2012年10月
2012年10月23日
新橋演舞場芸術祭十月大歌舞伎
十月の演舞場は七世松本幸四郎追遠と銘打っているが、七代目の当り役である大森彦七や関の扉、茨木などをやらないのはおかしいし、昼夜に勧進帳をかけるのもまたおかしい。勧進帳を役替りでやりたいのならば、日替りでやれば良いのである。一日に二回も勧進帳を見せられるのは、いくら歌舞伎好きとは言え、耐え難いものがある。また、九月に引き続き、恐ろしく演目数が少ない。あからさまに手抜きである。思えば、七世幸四郎所縁の興行は昨年十二月にも日生でやったばかりである。こうも頻繁に七世幸四郎を讃える必要があるのだろうか。吉右衛門が不在であるのも気にくわない。
昼の部
一、国性爺合戦
楼門、甘輝館、紅流し、元の甘輝館の半通し。
松緑の和藤内は、立派な押し出しで筋隈も映え、この役に相応しい風格を備えているものの、相変わらずの悪声と音痴な台詞回しのせいで台無しである。義太夫味からも程遠い。
梅玉の甘輝は淡白であるが、さすがの貫目である。
芝雀の錦祥女は雀右衛門生き写しの良さ。
歌六の老一官は、吉右衛門や團十郎の和藤内でも通用する出来。
秀太郎の渚は、そもそもニンではないため上方の女将さんに見えてしまう。義太夫味にも乏しい。しかし、老女形の減った今、今後はこの人にこういった役回りがいくのだろう。
二、勧進帳
團十郎の弁慶は、過去最低の出来である。もはや評に価しない。台詞に力がなく、演技に生彩を欠いている。まるで台本を流し読みしているかのようである。加えて、喉をつぶしている。体調が悪いのであろうか。今までこの人の弁慶を余り良いと思ったことはなかったが、ここまで酷いことはなかった。もはや下手とかそういうレベルではない。折角の團十郎、幸四郎、藤十郎という三人で210歳を超える大顔合わせであるのに、昼夜共に團十郎絶不調であるため、全くの台無しである。
幸四郎の富樫は、昭和63年以来であるが、流石に姿声共に良い富樫である。しかし、いつものことながら、颯爽としているべき富樫であるはずが、どうもこの人がやると爺臭い。老け込んでいる。また、弁慶をやりすぎたせいか、義経主従思いの富樫になってしまっている。例えば、弁慶が義経を打擲する件で、富樫が既に泣いている。まるで弁慶が二人並んでいるかのようである。
藤十郎の義経が絶品。最初花道の出で金剛杖をトントンと叩いて出てくるのには驚いたが、富樫に呼び止められての思い入れや、判官御手の気品など、他の追随を許さぬ巧さである。
友右衛門、家橘、右之助、市蔵の四天王。
長唄は、巳紗鳳、巳太郎。
夜の部
一、曽我綉侠御所染 御所五郎蔵
染五郎休演により、急遽梅玉初役の御所五郎蔵。私は正直、観る前は不安であった。菊五郎や仁左衛門が得意とするこの役を、淡白な芸風のこの人に出来るのであろうかと。しかしさすがはベテランの大幹部である。立派な五郎蔵であった。今回は珍しく五郎蔵内腹切がつくが、本当にただつけただけである。
芝雀の皐月は、いよいよ立女形らしくなってきた。これで胡弓が巧ければ尚良いのだが。
松緑の星影土右衛門は、ちんぴらのようで親分の貫禄に欠けるのは若輩ゆえに致し方ないか。
幸四郎が甲屋与五郎で付き合う。逢州は高麗蔵。
二、勧進帳
幸四郎の弁慶に團十郎の富樫。ニンから言えば、昼より夜の方が相応しい。
團十郎の富樫は昼同様生彩を欠いていて全く良くない。元気がない。
幸四郎の弁慶は團十郎のそれに比べると流石に良いが、オリジナリティが強過ぎる。別の芝居を見ているかのようである。その上、この人の弁慶は芝居が写実的過ぎる。今回は特に写実性に磨きがかかっている。
藤十郎の義経が昼同様絶品である。一日に二回も義経、ご苦労である。
友右衛門、翫雀、高麗蔵、錦吾の四天王。
長唄は、伊十蔵、栄津三郎。
昼の部
一、国性爺合戦
楼門、甘輝館、紅流し、元の甘輝館の半通し。
松緑の和藤内は、立派な押し出しで筋隈も映え、この役に相応しい風格を備えているものの、相変わらずの悪声と音痴な台詞回しのせいで台無しである。義太夫味からも程遠い。
梅玉の甘輝は淡白であるが、さすがの貫目である。
芝雀の錦祥女は雀右衛門生き写しの良さ。
歌六の老一官は、吉右衛門や團十郎の和藤内でも通用する出来。
秀太郎の渚は、そもそもニンではないため上方の女将さんに見えてしまう。義太夫味にも乏しい。しかし、老女形の減った今、今後はこの人にこういった役回りがいくのだろう。
二、勧進帳
團十郎の弁慶は、過去最低の出来である。もはや評に価しない。台詞に力がなく、演技に生彩を欠いている。まるで台本を流し読みしているかのようである。加えて、喉をつぶしている。体調が悪いのであろうか。今までこの人の弁慶を余り良いと思ったことはなかったが、ここまで酷いことはなかった。もはや下手とかそういうレベルではない。折角の團十郎、幸四郎、藤十郎という三人で210歳を超える大顔合わせであるのに、昼夜共に團十郎絶不調であるため、全くの台無しである。
幸四郎の富樫は、昭和63年以来であるが、流石に姿声共に良い富樫である。しかし、いつものことながら、颯爽としているべき富樫であるはずが、どうもこの人がやると爺臭い。老け込んでいる。また、弁慶をやりすぎたせいか、義経主従思いの富樫になってしまっている。例えば、弁慶が義経を打擲する件で、富樫が既に泣いている。まるで弁慶が二人並んでいるかのようである。
藤十郎の義経が絶品。最初花道の出で金剛杖をトントンと叩いて出てくるのには驚いたが、富樫に呼び止められての思い入れや、判官御手の気品など、他の追随を許さぬ巧さである。
友右衛門、家橘、右之助、市蔵の四天王。
長唄は、巳紗鳳、巳太郎。
夜の部
一、曽我綉侠御所染 御所五郎蔵
染五郎休演により、急遽梅玉初役の御所五郎蔵。私は正直、観る前は不安であった。菊五郎や仁左衛門が得意とするこの役を、淡白な芸風のこの人に出来るのであろうかと。しかしさすがはベテランの大幹部である。立派な五郎蔵であった。今回は珍しく五郎蔵内腹切がつくが、本当にただつけただけである。
芝雀の皐月は、いよいよ立女形らしくなってきた。これで胡弓が巧ければ尚良いのだが。
松緑の星影土右衛門は、ちんぴらのようで親分の貫禄に欠けるのは若輩ゆえに致し方ないか。
幸四郎が甲屋与五郎で付き合う。逢州は高麗蔵。
二、勧進帳
幸四郎の弁慶に團十郎の富樫。ニンから言えば、昼より夜の方が相応しい。
團十郎の富樫は昼同様生彩を欠いていて全く良くない。元気がない。
幸四郎の弁慶は團十郎のそれに比べると流石に良いが、オリジナリティが強過ぎる。別の芝居を見ているかのようである。その上、この人の弁慶は芝居が写実的過ぎる。今回は特に写実性に磨きがかかっている。
藤十郎の義経が昼同様絶品である。一日に二回も義経、ご苦労である。
友右衛門、翫雀、高麗蔵、錦吾の四天王。
長唄は、伊十蔵、栄津三郎。
2012年10月09日
国立劇場十月歌舞伎公演
十月の国立は52年振りの上演という「塩原多助一代記」。青の別れを除いて見所に欠け、山口屋の強請を追加したものの、道連れ小平の顛末が不明であるなど、まだまだ補綴の余地がある。
三津五郎の塩原多助は地味ではあるが本役。二役道連れ小平はさすがにこの人の本域であり、やっと芝居を見たという気分になる。
橋之助の円次郎、またたびお角二役はいずれも出番が短く、この人程の人気役者には勿体無い。久しぶりにこの人の女形を見たが、愈々おとっつぁんそっくりになってきた。
東蔵のお清がさすがに舞台を引き締め、團蔵の塩原角右衛門がいつもとは違った役で父親の情愛を見せる古風な良さ。
孝太郎二役のお栄、お花はいずれも極めて平凡で、吉弥のお亀がやや新劇めくが、手強い。
萬次郎の久八は役違いかと思いきや、意外にも役にはまっていて観客を湧かせる。ただ、声が仲居なので困る。
錦之助の原丹次が先代そっくりの風貌で堅実な出来。
ストーリーは地味、更には出演者も地味であるため、祝日にも関わらず客席はガラガラであった。至極当然である。
三津五郎の塩原多助は地味ではあるが本役。二役道連れ小平はさすがにこの人の本域であり、やっと芝居を見たという気分になる。
橋之助の円次郎、またたびお角二役はいずれも出番が短く、この人程の人気役者には勿体無い。久しぶりにこの人の女形を見たが、愈々おとっつぁんそっくりになってきた。
東蔵のお清がさすがに舞台を引き締め、團蔵の塩原角右衛門がいつもとは違った役で父親の情愛を見せる古風な良さ。
孝太郎二役のお栄、お花はいずれも極めて平凡で、吉弥のお亀がやや新劇めくが、手強い。
萬次郎の久八は役違いかと思いきや、意外にも役にはまっていて観客を湧かせる。ただ、声が仲居なので困る。
錦之助の原丹次が先代そっくりの風貌で堅実な出来。
ストーリーは地味、更には出演者も地味であるため、祝日にも関わらず客席はガラガラであった。至極当然である。