from U_U to YOU

ガレリア カフェ ユー オーナー なおきがカフェで使っている素材や知り得た情報などについて徒然と綴るブログです。

カテゴリ: アート作品を愉しむ

エグゼクティブが実践している美術鑑賞について紹介を重ねておりますが。

前回の記事では、欧米でエグゼクティブにも取り入れられている美術鑑賞法は「“複数の人で行い、対話するとさらなる効果がある”と言われています。」と紹介いたしました。
今回はその効果を紹介します。

京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究 センター専任講師副所長である岡崎大輔さんが著した著書「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」

なせエリートは美術館に
 
この著書でも紹介されている美術鑑賞法は、VTS(Visual Thinking Strategies)という「対話型鑑賞法」というもので、具体的には、グループで1つのアート作品をみながら、それぞれの発見や感想、疑問などを話し合う、鑑賞者同士のコミュニケーションを通した鑑賞法です。
この著書の中でも岡崎さんが実施された日本での実例が紹介されています。

元々はMOMAで始まった取り組みとのこと。
関東では東京藝術大学も積極的に取り組んでおり、私たちのお店でも認定ワークショップデザイナー/アートコミュニケーター 小松 一世さんにお願いして実践したことがございます。
※カフェ・ユーで行ったときには「アート・ダイアログ」という呼称で行いました。

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対話型鑑賞法の利点としてすぐに思い浮かぶのが、感じたことを言語化することで「論理的かつ体系的な思考力」が伸ばせる、ということです。
また繰り返しになるかもしれませんが、対話型鑑賞法では「外からの刺激」に対して喚起される「自分の中の反応」に焦点が当てられるのが特徴です。
「自分の中に情報をインプットする」のではなく、「外的刺激を使って自分の中にある考えをアウトプットする」のです。
そして、対話型鑑賞法を複数の人と一緒に行うと、人によってさまざまな「考え」が出てくるので「多様性の受容力」を伸ばすことになる、ということが特徴として挙げられています。
出てくる“考え”に正解・不正解はなく、それぞれの方が感じた考えはひとつの結果です。
時に、ある方の考えが別の方の考えに作用することもあります。
そういった相互作用もまた、複数で行う効果と言えます。



私が実際に体験した経験からいうと。
複数の人とひとつの「アート作品」を見ることで、自分が見落としていた部分に気づくことがあります。
人は「見ている」ようで、意外にも「見ていない」場合があります。

ここでひとつ実験してみましょう。
皆さん、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」はご存じですよね?
ちょっと思い浮かべてみてください。


では、問題です。
「モナ・リザ」の絵の中には“橋”が描かれていますが、その“橋”は「モナ・リザ」の絵のどの部分に描かれているでしょうか?


いかがでしょうか?
実は、私もこの質問に出くわした時に、「この辺かなぁ~」と想像したのですが、正確にはちゃんと覚えていませんでした。
正解はこのブログの一番下に紹介しますね。


このように、自分が見ているようで見ていなかったことに、ほかの人の感想で気づくことがあります。
そして、そのことにも関係してくるのですが。
私が対話型鑑賞法を実際に体験して強く感じたこと。
それは、自分の「解釈が変わる」、つまり「ものの見方が変わる」可能性に満ちている、ということです。

ビジネス書としても評価の高い「7つの習慣」で、コヴィーさんが語っていることですが、

7つの習慣

私たちは、「世界をあるがままに見ている」ようで、実は「私たちのあるがままに世界を見ている」に過ぎない、と言います。

これは対話型鑑賞法を実際に行うとわかることなのですが、同じアート作品を観ても人によって感想が違う場合があります。
このことが起こる理由は、「アート作品」から受け取る「事実」は変わらないのですが、その「事実」を「解釈」する仕方が人によって異なるためです。
ですので、複数人で行う美術鑑賞法では、今まで自分にはなかった「解釈の仕方」を手に入れる機会にもなりうるのです。

ではここでも実例を。
奇しくもこの絵は、「7つの習慣」でも「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」でも紹介されている絵なのですが。
まずはこちらの絵をごらんください。

若い女性と老婆
 
どうでしょう?
あなたにはどのように見えますか?

「20歳くらいのモデルのような女性」?
「すごく悲しそうな顔をした70歳くらいの老婆」?

じつはこの絵はトリックアート的な要素があって、どちらにも見えるようになっているのです。

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これは極端な例、ですが、絵から受け取る事実の解釈が変わると「全く別の印象」になります。
それは、自分が今までに持ったことのない視点(解釈)を手に入れるチャンスにもなりうるのです。

そのために対話型鑑賞法重要なことは、
自分が「どうアート作品を見ているか?」、またほかの人が「どうアート作品を見ているか?」を理解するために、前回も紹介した3つの質問

「どこからそう思うか?」
「そこからどう思うか?」
「ほかに、さらにあるか?」

を使って、「事実」と「解釈」をしっかりと分けること、だと思います。

「アート作品」に対する「解釈」と、その根拠になった「事実」の結びつけ方を知ること。
「アート作品」を、「統計数値」、「時代の流れ」、などに置き換えるとどうでしょう?

エグゼクティブが対話型鑑賞法を積極的に取り入れているのは、この効果(解釈の理解と変換)を体感しているからではないでしょうか?

「アート作品を学ぶ」時代から「アート作品“で”鍛える」時代。
「アート作品」の新しい活用方法をご紹介いたしました。 



※モナ・リザの絵の中の“橋”の答え

モナリザ

私の場合は、想像した以上に下の方でした。
皆さんはいかがでしたか?

ローラ・インガルス・ワイルダー作の「大草原のローラ」シリーズは、日本でもTVドラマのファンの方も多い、アメリカ児童文学の名作です。
その「大草原のローラ」シリーズの中でも最高傑作と言われているのが「長い冬」です。

ローラ長い冬

ストーリーはぜひ読んでいただくことにお任せするとして。
冒頭のシーンでローラと父さんの間でこんな会話があります。

父さんが干し草作りをしているところにやってきたローラ。
父さんがジャコウネズミが巣の壁を厚く作っているのを見て「どうも厳しい冬になりそうだ」と言います。
「なぜ、ジャコウネズミには寒い冬がやってくるのがわかるのか?」と不思議に思ってローラは父さんに聞きます。
父さんの答えは、「どうしてかは父さんにはわからない。神さまがなんらかの方法でそれを教えるんだろうな。」

すかさず、ローラが質問します。
「じゃ、どうして神さまは私たちに教えてくださらないの?」
父さんは答えます。
「それはね、わたしらが動物ではないからだよ。わたしたちは人間だ。独立宣言にもあるように、神はわたしらを自由な生き物としてお創りになった。つまり、わたしらは自分で自分を守らなくてはならないのだよ。」
「(神さまは守ってくださる)わたしらが正しいことをしている限りはね。神さまは何が正しいかを知る良心と知恵をわたしらにくださった。しかし、何をするかを決めるのは、わたしらの自由にまかせてくださっている。そこが、人間とほかの創造物とのちがいなんだよ。」


この父さんの思想はつい最近注目された本で詳しく説明されています。
スティーブン・R・コヴィーさんが著した「7つの習慣」です。
「7つの習慣」の中で、コヴィーさんも
「ほかの生き物は刺激に対して反応(response)するだけだが、人間は反応(response)をする力(ability)⇒responsibilityが与えられている。だから人間は刺激に対して、どのように反応するかを決める自由があり、そして刺激に対して作用することができる能力がある」と伝えています。

7つの習慣

コヴィーさんは「刺激に対してどう反応するかを自由に決めることができる人」を「主体的に生きている人」と定義しています。

コヴィーさんも著書で触れていますように、産業革命から第一次世界大戦に繋がる時代、欧米列強は「国にとって有用な人材をいかに早く、大量に作り出すか」ということを重要課題としました。
つまり、国の目的、意思を遂行する能力に長けた人材を“大量生産”することが重要視されたのです。
その結果生み出されたのが「知識を詰め込む“国家教育”」です。日本が明治時代に欧米に優秀な人材を派遣したのはまさにこの時代。それゆえに、この教育法は日本にも持ち込まれ、今に至ります。

ですが、欧米ではそれ以前の教育法が残っていました。
「答えを覚え、それを即座に答える能力を育てる国家教育」ではなく、「答え無き問いについて考え、ビジョンを立て、実践する力を養う教育」です。
そして今、この教育法に回帰する流れが起こっているのです。


実は、前回の記事で触れたエグゼクティブ向けに実践されているアート作品を用いた教育法は、この後者の教育法のひとつとして採用されています。

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エクゼクティブ向けの美術鑑賞では、「アート作品」に関する「知識を覚える」ことよりも、「アート作品を“意識的に見る”」こと、そして、アート作品を意識的に見ることで目に入ってきた事実から「どんな解釈を導くか」が重視されます。

エクゼクティブ向けの美術鑑賞では基本的な3つの質問が使われます。
それは、

「どこからそう思うか?」
「そこからどう思うか?」
「ほかに、さらにあるか?」

です。

「アート作品」という刺激から「問い」を受け取り、正解のない「問い」に取り組むことで、「問題発見能力」と「問題解決能力」を鍛えています。
また感じたことを言語化することで「論理的かつ体系的な思考力」も同時に鍛えらています。
これが「“美術鑑賞が創造的な直観力を高め、ビジネスの世界での問題を解決する能力を身に付けるのに役立つ」とされる理由です。

刺激に対して、知的好奇心を発揮し、興味関心を持って自ら考える。
そのような人材育成のひとつに「美術鑑賞」が用いられているのです。
これはコヴィーさんの「7つの習慣」で言うところの「自覚」と「想像力」を鍛えるのに有効な方法となるのではないでしょうか?


美術鑑賞するとき、このような“意識的美術鑑賞”をすることでこれらの力は養われていきます。
ですが、実はこの美術鑑賞は「複数の人で行い、対話するとさらなる効果がある」と言われています。
それはなぜなのか?
このことについては、次回、ご紹介いたします。

「ガレリア カフェ ユー」の“ガレリア”はイタリア語で“ギャラリー”を意味する言葉です。
その名が示すとおり、ガレリア カフェ ユーではギャラリースペースを設け、“アート作品”を展示販売しております。


ところで、皆さんにとって「アート作品」とはどんな効果をもたらしてくれるものですか?


欧米では今、「アート作品」の活用方法に新たな流れが生まれています。

ここでひとつの「アート作品」の制作現場をご紹介します。

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いわゆる、ストリートでよく見る「グラフィックアート」の制作現場。
アーティストは、グラフィックアートで世界的に名を馳せている方です。
さて、問題です。
この「アート作品」はいったいどこに描かれているでしょう?



次のヒントとして、少し引きの図をお見せします。

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ちょっとわかりにくいかもしれませんが、天井があることからストリートではないことはお分かりいただけるのではないでしょうか?




実はこの「アート作品」は“Googleのノルウェーのオフィス内の壁一面”に制作されています。

オフィスの壁面にこのような最先端の「アート作品」とは、なかなか衝撃的な感じがしますね。

実は、近年欧米では、オフィスで働くスタッフのクリエイティビティな部分を刺激し、その才能を本業でいかんなく発揮できる効果を期待した「アート作品」をオフィスに飾る傾向が増えています。
オフィスに居ることで仕事の合間にアート作品が目に入り、またアート作品が醸し出す空気を肌で感じることで、“クリエイティビティ”に刺激が与えられる、というのです。


聖徳大学児童学部長、奥村高明さんの著書「エグゼクティブは美術館に集う」という本では次のような現象が紹介されています。

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開館前の朝8時半,
誰もいないだろうと思っていたのですが、美術館には高級なスーツを着た明らかにエグゼクティブと思われる若いビジネスマンがマティスの絵の前で美術鑑賞をしています。
不思議に思い,案内してくれた学芸員に尋ねると「ビジネスマンのための有料のギャラリー・トーク」だそうです。
ニューヨークは1分1秒を惜しむビジネスの戦場だといいます。
そんな忙しい場所で、なぜ彼らは美術鑑賞をするのでしょう。
それは優雅なエグゼクティブとしての教養なのでしょうか?


この答えとして、著書では“美術鑑賞が創造的な直観力を高め、ビジネスの世界での問題を解決する能力を身に付けるのに役立つ”からだ、と紹介しています。


優れた戦術を練る、新たなビジネスの芽を見つける、顧客の要求を越える…
今のビジネスの現場では“想像力が求められる”と言われています。
そしてその“想像力”を意識的に鍛える方法として、欧米では“美術鑑賞”を活用しているのです。

欧米では、本人ですら気がついていない、未知なる才能を発揮させる可能性がアート作品にはある、という認識が持たれ始めており、そしてそのようなニーズでアート作品を鑑賞したり、飾ったりする潮流が起きています、

直感、そして想像力を鍛える。
”ただ飾る”という目的から変わりつつある「アート作品」の新たな展開。
この「アート作品」の恩恵を受けるには、それなりの方法が必要です。
次週はその方法について、ご紹介いたします。





※「ガレリア」の語源
ガレリア(galleria)は本来イタリア語で「回廊」を意味する言葉。
フィレンツェでコジモ・デ・メディチが自らの邸宅の回廊を市民に開放し、その収蔵品を閲覧させたことから、貴族階級が絵画を知人たちに見せる目的でもつ部屋を意味するようになり、これらの絵画室が公共化されるにつれ「美術館」と同義に使われるようになりました。
日本で一般的に使われている“ギャラリー”という単語は、英語、フランス語からの音写です。

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