2013年02月25日
世界の婚活事情
北日本では、まだまだ雪が続いていますね。
先日友人がボードに行ったところ、ちょうどそのスキー場で婚活イベントをやっていたらしく、
異性を誘ってリフトに乗るということが決まりで、とっても困ったという話を聞きました。
最近では、本当にいろいろな「婚活イベント」が催されていますね。
それでは、世界の若者の「婚活」には、どのようなものがあるのでしょうか。
少しご紹介したいと思います。
まずは日本のお話から…
仕事柄、全国各地に出張することが多いのですが、
地元のおじちゃん達に、早く家庭を持ちなさいと説教されることが増えてきました…。
20代も後半になると…と若干自分の歳を恨みながらも、よくよくおじちゃん達の話を聞いてみると、
そこには、若い働き手が減り、子どもが減り、高齢化に歯止めがかからないといった、切実な問題を抱えている地域の実情が見えてきます。
政府は2009年度の補正予算で初めて「結婚意欲を持った若者の出会いの場の提供や結婚相談員の配置」という事業を予算化しました。
国では近年になって取り組み始めたことですが、市町村とくに農村部では、もっと早くから取り組んでいるところが多いようです。
2003〜2004年度の時点での調査ですら、何らかの結婚支援事業を実施している人口一万人未満の自治体は6割に上っていました。
今や自治体のホームページに、自治体内の婚活イベントを紹介する情報ページがあるほど。
現在では、ほとんどの自治体で取り組んでいると言えるのではないでしょうか。
どんなイベントが多いのかなと見てみると、やはり交流パーティーや食事会といった出会いの場を提供するもの。
それに「地域の魅力発見」「地域活性化」の要素をプラスした、農作業体験イベントや、街の飲食店が連携して開催する街コンなどなど、本当にいろいろ考えるな〜というようなイベントが目白押し。
そして、そうしたイベントに参加してどうやって異性とコミュニケーションしたら良いか?を学ぶ「婚活講座」なるものも…!
手取り足取りと言うか…丁寧過ぎる印象を受けますが、それだけ「必死」ということだと思うのです。
また、出会いの場だけでなく、結婚に踏み込めない理由を解消する方策も講じなければならないことも、認識され始めているようです。
雇用の不安、働くこととと嫁・主婦の役割との両立の難しさ、ジェンダー観の相違。
「生き方」のちょっとずつの変化が、こうして社会問題となって現れていると思います。
今後どのような婚活現象が起きてくるのか。
そこに、本当に私たちが向き合わなければならない問題とその解決の糸口が見えてくることを期待したいものです。
(春)
<参考>
『地域づくり2010年5月号 特集:若者の定住対策と結婚支援』
先日友人がボードに行ったところ、ちょうどそのスキー場で婚活イベントをやっていたらしく、
異性を誘ってリフトに乗るということが決まりで、とっても困ったという話を聞きました。
最近では、本当にいろいろな「婚活イベント」が催されていますね。
それでは、世界の若者の「婚活」には、どのようなものがあるのでしょうか。
少しご紹介したいと思います。
まずは日本のお話から…
仕事柄、全国各地に出張することが多いのですが、
地元のおじちゃん達に、早く家庭を持ちなさいと説教されることが増えてきました…。
20代も後半になると…と若干自分の歳を恨みながらも、よくよくおじちゃん達の話を聞いてみると、
そこには、若い働き手が減り、子どもが減り、高齢化に歯止めがかからないといった、切実な問題を抱えている地域の実情が見えてきます。
政府は2009年度の補正予算で初めて「結婚意欲を持った若者の出会いの場の提供や結婚相談員の配置」という事業を予算化しました。
国では近年になって取り組み始めたことですが、市町村とくに農村部では、もっと早くから取り組んでいるところが多いようです。
2003〜2004年度の時点での調査ですら、何らかの結婚支援事業を実施している人口一万人未満の自治体は6割に上っていました。
今や自治体のホームページに、自治体内の婚活イベントを紹介する情報ページがあるほど。
現在では、ほとんどの自治体で取り組んでいると言えるのではないでしょうか。
どんなイベントが多いのかなと見てみると、やはり交流パーティーや食事会といった出会いの場を提供するもの。
それに「地域の魅力発見」「地域活性化」の要素をプラスした、農作業体験イベントや、街の飲食店が連携して開催する街コンなどなど、本当にいろいろ考えるな〜というようなイベントが目白押し。
そして、そうしたイベントに参加してどうやって異性とコミュニケーションしたら良いか?を学ぶ「婚活講座」なるものも…!
手取り足取りと言うか…丁寧過ぎる印象を受けますが、それだけ「必死」ということだと思うのです。
また、出会いの場だけでなく、結婚に踏み込めない理由を解消する方策も講じなければならないことも、認識され始めているようです。
雇用の不安、働くこととと嫁・主婦の役割との両立の難しさ、ジェンダー観の相違。
「生き方」のちょっとずつの変化が、こうして社会問題となって現れていると思います。
今後どのような婚活現象が起きてくるのか。
そこに、本当に私たちが向き合わなければならない問題とその解決の糸口が見えてくることを期待したいものです。
(春)
<参考>
『地域づくり2010年5月号 特集:若者の定住対策と結婚支援』
2013年01月21日
不思議な外観のミュージアム
新年あけて、もう1月も終わりに入っています。
ご挨拶が遅くなりましたが、本年もよろしくお願いします。
細く長く、続けていこうと思っています。
豆っこ一同
まるで四角いプレゼントの箱を積み上げたような外観。
倒れないのかな…と心配になるのと、一体中はどんな風になっているかと期待してしまう。
そんなミュージアムをご存じですか?
場所はアメリカのニューヨーク、ローワーイーストサイド。
ニューミュージアム・オブ・コンテンポラリーアートという名前です。
このミュージアムは 1977年にマーシャ・タッカーによって設立された現代アートの 展示を行うニューヨークの代表的な博物館です。
創立30周年を迎えた2007年に建築ユニットSANAA(妹島和世、西沢立衛)によりリニューアルされました。
〇なんといっても外観が不思議
この土地はもともと芸術家が住み着いた土地だそうで、ショッブもレストランも独自のスタイルを貫いたところが多いのですが、ニューミュージアムの雰囲気も負けじとそのオーラを放っています。
美術館関係者から抜擢された妹島、西沢両氏が「内部で何が起きているのかを隠さない、透明なビルディングを目指した」という説明通り、とてもオーブンな雰囲気です。
1階エントランス部分はガラス張りで中の様子が見えます。また、積み木を積み上げたようなデザインで建物をフロアごとにずらしたことで自然の光を取り入れています。
ギャラリーはまったく柱がなし。フロア全体が一気に目に入ります。
さらに7階にあるイベントスペースはガラス張り。イベントがない時は展望フロアとしても利用できます。
おまけに、、白が基調のギャラリースペースとはうってかわって、トイレも見所です。
ここだけは壁が赤い鮮やかなモザイクで彩られています。
この不思議な建物のデザインですが、「変化を遂げるロウアーイーストサイドで、バワリー地区の象徴としてタフに生き抜いてほしい」という願いが込められたものなのだそうです。
美術館、博物館はその中身自体価値のあるものですが、作品たちを包み込む建物も見ごたえのあるものがたくさんあります。
その建物自体もアート、なミュージアム。どんな意図でデザインされたのかという視点でみるのもおもしろそうです。
(konomi)
参考:
ニューミュージアム 公式サイトhttp://www.newmuseum.org
http://allabout.co.jp/gm/gc/376987/
ご挨拶が遅くなりましたが、本年もよろしくお願いします。
細く長く、続けていこうと思っています。
豆っこ一同
まるで四角いプレゼントの箱を積み上げたような外観。
倒れないのかな…と心配になるのと、一体中はどんな風になっているかと期待してしまう。
そんなミュージアムをご存じですか?
場所はアメリカのニューヨーク、ローワーイーストサイド。
ニューミュージアム・オブ・コンテンポラリーアートという名前です。
このミュージアムは 1977年にマーシャ・タッカーによって設立された現代アートの 展示を行うニューヨークの代表的な博物館です。
創立30周年を迎えた2007年に建築ユニットSANAA(妹島和世、西沢立衛)によりリニューアルされました。
〇なんといっても外観が不思議
この土地はもともと芸術家が住み着いた土地だそうで、ショッブもレストランも独自のスタイルを貫いたところが多いのですが、ニューミュージアムの雰囲気も負けじとそのオーラを放っています。
美術館関係者から抜擢された妹島、西沢両氏が「内部で何が起きているのかを隠さない、透明なビルディングを目指した」という説明通り、とてもオーブンな雰囲気です。
1階エントランス部分はガラス張りで中の様子が見えます。また、積み木を積み上げたようなデザインで建物をフロアごとにずらしたことで自然の光を取り入れています。
ギャラリーはまったく柱がなし。フロア全体が一気に目に入ります。
さらに7階にあるイベントスペースはガラス張り。イベントがない時は展望フロアとしても利用できます。
おまけに、、白が基調のギャラリースペースとはうってかわって、トイレも見所です。
ここだけは壁が赤い鮮やかなモザイクで彩られています。
この不思議な建物のデザインですが、「変化を遂げるロウアーイーストサイドで、バワリー地区の象徴としてタフに生き抜いてほしい」という願いが込められたものなのだそうです。
美術館、博物館はその中身自体価値のあるものですが、作品たちを包み込む建物も見ごたえのあるものがたくさんあります。
その建物自体もアート、なミュージアム。どんな意図でデザインされたのかという視点でみるのもおもしろそうです。
(konomi)
参考:
ニューミュージアム 公式サイトhttp://www.newmuseum.org
http://allabout.co.jp/gm/gc/376987/
2012年12月09日
ベルンにある「観る」だけじゃない美術館。
ベルンと聞くと、私はまずミルフィーユを思い浮かべてしまうのですが・・・
1983年に旧市街がユネスコの世界文化遺産に登録された、スイス連邦の首都ですね。
大聖堂や時計塔、彫像が美しい水飲み場といった美しい旧市街の町並みを残す一方、
首都としての近代都市の機能も兼ね備えています。
美術館や博物館が多く、ヨーロッパ最長ともいわれる石造りのアーケードがあったり
個性的な店が集まるショッピング天国でもあります。
そんなベルンでその半生を過ごしたスイス人画家に、パウル・クレーが挙げられます。
パウル・クレーは日本でも非常に人気があり、
日本でも何度なく展覧会が開催されています。
さて、1940年のクレーの死後、彼の作品は2か所に分けられて保管されていましたが、
その後2005年6月オープンされた、パウル・クレー・センターへと集約されました。
この美術館、パウル・クレーの作品所蔵数が世界一で、
作品の約40%にあたる4000点以上が所蔵されています。
クレーファンであれば、ぜひ一度は行ってみたい美術館。
この美術館ではさまざまな企画展を通して膨大なクレー作品が展示されてきました。
美術作品に触れることで、何かしらの刺激を受けた誰かの手から何かが作り出される・・・
そんな風にうまくいくかどうかは分かりませんが、そんな可能性を引き出すような
この美術館の特徴として、子どもミュージアムの存在があります。
企画展に合わせたテーマで子どもたちが自由に創作活動を行うことが出来るというもの。
このほかにも、データベース・ライブラリや音楽ホールも併設された、
総合的な文化センターとしての役割も担っているのです。
またこの美術館、ちょっと気になるもう一つの特徴として挙げられるのがその外観。
波打つような形をした屋根を持ち、ガラスとスチールを基調にしたその建物は、
イタリア人であるレンゾ・ピアノ氏によって設計されたもの。
実はこの方、日本の関西空港を設計したことでも有名なのです。
波打つような形をした屋根はスイスの山脈を彷彿させるようであり
特に夜、壁面がガラスであることから漏れ出る館内の優しい光に包まれ、
夜の街に浮かび上がるなだらかで美しい3つの曲線にはうっとりさせられます。
さて、様々なイベントやセミナーを通してクレーの作品を楽しむという目的の他、
もう一つの楽しみとしてですが、この美術館は食事処、
「レストラン・シェーングリュン Restaurants Schongrun」の方も非常に人気なようで・・・。
ぜひ一度足を運んでみたい美術館です。
(Yuiko)
● 参考
http://www.myswiss.jp/jp.cfm/culture/museums/offer-Museums-ArtMuseums-215825.html
http://www.ab-road.net/europe/switzerland/berne/guide/00472.html
2012年12月02日
美術館が国の立ち位置を決める!?
「どんな美術館を持つかで、その国や地域の立ち位置は決まるのです。ケ・ブランリ美術館は、フランスという国の立ち位置を決めたと私は思います。」
私がケ・ブランリ美術館を知ったのは、大原美術館の理事長、大原謙一郎さんの講演で聞いたこの言葉でした。
フランス・パリと言えば、ルーブル美術館、オルセー美術館など、世界最高峰の美術品が集まる美術館が代表的。
そこに2006年にオープンしたのが、アフリカ、アジア、オセアニアなどの非西洋圏の創造物が約30万点集まるケ・ブランリ美術館です。
この美術館の創設は、原始美術の専門家でありコレクターであったジャック・ケルシャシュと、フランスの元大統領ジャック・シラク、この二人の「非西洋圏の文化も同様に芸術的評価がなされるべき」との強い想いが原動力となりました。
この美術館の創設によってフランスは、他のヨーロッパ諸国に先んじて、西洋中心主義からの脱却姿勢を打ち出したのでした。
これだけで、政治的・外交的に大きな影響をもたらしたということではありませんが、フランスという国が「異なる文化を持つ他者にも視線を向ける国である」ということが国民や世界に意識されるだけで、あらゆる局面でフランスに対する世界の態度が異なってくるはずです。
これが、先ほどの大原さんの言葉の意味するところ。
フランスという国がどういう美術館を持つか。ただ立派な建物を建てればよいのではなく、市民にとって、国民にとって、世界にとって、どんな意味を持つ内容・コンセプトを持った文化機関であるのか。
一国の代表として、このような文化プロジェクトに取り組むこと、それはとても重要な外交カードでもあると言えるのではないでしょうか。
ケ・ブランリ美術館の収蔵品は、人類博物館などから集めたアフリカ、アジア、オセアニア地域の衣装や仮面、テキスタイルなど。
ここでも、はたと気づきます。
過去に造られた創造物を民俗学的資料としてみるか、今なお観る私たちに何かを訴えかける芸術品としてみるか?
その作品の文化的背景を理解せずに、美的評価がなされてよいのか?
「美」の価値観は同じなのか?
これらの問題は、この美術館に賛否両論巻き起こしているようですが、それは、美術の世界だけに限らないことでもあるでしょう。
自分と異なる文化を持つ他者に、どう興味を持ち、どう理解しようとするか。
フランスという国が、まさに自国自身の価値観と闘っている現場であるようにも思えます。
(春)
<参考>
メゾン・デ・ミュゼ・ド・フランス(MMF)
http://www.museesdefrance.org/museum/special/backnumber/0608/special01.html
私がケ・ブランリ美術館を知ったのは、大原美術館の理事長、大原謙一郎さんの講演で聞いたこの言葉でした。
フランス・パリと言えば、ルーブル美術館、オルセー美術館など、世界最高峰の美術品が集まる美術館が代表的。
そこに2006年にオープンしたのが、アフリカ、アジア、オセアニアなどの非西洋圏の創造物が約30万点集まるケ・ブランリ美術館です。
この美術館の創設は、原始美術の専門家でありコレクターであったジャック・ケルシャシュと、フランスの元大統領ジャック・シラク、この二人の「非西洋圏の文化も同様に芸術的評価がなされるべき」との強い想いが原動力となりました。
この美術館の創設によってフランスは、他のヨーロッパ諸国に先んじて、西洋中心主義からの脱却姿勢を打ち出したのでした。
これだけで、政治的・外交的に大きな影響をもたらしたということではありませんが、フランスという国が「異なる文化を持つ他者にも視線を向ける国である」ということが国民や世界に意識されるだけで、あらゆる局面でフランスに対する世界の態度が異なってくるはずです。
これが、先ほどの大原さんの言葉の意味するところ。
フランスという国がどういう美術館を持つか。ただ立派な建物を建てればよいのではなく、市民にとって、国民にとって、世界にとって、どんな意味を持つ内容・コンセプトを持った文化機関であるのか。
一国の代表として、このような文化プロジェクトに取り組むこと、それはとても重要な外交カードでもあると言えるのではないでしょうか。
ケ・ブランリ美術館の収蔵品は、人類博物館などから集めたアフリカ、アジア、オセアニア地域の衣装や仮面、テキスタイルなど。
ここでも、はたと気づきます。
過去に造られた創造物を民俗学的資料としてみるか、今なお観る私たちに何かを訴えかける芸術品としてみるか?
その作品の文化的背景を理解せずに、美的評価がなされてよいのか?
「美」の価値観は同じなのか?
これらの問題は、この美術館に賛否両論巻き起こしているようですが、それは、美術の世界だけに限らないことでもあるでしょう。
自分と異なる文化を持つ他者に、どう興味を持ち、どう理解しようとするか。
フランスという国が、まさに自国自身の価値観と闘っている現場であるようにも思えます。
(春)
<参考>
メゾン・デ・ミュゼ・ド・フランス(MMF)
http://www.museesdefrance.org/museum/special/backnumber/0608/special01.html
2012年11月18日
11月:世界の美術館
すっかり秋めいて、もう冬の顔がこちらをのぞいているような、
そんな季節になりましたね。
紅葉はもうご覧になりましたか?
さて、芸術の秋ということで、今月は世界の美術館について。
豆っ子たちが、面白い視点で世界の美術館をちょこっと紹介させていただきます。
******
私からは、オランダの「アムステルダム国立美術館」について。
https://www.rijksmuseum.nl/
オランダに行ったら必ず行くべき観光スポットの一つと言われる、アムステルダム国立美術館。
この美術館の歴史は古く、1806年ナポレオンの時代にまで遡ります。ナポレオン1世の弟ルイが国王になったとき、美術品の収集を意欲的に行ったことが現在の基礎となっているとか。
レンブラントからリートフェルトまで、巨匠たちの名作を集めた世界最大級の美術コレクションを持つ大規模な美術館です。
ただ、実はこの美術館を題材に、2010年にある映画が作られました。
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=280
「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」
このアムステルダム国立美術館は、2004年より、2008年夏の公開に向けて大規模な改修が行われていました。ただ、工事計画が地元の反対などで二転三転し、中断。本館が何年にも渡って閉鎖されているという事態が実際にいまも続いています。
まさにその現実に起こっていることを、事実あり?多少着色あり?でドキュメンタリー映画が作られたのです。
「いったいいつになったらリニューアルオープンするの??」その理由のいくつかをカメラで切り取って見せてくれるドキュメンタリー映画。もっとも、ここまで工事が長引かなかったら商用映画としては成立しなかったかもしれませんが、、。(元々は改築工事の記録を依頼されていたのだそうで、監督にとってはラッキーなのかアンラッキーなのか。そんな中で撮影された映画でした。)
この映画自体の反響は良かったようですが、国立の美術館がこの様な事態のまま、美術品もまた光を浴びるときを待ちわびているはず・・・。
そんな中、今月15日、やっと来春2013年4月13日にリニューアルオープンすることが発表されました。
待ちに待ったアムステルダム国立美術館の変身は、世界に名だたる美術館のコレクションを再び一般に公開する機会を提供することになります。そのほとんどはここ10年間一般の目に触れることが不可能だったものばかり。今回初めて、入館者は年代順に80のギャラリーに並べられた8000点の芸術と作品が800年に及ぶオランダの歴史を、中世から現代までの国際的な文脈の中で物語るのをなぞることができるのです。
スペインの建築会社、Cruz y Ortiz arquitectos 社が19世紀の建築物を21世紀の明るく広々とした美術館に改修し、印象的な入館口、最新の設備、修復されたギャラリー、それに新しいアジア館を作り上げました。建築家たちは美術館のオリジナル・コンセプトを描いたピエール・キュペルスのレイアウトを再生し、天井が高く、広々とした19世紀末のギャラリー本来の壮大さを取り戻し、加えて、屋外展示のスペースも確保、庭園も修復されました。
いよいよ来春リニューアルオープン。
皆さんも、もしオランダへいくことがありましたらぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
作品一つひとつはもちろんのこと、その建築、空間すべてから期待以上のものを得ることが出来るかもしれません。
ちなみに、このアムステルダム国立美術館は、世界の主要な国立美術館のうちで1年365日休みなく公開している唯一の美術館です!
(China)
●参考●
・SankeiBiz アムステルダム国立美術館が来春再開 レンブラントからリートフェルトまで
http://www.sankeibiz.jp/business/news/121116/prl1211160958005-n1.htm
・エキサイト「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」
http://ism.excite.co.jp/art/rid_Original_20457/
そんな季節になりましたね。
紅葉はもうご覧になりましたか?
さて、芸術の秋ということで、今月は世界の美術館について。
豆っ子たちが、面白い視点で世界の美術館をちょこっと紹介させていただきます。
******
私からは、オランダの「アムステルダム国立美術館」について。
https://www.rijksmuseum.nl/
オランダに行ったら必ず行くべき観光スポットの一つと言われる、アムステルダム国立美術館。
この美術館の歴史は古く、1806年ナポレオンの時代にまで遡ります。ナポレオン1世の弟ルイが国王になったとき、美術品の収集を意欲的に行ったことが現在の基礎となっているとか。
レンブラントからリートフェルトまで、巨匠たちの名作を集めた世界最大級の美術コレクションを持つ大規模な美術館です。
ただ、実はこの美術館を題材に、2010年にある映画が作られました。
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=280
「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」
このアムステルダム国立美術館は、2004年より、2008年夏の公開に向けて大規模な改修が行われていました。ただ、工事計画が地元の反対などで二転三転し、中断。本館が何年にも渡って閉鎖されているという事態が実際にいまも続いています。
まさにその現実に起こっていることを、事実あり?多少着色あり?でドキュメンタリー映画が作られたのです。
「いったいいつになったらリニューアルオープンするの??」その理由のいくつかをカメラで切り取って見せてくれるドキュメンタリー映画。もっとも、ここまで工事が長引かなかったら商用映画としては成立しなかったかもしれませんが、、。(元々は改築工事の記録を依頼されていたのだそうで、監督にとってはラッキーなのかアンラッキーなのか。そんな中で撮影された映画でした。)
この映画自体の反響は良かったようですが、国立の美術館がこの様な事態のまま、美術品もまた光を浴びるときを待ちわびているはず・・・。
そんな中、今月15日、やっと来春2013年4月13日にリニューアルオープンすることが発表されました。
待ちに待ったアムステルダム国立美術館の変身は、世界に名だたる美術館のコレクションを再び一般に公開する機会を提供することになります。そのほとんどはここ10年間一般の目に触れることが不可能だったものばかり。今回初めて、入館者は年代順に80のギャラリーに並べられた8000点の芸術と作品が800年に及ぶオランダの歴史を、中世から現代までの国際的な文脈の中で物語るのをなぞることができるのです。
スペインの建築会社、Cruz y Ortiz arquitectos 社が19世紀の建築物を21世紀の明るく広々とした美術館に改修し、印象的な入館口、最新の設備、修復されたギャラリー、それに新しいアジア館を作り上げました。建築家たちは美術館のオリジナル・コンセプトを描いたピエール・キュペルスのレイアウトを再生し、天井が高く、広々とした19世紀末のギャラリー本来の壮大さを取り戻し、加えて、屋外展示のスペースも確保、庭園も修復されました。
いよいよ来春リニューアルオープン。
皆さんも、もしオランダへいくことがありましたらぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
作品一つひとつはもちろんのこと、その建築、空間すべてから期待以上のものを得ることが出来るかもしれません。
ちなみに、このアムステルダム国立美術館は、世界の主要な国立美術館のうちで1年365日休みなく公開している唯一の美術館です!
(China)
●参考●
・SankeiBiz アムステルダム国立美術館が来春再開 レンブラントからリートフェルトまで
http://www.sankeibiz.jp/business/news/121116/prl1211160958005-n1.htm
・エキサイト「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」
http://ism.excite.co.jp/art/rid_Original_20457/
2012年11月02日
東京タワー
こんにちは、今日は日本で昔から有名な東京タワーのお話です。
東京タワーは東京都の港区芝にあり、昭和33年(1958年)の1月に誕生しました。
高さは333m。
今でこそ、スカイツリーに抜かされてしまいましたが、それまでは日本で一番高い塔としてその高さを誇っていました。それからというもの、最高入場者数は、年間では520万人(昭和34)、月間では71万人(昭和34)、日間では4万人(昭和35)訪れ、これまでに約1億人の人々が日本各地、世界各地から訪れています。
今日はそんな東京タワーの裏事情をお伝えします。
●東京タワーはなぜ作られたのか
東京タワーの正式名称は日本電波塔株式会社です。主にテレビの放送電波を関東一円に届ける役割を果たしています。国営テレビの放送開始は東京タワー誕生の5年前、昭和28年です(1953年)。その後、民間の放送も開局したのですが、東京タワーができるまでは、各局が独自の電波塔から放送を発信していました。
当時各局の電波塔は150mほどで、送信範囲は半径70キロ程度。電波塔がたくさんあることで景観面、航空安全面に問題がありましたし、視聴者にとっても、チャンネルを変えるたびに、アンテナの位置も調整する必要が出てくる。そんな問題を一気に解決するために東京タワーは誕生しました。
それから、都心から100キロ圏内の人々にテレビ放送を届ける総合電波塔となっています。
また現在ではフットタウンとして、東京タワーの足下には、様々な商業施設がありますし、なんといっても展望台としての役割も欠かせません。外国人の観光スポット、レジャースポット、デートスポットなど、様々な役割を果たしています。
●東京タワーとエッフェル塔
東京タワーはその性質上、よくエッフェル塔と比べられていた様です。
例えば、建設の発起人となった実業家の前田久吉が、「どうせ造るなら世界一を……。エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない」と言い、エッフェル塔よりも高い高さになりました。(実際は、電波塔の役割のため300m以上は必要だった)
他にも、設計を手がけた内藤多仲博士が、「東京タワーはエッフェル塔より高くて軽い」と言いました。
東京タワーは鉄骨のみで立つ「自立鉄塔」として世界一の高さです。また、建設に使用した鋼材の総量は4000トン。これはエッフェル塔が使用した鋼材の半分程度の量なのです。
●ランドマークとしての灯り
東京タワーのライトの変化は春、秋、冬と、夏で2回変わります。しかし、それだけでなく特別ライトアップも行っています。サッカーの日本代表を応援するもの、被災地を応援するものなど。
来る11月3日からはクリスマスに向けてライトアップされるそうです。
色々な役割を持つ東京タワー。スカイツリーと二大巨塔として、これからもみんなの心のランドマークであり続けることでしょう。
(konomi)
参考:
東京タワーオフィシャルサイト
http://www.tokyotower.co.jp/index.html
日本建設業団体連合会
http://www.buildupper.com/works/architecture1/
東京タワーは東京都の港区芝にあり、昭和33年(1958年)の1月に誕生しました。
高さは333m。
今でこそ、スカイツリーに抜かされてしまいましたが、それまでは日本で一番高い塔としてその高さを誇っていました。それからというもの、最高入場者数は、年間では520万人(昭和34)、月間では71万人(昭和34)、日間では4万人(昭和35)訪れ、これまでに約1億人の人々が日本各地、世界各地から訪れています。
今日はそんな東京タワーの裏事情をお伝えします。
●東京タワーはなぜ作られたのか
東京タワーの正式名称は日本電波塔株式会社です。主にテレビの放送電波を関東一円に届ける役割を果たしています。国営テレビの放送開始は東京タワー誕生の5年前、昭和28年です(1953年)。その後、民間の放送も開局したのですが、東京タワーができるまでは、各局が独自の電波塔から放送を発信していました。
当時各局の電波塔は150mほどで、送信範囲は半径70キロ程度。電波塔がたくさんあることで景観面、航空安全面に問題がありましたし、視聴者にとっても、チャンネルを変えるたびに、アンテナの位置も調整する必要が出てくる。そんな問題を一気に解決するために東京タワーは誕生しました。
それから、都心から100キロ圏内の人々にテレビ放送を届ける総合電波塔となっています。
また現在ではフットタウンとして、東京タワーの足下には、様々な商業施設がありますし、なんといっても展望台としての役割も欠かせません。外国人の観光スポット、レジャースポット、デートスポットなど、様々な役割を果たしています。
●東京タワーとエッフェル塔
東京タワーはその性質上、よくエッフェル塔と比べられていた様です。
例えば、建設の発起人となった実業家の前田久吉が、「どうせ造るなら世界一を……。エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない」と言い、エッフェル塔よりも高い高さになりました。(実際は、電波塔の役割のため300m以上は必要だった)
他にも、設計を手がけた内藤多仲博士が、「東京タワーはエッフェル塔より高くて軽い」と言いました。
東京タワーは鉄骨のみで立つ「自立鉄塔」として世界一の高さです。また、建設に使用した鋼材の総量は4000トン。これはエッフェル塔が使用した鋼材の半分程度の量なのです。
●ランドマークとしての灯り
東京タワーのライトの変化は春、秋、冬と、夏で2回変わります。しかし、それだけでなく特別ライトアップも行っています。サッカーの日本代表を応援するもの、被災地を応援するものなど。
来る11月3日からはクリスマスに向けてライトアップされるそうです。
色々な役割を持つ東京タワー。スカイツリーと二大巨塔として、これからもみんなの心のランドマークであり続けることでしょう。
(konomi)
参考:
東京タワーオフィシャルサイト
http://www.tokyotower.co.jp/index.html
日本建設業団体連合会
http://www.buildupper.com/works/architecture1/
2012年10月20日
北海道のご当地タワー
更新が1ヶ月滞ってしまいました。大変失礼いたしました。
---
さて、今回のテーマはご当地タワーということで、
まず「タワー」と検索すると、なんと
「全日本タワー協議会」なるHPがヒットしました。
あえてなのか、スカイツリーはまだ入っておらず、
全国の主要都市のご当地タワーを見ることが
できるHPとなっていました。
日本全国、いろいろな団体があるのですね。
その中で見てみると、ありました。
僕のふるさと、北海道は「さっぽろテレビ塔」です。
さっぽろテレビ塔は、1957年に完成。
今現在、日本で36番目の高さになるようです。
札幌のシンボルともいえる「大通り公園」の
一番奥に位置して、夏にはよさこいソーラン祭り、
冬には雪祭り会場として全国の観光客を迎えています。
あまりに近所に住みすぎていたせいで、
大人になるまで上ったこともなかったのですが、
札幌の雄大な景色を一望できるポイントでもあり、
その佇まいが、札幌を代表する景色の一つともなっています。
実は北海道には、このさっぽろテレビ塔の他にも、
高いご当地タワーがいくつかあるのです。
函館には2006年に新タワーとなった「五稜郭タワー」
野幌には「開拓百年記念塔」、稚内には「稚内市開基百年記念塔」
滝川市にも「滝川市開基百年記念塔」があります。
文字通り、開拓の歴史から節目の年にできたご当地タワーが多く、
北海道の開拓につくした先人の苦労への感謝と、
未来を創造する道民の決意を示すために創られた塔ばかりです。
思えば、小さい頃には学校の遠足などで、
開拓百年記念塔などは、普通に行っていたのです。
(ほとんど記憶がなくて、大人になった今、
とっても行きたくなったのですが。。。)
その町のシンボルともなる、ご当地タワー。
高さと景色ばかりが注目されがちですが、
そのタワーには、その町のたくさんの想いが詰まっているのですね。
(ao)
全日本タワー協議会
http://www.japantowers.jp/home/index.html
さっぽろテレビ塔
http://www.tv-tower.co.jp/index.html
開拓百年記念塔
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/environ/parks/nopporo.htm
2012年09月13日
横浜マリンタワー
ハマっ子にとって、マリンタワーは横浜のシンボル。
6年前、まさかの営業停止宣言がなされたときは、
そんな!という悲痛な思いに加え、非常にがっかりしたことを覚えています。
マリンタワーは、1961年、横浜港開港100周年記念の一環で誕生。
横浜港のシンボルとなる建造物を、という市と市民の声により建設されました。
当時、タワー最上部には灯台機能が設置され、106メートルという灯台の高さもあって、
地上高世界一の灯台としてギネスブックに認定されていたこともあります。
(灯台としての機能が停止された後、2008年にギネスからはずされました。)
冒頭の営業停止の話はどうなったかというと・・・
ハマっ子、もしくは何度か横浜に足を運んでくださった方はご存知かと思いますが、
今、横浜の観光の中心といえば、みなとみらい。
実は、このみなとみらい地区の出現により1991年をピークにマリンタワー観光客数は減少。
また、建造物の老朽化に加え、港ならではの潮風による劣化で修理費がかさみ・・・
経営の悪化により、ついに2006年12月25日を最終日として営業を中止することに。
最終日の25日、マリンタワーには長蛇の列ができたそうです。
しかし、そんなハマっ子たちの悲しみ、心配をよそに、
なんと2009年にマリンタワーは全面改装し再オープン。
あのハマっ子たちの悲しみはなんだったのだろうか・・・
なんだか拍子抜けした感もありますが、とにかく無事、再オープンに至ったのです。
外装が赤白からシルバーへ、1〜4階にカフェ・レストラン、ショップなどが参入。
以前と変わらないのは、やはり展望台からの眺めでしょうか。
昼と夜ではまた異なった雰囲気を楽しむことができます。
昼は横浜港や横浜の街が一望でき、
夜は横浜の夜景を存分に味わうことができます。
外からの見るマリンタワーのライトアップも見物です。
夜のライトアップされたマリンタワー探しもいいかもしれません。
横浜を訪れる機会がありましたら、ぜひ一度立ち寄ってみてくださいね。
≪参考≫
●http://event.marinetower.jp/
●http://www.hamakei.com/headline/1936/
(Yuiko)
2012年09月02日
名古屋テレビ塔@愛知
今回は愛知県名古屋市のシンボル、名古屋テレビ塔について。
名古屋は戦後、復興計画をどこよりも早く昭和 20 年(1945)12 月、名古屋市の「中京再建の構想案」の発表で立ちあげました。その計画の目玉の一つとして掲げられたのが、名古屋テレビ塔建設。
これは日本でテレビジョン放送が開始されることを機会として全国に先駆けた東洋の「エッフェル塔」
を建設しようとするものでした!
愛知県、名古屋市、郵政省(現在の総務省)、NHK、CBC、中京財界など、まさに官民一体となった地域の総力を結集した大プロジェクト。工事期間は 9 か月間という技術が進んだ現在でも考えられないほどの早さで、日本初めての「集約電波鉄塔」が誕生しました。まだ街には戦災の足跡が残る昭和 29 年(1954)6 月のことでした。直ちに全国的に知れ渡りテレビ電波の送信鉄塔とともに観光タワーとしてもたちまち爆発的な人気となったそうです。
テレビ放送は日本の戦後復興政策としての役割を担い、白黒放送からカラー放送へと、皇太子殿下ご成婚から東京オリンピック放送など着実に茶の間の主役として急速な普及を遂げ、日本の文化の向上に大きく貢献しました。
ただ、平成 23 年(2011)7 月にはすべての地上テレビジョン放送がデジタル放送に移行することとなっており、これまでの役割を終えています。
◆当時は3時間待ち!
1954年6月20日午前9時、朝から「濃尾平野を一望、高いところから名古屋の街を」と期待するお客様で長蛇の列となり、展望台への16名乗りエレベーターが2台フル運転、順番待ちの時間は3時間を超えたそうです。
ディズニーランド並みですね。
◆地上から展望台まで「クライミング競争」開催
2周年事業として地上から展望台まで393段の階段の早登り競争が行われました。一般応募者の中から60名が選ばれ、日頃健脚で慣らした自慢の足を競いました。
しかし、あまりの過酷な競争であったため、健康上の理由から1回のみの記念行事で終わったそうです・・・。
◆名古屋ドル紙幣ばら撒き事件
2003年12月23日に名古屋テレビ塔で起きた、デイトレーダーの男性が起こした事件。
当時26歳の男性デイトレーダーが、株であまりに簡単に儲けられたため嫌気がさして、数千枚の1ドル紙幣と旧100円紙幣、総額約100万円をテレビ塔の屋上展望台から、撒き散らしました。
彼はあしぎんフィナンシャルグループの株を1円と5円の時に約600万株を買って15円の時に売り抜けることで7000万〜8000万円ほども儲けていたといいます。
すぐに職員が取り押さえに行きましたが、その際に男は、屋上の柵に身を乗り出し、「自分の金だから、好きにさせてくれ」と叫んだとか。その後、職員に対し「株で大儲けした。クリスマスだから皆に還元したかった」と語ったといいます。
ちなみに、ばら撒いた紙幣のうち約8割は通行人に持ち帰られました。2004年放映の『日経スペシャル ガイアの夜明け』でも紹介されるなど、デイトレードをしている者には認知されている事件です。現在のデイトレブームを世間に知らしめた事件の一つとなりました。
電波塔としての役目を終えたテレビ塔がこれからも街のシンボルとして存続できるかは、今後の集客や取り組み次第。観光客の人に足を運んでもらうのはもちろん、名古屋の人にも身近な憩いの場として利用してもらい、にぎわいをもたらしてもらいたいものですね。
(china)
●参考●
・名古屋テレビ塔
http://www.nagoya-tv-tower.co.jp/index.html
名古屋は戦後、復興計画をどこよりも早く昭和 20 年(1945)12 月、名古屋市の「中京再建の構想案」の発表で立ちあげました。その計画の目玉の一つとして掲げられたのが、名古屋テレビ塔建設。
これは日本でテレビジョン放送が開始されることを機会として全国に先駆けた東洋の「エッフェル塔」
を建設しようとするものでした!
愛知県、名古屋市、郵政省(現在の総務省)、NHK、CBC、中京財界など、まさに官民一体となった地域の総力を結集した大プロジェクト。工事期間は 9 か月間という技術が進んだ現在でも考えられないほどの早さで、日本初めての「集約電波鉄塔」が誕生しました。まだ街には戦災の足跡が残る昭和 29 年(1954)6 月のことでした。直ちに全国的に知れ渡りテレビ電波の送信鉄塔とともに観光タワーとしてもたちまち爆発的な人気となったそうです。
テレビ放送は日本の戦後復興政策としての役割を担い、白黒放送からカラー放送へと、皇太子殿下ご成婚から東京オリンピック放送など着実に茶の間の主役として急速な普及を遂げ、日本の文化の向上に大きく貢献しました。
ただ、平成 23 年(2011)7 月にはすべての地上テレビジョン放送がデジタル放送に移行することとなっており、これまでの役割を終えています。
◆当時は3時間待ち!
1954年6月20日午前9時、朝から「濃尾平野を一望、高いところから名古屋の街を」と期待するお客様で長蛇の列となり、展望台への16名乗りエレベーターが2台フル運転、順番待ちの時間は3時間を超えたそうです。
ディズニーランド並みですね。
◆地上から展望台まで「クライミング競争」開催
2周年事業として地上から展望台まで393段の階段の早登り競争が行われました。一般応募者の中から60名が選ばれ、日頃健脚で慣らした自慢の足を競いました。
しかし、あまりの過酷な競争であったため、健康上の理由から1回のみの記念行事で終わったそうです・・・。
◆名古屋ドル紙幣ばら撒き事件
2003年12月23日に名古屋テレビ塔で起きた、デイトレーダーの男性が起こした事件。
当時26歳の男性デイトレーダーが、株であまりに簡単に儲けられたため嫌気がさして、数千枚の1ドル紙幣と旧100円紙幣、総額約100万円をテレビ塔の屋上展望台から、撒き散らしました。
彼はあしぎんフィナンシャルグループの株を1円と5円の時に約600万株を買って15円の時に売り抜けることで7000万〜8000万円ほども儲けていたといいます。
すぐに職員が取り押さえに行きましたが、その際に男は、屋上の柵に身を乗り出し、「自分の金だから、好きにさせてくれ」と叫んだとか。その後、職員に対し「株で大儲けした。クリスマスだから皆に還元したかった」と語ったといいます。
ちなみに、ばら撒いた紙幣のうち約8割は通行人に持ち帰られました。2004年放映の『日経スペシャル ガイアの夜明け』でも紹介されるなど、デイトレードをしている者には認知されている事件です。現在のデイトレブームを世間に知らしめた事件の一つとなりました。
電波塔としての役目を終えたテレビ塔がこれからも街のシンボルとして存続できるかは、今後の集客や取り組み次第。観光客の人に足を運んでもらうのはもちろん、名古屋の人にも身近な憩いの場として利用してもらい、にぎわいをもたらしてもらいたいものですね。
(china)
●参考●
・名古屋テレビ塔
http://www.nagoya-tv-tower.co.jp/index.html
2012年08月17日
日本のご当地タワー
先日の、隅田川の花火大会。
きらきらのスカイツリーと花火。
新しい夏の景色となりましたね。
次のテーマは「日本のご当地タワー」。
名スポットとなっているタワーや、あまり知られていないタワー…日本各地のタワーをご紹介します。
はじめのタワーは… 「ツインアーチ138」
先日仕事で岐阜へ伺った際に電車から見えた、木曽川沿いにある、宇宙と交信しそうなカッチョイイタワーが気になっていました。
それが、このツインアーチ138。
◆タワーの高さ
タワーの最高部の高さは、タワーがある愛知県一宮市にちなみ、138メートル。
◆建設年
タワーが建ったのは1995年(平成7年)。
愛知、岐阜、三重の3県にまたがる日本一広い国営公園「木曽三川公園」の三派川地区のメイン施設として建てられました。
◆デザイン
“ツインアーチ”の名の通り、ふたつの高さの異なるアーチがクロスしたタワー。
中央にはエレベーターシャフトが通り、木曽三川の雄大な流れを象徴しているとのこと。
◆目的・役割
木曽三川を臨む展望台として建てられたもの。
夜には、明日の天気にあわせて、快晴なら白、雨ならパープル・ブルーというようにライトアップされる天気予報の役割も。
◆上からの風景
見えるのは雄大な木曽川、長良川、揖斐川の流れ。
そして、公園内にはフラワーパークもあり、季節ごとの自然を生かした景色が見られるそう。
夏休みのこの時期、水遊びのできる川沿いの公園、そしてカッチョイイタワーは、毎日にぎわっていることでしょう!
タワーの“年間パスポート”もあるそうですよ。
(春)
・国営木曽三川公園
http://www.kisosansenkoen.go.jp/index.html
きらきらのスカイツリーと花火。
新しい夏の景色となりましたね。
次のテーマは「日本のご当地タワー」。
名スポットとなっているタワーや、あまり知られていないタワー…日本各地のタワーをご紹介します。
はじめのタワーは… 「ツインアーチ138」
先日仕事で岐阜へ伺った際に電車から見えた、木曽川沿いにある、宇宙と交信しそうなカッチョイイタワーが気になっていました。
それが、このツインアーチ138。
◆タワーの高さ
タワーの最高部の高さは、タワーがある愛知県一宮市にちなみ、138メートル。
◆建設年
タワーが建ったのは1995年(平成7年)。
愛知、岐阜、三重の3県にまたがる日本一広い国営公園「木曽三川公園」の三派川地区のメイン施設として建てられました。
◆デザイン
“ツインアーチ”の名の通り、ふたつの高さの異なるアーチがクロスしたタワー。
中央にはエレベーターシャフトが通り、木曽三川の雄大な流れを象徴しているとのこと。
◆目的・役割
木曽三川を臨む展望台として建てられたもの。
夜には、明日の天気にあわせて、快晴なら白、雨ならパープル・ブルーというようにライトアップされる天気予報の役割も。
◆上からの風景
見えるのは雄大な木曽川、長良川、揖斐川の流れ。
そして、公園内にはフラワーパークもあり、季節ごとの自然を生かした景色が見られるそう。
夏休みのこの時期、水遊びのできる川沿いの公園、そしてカッチョイイタワーは、毎日にぎわっていることでしょう!
タワーの“年間パスポート”もあるそうですよ。
(春)
・国営木曽三川公園
http://www.kisosansenkoen.go.jp/index.html