今日、我が家のチビ猫は血液検査と検便に行ってきました。 
2度目の病院です。

 とてもお利口で、普段お転婆すぎるので逆に心配なくらいの大人しさ。
キャリーの隅っこで、しかもタオルの下に潜り込んで顔だけ出していました。
それはそれで可愛い!と、またしても親バカよろしくホクホクしていましたが
実際、猫としてはずいぶん嫌なことだったのでしょうね。

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「写真付きの診察券です〜」と渡されたのは逃げ出す寸前みたいな感じがしなくもない診察台の姿。。。


今回は避妊手術前の検診でしたが、そもそも手術はできればしたくないところ。
なぜ必要なのか、猫にとって良いことなのか、
のらりくらりと考える内、決断せざるをえない時期になってしまいました。

猫にとって良いか?というなら良いはずはないでしょう。
自然に備わっている機能を無理やり取るわけで、リスク以外の何物でもなく、
将来(雌の場合)子宮系の病気になる可能性が低くなるとはいえ、
糖尿病など、ならないはずの病気になる可能性もあり、
第一、命とは、寿命とは何なのか?という大問題に突き当たってしまいます。

人間と暮らす猫にとって良いか?というと(獣医さんを信頼しての事ですが)、
メリットは多々あるようです。
しかしここでも、本来の猫とは何なのか?という第2の大問題に突き当たるわけです。

野生の猫と言えば、西表山猫しか知りません。山猫は猫と同じなのでしょうか?
現代の「イエネコ」は5000年以上前にベンガルヤマネコがげっ歯類退治のために好都合だったので
家畜化したものということです。
紀元前3000年古代エジプトでイエネコは固定化され、
古くは9500年前にリビアヤマネコがキプロス島で
人間と一緒に埋葬されていたという資料もあるようです。
さらに約6000万年前のミアキスという中型肉食獣を祖先にそのまま進化したのが猫で、
ミアキスから平原に出て集団狩猟を行うようになったのが犬、というのも興味深い話です。
(猫サイト記事簡単まとめ)

中でも、最も興味深いなと思ったのは
ヤマネコがイエネコになる過程で人間が一方的に家畜化したのではなく
猫も人に寄り添ってきた、という事です。
もちろんエサが豊富にあるとか、住みやすい環境が確保されるというのが主な理由です。

急に信憑性のない話になりますが、
多分、猫は人間好きなんです。
つまり、そうに違いないと思うのです。

猫が猫たる所以は人間と共にある、という事です。
それは人間が家畜化したとかペットとして可愛がるとかいう上から目線の事ではなく
猫もそれを利用し選んできたのです。
人為的なものではなく「自然の摂理」だと、ここで思うに至りました。


野良猫が多く殺処分される事や、近所迷惑な猫屋敷のニュース、
なんだかブームのようなブサ猫人気(好きですが、、、)など、
人間の勝手な趣味嗜好で命が操作されるようで、どうもペットという概念そのものに肯定的に
なれない気がしています。
積極的に他者(あらゆる生き物)の命に関わるのは避けてきました。
蚊でさえ、できれば殺したくないと思っています。
偽善家か!と言われるかもしれませんが、どちらかというと決断して行動に移したくないというか、
主体になれない傍観者です。

けれど自分も生きているということは主体であり、自然の一部です。
瞬間瞬間に選択し決断することの連続が生きているということでしょう。

月夜の産卵とか野生動物の大集結とか「自然の摂理」は驚異に満ちています。
そしてそれは人類にも宿っていること。
『一体全体どういうこと?』と疑問だらけです。


長々と個人的意見を綴ってしまいました。
しかも大問題①命とは?の答えも、大問題②猫とは?の答えもないままですが、
[ caeru ] は
「自然の摂理」「宇宙の真理」を探っていきたいというコンセプトを持っています。
疑問だらけのことを紐解いてゆきたいわけです。

そして主体的に取り組んでこそわかってくることもあるのではないかと思う今日この頃。

猫もちょっと成り行き的な面もありますが、一緒に暮らしてみて
世界感が変わったと自覚しています。
「ペットってなんだかなぁ、、、」と言っていたのではこの愛おしいと思う心の在り様や、この成り行きを導いてくれた人々への感謝の思い、
「生物とは」「生きるとは」を考える糸口もないままでいたことでしょう。


はてさて、

我が家のチビ猫ちゃん、
避妊手術の予約はしていますが、まだこちら人間の気持ちは揺らいでいます。
ま、ただの優柔不断な困った飼い主ということではあります。
どうしたもんでしょうね。



 




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