イベです。

オグリキャップの続きを書きます。

猪八戒

 

 

公営から中央入りした馬には“雑草”というイメージがつきまとう。そのため、公営出身の強豪馬には、“野武士”という称号が贈られることが多い。オグリキャップもその例に漏れず、すかさず“野武士”と呼ばれるようになった。しかも、力強い追い込み馬だけに、そのような印象はなおさらであろう。

 野武士・オグリキャップが勝った二つの重賞は、4歳(*現在の馬齢表記で3歳)クラシック路線上のものであった。そうなると、本来なら「皐月賞、ダービーへ」といった声が出始めるのだが、オグリキャップの場合そうはならなかった。クラシック登録がなかったからである。

 当時の規則では、4歳(*現在の馬齢表記で3歳)クラシックに出走するためには、3歳(*現在の馬齢表記で2歳)の時点で登録を済ませていなければならなかった。しかし、公営時代の馬主・小栗孝一が登録などするはずがない。中央の馬主資格を持たない彼が、中央で走らせるなどということを全く考えていなかったのは当然であるからだ。

 ありあまる実力を持ちながら、華やかなクラシックで活躍することが許されない。

「いくら規則とはいえ、あんまりじゃないか」(この件が引き金になり、後にクラシック登録の方法が改善された)

 という声が方々から出たのも当然であろう。そのため、オグリキャップには“野武士”というだけでなく、“悲劇のヒーロー”というイメージも付きまとうようになったのである。

 悲劇というポイントでいうなら、トレードのいきさつも微妙に絡んでいた。

 新馬主・佐橋五十雄が、

「私にとっての競馬は単なる道楽ではなく、れっきとしたビジネスです」

 と言い放つ男であったからだ。

 通常、馬主というものはデビュー前の若駒を買って、その将来に胸をときめかせるものである。しかし佐橋は夢云々ではなく、もっとビジネスライクに考えていた。海のものとも山のものともわからない馬に投資するのではなく、実際に好成績を挙げている現役馬をトレードによって手に入れ、ほぼ確実に賞金を稼ぐといったやり方をしていたのである。後にオグリキャップは

「人間の欲望のために無理に走らされている」

 といわれることになるのだが、佐橋のような商売っ気の強い馬主に買われただけに、中央入り当時からそのような雰囲気があったことは否めない。

 このように、オグリキャップというサラブレッドには、強さと悲劇性という相反する表情があった。それは大衆の支持を得るには最高の武器となりうる。後のトウカイテイオーの例を持ち出すまでもなく、単なる強さだけでは絶大な人気を得ることはできない。強いだけでなく、豊かなドラマを作らなくてはならないからだ。その点、オグリキャップは申し分のない素材であった。強いだけでなく、悲劇性があるために、起伏の激しい物語を作れる可能性をじゅうぶんに秘めていたからである。しかも、嫌でも目立つ芦毛馬であり、血統的にも父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビーという決して良血といえないだけに、底辺からのしあがって中央のエリートたちをバッタバッタとなぎ倒すという、叩き上げの雰囲気を持っていたのだ。

 オグリキャップの登場は、確かに何かの予感を抱かせた。

オグリキャップの同期となる昭和63年4歳(*現在の馬齢表記で3歳)組は、かなりレベルの高い世代だといわれている。けれども、春のクラシックはこの世代の真打ち抜きで戦われていたようなところがあり、かなりの混戦模様を呈していた。

 その裏街道で、オグリキャップは天上天下唯我独尊的な、極めつけの強さを発揮していたのである。

 まず、京都4歳特別(1999年を最後に廃止)では、コウエイスパートに5馬身差をつける大楽勝劇を演じた。続くニュージーランドトロフィー4歳S(現、ニュージーランドトロフィー)でも、混戦の2着争いを尻目に7馬身差のブッチ切りである。しかも勝ちタイムの1分34秒0は、3週間前に行なわれた古馬のGIレース安田記念(勝ち馬ニッポーテイオー)をも凌(しの)いでいたのだ。オグリと一緒のレースに出た馬たちにしてみれば、バカバカしくてやってられないというのが正直なところであった。

「オグリキャップこそ、この世代の最強馬である」

 ダービーサクラチヨノオー皐月賞ヤエノムテキ阪神3歳ステークス(現、阪神ジュベナイルフィリーズ。当時は関西の2歳王者決定戦だった。)馬サッカーボーイらを差し置いて、そのような声が方々から出たのも当然であろう。

 オグリの連勝街道はまだまだ続いた。

 7月に入って、初めて古馬と対戦することになった高松宮杯(現、高松宮記念)では、マイペースで逃げたランドヒリュウをきっちり差し切ってレコード勝ち。3か月の夏休みをとった後に出てきた毎日王冠でも、昭和60年のダービー馬シリウスシンボリらに楽勝であった。これで中央入りして無敗の6連勝。しかも、そのすべてがグレード・レースなのである。まさにバケモノというほかはない。

 その頃になると、オグリキャップは垢(あか)抜けしない感のある“野武士”にかわって、“怪物”と呼ばれるようになっていた。ただ、怪物の称号を本物にするためには、GIの勲章を手にすることが不可欠といわなければならない。クラシック登録のないオグリは、秋の天皇賞に出走した。

 この天皇賞は、“芦毛対決”と銘打たれていた。オグリキャップと、2代目“白い稲妻”タマモクロスがあいまみえることになっていたからである。

 タマモクロスといえば文句ナシの現役最強古馬であり、こちらもオグリ同様バケモノ的な馬であった。かつては条件クラスをウロウロしていたが、4歳(*現在の馬齢表記で3歳)夏ごろから大変身を遂げ、破竹の勢いで7連勝を記録したほどなのだ。そのなかには春の天皇賞、宝塚記念という二つのGIレースも含まれており、内容的にも全くの圧勝ばかりである。

 はたしてどちらの芦毛が強いのか?

 オグリvs.タマモの天皇賞は、まさに現役最強馬の名をかけた頂上対決といわなければならない。

 戦前の評価は、オグリキャップが1番人気であった。本来なら、4歳(*現在の馬齢表記で3歳)馬より古馬のほうに分がありそうなものだが、毎日王冠を叩いて万全の態勢で臨むオグリのほうが、宝塚記念以来のぶっつけになるタマモ以上に支持されたのであろう。ただ、両者の差はほとんどなく、オグリキャップの2.1倍に対してタマモクロスは2.6倍である。しかも2頭の組み合わせは2.4倍であり、ほぼマッチレースと見られていた。そして結果のほうも、予想通り2頭のワンツーで決まっている。

昭和63年6月5日「ニュージーランドトロフィー4歳ステークス」(GII、東京芝1600)(現、ニュージーランドトロフィー)「オグリキャップこそ、この世代の最強馬である」。 ダービー馬サクラチヨノオー、皐月賞馬ヤエノムテキ、阪神3歳ステークス(現、阪神ジュベナイルフィリーズ。当時は関西2歳王者決定戦)馬サッカーボーイらを差し置いて、そのような声が出ていた。
昭和63年6月5日「ニュージーランドトロフィー4歳ステークス」(GII、東京芝1600)(現、ニュージーランドトロフィー)「オグリキャップこそ、この世代の最強馬である」。 ダービー馬サクラチヨノオー、皐月賞馬ヤエノムテキ、阪神3歳ステークス(現、阪神ジュベナイルフィリーズ。当時は関西2歳王者決定戦)馬サッカーボーイらを差し置いて、そのような声が出ていた。
 しかし、内容的にはタマモクロスによるまったくの独壇場であった。

 本来ならオグリと同じく後方待機のはずのタマモクロスが、2番手につけて積極的なレースをしたのである。そして、そのまま力で押し切って、オグリに1馬身4分の1もの差をつけて圧勝。着差においても、内容においてもオグリの完敗といえるであろう。

 それは続くジャパンカップでも同様であった。勝ち馬こそ、アメリカのペイザバトラーであったが、タマモクロスは素晴らしい末脚を使って2着を確保。オグリキャップはまたもやタマモに及ばずの3着であった。もっともこのときのオグリキャップは、鞍上(あんじょう)・河内がいったん下げながらも再び盛り返すという、なんとも不可解なレースであっただけに同情すべきところがないではないが。

 いずれにせよ、2度の直接対決はタマモクロスの圧勝であった。その時点では、明らかにタマモクロスには及ばなかったといわなければならない。

 けれども、その結果を「2頭の能力差」と断じる人は意外なほど少なかったのである。というのは、タマモクロスが「サラブレッドがもっとも充実する時期」といわれる5歳(*現在の馬齢表記で4歳)秋シーズンであったのに対し、オグリキャップのほうはまだまだ成長途上の4歳(*現在の馬齢表記で3歳)馬だったからだ。また、海外の競馬に詳しい人は、「定量戦で4歳(*現在の馬齢表記で3歳)馬と古馬の斤量(きんりょう)差が2キロしかないのは明らかに4歳(*現在の馬齢表記で3歳)馬に不利」と断じていた。このように、「4歳(*現在の馬齢表記で3歳)馬が古馬に敗れるのは仕方ない」といった雰囲気が蔓延(まんえん)しており、いつかは逆転すると見られていたのである。

 そして、次走の有馬記念では、それが現実のものとなった。河内から岡部へと鞍上強化したオグリキャップが、果敢な競馬でタマモクロスを半馬身おさえ切ったのである。ただ実情をいえば、天皇賞、ジャパンカップに激走して疲労の極致にあったタマモクロスが全く本調子を欠いていたというのが真相であり、本当の意味でオグリがタマモを凌駕(りょうが)したということはできない。

 けれども、結果は結果である。オグリの勝ちに何ら変わりはない。逆転劇に多くのファンが感動したのである。しかも、この有馬を最後にタマモクロスは引退することが決まっていただけに、最後の最後で雪辱を果たせたのだからなおさらであろう。

 このような、まるで絵に描いたような劇的な結末にファンは酔いしれた。