タイトルをつけるにあたり思い出したのがアニマルズの「朝日のあたる家」。

そのイメージとは何かにつけ程遠いですが、「夕日のあたる庭」のYouTube3連発です。


ちなみに「朝日のあたる家」は全く歌詞の意味を知らず、なんとなく人生を味わい尽くした様な気分に浸って聞いたものです。

先日ラジオで今は亡き「昭和のロックンローラー」内田裕也さん、ショーケンさん、松田優作さんの歌が流れていて、『昭和には顔があった。』とDJの誰かが言っていたのが心に残りました。平成も終わるというのに一時代前の泥臭さやギトギトが懐かしく、雑菌まみれのふてぶてしさを少し切なく?物哀しく?思い出すのは古い感性なのでしょうか。令和のAIはこんなペーソスや「朝日のあたる家」を、どんな風に解釈するのでしょうね。今日、令和の色っていうのも発表されていましたが、さてさて、どんな色に、どんな顔になっていくのでしょう、これから。。。



ところで、
人はとても記録を大切にしますよね。
それは突き詰めると生きることへの賛歌というか、愛ということになるのでしょうか。

『どうして食べた物をあんなに熱心に写真に残し記録し、さらに人に伝えるのか?』
『卒業アルバムや記念写真を後生大事に一生の宝物にするのはなぜだろう?』などと考える自分にこそ疑問を持つべきか?なんて思ってみたり。



というわけで、
我が家の裏庭にうっすらと西日の射す様子です。