ぱわーわーど


言語化は、思考を行う上で非常に強力な手法である。

そもそも、人間の思考の多くは言葉を用いて行われる。他人は分からないが、少なくとも私はそうだ。

言葉を用いずに脳内で何かを考えようとしてみて欲しい。

ある程度は絵やイメージで何とかなるかもしれないが、基本的には不可能と言っても過言ではないだろう。
絵やイメージは何かの考察を行ううえでの補助的な役割しか果たすことが出来ない。

こういった背景があって、思考や考察には言葉が重要となってくるのだが、ここで言語化という手法が出てくる。

ある特定の要素や関係など、従来の言葉としては存在しないものをある程度定義し「言語化」するという手法だ。

私はよくブログ内で3種類のアーキタイプについて触れることがよくあるが、このアーキタイプの竦みも、先人が言語化したものの一つである。

思考を言語化することで、もやもやとしたイメージの塊のようなものを明確に理解することが出来るようになる。

オニゴーリと受けループの関係を例にとって考えてみる(私は両者ともにそこまで詳しくはないが)。
受けループ視点で考えると、オニゴーリは非常に処理が難しい生き物であり、反対にオニゴーリは受けループに対して喜んで出ていく。
この辺はそこまで詳しくなくてもなんとなく理解している人の方が多いのではないだろうか。
どちらも使わないのならばここで思考が終わってもいいのだが、ここから「何故そういう関係になっているのか」を考えると少し難しい話になってくる。

オニゴーリは起点さえあればまもる+身代わりで永遠に能力を上げ続けることが出来る生き物。
受けループは相手の生き物をストップできる生き物を延々と投げ続けることで相手を低速ながらもじわじわ削っていく構築。
オニゴーリは受けループに起点と成り得る生き物が大量にいることに加え、一撃技や能力上昇もあり、数を減らされると苦しくなる受けループへの能力が非常に高い。

言語化するとこのような感じとなるだろうか。
さて。ここからさらに一歩踏み込んで、先人が言語化したアーキタイプの3竦みを利用させてもらうことにする。
対面とサイクルと積みの3竦み。今回の関係はこれを利用すると、

積み(オニゴーリ)VSサイクル(受けループ)

実はこういった構造になっている。「実は」などと言ってしまうほどのものでもないが、こうなっている。
こうしてみると非常に簡単で、オニゴーリは「積み」の生き物だから「サイクル」構築である受けループに強い、といった話になるのだ。
で、ここから受けループがオニゴーリへの対策をするために積みというアーキタイプに対しての思考を繋げていくことになるのだが……長くなってしまうのでこの例についてはこの辺にしておくことにしよう。

このように、アーキタイプの竦みという言語化された思考を理解していれば、両者の関係性を簡潔に把握したうえで、対策の方向性なども比較的簡単に設定することが出来るようになる。
オニゴーリという生き物への対策ではなく、積みというアーキタイプへの対策といった考え方からのアプローチが出来るようになるのだ。

さて、言語化がいかに強力な手法であるかを説明したところで、本題に入ろうと思う。

言語化の重みについてだ。

このように、言語化は非常に便利かつ強力ではあるが、反対に自分の首を絞めるケースもある。

それは、言語化した言語があやふやになってしまうケースだ。

長い期間顔を合わせていない人は、名前を憶えていてもその声や顔がどんどんあやふやになってしまう。
言語に関しても同じようなことがいえる。
言語を言語として使用していても、長い期間意味のすり合わせを行わなかった場合、自分のなかでの言語に対する認識がどんどん別の物に変わっていってしまう。
この認識の変化が微小であれば大きな問題こそないものの、実際の意味と認識が大きく食い違い、かつ定着してしまった場合、それは不利益をもたらす危険が考えられる。

3竦みにしても、それが絶対というわけではなく、そういった有利不利があるというだけで、タイプ相性には抗いがたかったり、不利をとるアーキタイプであってもそれに対する手段はいくつもあったりする。
誤った認識の定着は、こういった例外があるといったことなども時として忘れさせてしまう可能性がある。

アーキタイプの3竦みの概念は非常に強力かつ便利な物ではあるが、実際には気軽に扱えるものではなく、非常に高度な概念であるという事を再認識したい。

言語を言語として使用し続けるうちに、その本来の意味を忘れてしまい、ただの文字の羅列となってしまわないように気を付ける必要があるだろう。