NPO法人 建設スクエア北海道

平成25年1月にCALSスクエア北海道からの名称変更に伴う新法人は、建設産業の持続的発展に資することを念頭に、建設技術者の施工技術力及びITリテラシー向上のための支援活動を行う特定非営利活動法人(NPO)として再出発します。

樽前ガローの調査を実施しました(その2)

「樽前ガロー」は、樽前山が噴火して、堆積した溶岩や火山灰が川に浸食されて幻想的な景観を作り出したものです。

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入口付近に設置されている案内板

そもそも、私たちがこの場所を見に行こうと思ったのは、昨年発生した北海道胆振東部地震の原因に樽前山の噴火によって火山灰が降り積もり、それが崩壊したことにあります。ならば、樽前山そのものを知り、そしてそれに立ち向かっている人間の知恵を学ぼうというのがきっかけでした。

場所は、国道36号を苫小牧から白老に向かう途中です。森の中を進むと橋があり、その近くに川へ降りていける場所があります。川によって浸食された岩肌と、苔が幻想的な景観を作り出しています。鳥のさえずりや水の流れる音が心地よく、地球の呼吸を感じられる気がします。

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このような道を100mくらい歩きます
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苔むす切り立った岩
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苔がこんなに綺麗だとは・・
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流れている川は「樽前川」
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クルマを降りてわずか100mくらいの距離でこの秘境感

苫小牧市民はよく「うちの街には観光名所が何もない」と言うそうです。実際、レジャーランド的な施設は昔あったものの、どれもこれも潰れてしまっています。そんなことも苫小牧市民には観光に自信を失っている原因なのかもしれません。

しかし、今回見た「樽前ガロー」はとても大きな可能性を秘めている場所だと感じました。 四季を通じて楽しめる場所とのことなので、是非一度お立ち寄りください。

※急斜面を降りたりしますので、長靴と軍手を持参ください。ロープが張ってあるので、水辺まで下りて行けます。

マップ

樽前ガローの調査を実施しました(その1)

7月7日(日)に、苫小牧市にある樽前ガローの視察を行いましたので紹介いたします。これは当NPOが企画運営をする道内の土木インフラ工事見学会の実施に伴う事前調査として行ったものです。

樽前ガローとは


樽前山の南麓に位置するガリ地形である。1667年の樽前山の噴火で起きた 火砕流による火山灰が弱く溶結し、川の浸食作用によって削られてできたものである[1]
ほぼ垂直に近い切り立った斜面には、コケが一面に張りついており、緑のカーテンを拡げているような奇観を呈している。コケの種類はエビゴケ、オオホウキゴケなど60種類以上に上る。またヤマセミキセキレイなどの野鳥も見られる。ガローとは、切り立った崖という意味。1979年に苫小牧市の自然環境保全地区に指定された。

wikipediaより

火山から守る

樽前ガローは、過去の樽前山の噴火による溶岩や火山灰等によって出来ていることが大変よくわかる地形となっています。また、樽前山はいつ再び噴火してもおかしくはない活火山として知られており、万一噴火するような事態になった際には、人命はもとより、鉄道も高速道路も遮断されてしまい、ただでさえ脆弱な北海道経済に甚大な影響が出ると考えられています。そのため、被害を最小限に留めるべく「砂防ダム」の建設が各所で続けられていいます。

国土交通省北海道開発局による 「樽前山直轄火山砂防事業 」の説明資料

https://www.hkd.mlit.go.jp/ky/ki/chousei/ud49g7000000xt9n-att/ud49g7000000xu88.pdf

北海道開発局より

砂防ダムとは、文字通り山の斜面を落ちてくる岩や土砂を食い止めるためのもので、躯体のみならず監視カメラ、ワイヤーセンサー、振動センサー等が各種設置されています。24時間体制で住民の安全を守っている大変重要な土木構造物なのです。

企画の断念

今回CSHでは、この砂防ダム工事を学ぶための見学会を企画するに伴い、この樽前ガローも併せて見学しようと考えたのですが、昨今の「働き方改革」による現場の週休二日制により、土曜日での実施が難しいことが判明したため、本企画を中止ペンディングすることといたしました。
大変残念ではありますが、せっかくのお休みの日に現場をわざわざ動かして頂くことはできませんし、またCSHメンバーもボランティア活動ですから、平日の実施というのはなかなか出来ませんので、今回は企画は断念せざるを得ないと判断したものです。 

今後の予定

CSHでは、今後の活動についてもメンバー間で議論を行い、建設業者の皆さんを応援する立場で新たな企画を検討して参ります。
現場の社会貢献、イメージアップ等で実施したいプランや計画がありましたら、ぜひ気軽に当会までご連絡を頂ければ幸甚です。もしお手伝いが可能であれば、積極的に協力させて頂きたく考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ここまで樽前ガローの写真を一枚も貼っていませんので、次の記事にてご紹介します。ぜひご覧ください。
その2)に続きます。

運営会議を行いました

5月18日(土)10時より運営会議を開催しました。
議題は、かねてより企画していた現場見学会の実施についてでしたが、実施予定日の土曜日が、現場が休みということで、残念ながら対応不可として中止となってしまいました。
非常に良いプランではありましたが、平日の実施となりますとメンバーはそれぞれ本業がありますので断念した次第です。

引き続き次の企画立案を進めて参ります。ご期待ください。

運営会議を行いました

昨日(4月13日土曜日)は、CSHの平成30年度の決算報告、そして平成31年度の事業運営会議を行いました。今年度の活動計画ですが、京都で開催される建設関係者の会議への協力、現場見学会の開催、勉強会などが計画されました。

平成時代の会議は、これが最後となりましたが、新元号を迎える5月から具体的な行動の策定に取り組みます。見学会については一般参加者を含めて企画します。7月には発表したいと考えていますので、少々お待ちください

空知管内赤平市の炭鉱遺産を見学しました

NPO法人建設スクエア北海道の勉強会を実施いたしました。今回は、2月9日(土)に空知管内は、赤平市にある「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」にて、近代日本の発展に大きく寄与した炭鉱施設の遺構を見学して参りました。
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近代化が目覚ましかった明治から昭和初期にかけての日本では、発電や製鋼、船舶や鉄道の燃料用として大量の石炭が必要となりました。そこで北海道に眠っている石炭を大量に採掘し、鉄道と船を使い、本土の各地へと供給する体制が急ピッチで整えられましたが、この赤平市にも、4つの大きな炭鉱が開発され、最盛期の昭和40年頃には年間200万トンもの石炭を産出し、それに伴い住民の数も5万5千人を数える程の賑わいを見せておりました。

ところがエネルギー政策の変更により、石炭から石油へのシフトが進むにつれて閉山を余儀なくされ、住民は他に仕事を求めてこの町を離れていきます。今では人口が1万人弱にまで減少し、地域によっては限界集落化しているところもあるなど、非常に厳しい状況になっているようです。
※特に平岸、百戸町北、茂尻宮下町等は総務省によると消滅集落になっているようです。
CSVファイル

そんな厳しい情勢の中で、昨年(2018年)7月14日(土)にオープンしたのが、この「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」です。この施設は、旧住友赤平炭鉱立坑部を炭鉱遺産として後世に残すことを目的として作られたもので、元炭鉱職員によるガイド付きでその巨大な立坑施設を見学することが出来るという優れたものです。
※全国的にも立坑内部を見ることが出来るのはここだけのようです。
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立坑が完成したのは昭和38年(1963年)ですから、今から実に半世紀以上も前のものです。その巨大な空間や高さ、そして地下650mもの深さまで下りることのできるエレベータ設備等は、当時の日本では最先端のものと言っても過言では無いでしょう。
地中深くにまで下りた炭鉱夫たちは、ひたすら石炭の掘り出しに汗を流して日本の発展に貢献したのです。危険と隣り合わせの仕事のように思えますが、この住友赤平炭鉱については特に大きな事故が無いままにその歴史を終えたとのことでした。

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また、立坑跡から車で1分ほど離れた場所には、坑内で採炭や運搬に使われた大型機械が、当時の威容を示した状態で保存されています。

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見学を終えてしみじみと思ったことは、炭鉱とは実に超ハイテクを駆使した先進的な現場だったということでしょうか。
地中深くに縦横無尽に掘り進めた結果、まるで毛細血管のような坑道になっており、管理されていないかのようにも見えましたが、実はすべて測量が行われてきちんと図面に落とし込んでの管理がされていること、巨大なモーターによるエレベータにて人員や掘った石炭を地上に上げることができる立坑式の構築技術や運搬技術、そして自走枠式等の大型採炭用機械装置等は、漠然と炭鉱は技術的に遅れた産業だとの誤解したイメージを一気に払拭してしまうのに十分なだけの説得力がありました。

ということで、この「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」は一見の価値がありますので、ぜひ一度行ってみてはいかがでしょうか。CSHとしてもお勧めいたします。きっと新しい発見があることでしょう。



■連絡先:0125-74-6505

■営業時間:9時半から17時(入館は16時半まで)

■休館日:月曜日及び火曜日
(ただし、この日が国民の祝日に関する法律(昭和32年法律第178号)に規定する休日に当たるときは直後の平日)・年末年始(12月31日から1月5日まで)

■ホームページ:赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設

■関連:赤平観光協会


文責:建設スクエア北海道 柿崎


i-Constructionのロゴが公表されました


国土交通省より、「i-Construction」の取組が、建設業界はもちろん、業界を超えて社会全体から応援される取組へと「深化」するシンボルとして、2018年6月1日にロゴマークを決定・公表しました。とのお知らせがありましたので紹介したいと思います。

以下のパターンが用意されましたので、ルールを守って適切に利用しましょう。

09_横長タイプ-モノクロ
08_横長タイプ-カラー単色
07_横長タイプ-2色カラー
06_横タイプ-モノクロ
05_横タイプ-カラー単色
04_横タイプ-2色カラー
03_基本タイプ-モノクロ
02_基本タイプ-カラー単色

イザベラ・バードの道が辿れるストリートマップ

 明治11年、北海道平取町のアイヌ民族に会うため日本を訪れたイギリスの旅行家イザベラ・バード。その足跡はフットパスコースとなり平取町で再現されている。「イザベラ・バードの道を辿る会」の平取部会はスマートフォンやパソコンで情報が得られるストリートマップを作成し公開している。


イザベラバードのストーリーマップ

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https://rakuno-gis.maps.arcgis.com/apps/MapSeries/index.html?appid=7259c8437cef47e6b9aca2b47018c77b

 イザベラ・バードは140年前、はるばるイギリスから日本を訪れ、東北や北海道を探検。そのようすは「日本奥地紀行」として残されている。当時の庶民の生活を外国人の目を通して表現されている。とくにアイヌ民族の生活ぶりや風俗の記述は、アイヌ文化の研究が本格化する前の状況を詳細に紹介しており、文献の価値も高い。2020年には白老に国立アイヌ民族博物館がオープンすることもあり、バードは再評価されている。

 今回作成されたストリートマップはフットパスの各地点ごとに日本奥地紀行の記述のほか、平取の開拓や沙流川の歴史、バードが利用した渡船場跡地や主要農産物のトマトなどを紹介。地域の歴史と産業の変遷を知る地域ツーリズムにも役立つアイテムとなっている。

ちはやふると下の句カルタ

 百人一首の映画「ちはやふる―結び」が上映中で人気になっているようです。私の知人たちは皆いいオジサンですが、映画館に行って感動しています。

 北海道人にとって、百人一種といえば木札の下の句カルタです。本来の上の句を詠んで下の句を取るというものではなく、直接下の句を詠んで取ります。
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 戦いは3人がチームとなり攻め(突手)、中間(中堅)、守り(守備)と役割分担します。持ち札は突きは5枚、中堅は5枚、守りは40枚です(中堅と守りの枚数は異なる地域もあるようです)。
 私も子供のころから下の句カルタに親しみました。中学校の時には町の大会に出たり、学校のクラブ活動にも所属していました。

 ただ、残念なのは映画ちはやふるのシーンにあるような歌の意味に感動するようなことをしなかったことです。ただ早く取るということだけに専念して、歌への入り込みが浅かったのでした。下の句しか読まないので、余計にそうした傾向が強かったのでしょう。コミックのちはやふるにも、北海道の下の句にたいしては否定的に描かれています。

 それにしても千年前の景色、感情などを31文字で切り取り、現代の伝える百人一首は何と素敵な文化なのでしょうか。当時にしてみれば自己表現とコミュニケーションツールの手段ですから、今風にいえばツイッターなどのSNS的役割も果たしていました。
 今一度、百首をしっかり覚えて上の句カルタにも挑戦してみたいものです。

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北海道博物館など3カ所で松浦武四郎特別展開催

 今年は松浦武四郎が北海道のもととなった「北加伊道」と名付けてから150年。さまざまなイベントが行われる予定です。

 「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」と題した特別展が北海道博物館(6月30日〜8月26日)、武四郎の出身地である三重県の総合博物館(9月15日〜11月11日)、北海道帯広美術館(12月15日〜2019年2月11日)の三か所で開かれます。

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 写真は3月29日に発行されたJIMOTO新聞(地方紙連合=釧路新聞、十勝毎日新聞、室蘭民報、苫小牧民報、函館新聞)の1面です。

 松浦武四郎が執筆した文献やすごろく、地図などが展示されるようで、人となりを知るには絶好の機会となりそうです。

苫小牧市内勇払に松浦武四郎記念プレート設置

市内初の武四郎構築物
 苫小牧市勇払50に幕末期の探検家で「北海道の名付け親」として知られる松浦武四郎の記念プレートが設置されました。武四郎に関する構築物は苫小牧市内では初めでてす。

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 ことしは武四郎生誕200年、北海道命名150年、苫小牧市制70周年記念ということもあり苫小牧市教育委員会が、苫小牧郷土文化研究会(山本融定会長)の要望を受けて設置しました。

 武四郎が書いた東蝦夷日誌によると、武四郎は幕府の出先機関だった勇払会所に5回、樽前に1回宿泊。樽前で鰯(いわし)漁が盛んなことや勇払会所で藍が栽培されていることを詠んだ次の和歌 「世の中の ためとて藍を植え初めし 心の色の浅からぬかな」が添えられています。
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 勇払は、江戸時代は交通の要所として栄えました。寛政11(1799)年、江戸幕府は外国勢力の蝦夷地新侵略と急激に発展しつつあった漁業生産物を幕府の直接的な統制のもとにおき、そこから最大の利益を引き出す目的で、蝦夷地を直轄しました。「運上屋」を「会所」に改め、幕府の役人を置き、従来の機能に加えて公務を行う出張役所の性格をもたせました。寛政12(1800)年には八王子千人同心が移住し、開墾と警備にあたりました。そうした経緯もあり、現在も苫小牧市と八王子市は姉妹都市となっています。

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 近くには会所を再現した勇武津資料館もあります。当時の生活用具も展示されており、是非立ち寄りたい場所です。

 苫小牧市ホームページもご参照ください。

場所はこちらです。
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