新橋演舞場秀山祭九月大歌舞伎国立劇場十月歌舞伎公演

2011年10月11日

追悼 七世中村芝翫

七世中村芝翫正月に逝去された富十郎丈の後を追うかのように、芝翫丈が旅立たれた。一年の内にこれ程までに辛いことが立続けに起ったのは、宗十郎、歌右衛門、羽左衛門が相次いで死んだ2001年以来である。私の大贔屓の女形役者であった。鷲鼻で顎のしゃくれた面長の古風なマスクを持った人。現代ではありえないようなグロテスクな面構えであるがゆえに、錦絵の中から抜け出してきたかのような印象を受け、私は非常に惹かれたものである。歌右衛門存命時には成駒屋の副将として、更に梅幸や雀右衛門という先輩女形役者がいたせいか、彼らの陰に隠れてしまってどちらかと言うと地味な人であったが、小柄であるにも関わらず舞台に立つと非常に大きさを感じた。最晩年は神域に達しているかの如く、ただそこにいるだけで有難さを感じた程である。特に晩年は昼夜一役ということが多かったので、丈の一役一役に非常な重みを感じた。最晩年の役々の中で印象に残っているのは、「道明寺」の覚寿、「勧進帳」の源義経、「九段目」の戸無瀬、「鈴ヶ森」の白井権八、「新薄雪物語」の梅の方、「盛綱陣屋」の微妙、そして歌舞伎座さよなら公演で演じた「車引」の桜丸である。特に覚寿や微妙などの婆役は、芝翫亡き後の歌舞伎界では出来る役者を探しても見つからないのではなかろうか。舞踊にも秀で、「道成寺」や「藤娘」などは実に絶品であった。最晩年はよく「大成駒」の大向うがかかったが、この人の来し方を思えば、至極当然のことである。この人が歌舞伎界で担ってきた役割は実に大き過ぎた。女形不在の今の歌舞伎界で、芝翫の死と雀右衛門の実質上の隠居により、立女形の地位が玉三郎、魁春、そして時蔵、芝雀、福助の世代まで若返ったということは、今の歌舞伎界の役者の層の薄さを物語っている。最晩年の芝翫丈は孫との踊り一幕ということが多くなったが、あの世への良い土産話となったであろう。舞台上では決して行儀の良い人ではなかったが、それも今思えば懐かしい。元々体の丈夫な人ではなく、晩年も休演しがちであったが、それでも死の前月まで舞台に立っていたということは、役者として幸せであっただろう。謹んでご冥福をお祈り申し上げたい。

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新橋演舞場秀山祭九月大歌舞伎国立劇場十月歌舞伎公演