつける。

絨毯の上に移動するために、スリッパを脱ぐ瞬間、左右がチグハグなスリッパを履いてきたことに気がつくの。

そう、私の家にはスリッパが二種類置いてあるからよ。

そしてそんなチグハグなスリッパ、略してチグッパに目をやりながら、こう考えたわ。

『これって新婚夫婦みたい!きゃ!』

そこまでは良かったわ。
そこまでは100点満点のファンシー思考でショート寸前。

でもそれで終わらなかった。
私の中のB級で二流な斜に構え精神が黙っちゃいなかったのよ。

スリッパ一つで一喜かます生産性の無い浅薄乙女思想にため息をひとつ。

そしてそんな妄想とは裏腹にわたしの質素な生活がより質素を極め、ついには冷蔵庫のワインに手をかける自分を客観視して、セーラーマーキュリーのあみちゃんに「水でもかぶって反省しなさい!」と言われる錯覚まで体験する。

いっそファンシー思考でショートしてしまえば良かった、幸せだった。

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2010年12月10日

ピーラー

気が付いたら一皮剥けてたなんてありえないわ。

一皮剥けたいと望む野心とフラストレーションが恰好悪い努力を生んだ結果実現するんだわ。

そんな人参の皮を剥くかのようにピラピラーとはいかないわよ。

その野心とフラストレーションの先に、いわゆるポリシーとやらがあるらしいことを、最近結論づけたわ。

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2010年12月07日

2年という歳月

406465f4.jpg早いのか遅いのか
長いのか短いのか

二年経ちました。
二歳になりました。
たをやめOrquesta!!!

「たおやめ」と誤字する人。
「オーケストラ」と誤読する人。
「岡本さん」と呼びかけてくる人。

いろんな人がいましたが、
そんな人をあやめることなく二年が過ぎ、
みんな無事でよかった。

ただそれだけだよ。


2010.12.11.Sat.
TAWOYA-meeting Vol.4
~2nd Anniversary Party!!!~

@吉祥寺Star Pine's Cafe
Adv.¥2,700/Door¥3,000/Student¥2,000
Open18:00/Start18:30/Close22:00

[LIVE]
The Doopers
Perfect Smile Family Band
GYPSY VAGABONZ
たをやめOrquesta!!!

[歌と朗読劇の本格幕の内ショウ]
ももfrom"チャラン・ポ・ランタン"(歌と朗読劇)
ヒデfrom"DF7B etc."(バリトンサキソフォン)


Star Pine's Cafe
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
TEL0422-23-2251

<吉祥寺駅より徒歩3分>吉祥寺駅・北口を下車。吉祥寺大通りを北に直進(右手に見える三菱UFJ銀行、ローソンを通過)。ヨドバシを越えた角を右折。20mほど進むと左手に見えてきます。パーキングビルの地下です。


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2010年11月30日

独占欲

水面下ではバタバタしてるヨ!ごきげんよう。

うかうかしてたらもう11月も終わるようね。
曜日と無関係な生活をしてる私だけれど、年の瀬迫る、ときたら話が違うわけよ。

なんていうか焦燥感、そう、焦燥感って言いにくいわよね。


さて、秋山仁って知ってるかしら?
あの数学の。
いや、こう言った方がいいかしら。


あの、バンダナの。

あの、バンダナの。

あの、バンダナの。



人類の歴史、それは独占欲の歴史でもあるわ。
独り占めしたい、そんな欲望に人は幾度となく駆られてきたわ。

あの子の視線。
この国。
ケーキのいちご。
地球。
お母さん。

たった一人で占有したい。
誰にも邪魔されることなく、誰にも奪われることなく、たった一人、自分の手の中に収めておきたい。それが独占欲。


独占欲がなかったとしたら、人類の歴史はもっと浅薄で軽薄でクーリンだったかもしれないわ。
そして男女もこれほどまでに惹かれあうことはなかったんじゃないかしら。


よく恋愛トークにおいて以下のような発言が飛び交うわ。

「俺は独占欲強い方かな」
「わたしぜんぜんそくばくとかしないよー」

とか発言する青二は、どれも嘘臭い上に、その真偽を検証することすら無意味だからとりあえず黙ってもらっていいかしら。


私はこう答えるわ。

「独占できるものは全てそうしたいわ。そこに人がいれば人を。そこに山があればそれを。そもそも独占を束縛とニアリーイコールにした馬鹿者を連れてきタモーレ」


独占欲。
それは何かを支配したいと願う人間のココロを支配する欲望。


でもね、どんな欲望も満たされないからこそ、欲望として成り立つってものよ。
満たされる欲望など欲望ではないということ。

満たされた欲望は、その時点でその人のデフォルトとなり、その瞬間からその人は次の独占を探すのよ。そしてどんどん高嶺を狙い撃ちしていくわけよ。


で、バンダナの話はどうなったって思う理論派のあなた。
大丈夫、話は途切れたように見えて、つながっていて、でもホントはただ途切れただけよ。理路整然としたブログを読みたいなら辻ちゃんの子育てブログでも読みなさい。

どうして冒頭に秋山仁の話をしたかというと。

バンダナはいつから秋山仁に独占されているのかって話をしたいかと思ったら、そうでもないのよ。
独禁法が整備された中において、こうも平然と独占を許す社会にアンチテーゼ!っていう話をしたいわけでもないのよ。


要は、満たされないから「欲望」であるのに対して、人はつねに「欲望」の遂行を夢見ている。
欲望に翻弄されながら、一つの欲望を達成しても、もう決して欲望のアリ地獄から抜け出ることはできない。

飽くなき欲望のメカニズムに乾杯。
叶うことのない独占への欲望を押えきれない人間の悲しきロマンに乾杯。

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2010年09月27日

"ビッグビッグバンバン"

ばーん!2010.10.2.Sat.
18:30 open/19:00 start
@代官山LOOP
前売¥3,000/当日¥3.500(学生¥2,500※要学生証)+1drink

"ビッグビッグバンバン"
〜魅惑のエンターテイメント二本立てショー〜

芳醇旨口な4ビートビッグバンドGentle Forest Jazz Bandと、淡麗辛口なトロピカルビッグバンドたをやめOrquesta!!!がお送りする豪華で楽しいイベント!

【出演】
♪Gentele Forest Jazz Band(http://gfjb.jp/)
リーダー&トロンボーン久保田森が指揮する、総勢22人から成るビッグバンド。ロック好きからクラシックファンまで楽しめる、ゴージャススウィングナンバーに、
女性3人のヴォーカルグループGentle Forest sistersが華を添え、ヴォーカル浜野謙太がシャウトする。
ウキウキのエンターテイメントここに在り!!
※1stアルバム"だけど今夜はビッグバンド!!"好評発売中♪(¥2,500)

♪たをやめ Orquesta!!!(http://tawoyame.web.officelive.com/)
たをやめOrquesta!!!は、2008年に結成された女子19人のトロピカルエンターテイメントBIG BAND。現役バンドマンが多数在籍するたをやめならではの、枠にはまらないステージが魅力!「手弱女(たをやめ)」という、か弱いネーミングとは裏腹に、とてもタフな…タフすぎる女力をとくとご覧にいれます。
※1stミニアルバム"ワタシ至上主義"好評発売中♪(¥1,000)

【FOOD】
♪FOODUARY(http://fooduary.jp/)
FOODUARYは、「食とあなたのこと(Food+U+ary)」を思うケータリングチームを志し、東京代沢を拠点に神出鬼没に活動しています。 アウトドアフードをメインに、季節や地のもの、オーガニック素材を取り入れた料理を日々研究しては、日本各地で皆さんの舌を悶絶させるべく奮闘中です。メンバーには料理研究家から、ライター、webデザイナー、映像作家、画家、DJ、カメラマン、マウンテンバイカー等、個性豊かなスタッフがこれまでに経験したことのない時空間を作り出します。目印は白抜き赤の看板!!たくさんの出会いと、たくさんの笑顔に触れることが出来たら幸いです。


<LOOP 代官山>
〒150-0035 東京都渋谷区鉢山町13-12 B1
代官山駅 徒歩8分。 渋谷駅 徒歩12分。
旧山手通り沿い、 西郷山公園斜向い。
渋谷〜代官山を循環するミニバス『DAIKANYAMA LOOP LINE』をご利用の場合、『西郷橋』停留所 徒歩0分。

19:00~ たをやめ
20:00~ Gentle
21:00~ 合同セッション
22:00~ 終了

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2010年09月07日

豚まん

ぶぅごきげんよう。
こんな時間にこんなブログ読んで、あなた、ヒマね。

さて、今日は中華まんのお話よ。

中華まんってのは、噛み砕くと「中華饅頭」をナウく略したところなわけよ。

小麦粉、水、塩、酵母などをこねて発酵させた柔らかい皮で、具を包んで蒸し上げた饅頭。中華圏で包子(パオズ)と呼ぶものに相当するんですって。ぱおず。

私はこの中華まんに海より深い恨みがあってね。


私が瞳に「ビバ・アーバン」の文字を携えて上京した18歳の春。
憧れのドリームタウン・トーキョーは予想通りエキサイティングでアグレッシブ。時に放火や痴漢まで容認かのするような余裕のただずまいに山口県豊浦郡出身の私はそれはそれはホクホクしたものよ。

そんな夢見るトモ子18歳がトーキョーでまず行ったアーバン・ムーヴメント、それが、「アルバイト活動」よ。

山口時代はアルバイトが禁じられるどころか、そもそもアルバイト先すら無いという土地柄。そんな「お隣さんの草むしりを手伝う」という茶番すらアルバイトにカテゴライズされる悲しき大地で育ったトモ子にとって、一番のアーバンスタイルは「コンビニでバイト」だったのよ。本気でカッコイイと思って、コンビニバイト面接へ向かったのよ。

忘れもしない夏目坂のセブンイレブン。
最高のアーバンライフが始まったのよ。
レジ打ち、フェイスアップ、在庫管理…どれもエキサイティングな活動だったわ。

…しかしその日は訪れたの。
入店間もなく訪れたその日を「中華まんXデー」と呼ぶのよ。

若い男性がぼそっと言ったの「あ、あと肉まん一つ」
私はためらうことなく豚まんを紙袋に入れ、そしてアレを探したの。

でもどんなに探してもアレはなかった。
焦った私は一心不乱に先輩の片岡さんに駆け寄り、そして質問したわ。


「あの、豚まんの酢醤油はどこですか」

「あの、豚まんの酢醤油はどこですか」

「あの、豚まんの酢醤油はどこですか」


あの時の片岡さんの顔を私は忘れないわ。
顔にハテナが書いてあった。

顔にハテナをこしらえながら、それでも仕事のできる片岡さんは待たせているお客さんに気付き、私の右手の豚まんを取り上げ、レジ袋に入れてお客さんに渡したの。

唖然とした田舎者面した私。

お客さんが帰った後、笑いながら片岡さんは私に言ったわ。

「まず、豚まんじゃなくて肉まんでしょー」
「それから、酢醤油ってなんだよ」

あぁこの人はなんて理路整然と現状把握をし、あまつさえ質問まで織り込んでくるのだろうか、この人はアーバンだ、間違いなくアーバンライフの立役者だ。そう思ったわ。

そして私は学んだの。
山口では「豚まん」と呼ばれるものは東京では「肉まん」としか呼ばないこと。
山口のコンビニで豚まんを買うと必ず付いてくる酢醤油は東京には存在しないこと。


こんなこと私立文系コースでは習わなかった。
「岡村さんの娘さんは頭がイイ」と言われながら蝶よ花よと育ったのに、それなのに私は豚まんの…いや肉まん一つのことすら知らなかったのよ。

急に悔しくなったわ。
恥ずかしくて顔を赤らめる私に片岡さんは言ったの。

「岡村さんってかわいいね」

私の中で着実に進行していたアーバンの夜明けは、この瞬間あっさりと夕暮れたのよ。

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2010年08月05日

ギリギリ

私はやっぱりギリギリでいたいのよ。

結婚式で聞く「平凡な幸せ」も、お父さんに勧められる「安定した生活」もいらないから、常にギリギリ自分が「まだだめ」と思うような場所で頑張り続けたいのよ。

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2010年07月26日

カキピー

うっかりさん昔、ビートルズの名曲を小学生に耳コピさせる番組を見ていたら、その小学生が「Let it be」のサビを「レキピー、レキピー、レキピー、レキピー」と歌っていたんだけど、それを思い出すたびに思い出すのよね。

カキピー。

新潟県起源の煎餅菓子の一種。
おつまみの定番。

とはいえ、お洒落なダイニングバーでカプレーゼなんかをつつきながら合コンする昨今では、ちょっぴり寂れたシーンで出されるイメージよね。

私は、カキピーをついばみながら、スルメイカで王様ゲーム、最終的にはコースタに家電の番号書いてこっそり渡すような合コンに憧れちゃうけど、残念ながら平成22年現在では既にそういう人種は滅亡しているらしいわ。
カキピーは今や郷愁フォルダにぶちこまれているのよ。

1923年(大正12年)、新潟県長岡市摂田屋町の浪花屋製菓の創業者今井與三郎が、うっかり踏み潰してしまった小判型煎餅の金型を元に直せず、そのまま使用してできた、小判型のあられが誕生の切っ掛け。

うっかり踏み潰した今井。
うっかり出来た柿の種。

「うっかり」出身。
柿の種は生まれた瞬間から哀愁に満ちているのよ。

そんな雑草人生をスタートさせた柿の種に訪れた転機。
柿の種が「カキピー」となってメジャーデビューする転機。


紀元前850年生まれ、南米出身、中国経由で日本にやってきた、世界が認める由緒正しきスーパースター、ピーナッツ。

対するは、新潟県でうっかり生まれた柿の種。


そんな二人が出会った舞台は帝国ホテルのバー。
外国のお客様に日本らしさのあるおつまみをと考え出された小粋なコラボレーション。

世が世なら許されざる結婚。
二人はそんな不義の道を「帝国」に許されたシンデレラカップル。

世界のスターと、日本のうっかりがロミオとジュリエットのようなドラマティックな出会いを遂げ、そして柿の種は世界のカキピーとなったのよ。


というわけで、とにかくオススメしたいのが、ホワイト柿チョコ。
ピーナッツは入ってないけど、そんかしアステカ文明期生まれ、メソアメリカ出身のこれまた大スターであるチョコと、日本のうっかりのコラボレーション。

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2010年07月25日

嫌いな言葉

イソガシイ、カッコワルイ。ごきげんよう。
とにかく私は嫌いな言葉ナンバーワンに輝く言葉。
言いたくないし聞きたくもない言葉の一つ。

「忙しい」

だって忙しいってココロ偏に旁が亡でしょ。

心亡。ちーん。

そんなことあっていいかっての!
しかも大抵の場合、「忙しい」って言葉は「仕事」とセットで使われるんだから。
ココロ亡くして仕事までできますかっての!

ココロ亡くしてできる仕事…あ、でもむしろクレーム処理なんかは、いっそココロ亡き方が円滑かもね。なんていうか、雑念がなくて。

あと仕事じゃないけど、通勤ラッシュの電車に乗ってる時とか。
二日酔いで寝ても覚めても気持ち悪い時とか。
おっさんの苦労話聞いてる時とか。
カップラーメンを待つ3分間とか。
恋人の浮気をじんわりと知ってしまった時とか。

以外とココロ亡かれ!なシーンってのはあるのかもね。
ただ、カップラーメンを待つ3分間はどうやっても忙しくならないのよ。
二日酔いの日も、失恋の日も。残念ながら忙しくなりないわ。

つまり、忙しいってのはそもそもココロ亡くして成り立たない事象に対しての言葉なの。あぁ、矛盾。人生って矛盾ばかりね。

「忙しい」って言葉自体がパラドックスを抱えてるんだから、そんなややこしい言葉を貴方の単純な人生で用いてはいけないわけ。

高度経済成長を経て育まれた「忙しさ、カッコいい」の美学は、もう通用しない。そんな時代はもうとうの昔に終わったのよ。いや、もっと言えばそんな時代自体が錯覚だったの。

「忙しい」という言葉は使わない。
ココロを亡くしてできる仕事などない。

というのか私の18歳からのモットーなのよ。

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