2023年08月21日
役目と資格【憶え書き】
例えばの話。
として書き始める。
日々の生活や自身の置かれている状況に、
疲れ始めてしまった人。というのがいる。
歳をかさねる事を実感したり、歳とともに身体の状態や、自分の心の状態も把握しにくくなる事に、疲れ続けてしまう人。また、その状況そのものを
憂い、しんどさをつのらせてしまうひと。
その人を助ける、というか、そのしんどさをゆるめてあげたくなって、考え、試行し、錯誤し、その人にとっての「しんどい日々」に寄り添おうとし続けているが…
じつは…わかっていましたよ。
誰かの助けになるには、まず自分自身がしんどくなってはいけないと。前提として、自分の器に余裕を持って、救済に備えなければならないと。
助ける為の楽を選んで、自分本位の善意になってはいけないと。(この場合の「楽」とは、誰かを助けてあげたいスーパーマンの自分が、気持ちよくその人を助けてあげられるという実感)
これがどれだけ自分本位な事なのか…
踏まえてわかっていたつもりだった。
救済や介助は、それを行使する者自体の器に余裕がないと、正しく行え得ないこと。
俺が世の中で大嫌いな、「主張的自己弁護」になるから、この手の話は書きたくなかったんですが、今書かないと戒めの感覚とかを忘れるのが嫌なので、憶え書きとして書いてしまっている。
助けたい人、
からの主張の叫びを受けて、
今の俺自身の不覚を感じたこの状況を記しておきたかった。
まず自分を助けてから、自分以外を助けます。
2022年05月18日
火ゲキ[pair.157]公演【ドアノブはない】の裏話まとめ
公演から一週間が経過しました。
ご来場の皆さまには、感謝とともに、
上演作品『ドアノブはない』の
こぼれ話を披露させていただきます。
【もじおのシーン】
上田一軒さん扮する「もじお」が、佐野のボールペンを奪うため、佐野を襲うシーンがありました。
当初の予定では、佐野の背後からスリーパーホールドのように首を絞め、佐野は締められながらもなんとか催涙スプレーを吹きかけ、もじおを大人しくさせる。というプランでしたが、そのシーンを演るたびに結構ちゃんと首を絞められ、咽頭の危機を感じたので、本番二日前の稽古から"佐野を怪力で壁にぶつける"というプランに変更しました。ついつい本気で喉を締めてしまう上田一軒さん曰く『ごめんな、芝居に集中してまうねん…』という、何かカッコいい謝罪を受けました。
壁にぶつけるというプランを初めて演ってみた時、本当に力を込めては危ないという心遣いのためか、これまでに無くめっちゃ丁度良くアクションを行う一軒さん。その際、慣れない気遣いで動いたため肩と背中の筋を負傷されました…。
誰かしらが傷つく曰く付きのシーンとなりました。
【18時の回のオープニング】
「火ゲキ30×30」というのは、銘打っている通り、各作品の上演時間を30分以内に収めるというのが鉄則となっている。「ドアノブはない」の脚本も、稽古を重ねながら微改訂を繰り返し、ようやくピッタリ30分間程の上演時間に仕上がりました。そんな最終稿を上げられたと思った以降、新たな演出プランがまた生まれたのです。メインテーマとして使っていたあの曲、当初はラストシーンでしか使わない予定でしたが、通称キンソンと呼ばれる「物語の導入としての音響効果」として使いたいというものでした。(※ちなみに「キンソン(緊張ソングの略)」の出自は川下大洋さんで、関西でしか使われない用語だそうです)
プロデューサーの相内くんに相談してみたところ、『COMPLETE爆弾さんの上演時間として換算するなら大丈夫。つまり、その一曲分を匿名劇壇終演の後の転換後に流し切る時間も含めて、30分以内に収めてください』と回答が。曲尺は3分10秒ほど…。
つまりその段階で30分ピッタリだった芝居を、3分10秒間分削らなければならなかった。
より満足のいくオープニングプランが生まれたのだ…削るしかあるまい。オープニング曲をかけ切る時間を捻出しなければなるまい。
断腸の思いで「りたりんの過去にまつわるシーン」をカットし、じっくり楽しみたかった「エアチューインガムのシーン」も出来る限り間を削ぎ落とした。かくして物語の導入となるオープニングシーンができあがった。と言っても、あの"妙な曲"を流し始めて2分30秒辺りでもじおが舞台に登場、次いで佐野が登場、曲終了前30秒辺り、曲の盛り上がりに合わせていそみ・りたりん・マスターが振り付きで登場、揃ったところで最初のシーンが始まる。という小さな、しかしどうしてもやりたかったこだわり。
いよいよお客さんへの初お披露目。18時の回、匿名劇壇が幕を上げた。30分以内の上演を終え、運営スタッフさんが舞台上を「ドアノブはない」に作り変える。転換完了…我々5人が舞台袖にスタンバイ。
流れ始めるあの曲。
いよいよ始まる…たった2ステージだけの今作品。
息を殺し、微かに聞こえる『まだ…?』
『今ちゃうん…出るとこ』
『もう曲終わる…早よ出て…!』
バタバタと舞台に出て急いで配置に付き、大変なパニックを抱えたまま18時の回がはじまった。
【りょうかいシリーズ】
座組みメンバーで利用していたグループLINE。何かしらの連絡や報告があった時は、もちろん代表の私が迅速に返事を返す。ただし『了解』だけで済むような返事も、それでは味気ないので、必ず『りょうかい道中膝栗毛』や『りょうかい道五十三次』等と返信するようにしていた。
本番当日、劇場入りの日は当然連絡のやり取りが多くなる。逐一『りょうかい大戦争』、『りょうかい道中記(ナムコ)』、『りょうかい倶楽部』とクイックレスポンスしてゆく。しかしグループLINEでのやり取りも終盤に差し掛かり、了解シリーズがすぐには浮かばなくなってきた…。打ち合わせとか段取りの確認とかあるし。そしてついにスマホで「妖怪○○」と検索してしまった…。かくして連絡事項最後の返事は『りょうかいウォッチ』で幕を閉じた。
【終演後、食事に行った話】
いろいろあって一日限りの公演を終えた我々は、せっかくだから打ち上げの代わりに一緒にご飯でも食べて労いましょうか。と中国料理屋に行った。昔から「1st」か「2nd」で公演をやるとよく行っていた馴染みの店に、じつに久し振りに行った。ゲネプロを含めるとその日のうちに3ステージをやり終えた俺は疲労困憊だった。回る円卓を見て反射的に『エンタクアチャコ』と口からこぼした。それを聞いてえらく笑っていた川添さんも同じく疲れていたのだろう。
思い思いの料理を注文していく。川添さんは単品でニラレバ炒めを注文し、次いで「ライスありますか?」と店員さんに聞いた。俺はまた反射的に『何でここで白ご飯頼むんすか?200円しますよ?炒飯は400円やのに。なんで中国料理屋来てるのに、炊飯器から茶碗によそった200円の白ご飯頼むんですか?』と言ってしまった。すると上田一軒さんが『食べたいもん食べさしたりぃや』と言った。
ごもっとも。俺はどうかしていたかも知れない。
一番正しい事を言った一軒さんが優勝だ。
次に正しい事を言った俺は準優勝だ。
家でも食べられる200円の白ご飯を注文しようとした川添さんは、最下位とする。
【バ、バ、バ、バ、バースデー】
ペア上演の匿名劇壇さんが劇中で歌っていた「バ、バ、バ、バ、バースデー♫」というギャルソングは楽屋にいる我々の耳にもその印象を残した。
『ドアノブはない』の劇中、「りたりんの誕生日を皆で祝おう」というくだりの時、ギャル達の声が脳裏によぎったのは、自分だけだったのだろうか。
思い出やこぼれ話は
とめどなく溢れてきますが、
これにて【ドアノブはない】の終演を
宣言させていただきます。
あらためまして・・・
ご来場くださった皆々様に
心よりの御礼を申し上げます、
ほんとうに
本当にありがとうございました!!!!
また会えるといいですね☆
COMPLETE爆弾 近藤ヒデシ
2020年06月06日
サイボーグステッキ。
退院しましたが、腰椎ヘルニア関連の記事は
【入院編】のカテゴリを付けています。
今日の仕事場は何かと所縁のある京都でした。
初めてのジャンルのお仕事で、
大変な興奮を味わせていただきました。
内容は公開できないのですが、情報が解禁になった時はぜひ皆さまに知っていただきたい仕事を
ちょうだいしました!
(仕事に優劣をつけている訳ではありません。ジャンル・カテゴリ等により、皆さまの目に(耳に)入る事のない種類の仕事もありまして…。で、今回はたくさんの人に接してもらえるジャンルのお仕事でしてん)
京都との所縁(ゆかり)といえば、
初めてのレギュラー番組ナレーションが、京都の職人・文化を紹介するBSの番組でしたし、初めての地上波のレギュラー番組は、京都の職人さんの技と伝統を紹介する番組でした。
自分のナレーション史上最長収録時間を記録したお仕事も、京都の製作会社さんと作った作品でした。
そんな京都にまたもやお邪魔した今回。
が…、お話はナレーション仕事から離れ、
身体(と心)のお話をば。
これから自分にとって半ライフワークとなるのが、腰を基調とした【身体の作り直し】であります。
前述のとおり、カラダの要を"ほとんどサイボーグ"化した俺は、毎日(毎分、毎秒?)腰の様子を伺っております。
手術により神経痛はもうほとんどありません。すごい事です。何かしらの痛みが出る事に関しては、必ず動作としての原因がある事を認識し、対処を試みます。
こないだの、退院後初の経過診療の時には、主治医から『そんだけ動けたら痛み止めはもう大丈夫ですよね?』と言われ、とっさに「大丈夫ですけど、ちょっとはください」と変なお願いをして、頓服薬として痛み止めを引き続き処方してもらいましたが、つまりこれも【オアシス】です。
だから、杖なしで京都へも行けます。
でも杖があると楽チンです。
【オアシス】は、物理的にも精神的にも作用するのです。
久し振りに乗った電車、杖の威力は如実に表れました。周りの人が、ちょっと気ぃ遣うんです。
仰々しく見えるサイボーグアーマー(コルセット)は上着で隠しましたが、杖は杖でした。スッと視線が寄ってくる。歩きスマホなどの人はもちろんそれには気付きませんが。
なるべく杖をつかず、英国紳士のステッキのように地面から浮かせて歩いたりして、謎の【平気アピール】もしてしまいました。
優先座席は身体がどんな状態であれ、俺にとってあれは座り辛いオーラをまとった座席です。「お前に座る資格があるのか?」とほのめかしてきます。
いつしかあんなとこ、座れる気がしなくなりました。
イヤホンしてスマホしか見ずに足投げ出して優先座席に座れてるヤツの気が知れん・・・。
だから優先座席を避けて普通座席を探し車内をさまよい、見つけた普通の席に、杖を抱えて座る。
なら、やっぱり杖要らんやないか…!
側から見れば俺も気が知れんヤツかも…!
そんな葛藤がしんどいので、やっぱり公共交通機関が嫌いな俺です。
本日の総移動時間、7時間ほど。
杖をしっかり地面についた総時間、50秒ほど。
という事で、杖はもう要りません。
が…4,000円ぐらいしたし、愛着があるので、
大事に置いときます。
2020年06月02日
サイボーグアーマー。
入院前の検診の時に、【コルセット屋さん】と打ち合わせしましてね。
京都から来ている装具師のお兄さんに、胴体の型を取ってもらい、そこから俺専用のコルセットを作成してもらいました。
製品価格は60,000円ちょっと。保険が効くので個人負担額は18,000円ほどの鎧ができました。
お医者さんが推奨するには、最低三ヶ月間はこのコルセットを装着して生活し、三ヶ月経ったら【軟性コルセット】というのを新たに作り、また三ヶ月間ほどそれで生活するものだと言われてます。
ギプスみたいなものですね。
このコルセット、ちょっとよくない姿勢になると『ほら、腰を真っ直ぐにっ!』と叱る先生のようです。
具体的に、術後の俺の腰がどんな状態かと言いますと。腰椎(腰骨)の間にある【椎間板】という有機物質が神経を圧迫して痛みをもたらしていたので、この椎間板を手術で取り除いたのです。軟骨みたいな、ラードみたいな物でした(触ってはないけど)。
今回は10年ぶりに再発した症状で(椎間板は身体の中で自然に作られる)、この10年の間に量を増やし、かつ患部の周りに癒着をおこして拡がっていたんですね。
という事で、それら術後の問題も踏まえ、
あれから10年の時を経た医療技術により、
【椎間板が癒着し、はみ出ている部分の上下の腰骨を削って小さくし】
↓
【増えた椎間板を取り除き】
↓
【取り除いた場所に、もう増殖しないよう隙間を確保するため"スペーサー"と呼ばれる人工器具を入れ込み】
↓
【それにより不安定になった腰骨二つをしっかり固定するためのプレートをボルトで固定する】
という手術をしました。
ですので、
俺はもうほとんどサイボーグです。
身体のおよそ1%の組織が、人工物なのですから。
ほとんど、サイボーグです。
これから三ヶ月間、新しくなった身体を正しく使えるようリハビリし、馴染ませていきます。
これからまさに夏の盛り。
ガッチリコルセットを付け続ける汗かきの俺は、身体の矯正以外にも色々気をつけていきたいと思います。
匂いとか。
2020年05月30日
最後の夜。
このほどお世話になっている整形外科専門病院。
とても良い病院で大好きになった。
でも自分の家も大好きなので、
退院できる事もとても嬉しい。
良い病院と、良い出会いをした。
ここの食事はいつも美味かった。
もちろん入院食なので、味付けは薄く、栄養のバランスが計算されており、物足りない。
だけど、ほのかに食材の向こう側にいる味にちゃんと気付けたし、その【ほの味】でいただく白飯も、日常で味わうものよりありがたかった。
これから13時間もすれば、
荷物をまとめて家路につく。
帰る道すがら、
ケンタッキーで何をテイクアウトしようかと、
空想が尽きない。
家に着いてから、丁寧に、
ケンタッキーの味の向こう側を
感じてみようと思う。
ありがとう、この病院。
大好きな病院ができた。
2020年05月29日
新しい展開。
入院から5日目でございます。
昨日主治医の先生に「何でもしますから煙草を吸わせてください」と泣きついたところ、もともと仕事が決まっていたため、外出許可を取っていた日(入院から一週間にあたる日)に、いっそ退院しちゃいましょうか。と提案された。
目から鱗の衝撃だった。
【煙草を吸わせてください】
↓
【コロナ禍により院外に出てはいけない】
【院内で煙草を吸ってはいけない】
↓
【じゃあ頑張って退院しちゃいましょう】
何というコロンブスの卵ッ!!
当初の予定より半分の入院生活で、退院を認められるというのだ。たまらない提案だ。
そうなると、ますますリハビリにも熱が入る。
退院がかかっているのだ。辛さなどない。
自由な喫煙がかかっているのだ。
スクワットも階段の登り降りもいくらだってできる。
毎日二回、リハビリの時間が設けられている。
その都度、違うリハビリ医の指導のもと身体を動かしている。
で、今日の午前のリハビリで、ちょっと面白い事が起こった。
遡ること2014年。
ひょんな事から俺はEXILEトライブの全国ドームツアーに参加していたというのは、未だに信じられない嘘みたいな本当の話なのだが…
今日のリハビリ担当医のお兄さんはEXILEグループの大ファンだそうで、ライブにも足繁く通っているのだという。
話してる内に、2014年のツアーの話になり、「とあるワンコーナーで進行MCをしていたのは私です」と言うと、思い出したと言う…!あの時、実際にEXILEのステージに立つ俺を観た人に会ったのはこれで二人目だ!(一人目は石井テル子さんだ!)
あれから6年の時を経て、こんな場所であの時の話ができるなんて、思ってもみなかった。
そして余談だが・・・
研修としてその様子を見学していた新人リハビリ医のお姉さんは、まったくEXILEに興味がないとの事だった。
まぁ、余談だが・・・
2020年05月27日
地獄の峠は越えたか・・・?
月曜日の朝9時に病院にやって参りまして。
術前の検査をいくつか行いまして、シャワー浴をさせていただきました。さすが病院のシャワー室、とても浴びやすかったです。
食事も昼・夜としっかり食べて、翌火曜日の手術に向けて意気込みました。
『アイアム冒険少年』をしっかり3時間観ました!
明けて火曜日の朝。早朝から薬と点滴で手術準備をし、いざ手術へ。
最初はただの酸素をボンベで吸い、じょじょに麻酔を効かされていくあの感じ、魔法にかけられたようにフワ〜っとなります。
次に気がついたのは、手術が終わり麻酔を解き挿管を引き抜いたところでした。
『いかがですか?』という医師の問いに、端的に現状を伝えなければと思い「とても痛いです」と「とても気分が悪いです」と咄嗟に言いました。
そこから自室へと移動してから、じつに24時間、寝たきり状態でした。
これがツライのなんの…!
手術の創(キズ)により、寝そべる状態が最も痛みを伴うため、寝てられない。が、頭はぼーっとするし気分は悪くて起きていられない。。が、寝ようとすると傷が引っ張られて痛い痛い・・・。
とにかく、
寝たきり状態で尿道カテーテルと患部の血抜きカテーテルと抗生剤カテーテルが身体の内外を貫き、紙オムツは無駄に下半身を圧迫し続け、何をどう我慢すればいいのかわからず、痛いし眠いしどうしようもないストレスの中で朦朧とし続けまして…。やがて術後初のリハビリの時間がきました。
無理にでも体を動かした方が手術創の痛みを忘れられる事がわかり、スタスタ歩くと褒められ、痛み緩和のストレッチを熱心に教わり、やがてあまり手術創を引っ張らない動き方ができるようになってきた。
しかし夜を迎えた今、怯えている事がある…
眠るとやはり手術創に障る…
それを上手くいなして眠っても、眠ってる間にまた身体は緊張し、痛みやストレスをもたらすかも…
寝るのん怖いなぁ…
寝返り打てるベッドとちゃうしなぁ…
寝返り打てるベッドやとしても、寝返り打てるほどまだ回復してないしなぁ…
寝るのん怖いなぁ・・・
立ったまま寝られるならなぁ・・・
あと…
煙草吸いたいなぁ・・・
2020年05月24日
準備。
明朝、入院生活がはじまります。
しばしの自分の部屋との別れ。
自分ん家大好きやから嫌やなぁ。
などと憂いにふけりながら、入院に必要な物をまとめております。
病院でもらった冊子【入院のご案内】には、「電子機器の持ち込みはご遠慮ください」という一文がある。
手続きや説明をしてくれた事務員さんに、つかぬ事を聞いてみた。
…ホームWi-Fiは、持ち込めないですかね・・・
事務員さんは患者の権利を尊重してか、ダメとは決して言わず、しかし良いとも言わず、上手い事質問をいなしたねぇ・・・おみごと。
ホームWi-Fi、あきらめよう。
地上波テレビとラジコでやりくりしよう。
毎日リハビリでくたくたになろう。
では、
入院前の自宅での最後の夜を過ごします。
奇跡の高気圧。
1015hPa(ヘクトパスカル)。
この時期の晴れの日の気圧。
前回のブログ更新日以降、できるだけ普通に動くように心掛けている。身体を普通に動かす。
階段を怖がらず、登り降りしてみる。痛くなったら【オアシス】。
さいわい良い天気がつづき、高気圧は腰のサポートをしてくれる。
いけるかも…と、洗濯をしてみた。
洗うのは洗濯機だが、問題は洗濯物をベランダに干すという動作だ。
それまでもベランダに出てペットボトルに入れた水で頭を洗ったりしていたので、これは自信があった。
辛くなったらベランダの手すりに身体を預けて【手すり鞍馬】だ。
見事洗濯物は天日にさらされた!
えいや!っと飛躍して、階下の洗面所で歯磨きしてみた。何日振りだったろうか。
それまでは"歯磨きシート"なる物で、寝そべりながら歯を拭いてはいたが。やはり気持ちいい。
これまでにないフリーハンドで突っ立っている時間、足腰はビックリしていたようだが、口内は喜んでいた。
せっかくだから…と、風呂に挑戦してみた!
湯船に浸かるわけではなく、シャワーを浴び、頭を洗い、身体をゴシゴシ洗った。
数十秒に一度、湯船のヘリで【鞍馬】をして腰を伸ばし、痛みをいなす。和らいだところで続きのゴシゴシ。
痛みを天秤にかけてこの気持ち良さなら、
大いにやってよかった。
あれから俺は、それまで出来ていた色んな動作がまた出来るようになりつつあります。
オアシスあればこそですが。
そうして入院準備を着々と進めていましたとさ。
2020年05月17日
からだに聞く。そらに聞く。
前述した日の夜は、
どうもこれまでと様子がちがっていた・・・
一日中様々な動作を試し、夜も更けてきたので眠る事に。が、最大のオアシスであるはずの仰向けでも痛みの指数がリセットされない・・・
新しい薬のせいか…?
あらゆる動作を試し、症状が悪化したのか…?
何にせよ、ヘコみにヘコんだ・・・
入院までまだ10日ほどある。それまでこんなに不便で、こんなに痛いままなのか・・・?
そんな事を憂いていると、雨音が聴こえてきた。
雨音は大好きだ。
古い家だからよく響く。
悲嘆に暮れ、好きな音を聴きながら眠った。
痛みで深くは眠れないまま朝になった。
薬を飲んでいいタイミングだ。
横になりながらサンドイッチの残りを食い、薬を飲んで、また仰向けに戻る。
座れないため、食事はこうして摂っている。
慣れればさほど不便はないが、長く続けると痛みが出るため適度に仰向けに戻ってリセットしながら。
薬を飲んでから身体が楽になるまでの時間がわかってきた。飲んでから一時間弱、というところか。そこから痛みは緩和される。
良かった。今日は薬が効いてきた。
昨日と同様、行動と痛みの範囲を模索する。
飲食物はどうしているかというと、母親が弁当などを買ってきてくれる。
これがじつに情けない・・・。
恥ずかしさや申し訳なさからなるべく助けを求めずやっていたが、病院から戻り丸一日、二階から降りて来ない息子を案じて声をかけてくれた。
もういいおっさんの俺がろくに動けず、いいお年寄りにおつかいをお願いする。
病状とは別のところで堪える・・・
そうして食事は事なきをえている。
風呂は階下にある。が、階段を降りたとして、風呂で身体を洗えるとも風呂場から出て濡れた身体を拭けるとも、無事に部屋に戻って来られるとも今は思えない。行動シミュレーションでもまだそこに到達していない。
二階ベランダに簡易的な水場があるので、その水道でタオルを濡らし、身体を拭いて事なきをえている。もちろんオアシスを行ったり来たりしながら。
トイレは・・・
さいわい自室のすぐ前にある。
この部屋は中学の頃は俺の部屋だったが、実家を出て以降は父親の部屋になった。父親は自分の部屋まわりを便利にアップデートし、中学の時にはなかったトイレまで部屋を出たところに作った。
その頃俺はこの家からほんの少し離れた家屋に住んでいた。歩いてほんのすぐのところに。
父親が死んでからしばらくして、ここがまた俺の部屋になった。
だからトイレにはすぐ行ける…のだが・・・
かねてから言っているように、今の俺には"座る"というのが最も辛い動作である…。ゆえに一筋縄ではいかない。座るという動作での活動限界は1分間ほど。限界が来ると無理にでも一旦終えてオアシスに逃げる。これを何度かに分けて行うのだ。
・・・汚い話で本当にすまない…。。
そんなふうにして、日々を過ごしている。
そして今日になった。
寝ている間に発生する鈍い神経痛を感じながら目覚め、腹に物を入れて薬を飲む。ゆっくり身体の制限がほぐれてくるまで一時間弱。薬が効き始める時間は昨日と同じか少し早いぐらいか。ここから効き目がなくなるまでだいたい二時間ほどか。
身体の使い方を模索する。
基本的にコルセットは常に付けていた方が調子がいいのだが、その時々によって微妙に効き具合いが変わる。昨日の後半は腰のこの位置でこれくらいの強さでしめていたのが、今朝は違う位置と強さの方が調子がいい、というように。
そしてふと気づいた。
なんだか調子が良い・・・
薬の効き目が長い・・・
気温が高い・・・
・・・いい天気だ。
なるほど!
今日は気圧が安定している。
いい高気圧だ。
このあいだは、
雨音を聴きながら、低気圧の中眠っていたんだ。
雨音、好きなんだけどなぁ・・・