2009年07月13日
Michael, Rest in Peace...
We are the worldはアフリカ救済ソングとして有名だけど、アルバムBadにある Man in the mirrorのメッセージを知っている人はどれくらいいるんだろう。
チェンジを起こしてみようと思うんだ 生涯でたった一度だけ
とても気持ちがいいことで、違いを起こすと思うんだよ
そしてそれが正しいことだと思うんだ
お気に入りのコートの襟をたてたら 僕の心の中に風が吹きすさんだ
食べるものもろくにないストリート・チルドレンを見て
彼らのニーズが見えないふりをする僕はいったい誰なんだ
打ち捨てられた夏の日、割れたビンのフタ、一人の男の心
どれも風に吹かれるまま、だってどれにも行き場がないんだから
だから僕は君に分かってもらいたいんだ
僕は鏡の中の男から始める
僕は奴に、奴のやり方を変えるように言うんだ
これ以上分かりやすいメッセージなんてない
もし世界をよりよいところにしたいと思うなら
自分を振り返って、そして変えるんだよ
中学生のときにこのアルバムでMichaelに出会い、会ったときに話せないと困ると思って英語を勉強した。MichaelとMichaelの音楽を通してアメリカに興味を持ち、さらに「持たざる国」で生きる人たちがいることを知った。
でも次のアルバムDangerousにあるBlack or White,Will you be there,それから次のアルバムHistoryの歌の多くに、Michaelの心の叫び、憤り、哀しみ、やりきれなさがあまりにストレートに表現されているのを聞くのがつらくなって、以降、私は聞かなくなってしまった。
それらはどれも、彼の才能とは無縁のスキャンダラスなゴシップの数々に対するMichaelのストレートな反応だった。私にも、彼を良く知る多くの人と同様、あまりにも早くに成功しすぎたピュアな人間に対する、興味本位の下俗の人間の仕打ちに、彼がどれだけ心を痛めているか分かったし、いつ終わるか分からないMichaelの苦しみを見るのがつらかったからだ。
同じ頃、アメリカも80年代のような勢いは下降して行き、01年の911以降は特に、自由、平等、平和を掲げた私の憧れとしての国のイメージではなくなっていった。それでもMichaelは911の翌日にはアーティストを集めてチャリティ・ソングを披露し、紛争、貧困を嘆き、自然破壊に反対したメッセージを送り続け、ノーベル平和賞にも2度ノミネートされた。
Obamaが大統領になって、Michaelはどう思ってるだろうって思ってた。多分バハレーンからロスに生活の拠点を移したのも、Obama政権になったからではないかと思う。前々回の大統領選の前には、ブッシュ再選を阻止するために、民主党の資金集めに協力していたと聞いた。
Obamaのカイロ演説で私が本当に嬉しかったのは、「善意」の行動をしていっていいんだよって思い出させてくれたから。中学生だった私に、その「善意」の行動を人生の指針としていいんだよって教えてくれたのは、Michaelだった。そんなMichaelのメッセージを聞いてきた人たちが、きっと「チェンジ」を信じてObamaに票を投じたに違いない。
80年代、アフリカ系アメリカンがアメリカの大統領になるだなんて、いったい誰が想像できただろう。Michaelは世界的大スターだったけど、それでもマイノリティとしてメッセージを発し続ける強さに私はとても勇気を与えられて、弱き側に立つ人になりたいと思った。だからメジャーな英語やフランス語ではなくて、マイナーなアラビア語を選んだんだ。
幼くして前人未到の大成功を収めたのと引き換えに、心から欲しがった普通の生活、幸せは手に入れられなかったのが本当に気の毒な、いつも孤独な人だった。ピュアな優しさを行動に移す勇気がある人だった。与えられるだけのものを人に与え続けて、最期は低俗な輩に痛めつけられたまま旅立ったMichaelは、現代のJesusだ。
人々が平等に、平和に暮らせる世界を作ろうと言って、世俗の王(イエスの場合はローマ帝国、Michaelの場合はメディア)の磔にあい、苦しまされる。そして死後復活し、メッセージがより強力に世界に浸透していくのもきっと同じだろう。
追悼式の最期に、すぐ上のお兄さんMarlonが言ってた。「今やっと、皆はお前をそっとしておいてくれるようになるだろう」って。ステージ上での華麗なパフォーマンスがもう見られないのは本当に寂しいけれど、Michael,あなたはもちろんエンターテイナーとして、そしてリーダーとして、人として、いつも本当に偉大だった。あなたが残してくれたメッセージは、世界中の支持者の胸の中に、いつまでもちゃんと生き続けます。ありがとう。今こそ、安らかに…。
2009年06月16日
「沈黙は、間違いだと思われる」
「私たちは皆、はっきりとイランからのニュースを見ています」
「私は、民主主義のプロセスとは、自由に発言し、人々が平和的に異を唱えることができることだと考え、これらは全て普遍的な価値があり、尊重されるべきだと考えます。そして私は平和的に異を唱える人々に暴力が振るわれるのを見るといつも、そしてアメリカ国民がそれを見てもいつも、彼らは間違いなくトラブルに巻き込まれている、とみなすのです。」
米国は選挙監視人をイランに置かなかったので、イランの選挙で何が起こったのかを決定的に示すことができません。「しかし、私が言えることは、希望に満ち、民主主義に魅了されて献身した人々の中に、今や裏切られたと感じている感覚があるように思えるということです。」
「私たちは、私たち二国間のタフで、ダイレクトな対話の追求を続け、それが私たちをどこへ連れて行くかを見届けるつもりです。しかし、そうするときでさえ、私は、私たちがここ数日間テレビで見ていることに対して沈黙しているのは、間違いだと思うのです。」「そして、政治プロセスにとても大きな希望とエネルギー、楽観性をかけた人たちに、世界が見ていること、そして世界が、選挙の最終結果の如何に関わらず、彼らの参加に感銘を受けたということを言いたいのです。」
2009年06月15日
低俗(だけど、だからこそ問題の根深さを憂う)
2009年6月15日 Al-Hayat紙一面の写真には吐き気をもよおした。エルサレムでアラファト議長を彷彿とさせるカフィーヤをオバマに被せたポスターが「反ユダヤ主義」の文字と共に張り巡らされたらしい。
http://www.afpbb.com/article/politics/2611436/4266192
これは表現による暴力だ。人間、品位が最も大切だ。