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今朝方(7月2日)、とてもなつかしい人の夢を見ました。夢のなかでは、昔の若いころの彼とほとんど同じようでした。その人の名は、ジョージ秋山さんといいます。今も漫画家として活躍しているのではないでしょうか。このジョ−ジ秋山さんについては、なつかしい思い出があります。

秋山さんとの出会いは、私が講談社のお使いさんをしていた時代ではなく、それから4年ほどあと、週刊少年マガジン編集部に配属となってからのことです。
まんが班の駆け出し編集部員として、そのころせっせと売り込みに通っておられた秋山さんのデビュー作を担当することになったのです。確か栃木県のほうから上京してきて、西武池袋線の東長崎駅近くの4畳半か6畳のアパートに住んでいたころです。年齢もほとんど同じくらいですし、よくおつきあいさせていただきました。

私の記憶に間違いがなければ、「パットマンX」という週刊少年マガジンでの連載漫画が、秋山さんの本格的なデビュー作品だと思います。そんな派手な作品ではありませんでしたが、ほのぼのとしたタッチで子供たちの日常的な遊びの世界に材を取るといった感じのものでした。私がまんが班で初めて連載物を担当することになったのが、この「パットマンX」だったのです。この作品には、サブキャラクターに「よっちゃん」という眼鏡をかけた男の子が登場しますが、よっちゃんは私がモデルだそうです。

秋山さんは、よく黒のとっくり首セーターを着る、スリムでちょっと目が鋭い感じの現代的な若者でした。どちらかというと無口なほうで、ほかの漫画家たちとはちょっと違っていましたね。彼も売り出し前の貧乏時代だったし、私もいつもピーピーしてましたから、私達は一計を案じまして、「打ち合わせ」というのをいつもランチタイムごろにあわせてやることにしました。秋山さんが作品のアイデアや下書きのようなものを持って編集部を訪れるわけですが、
その時間を昼飯時にしてもらうわけです。「じゃ、打ち合わせはメシを食べながら」といって、二人して講談社近くの店に行ってしまうのです。二人で昼飯を食べて、いったんは私が二人分、支払いますが、レシートをもらって「赤伝」と呼んでいた請求伝票に添付して経理の方に提出すると、全額戻ってくるというせこいことをよくやったものです。

あの「経済犯」はもう時効になったと解釈していますが、一種の「接待」であったと考えれば、そう良心の呵責に責められなくともいいのかも知れません。ともあれ、クリスチャンとなった今は深く反省しています。

その後、皆さんもご存知のように、秋山さんは大ブレークで一躍大人気漫画家になりました。最近の彼の様子はよく分かりませんが、今朝の夢に出てきた彼は、昔の若いころのままで、確か黒のとっくり首セーターを着ていたように思います。


文●田中義章 2002/07/04
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カナダの東部に移ってから、誰かとバンクーバーの話をする時に、私が決まって持ち出すバンクーバーの自慢話に、前に書いたまつたけ採りとオイスターの話題のほかに「ウニ」の話があります。10数年前の話になりますから、今も同じかどうかは定かでありません。でも、私の想像では、多分あまり大きく変わってはいないと思います。ぜひ、そうあって欲しいものです。

そのころ、私たちが住んでいた町はラドナー(Ladner)というバンクーバーの南隣のいわばベッドタウンでした。フレーザー川という鮭漁で有名な川(日本からの初期のカナダ移民の人々は、多くが和歌山県の漁師さんたちで、このフレーザー川の河口、リッチモンド市のスティーブストンという漁村に居住したのです)の三角州(デルタ)に位置するいくつかの町の1つでした。

ラドナーの町に住んでいた日系カナダ人のNさん夫妻と友だちになりました。御主人はスキューバダイビングのインストラクターをしていました。ときどき、Nさんから電話がかかってきます。「次の日曜日もぐりに行くよ。ウニ、いりますか」 私のほうはもちろん、「お! お願いしま〜す」です。

すると、日曜日の夕方にはバケツいっぱい、海水をいれて生きているウニをNさんが持ってきてくれます。1つ、25セント(20円ぐらい?)で売ってくれました。バンクーバーのウニは大きいのです。(もっとも東京生まれの私には、日本のウニの大きさはよく分からないのですが)生きてるウニを真ん中から包丁で割って、スプーンですくいだしてポン酢かなんかにレモンをしぼってなんてのは、最高でしたね!今、思い出しても生つばがこみあげてくるような‥‥。
 
Nさんに聞くと、ウニはバンクーバーの港のすぐそばにごろごろいるというのです。ちょっともぐるといくらでも採れると言ってました。確か、一度、なまこも持ってきてくれたことがありました。東京者の私は正直言ってなまこなんて
見たこともなかったのですが、よく知っている人でさえ「こんなでかいなまこは見たことがない」と驚いてました。見た目には決して快い生き物ではありませんが、あれは酢漬けですかね、ああいうふうに料理するとなかなかおつなもんですね。
 
トロントではああいういい思いは味わえません。もちろん、トロントにはまた別のよさがありますがね。


文●田中義章 2002/06/19
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講談社時代の親しい友人、清水憲三が急死してから少し落ち込んでしまい、コラムも遠ざかってしまいました。私の日常生活には何の変わりもないのに、心の中にはやはり大きな風穴が開いたような気がします。東京の彼の家に電話しても、彼はいない、あいつの声は聞こえない。この寂しさがつらいのですね。

私がカナダで最初に住んだのが西海岸のバンクーバー。美しい港町です。私がカナダの東部に移ってから、東部の人とバンクーバーの話をするようなことがあると必ず私が口にする話題があります。いかにバンクーバーがよかったかということを吹聴したい時に、いつも私の口から出る話です。気をつけないと、同じ話を2回以上相手に聞かせる愚を犯しそうになってしまいます。

バンクーバー時代、10月後半ぐらいから11月中旬ぐらいにかけて、我々、日本人が夢中になったものがあります。恐らく今でも同じことだと思います。「まつたけ採り」です。何人かの仲間と朝早く起きて1〜2時間、ドライブし、森の中に入っていきます。道のないところをくまなく歩き回ります。まつたけだから、松の木の根元に生えているのかと思うと、そうでもないのです。どうもダグラスファーという針葉樹の根元近くに生えていることが多かったですね。まつたけは一つ見つけるとたいていその近くにいくつか顔を出しかけているものです。深い森の中で白いまつたけのかさを見つけた時の喜びと興奮は格別です。カナダのまつたけは大きいのです!もっとも、大きいというのはかさが開いてしまって大きくなったのであって、味としてはベストではないのです。それはともかく、子供の頭ぐらいに大きくなったまつたけは、食べがいがありました。

私達がよく行った所の一つが、バンクーバーの北へ車で少し行き、フェリーボートに45分ほど乗って対岸の町に行き、そこから30分ほどドライブした所にあるシーシェルトの山でした。ある年、そこへ行った時の経験は一生忘れられませんね。森の中を歩き回りましたがまつたけはあまり採れませんでした。しかし、あの山には他のおいしいきのこがたくさん生えているのです。少し黄色っぽいきのこでヨーロッパ系の人々がとても好きなきのこです。「シャンテレル」という名前のきのこです。シャンテレルももう採り尽くした夕方、ふもとに下りて道路を隔てた海岸に行ってみました。小さな入り江が入り組んだとても水のきれいな海岸でしたが、ちょうど引き潮で近くの浅い入り江の岩や海の底がすっかり露出していました。よく見ると、そういう一面の岩や底に無数の牡蠣(オイスター)がくっついているではありませんか!

たしか、そのころの規則では1人1日16個までは持って帰ってよかったというふうに記憶していますが、その場で食べる分については「無制限」です。皆、うおーっと叫んだかどうか覚えていませんが、生きているオイスターを食べまくりました。醤油とレモンがなかったのが残念です。見渡す限り、一面のオイスターです!
 
なつかしのシーシェルトが、今もあのすばらしい自然の恵みに囲まれているでしょうか。


文●田中義章 2002/06/19
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