from U_U to YOU

ガレリア カフェ ユー オーナー なおきがカフェで使っている素材や知り得た情報などについて徒然と綴るブログです。

カテゴリ: ガレリア カフェ ユー

室町時代からあるお酒」でも紹介しましたお酒「焼酎」。
大陸からその製法が伝わって、室町時代には日本で造られていたお酒です。
その「焼酎」どのように日本へ伝来されたかについては、次の4つの説が有力とされています。
1.インドシナ半島 ▶ 琉球経路説(最有力説)
2.中国 ▶ 朝鮮半島 ▶ 対馬経路説
3.中国南部 ▶ 東シナ海(倭寇による) ▶ 日本本土経路説
4.中国(雲南) ▶ 福建 ▶ 琉球経路説

焼酎の伝来

日本において蒸留酒の存在がはじめて確認されるのは、1404年(応永11年)に、対馬の宗貞茂に朝鮮国から「火酒」が贈られたという記録によってです。これは『李朝実録』に記されており、現在確認される最も古い文献だと言われています。

そんな焼酎の一大産地、九州。
焼酎の原料といえば、芋焼酎のサツマイモ、麦焼酎の大麦などが思い浮かぶかと思いますが、九州は、焼酎の原料となる芋や大麦の一大生産地、でもあります。

その主銘柄の一翼を担う麦焼酎は、長崎県壱岐を発祥の地とする焼酎です。

壱岐島
壱岐島は、九州北方の玄界灘に浮かぶ南北17km、東西14kmの小さな島です。
3世紀末に記された中国の歴史書『魏志倭人伝』に「一支國」と紹介されているほどに、古代より日本と大陸を結ぶ架け橋として栄えた地です。また神道発祥の地とも言われ、神社の数は大小合わせると1000社以上あるそうです。

また、どこまでも透き通る青い海と、なだらかな地形を覆う豊かな緑。そして、おおらかな自然に育まれた壱岐牛や、ウニ、イカなどの新鮮な海の幸の宝庫としても知られ、小さな島ながらもゆたかで多彩な魅力いっぱいで、“夢の島”とも呼ばれます。

壱岐島は、現在は長崎県に属していますが、小さい島ながら、長崎県下で2番目に広い穀倉地を有します。

壱岐の穀倉

古代より稲作が盛んで、豊富な穀物と良質な地下水を原料に清酒文化が発達し、多くの農家ではどぶろくが造られていた歴史があります。

そこに、室町時代から安土桃山時代にかけて(16世紀)大陸から蒸留技術が伝わりました。

江戸時代(17世紀)には、平戸藩の統治下にあり、重税のため、島民は米でなく麦を主食とするようになりました。その余った麦を蒸留した自家製の焼酎と、米麹を融合させたものが、壱岐の麦焼酎の原型となっています。日本独自の酒づくりの特徴である米麹を使い続けたところが、壱岐の麦焼酎の特徴となっています。

室町時代からあるお酒」でも紹介しましたお酒「焼酎」。
大陸からその製法が伝わって、室町時代には日本で造られていたお酒です。

焼酎は、種類もたくさん存在しますが、じつはその多くが九州で造られています。

九州マップ

九州には、焼酎の消費量、製造量ともに、全国ランキングで上位にランクインする県が集中しています。じつは日本酒の蔵元もたくさんある九州ですが、もともと根付いていたのは焼酎文化のため、やはり歴史ある焼酎蔵が目立ちます。

国税庁が公表している平成30年度の統計データ「都道府県別の免許場数 」によると、「しょうちゅう」の免許場の総数は全国で約850。そのうち、九州の免許場数はなんと300を超えていて、日本全国のじつに1/3以上を九州が占めていることがわかります。なかでも、鹿児島県には100以上の蔵元があり、銘柄数は2,000を超えるといわれています。
九州には長きに渡って焼酎を造り続けてきた老舗蔵元も多数あり、焼酎の歴史の深さが感じられます。


焼酎の原料といえば、芋焼酎のサツマイモ、麦焼酎の大麦などが思い浮かぶかと思いますが、九州は、焼酎の原料となる芋や大麦の一大生産地、でもあります。

農林水産省が公表している令和2年の統計データ 「令和元年産かんしょの作付面積及び収穫量」によると、サツマイモ(かんしょ)の生産量全国1位は鹿児島県で、日本全体の約35%を占めています。ほかに、宮崎や熊本でも盛んに作られています。

また大麦(二条大麦)も、農林水産省発表の作物統計調査「令和元年産麦類の収穫量」 のデータから、全体の約57%が九州で収穫されていることがわかります。

どちらも、九州の土地で栽培しやすい食物として古くから生産されてきた身近な存在です。それが九州の焼酎文化につながっていったと考えられています。


また、ひとことで九州の焼酎といっても、地域によって種類も特徴もさまざま。芋や麦、米、黒糖焼酎など、それぞれに魅力あふれる焼酎が造られています。

焼酎いろいろ


本格焼酎はいろいろな産地の豊かな自然の中で生まれた農作物を原料として生まれます。
九州の焼酎でも、原料による焼酎の種類と地域の分布で分けられます。

麦焼酎
麦焼酎は、長崎県壱岐を発祥の地とする焼酎です。
精麦した大麦が原料になりますが、大分の麦焼酎が【麦麹+麦】が主流なのに対し、壱岐焼酎は【米麹+麦】でつくるといったように製法はさまざまです。
麦特有の香ばしい香りを楽しむ事ができ、まろやかな甘味があるのが特徴です。最近では樽で長期熟成したものも人気があります。

味の特徴としては、ややあっさりめで麦の香ばしい香りと味わい。クセが少なくサワーのベースとして使用できます。

主な産地は、大分、佐賀、福岡、壱岐

原材料は、大麦、麦麹(米麹が使用されることもあります。)
未発芽大麦を使用し、麦の力だけで発酵させてつくります。ウィスキーも同じ大麦の蒸留酒ですが、樽で長期熟成するため、焼酎は全く異なる味わいになります。


そば焼酎
宮崎県の高千穂地方での生産が盛んなそば焼酎。その歴史は他の本格焼酎と比較すると浅く、1973年頃に宮崎県のメーカーが開発しました。そば特有の香りとほんのりとした甘味があって、飲みやすいのが特徴です。九州の他、信州長野でも造られていますし、そば湯で割る飲み方もあり、メニューに加えるそば屋も増えています。

味の特徴としては、そば特有の香りとすっきりと軽快な味わいです。

主な産地は宮崎県

原材料はそば、米麹。発酵には一般的に米麹などが使用されます。


米焼酎
米焼酎の代名詞となっているのが、薩摩地方と並んで昔から焼酎造りが盛んであった熊本県の球磨盆地で造られる「球磨焼酎」です。重みのある香りと濃厚な味わいが特徴ですが、最近では清酒の吟醸香のようなフルーティな香りと爽やかな風味のものも人気になっています。

味の特徴としては、香り高く米本来の旨味と甘みが感じることができます。口当たりは比較的まろやかで、素材そのものの味わう繊細な料理にも合います。

主な産地は熊本、佐賀、福岡

原材料は米、米麹。
日本酒との違いは、蒸留する点です。日本酒では、脂質やタンパク質を取り除くため、米の表面を30~50%程度削りますが、焼酎は、それらも旨味を引き出す成分として残すため10~15%のみ削ります。


芋焼酎
桜島の火山灰で覆われた水はけのよいシラス台地、そして暖かい気候という最高の条件のもとで育ったさつま芋、黄金千貫(こがねせんがん)が原料として主に使われます。芋特有の芳醇な香りと、まろやかで甘味のある味わいが一番の特徴で、麹や芋の種類を変えた様々な製品がでています。

味の特徴としては、芋独特の芳醇な香りとほんのりとした甘みがあり、クセになる味です。

主な産地は宮崎、鹿児島

芋焼酎の原材料となる芋の品種は40種類以上あります。ポピュラーな黄金千貫(こがねせんがん)の他、安納芋や紅芋など甘みのあるものや、ジョイホワイトなどフリーティーなものまで様々です。ちなみに、米や麦をつかって麹をつくり、芋は二次仕込みの段階で投入します。


黒糖焼酎
鹿児島県の奄美大島諸島のみで造ることを許された焼酎で、特産品である黒糖を原料にしています。黒糖から生まれた独特なまろやかな味わいと、シロップのような甘い香りが特徴です。原料に黒糖を使用する点で、ラム酒と似ていますが、黒糖焼酎は米麹を使用することでその独特の味わいを醸し出します。
かつて世界一の長寿として知られた故・泉重千代さんが毎日飲まれていたことでも有名です。

味の特徴としては、黒糖のやさしい香りとほのかな甘み、すっきりとした味わいです。

主な産地は鹿児島奄美大島

原材料は米麹、サトウキビ。
「日本のラム」とも呼ばれますが、ラムは麹を使用しないため、酒税法上はスピリッツです。黒糖焼酎は米麹を使うことを条件に、鹿児島県奄美諸島だけに製造が許されています。


泡盛
沖縄で昔から造られている本格米焼酎。黒麹菌の米麹だけを原料とし、タイ米を使用するなど、他の地域で造られる米焼酎とは、原料・製法ともに違い、泡盛特有の風味を味わうことができます。三年以上貯蔵したものは古酒(クース)と呼ばれ、そのまろやかな風味、上品な香りは多くの人を魅了します。

カフェ・ユーでは、ひとの中に眠る「12星座のアビリティ」を引き出す“ハーブティ”を、開発・リリースしています。

12星座ハーブティ

12星座の読み物語 12星座のストーリー」の記事でも紹介しましたように、12星座は12のエリアを一巡りすることで、ひとつの成長物語として捉えることができます。
そのスタートは春分の日から始まる牡羊座がスタートになります。

太陽の巡りに合わせて、各星座の時期にお勧めのワークショップをご紹介していきたいと思います。

11月23日から12月21日は射手座の期間。
そこでお勧めしたいワークショップは、
“自分の到達したい像をイメージする”」です。

牡羊座のワークショップ」から始まって
牡牛座のワークショップ」、
双子座のワークショップ」、
蟹座のワークショップ」、
獅子座のワークショップ」、
乙女座のワークショップ
までで、外界と触れつつも「個人」の形成に努めてきました。
そして
天秤座のワークショップ」で初めて積極的に「社会」の中に飛び込み、自分の価値観にまったく興味を示さない人や、反対の価値観を持つ人から言われた言葉に触れました。
蠍座のワークショップ」では、「そこまで言われてもなぜ、自分はそれを表現したいと思うのか?」を明確にされたことと思います。
その明確な理由が、弓矢の引き手の引く量に相当します。

射手座のワークショップでは、その弓を射る的を明確にするステップになります。

射手座のワークショップで大事なポイントを書きます。

1 的とする自分のイメージをできる限り具体的に書き記します
  ただ頭の中でイメージするのではなく、明確に文字として視える化します。
  文字ではなく、画像などを使ってもかまいません。
  ただし、別の誰かをイメージにするのはお勧めしません。

2 自分が理想とするイメージを思い描きます
  自分の今の状態から到達可能なイメージではなく、できるなら到達したいイメージを思い描きます。そして、射手座の期間中、常にそのイメージを思い返すようにします。鏡を使うのも有効です。

【ワークショップをする上でのアドバイス】
・弓矢を射る動作のように、静かな心で、自分の向かう先を見据えるようにイメージをします。
 さらに、「弓と禅」のように、的と自分が一体となるような感覚まで味わえると尚よいです。



射手座のハーブティを飲みながら行うなら
 カフェ・ユー オリジナルの「射手座のハーブティ」はオンラインショップでもお買い求めいただけます。
 射手座のハーブティを飲みながらワークショップ行うのでしたら、ハーブティを飲んで3~4時間の間に行うことをお勧めします。
 ハーブティは、飲んだら3~4時間で身体の外にすべての成分が出てしまうからです。

射手座のハーブティー

カフェ・ユーでは、
カフェに、ライヴで、サローネで
いろんなカタチでカフェ・ユーに集ってくださるみなさまの交流の機会として、カフェテーブルをみんなで囲み、世界の色々な場所の食事や飲み物を愉しむサローネ「U_Uらん倶楽部」を開催しており、9月14日には、「中秋の名月」にちなみまして、開催いたしました。

お月見

日本には、中秋の名月に関わらず月を愛でる風習があったと言います。
そして、平安時代に、中国から中秋節(ちゅうしゅうせつ)という、月を見ながら宴をする文化が日本に伝わりました。その様子は、『日本紀略』に、909(延喜9)年に醍醐天皇が月を愛でながら詩歌を楽しむ宴を催したと記されているのを初めとして、平安時代中期までに、30例近くの記録が様々な書物に見られます。有名な『枕草子』や『源氏物語』にも観月の宴の記述があり、平安貴族にとって、季節の移ろいをしみじみと感じる大切な行事のひとつとして定着していたことがうかがえます。

平安時代のお月見

そして、日本には、中秋だけでなく、約1カ月後の9月にも月を愛でる習慣があり、この月は「後の月」と呼ばれました。中秋の名月を見る風習は唐の時代の中国から伝わったものですが、後の月を見る風習は、平安時代に宇多法皇が始めたと言われ、京都で生まれた日本独自の風習です。今でも京都の旧家などでは、その習わしが残っています。

後の月(のちのつき)は、旧暦8月15日の十五夜の月見の後に来る月で、十三夜月(じゅうさんやづき)と呼ばれます。

この「後の月」をはじめ、日本には月の満ち欠けにはさまざまな名前があります。

月の呼び名いろいろ


昔の人は、ある特定の月齢の月が昇るのを、多くの人々が集まって待つ風習があり、これを「月待ち」と呼んでいました。

月の出が十五夜より少しおそくなっているのを「月がはずかしがっている」と見立てたのが「十六夜(いざよい)」です。

その次の17日目の月の出はさらにおそく、外に立って待っていたことから「立待月(たちまちづき)」と呼よばれています。
そのまた次の日の18日目の月は「居待月(いまちづき)」、そして19日目の月は「寝待月(ねまちづき)」と呼び、いずれも新月に向かって、少しずつ欠かけていく月となります。

月の出が一日一日遅くなっていくことから、最初は立って月の出を待てますが、翌日は待っている間に疲れて座ってしまい、さらに翌々日は座っていても待ちくたびれて横になった状態で月の出を待ちわびる様子が言葉として表されています。

月待ち


また、今でも聞く言葉として「上弦の月」、「下弦の月」があります。

上弦下弦の月

上弦(じょうげん)の月」は、7日目の月の別称です。
この月は、満月を縦に半分に切った形をしています。弓の形に似にているところから「弓張月(ゆみはりづき)」とも呼よばれています。「上弦(じょうげん)」というのは、夜中に西の空に沈むときにカーブしている方が下になり、弓の弦が上にあることから名付いています。


上弦の月とはまったく反対で、同じ半月でも左側半分が輝かがやいて見えるのが23日目の月「下弦(かげん)の月」です。この月も弓張月のひとつで、弓の弦を下にした形で沈みますが、だいたい夜中の12時前後に昇るので、観月するためには遅くまで起きていないと見られません。


月の昇る時間が分かっていると、たとえば「下弦の月」が見えている状況を読んだり、歌ったりしている作品は、夜中から明け方にかけてのシチュエーションであることが分かります。

カフェ・ユーでは、
カフェに、ライヴで、サローネで
いろんなカタチでカフェ・ユーに集ってくださるみなさまの交流の機会として、カフェテーブルをみんなで囲み、世界の色々な場所の食事や飲み物を愉しむサローネ「U_Uらん倶楽部」を開催いたしております。

9月14日には、「中秋の名月」にちなみまして、開催いたしました。

お供えと月見

この時は、月見をイメージした、創作和洋折衷レシピの料理を3種類提供しました。


日本には、古来から中秋の名月に関わらず月を愛でる風習があったと言います。
そして「中秋の名月」という風習として、月を楽しむ風習が人々に根付いたのは、中国からの伝来で平安時代から、とされています。

そして、江戸の頃から、中秋の名月といえば、お供え物をして、すすきを飾る風習が生まれた、と言われています。

そして、「中秋の名月に合わせて食べるものも、いくつかあります。


まず、筆頭は「月見団子」でしょう。

月見団子

秋に収穫した米で、月に似せた丸い団子を作りお供えします。
月見団子には、農作物収穫への感謝と豊作を祝う 2 つの意味が込められています。

さらに、十五にちなみ、一寸五分(約4.5センチ)の大きさの丸いだんごを作ると縁起が良いとされています。ただし、丸とはいえ、ピンポン玉のような真ん丸は死者の枕元に供える「枕だんご」に通じるので、ほんの少しつぶします。
そして、十五夜には、十五にちなんで15個お供えします。
その場合、一段目に9個(3×3)、二段目に4個(2×2)、三段目に2個を盛ります。三段目の2個は、神事では正面からみて縦に2個並べます。横に2個並べると仏事になります。


次に、「里芋などの野菜」を食べる風習が残っている地域があります。

里芋

中秋の名月は「芋名月(いもめいげつ)」とも呼ばれており、里芋の収穫を祝う行事でもあります。
江戸時代の中秋の名月では、庶民たちは皆里芋をお供えするのが定番でした。稲作伝来前は里芋が主食だったため、とくに大切な作物である里芋をお供えして、感謝と豊作を願ったとされています。
また、里芋以外にも、枝豆や大根などの野菜を一緒にお供えして、豊作を願っていたそうです。


そして、「ブドウなどの果実」を食べる風習もあります。

ブドウ

秋は、ぶどうやカキ、ナシといった果実の収穫時期でもあります。
中でもツルものであるぶどうは、「神様と人の繋がりを強くする」として、縁起の良いお供え物とされています。


そして、定番メニューとして欠かせないのが「月見そば」です。

月見そば

月見そばは、かけそばの上に生卵を落とした料理です。
そばの上の卵は、満月を模しており中秋の名月にぴったりの料理といえます。
今では、「中秋の名月」とは関係なく頼めますが、やはり「中秋の名月」には特別に頼む感があります。


そして、平安貴族の愉しみ方にも通じるのが、「月見酒」です。

月見酒

月見酒は、月見をしながら愉しむお酒のことです。
「神様に豊作を感謝し酒を酌み交わす」という意味で、月見団子や果実などのお供え物と一緒に酒をお供えします。
酒の種類に決まりはありませんが、春先に加熱殺菌した酒を夏の間熟成させ、秋に出荷する酒である「ひやおろし」が定番です。

2017年に中秋の名月の日が「月見酒の日」として制定されましたが、月見酒の歴史は古く、古代より秋の収穫の感謝を神様に伝える「月祀り(つきまつり)」が行われていました。
奈良・平安時代には月見をしながらお酒を酌み交わす「観月の宴」の風習が中国から伝わり、貴族たちは「月祀り」「観月の宴」を催して月を見ながらお酒を愉しんだ様子が文献にも残っています。

そして、鎌倉・室町時代になるとこの風習は武家や農民へも広がり、現代でも馴染みのある「月見酒」が定着していったといわれています。

風雅な愉しみ方として、杯に注いだお酒に月を映して愉しむ、という方法もあります。


このページのトップヘ