市内初の武四郎構築物
苫小牧市勇払50に幕末期の探検家で「北海道の名付け親」として知られる松浦武四郎の記念プレートが設置されました。武四郎に関する構築物は苫小牧市内では初めでてす。
ことしは武四郎生誕200年、北海道命名150年、苫小牧市制70周年記念ということもあり苫小牧市教育委員会が、苫小牧郷土文化研究会(山本融定会長)の要望を受けて設置しました。
ことしは武四郎生誕200年、北海道命名150年、苫小牧市制70周年記念ということもあり苫小牧市教育委員会が、苫小牧郷土文化研究会(山本融定会長)の要望を受けて設置しました。
武四郎が書いた東蝦夷日誌によると、武四郎は幕府の出先機関だった勇払会所に5回、樽前に1回宿泊。樽前で鰯(いわし)漁が盛んなことや勇払会所で藍が栽培されていることを詠んだ次の和歌 「世の中の ためとて藍を植え初めし 心の色の浅からぬかな」が添えられています。
勇払は、江戸時代は交通の要所として栄えました。寛政11(1799)年、江戸幕府は外国勢力の蝦夷地新侵略と急激に発展しつつあった漁業生産物を幕府の直接的な統制のもとにおき、そこから最大の利益を引き出す目的で、蝦夷地を直轄しました。「運上屋」を「会所」に改め、幕府の役人を置き、従来の機能に加えて公務を行う出張役所の性格をもたせました。寛政12(1800)年には八王子千人同心が移住し、開墾と警備にあたりました。そうした経緯もあり、現在も苫小牧市と八王子市は姉妹都市となっています。
近くには会所を再現した勇武津資料館もあります。当時の生活用具も展示されており、是非立ち寄りたい場所です。