カフェ・ユーでは、
カフェに、ライヴで、サローネで
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いろんなカタチでカフェ・ユーに集ってくださるみなさまの交流の機会として、カフェテーブルをみんなで囲み、世界の色々な場所の食事や飲み物を愉しむサローネ「U_Uらん倶楽部」を開催しており、9月14日には、「中秋の名月」にちなみまして、開催いたしました。
日本には、中秋の名月に関わらず月を愛でる風習があったと言います。
そして、平安時代に、中国から中秋節(ちゅうしゅうせつ)という、月を見ながら宴をする文化が日本に伝わりました。その様子は、『日本紀略』に、909(延喜9)年に醍醐天皇が月を愛でながら詩歌を楽しむ宴を催したと記されているのを初めとして、平安時代中期までに、30例近くの記録が様々な書物に見られます。有名な『枕草子』や『源氏物語』にも観月の宴の記述があり、平安貴族にとって、季節の移ろいをしみじみと感じる大切な行事のひとつとして定着していたことがうかがえます。
そして、平安時代に、中国から中秋節(ちゅうしゅうせつ)という、月を見ながら宴をする文化が日本に伝わりました。その様子は、『日本紀略』に、909(延喜9)年に醍醐天皇が月を愛でながら詩歌を楽しむ宴を催したと記されているのを初めとして、平安時代中期までに、30例近くの記録が様々な書物に見られます。有名な『枕草子』や『源氏物語』にも観月の宴の記述があり、平安貴族にとって、季節の移ろいをしみじみと感じる大切な行事のひとつとして定着していたことがうかがえます。
そして、日本には、中秋だけでなく、約1カ月後の9月にも月を愛でる習慣があり、この月は「後の月」と呼ばれました。中秋の名月を見る風習は唐の時代の中国から伝わったものですが、後の月を見る風習は、平安時代に宇多法皇が始めたと言われ、京都で生まれた日本独自の風習です。今でも京都の旧家などでは、その習わしが残っています。
後の月(のちのつき)は、旧暦8月15日の十五夜の月見の後に来る月で、十三夜月(じゅうさんやづき)と呼ばれます。
この「後の月」をはじめ、日本には月の満ち欠けにはさまざまな名前があります。
昔の人は、ある特定の月齢の月が昇るのを、多くの人々が集まって待つ風習があり、これを「月待ち」と呼んでいました。
月の出が十五夜より少しおそくなっているのを「月がはずかしがっている」と見立てたのが「十六夜(いざよい)」です。
その次の17日目の月の出はさらにおそく、外に立って待っていたことから「立待月(たちまちづき)」と呼よばれています。
そのまた次の日の18日目の月は「居待月(いまちづき)」、そして19日目の月は「寝待月(ねまちづき)」と呼び、いずれも新月に向かって、少しずつ欠かけていく月となります。
その次の17日目の月の出はさらにおそく、外に立って待っていたことから「立待月(たちまちづき)」と呼よばれています。
そのまた次の日の18日目の月は「居待月(いまちづき)」、そして19日目の月は「寝待月(ねまちづき)」と呼び、いずれも新月に向かって、少しずつ欠かけていく月となります。
また、今でも聞く言葉として「上弦の月」、「下弦の月」があります。
月の昇る時間が分かっていると、たとえば「下弦の月」が見えている状況を読んだり、歌ったりしている作品は、夜中から明け方にかけてのシチュエーションであることが分かります。
「上弦(じょうげん)の月」は、7日目の月の別称です。
この月は、満月を縦に半分に切った形をしています。弓の形に似にているところから「弓張月(ゆみはりづき)」とも呼よばれています。「上弦(じょうげん)」というのは、夜中に西の空に沈むときにカーブしている方が下になり、弓の弦が上にあることから名付いています。
上弦の月とはまったく反対で、同じ半月でも左側半分が輝かがやいて見えるのが23日目の月「下弦(かげん)の月」です。この月も弓張月のひとつで、弓の弦を下にした形で沈みますが、だいたい夜中の12時前後に昇るので、観月するためには遅くまで起きていないと見られません。
月の昇る時間が分かっていると、たとえば「下弦の月」が見えている状況を読んだり、歌ったりしている作品は、夜中から明け方にかけてのシチュエーションであることが分かります。