「実はアメリカのウィスキーの1種なのです」で紹介しました、略して「バーボン」とも呼ばれますバーボン・ウイスキー (bourbon whiskey)。
バーボン・ウイスキーは、アメリカのどの州で造ってももバーボンと名乗れますが、実際のところバーボンの95%近くはケンタッキー州で造られています。
ひとつには、ケンタッキーで、バーボンの祖といわれる牧師、エライジャ・クレイグ氏によってバーボン造りが始まった、というのがあると思います。
この地域でバーボンが造られるようになった理由は2つあります。
ケンタッキー州やテネシー州に移ったウイスキー生産者たちは、この地の特産品であるトウモロコシを主原料としたウイスキーを造り始めました。
ひとつには、ケンタッキーで、バーボンの祖といわれる牧師、エライジャ・クレイグ氏によってバーボン造りが始まった、というのがあると思います。
バーボンの始まりはアメリカの建国と同じ1789年まで遡ります。所説ありますが、エライジャ・クレイグが火事でたまたま焦がしてしまった樽にウイスキーを保存していたことが起源と言われています。
「バーボン」という名前は、この時初めて造られたバーボンウイスキーがケンタッキー州のバーボン郡で造られたことに由来しています。ちなみにバーボン郡という名前は、アメリカの独立戦争の際に支援をしてくれたブルボン朝への感謝の意を表して、フランスのブルボン朝にちなんでつけられました。
この地域でバーボンが造られるようになった理由は2つあります。
ひとつはバーボン造りに重要なトウモロコシ、良質な水、オーク樽が揃っていたこと。
そして、もうひとつが移民と共にウイスキーの蒸留技術がやってきたことです。
バーボンの醸造が始まる少し前、1775年から 1783年にかけては、「アメリカ独立戦争」がありました。
アメリカ東部の13個の州がイギリスからの独立を目指して戦い、勝利を納めたことによりアメリカ合衆国は独立することとなります。
アメリカ東部の13個の州がイギリスからの独立を目指して戦い、勝利を納めたことによりアメリカ合衆国は独立することとなります。
独立したアメリカ合衆国は、戦争によって生じた負債を返却するため、1791年から国内で生産物にたいしての税金をかけはじめます。その課税は国内で生産された蒸留酒にまで及び、ウイスキーももちろん対象となります。(当時の蒸留酒のほとんどがウイスキーであったため、「ウイスキー税」と呼ばれました。)
ウイスキーは主に西部開拓民の農家によって造られていて、彼らの重要な副収入となっていました。そのため、西部開拓民は課税に猛反発をし、反乱を起こします。これは「ウイスキー・レベリオン(Whisky Rebellion)」と呼ばれています。ウイスキー・レベリオンは課税が開始された1791年から1794年にかけて起きました。
ウイスキー・レベリオンのなかで、一部の住民達は反乱に加わらず、アメリカ合衆国の国外に逃亡しました。当時のケンタッキー州やテネシー州はアメリカ合衆国に属していなかったため、ウイスキー造りに知見や経験のある移民が増えました。ウイスキー・レベリオンによって移民が増えたことにより、ケンタッキー州やテネシー州でのウイスキー造りは勢いを増しました。
ケンタッキー州やテネシー州に移ったウイスキー生産者たちは、この地の特産品であるトウモロコシを主原料としたウイスキーを造り始めました。
こうして、1789年にすでにケンタッキーで始まっていたバーボン造りは、多くの移民たちが加わることでさらに盛んになったのです。
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