「イタリア人の働き方」という本があります
まだ私がカフェを始める前。
でも、なんとなく、カフェを始めることを意識していた頃に読んで、バイブルとして時折読み返す本です。
まだ私がカフェを始める前。
でも、なんとなく、カフェを始めることを意識していた頃に読んで、バイブルとして時折読み返す本です。
イタリアは人口5700万人。
そのイタリアでは法人登録が2000万社。
国民全員が社長の国、といっても過言でないようなイタリア。
そのイタリアでは法人登録が2000万社。
国民全員が社長の国、といっても過言でないようなイタリア。
今や世界的な大企業となっているイタリアの企業も、元々は家族経営、個人経営から始まっています。
そんな世界的にも知れ渡っているイタリアの経営者の中から、女性も男性も、選りすぐって紹介しているのが「イタリア人の働き方」です。
紹介されている方たちは、一人で仕事を始め、会社を興し、実績を作り、名前を知られるようになっています。その多くの方が、社会的に恵まれず、なかには、義務教育すらまともに終了しないままに、苦労して成功を収めた人もいます。
そんな世界的にも知れ渡っているイタリアの経営者の中から、女性も男性も、選りすぐって紹介しているのが「イタリア人の働き方」です。
紹介されている方たちは、一人で仕事を始め、会社を興し、実績を作り、名前を知られるようになっています。その多くの方が、社会的に恵まれず、なかには、義務教育すらまともに終了しないままに、苦労して成功を収めた人もいます。
その中のひとり。
アラブの石油王をも魅了する鉄打ち工房の社長がいます。
本の中の社長は、当時の三代目。
彼の父は小学校三年生で学校の通学から、祖父の元、鉄打ち修行に切り替えさせられました。
その時期は、ムッソリーニがドイツ、日本と三国同盟を結び世界大戦に参戦することを決めた時期。
国内の鉄という鉄が武器工場に回収されるように指令が出されたため、鉄の価格が高騰し、鉄職人は材料を調達することも、そして注文もなくなり、職を捨てざるを得ない状況になりました。
そんな時にも、「絶対に鉄を打ち続ける」と決意した祖父は、職人を全員解雇し、息子と二人で鉄打ちを続けました。結局その時代にローマ市内で営業を続けた鉄打ちは、この一家だけ。
1950年代になって、イタリアにも好景気が訪れたころ。
鉄打ちの需要も増えてきたことで、営業を再開する人も増えてきました。
ですが、鉄打ちの技術は習得するのに10年から15年はかかると言われるもので、休業していたために技術をすっかりを忘れてしまったほかの鉄打ちと違って、戦時下でも鉄を打ち続けた一家の技術力は圧倒的な差を見せていたそうです。
私が大好きで尊敬する経営者のひとりのストーリーです。
そして・・・
コロナ禍の状況になって、今一度、記憶に上ってきた経営者でもあります。
この5月、初めてカフェ・ユーを訪れたご近所の方は、展示の作品に心打たれ、そして遂には、自分の心を潤してくれた作品をご自分のものとされました。
その方がおっしゃったのが
「心に余裕がない時にこそ、アートに触れることが大切なのかもしれませんね」
緊急事態宣言の中、短い時間での開催を余儀なくされる生演奏。
それでも、聴きたいとおっしゃる方がいらっしゃったので、緊急事態宣言モードで生演奏を開催いたしました。
お聴きになられた方みなさん、異口同音に
「心が軽やかになりました」
とおっしゃってくださいます。
コロナ禍が日本でも話題に上り始めたころに目にした記事に、
「歴史的に、感染症は最初の2年は広がり続け、そこから収束し始める。」
というのがありました。
なので、私は2020年初めての緊急事態宣言の時から、
「2年間はこのような状況が続く」
と覚悟ができています。
そして、
「そんな中でも「文化に触れる場」を続ける」
という覚悟も同時に決めました。
行政の発出する要請にはでき得る限り従いつつ、
関係するさまざまな方と協議、連携を取りながら、
できうる限り、アートの展示、生演奏、サローネを開催し、
“アート、生演奏、サローネが必要不可欠な”方々とともに、「文化に触れる時間」を創ってまります。