2017年元旦 あけましておめでとうございます。

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2017年 あけましておめでとうございます。

暫くブログ更新、ご無沙汰しておりました。

この度、16年暮らしたパリの中心部を離れ、南仏プロヴァンスの小さな村に
引っ越しました。個人的には庭のある暮らし、静かな暮らし・・・、仕事の仕方、
人との付き合い方、時間の過ごし方に対する考え方などが変化した結果の
イベントでした。パリも変わり、世界も変わり、自分たちも変わり・・・でも自分が
死ぬまで変えたくないものを大切にしたくて、懐かしい気持ちのする未知の土
地に引っ越しました。新年のお慶びを申し上げるとともに、都会の暮らしを「卒業」し
ました・・・という近況報告をさせて頂きます。

庭のオリーブの木には、いろんな種類の小さな鳥が飛んできて、実をついばん
でいます。春夏の夕暮れ時には、庭の裏手にあるローマ時代に建設されたという
水道の石の隙間に住んでいる、蝙蝠さんたちが・・・プールの水を飲みに来るそう
です。夏は特に英米からの観光客が大型の高級車を乗り回す高級別荘地として、
あか抜けた華やぎが楽しい雰囲気。

村にはそれぞれ特徴のある家族経営のパン屋さんが3軒あり、素晴らい肉屋が2軒
もあり、近隣から人々が買いに来ます。レストランでは冷凍食品ではない料理が
出てきて、安心してお代を払えます。ワインはロゼが名物。腰のしっかりした赤も良い。
この地方の名産である仔羊は、臭みが一切ない絶品で、骨付きのもも肉にタイム
とローリエとニンニク、オリーブオイルで香りづけしてローストするという、素朴な一品
が、しばらくはワンパターンのおもてなし料理になりそう・・・。

シーズンオフの冬は、食の楽しみをメインに、暖炉に火を入れてゆっくり過ごす。
アガサクリスティーでも読み直すのにちょうどよいかも。
晴耕雨読。
シンプルでいいので、のんびり暮らしたい・・・。生活の不便も心配もあるけれど、
今までの個人主義的な生活に比べれば面倒臭いことが増えたとしても、それで
も人間らしくて良い気がする。家庭菜園づくりも虫との格闘も、3月からが本番。

まずは、神棚を新居にお祀りして、人生の第3幕のスタートです。

2017年は丁酉の年。
個人レベルでも、社会レベルでも・・・今までの終わりに来ていて、エネルギーが
爆発を起こしそうです。力任せにジャンプするのではなく、流れを利用して、新しい
岸に着きたい、そんな年。不安要素は一杯ありますが、人付き合いに今まで以上
に注意を払って、自分の周りの人たちと仲良く生きていこうと思います。

皆様にもよいお年を!
今年もよろしくお願い申し上げます。

椿龍

2016年9月18日 凡人の秋

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 パリの中で最もシックな地区とも言われたりしますが、実はこの不衛生な街の中
でも一番犬の糞と乞食が多いのが、このサンジェルマン・デ・プレ。

 朝日のせいか、いつになく綺麗に見えます。急に気温が15度近くも下がって、
朝方はモヘアの毛布を1枚追加する程の冷え込み、パリは忽ちのうちにすっかり
秋になりました。

 すっかりご無沙汰していましたが、お元気でしたか。

 秋といえば、永井龍男という、達人の書いた小説『秋』というのがあります。
永井龍男という作家は、今でこそ知る人ぞ知る・・・という感じになっていますが、
短編の名手で、精緻な彫刻のような文章を書く、最後の日本語の名人として知
られる作家です。『文藝春秋』の編集長、同社の取締役であった人、直木賞や
芥川賞の選考委員(というより、これらの賞の創設に携わった人)でもあった人。
その道のプロには周知の伝説的な存在。

 詳しくは存じ上げないけれど、村上龍が芥川賞をとった際に、有名な『老婆
心』なる抗議書を出し、池田満寿男の受賞にあっては、委員を辞任したという
エピソードが知られています。

 『青梅雨』というのが、初めて読んだこの作家の作品でした。題材は
悲しい実話に基づいたもので、とても地味な作品ですが、日本語というもの
のもの凄さに衝撃を受けました。その後、何度も続けて繰り返し読んだ挙句、
書き写した記憶があります。

 すべての文章がプラスマイナスゼロ。判りやすく言うと「絶妙」、完璧なの
です。場面場面の明暗、臭い、まるでフラッシュバックのように頭に出て来
る。説明など一切ないようで、人の機微、顔の皺や古畳の目まで見えるよ
うな話でした。登場人物の生活の匂いがする作品なのに、何を書いても品
がある。それはおそらく、登場人物が誰であれ、どんな事情や闇を抱えて
いるのであれ、この作家が目を留めているのが弱いけれども矜持を持っ
て生きていた人たちだからなのかもしれません。作家の分身という
ことなのでしょうか。たまに、日本人でそういう人に会うことがあると、
切なくなります。

 「感動」を作ろう作ろうという現在の小説やテレビ番組や映画が、これ
に比べると粗くて雑に見えます。実際の人間を再現することができてい
ないので、ストーリーでしか提供できない。美意識や感性が磨かれるよ
うなものが、最近滅多に見つからないのは寂しいことです。
 
 宮﨑駿監督が、スマホがなくなれば、日本(世の中)はもっと良くなる
だろうというような話をどこかでしていましたが、おそらくヴァーチャルな
ものというのは、実際の体験には敵わないという意味なのでしょう。50
回もトトロを観たといって手紙を書いてくる子供に対して、そんなものは、
どこかで1度みたなと、大きくなってから思い出してくれるような人生を
歩んでほしいというようなことを話していました。なるほどという感じです。

 永井龍男氏の作品に話しを戻すと、プロ好みの最高傑作といわれる
のが『秋』という短編です。実は個人的に、この話の良さが判らず何年
かずっと気になっていました。知識や読解力の問題だと最初は思って
いました。まず、この話に出て来る『月見座頭』という狂言を知らない。
柿本人麻呂の歌が出て来るけれど、それがどいういう意味で出され
たものかどうもしっくり判らない。はっきり言うと、初めて読んだ段階
では、つまらなかった。つまり、話しが見えていなかったのです。

 本当に洗練された作品というのは、人生経験がないとつまらなく感
じるものなのかもしれないと、初めて思いました。

 文庫本にして17ページの短編小説。それをどう解剖して、解読して
みても判らない何かがある。この作家は、まるで宮大工が建てた見
事な木造建築のように精確で、ち密でスッキリとしていて矛盾のない
書き方をする。言葉で書けないものまでも、キチッと設計したかのよ
うに書いたという印象があったため、判らないなりに明晰に読んでみ
たいと張り切っていました。情けない話ですが、明晰でない人間が
明晰に読むことはできないということに、最初は気が付かないという
状態でした。メの字でもあればよかったのですが、明晰のメも出てい
ない頭でっかち。

 そこで狂言のビデオを見てみたり、万葉集の解説書を読んでみたり、
古典落語を聞いてみたりといろいろするうちに、あちこちで捕まり、
いろんなものを観たり読んだり聞いたりと、散らかすうちに、
肝心の永井龍男の『秋』を鑑賞してみたいという願いは、日々の
雑事に紛れ、ぼやけて行ってしまいました。

 ところが今般、気温がぐっと下がって、久しぶりに『秋』を思い出し
読んでみると、今までになく、(やっと)心に染みてくるではありませ
んか。嬉しいというより、「へぇ~っ」という気分でした。永井龍男の
作品というのは、これまでもうすら寒い時分に、美味しいお茶など
淹れて読んだ記憶しかないのですが、なぜかというと、冬は暗く陰
鬱過ぎ、夏は辛気臭くて合わないからです。春先や秋の読みもの。

 なぜかというと、永井龍男の作品のほとんどには、作者の「死
の予感」が座っているような雰囲気がある。作者の子供の頃(戦前
の東京)を描いた作品を除いては、どれだけ洒脱でスタイリッシュで
あろうとも、そうした根の国底の国を予感するようなものが作品の底
に面に流れている。でも、うすら寒い日に読んでみると、そういう「死」
を予感することがなければ、人というのは本当に生きていることがど
ういうことなのか、描けるものではないのだと思い当たったりしたの
です。

 人生というのは、しっかり生きなくてもしっかり生きても、ある時期
がくれば終わってしまうものです。しっかりというのは「地に足をつけ
ろ」ということで、それは親や友人からみて地に足がついているよう
に見える生き方をしろということではない。常識的に考えて・・・とや
かく言われぬよう生きろというのでもない。自分がしっくりくるなら、
そうやって生きてもいいけれど。「親」にも「他人」にも「世間」にも
「友人」にも「自分の自由」や「自分の買手」にさえも惑わされず生
きればよいわけで。そこで悩むことで、足元がしっかりしてくる。
 

 今回『秋』を再読して、いくつもシンクロがありました。たしか三島
由紀夫の『金閣寺』だったか、臨済宗の言葉で「仏に逢うては仏を
殺せ・・・」という過激なフレーズを初めて読んだとき、10代という年
齢のせいかトラウマに近い衝撃を受けたものですが、実は大人に
なってみれば、それはそんな鬼気迫る話ではなく、何者にも己にも
惑わされず、生きよ、ということを言っているのだろうと、思い当たり
ました。それと今回の『秋』の再読体験は似ていました。

 黒かと思ったものは実は白であり、白と思ったものは黒であり、
実はそれはどうでも良いことかもしれない。悲劇にみえたものも
遠目でみれば喜劇でもあり、それを喜劇と言い切ってしまうと悲
劇になる。「仕方ないのかもしれない」そういう俯瞰というか諦観
をもって生きることで、人生は味わいつくしていける気がする。
そういう、大人も大人、粋人のある種の到達点に関することなわ
けで、わたしのような分際にそれが判るわけもなかったのです。

 「地に足がつく」と、自分の人生というものが根を張り、そして茎
や枝が伸びてくる。葉が生え、花を咲かせ、メリメリと地に根が
張れば木にもなり、天と地を繋ぐ。そして終いには、自分の意思
と関係なく実がなるだろう。それが生きるということなのだと、『秋』
を読んでわかったような気になりました。あくまでも、無粋な凡人の
感想ではあります。永井龍男はそんな野暮ったいメッセージは送
ってこないでしょうし。(笑) きっと、いろんなものが混じって出て
きたのであって、この作品を読んだことがきっかけで出てきたん
でしょう。いい加減で良いということにします。

 そういえば、『バカの壁』で有名な養老孟司氏が、現代人の問
題は、死体や死人など「死」というものから目を背けて生きるこ
とだというようなお話をしていたことを思い出しました。生きると
いうことが死ぬということと常に対になっているのは、光と影が
対になっているのと同じこと・・・。両方を団扇の裏表のようにひ
っくり返して眺めてみることができて初めて、『秋』という作品の
良さが見えて来る風にも思える。
 

 今日は、30年前の鎌倉にタイムスリップして、中秋の名月で
一杯・・・という夢でも見ようかな。来年また、この『秋』を読ん
だら、また違う味わいがあるかもしれません。お洒落でダン
ディだったという永井龍男という作家に、月の上ででも会っ
てみたいものです。それにはまだ、修行が足りませんが。

 読書の秋、また何かシンクロしたらお便りします~。







虫眼とアニ眼 (新潮文庫)
養老 孟司
新潮社
2008-01-29





 





2016年5月28日 邂逅(かいこう)のようなもの

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 ご無沙汰しておりますが、お元気でお過ごしですか。

 上の写真は、パリはサンジェルマン・デ・プレという場所にできた面白いラーメン屋さんの飾りつけです。内装はそれこそ、昭和の商店街の裏町通りといったかんじで、昭和生まれの日本人にとっては、一種の癒し空間にも感じられます。子供のころに見ていた『ドリフの8時だよ全員集合』のセットを思い出すような、「作り物」感がでていて、二重に懐かしいかんじです。わざわざ、トタンを置いてから、棚をしつらえています。昭和生まれの日本人はともかく、フランス人にもこの良さがわかるらしい。やはりこれが醸す「気」に、みな愛とユーモアを感じるのでしょう。「昭和もの」はまるで発酵食品のようです・・・そういう意味でも、ワインやチーズにも通じるものがある。

 シナリオを勉強しているときに聞いたのですが、「昭和」というのはもはや、「時代劇」のカテゴリーに入れられるのですって・・・。そういえば、昔東京で仕事をしていた頃、まるで自分の庭のように歩いていた界隈が、今となっては別世界のようになっていたりしてショックを受けます。(注・わたしが働いていた頃は、もちろん平成に入っていました)ピカピカになったけど、町自体がなんともつまらないものになってしまいました。豊かさと快適さを演出すればするほど、逆に日本に空いた穴が目立ってしまうのかな。

 ココアシガレットやオレンジシガレットの箱もある。遠足のおやつのなかには大体、どちらかを入れて行ったなぁ・・・。遠足の季節になってお菓子屋さんに行くと、それぞれ問屋から商品が入ってきたときの空き箱やその蓋を渡されて、みなが「~円以内」で好きなものをそこ選んで入れて行く。ココアシガレットを口に一本加えて、たばこを吸う真似をしてみたりして遊んだなぁ。たわいのないことが結構うれしいのが子供というより人間。今そういうお菓子を発売しようとしたら、「子供の教育上、喫煙を推奨するようでよくないもの」とか、イチャモンがついてしまうかもしれませんけどね。そう考えると、なんとも辛気臭い世の中になったものです。

 聞いた話で驚いたのは、ある30代の母親が自分の子供に、「外食するのに、お金を払っているのはこっちなのだから、イタダキマスなんて言わないで良い」と教えたのだそうです。おバカもここまで来ると、開いた口が塞がらないという感じです。結局、この30代の母親の受けた教育やしつけが悪かったということにもなるわけですが、自分の内面が「荒んでいる」のに本人は気が付いていないという、エピソードでした。心が不自由な人が急増していた模様。

 そんなことより、思わず頬の緩む、かわいいお面もありました。アンパンマンにドラエモンにウルトラマンに仮面ライダー・・・、「みんな」にものすごい大きな夢と希望と喜びを与えたビッグスターたち。それぞれ生みの親にあたる作者の方が、自分自身の情熱、そして子供たちの喜ぶ顔がみたいという思いで作り上げた、昭和の遺産とでもいうべき代物。謎のシルクハットの黒人は、妙にエレガントでどこか怖いイメージのカルピスのキャラクター。昔はお中元でカルピスを頂くと本当にうれしくて、コップの底に氷で薄まって酸っぱくなったのまで、ストローでチューっと飲んだりしていました。ほかにもひとつひとつ見ていくと、忘れていたいろんなことが胸に蘇る。

 そういえば、『アンパンマン』というのは、作者のやなせたかしさんが経験された、戦争という極限状態のなかでの「飢え」が、作品の原点になったそうです。泣いている子供やお腹の空いている人に、自分の顔を食べさせてあげるという、マザーテレサを彷彿とさせる愛。このユニークな正義の味方は、作者ご本人の、不特定多数の人たちに対する愛の表現だったわけですね。悪役のばい菌マンだって、あんなに愛らしい。悪ガキだってなんだって、所詮は愛すべき存在なのだという、作者の深く大きな愛に溢れている。

 そういえば、昔、お仕事で日本のアニメ界の重鎮とも呼ばれる監督たちにお目にかかる機会があったとき、作画やコンテはもちろん、文章を書くとなったら、句読点の位置も何度も推敲し、体を壊しながらも魂を込めて作品を作る姿に圧倒されたことがありました。とにかく自分にも部下にも鬼のように厳しいけれど、部外者に対してはとても謙虚で内気なかんじさえする。日本の職人だなぁ、格好いいなぁと、なんだかそんな目で見ていた自分を思い出します。そういう人たちの泥のような努力の末に、わたしたちの心に一生残る作品が出るんだと知りました。あのジブリの宮崎監督も、ものすごく自他ともに厳しい人で、限界を突破しながら、そんな自分のバカさ加減を愚痴りながら、仕事へと自分を追い込む「職人」の親分らしい。身も蓋もない言い方をすれば、人の心を打つもの、人の魂の肥しとなるようなものを作る人たちには、本人ですらどうしようもない、自分で勝手に、「業」を背負うような傾向があるようです。アンパンマンの顔を見て、そういう人たちの顔を思い出したりしました。

 思いがけず幸運に出会う、たまさか「これよ、これ」というものに出会う、まさにあの日アンパンマンのお面に出会えたことは邂逅(かいこう)でした(笑)。おかげでその日一日、そのあと数日、機嫌が良い。アンパンマンの愛のパワーは果てしなく大きい。

 最近、昭和をしらない世代の人たちの間で、昭和にさかのぼって日本を見てみたいという人たちがいるようです。わたしは子供の頃しか昭和をしりませんが、自分の生まれる前の昭和であっても、懐かしいとかんじます。だから、もしかしたら平成生まれの日本人も、肌で知らない昭和を懐かしいと思うのかもしれません。昭和の不条理ではなく、良い部分だけ掬いとって鑑賞してもらえるかもしれません。ただ、泥臭い部分がどんどん消されていくということは、実は非常に残念なことに思います。結局「薄い」昭和が残ることになるのだろうか?でも、昭和という時代から生まれた文化が、後世に引き継がれていくのを見るのは、自分の人生の大半が平成の時代にあったとしても、嬉しいことです。

 たとえば、平成生まれの監督や作家がタレントさんを起用して、松本清張原作のドラマを作っても、それは「松本清張もの」にはなってない。それが良い悪いではなく、現代版にアレンジした作品だという点は、ハッキリさせて世に出してほしい。そこではじめて、「松本清張ものの本物」を知っている視聴者は溜飲を下げる。雑で乱暴だけど「厚み」があったのが昭和なら、丁寧で計算されているんだけど「薄い」のが平成かな。日本だけじゃなく、海外の映画やドラマをみてもそれは言えることです。

 昭和と平成というより、西暦2000年ってやはり、今から考えると大きな潮目だったのかもしれませんね。
 
 なんだか、アンパンマンのお面ひとつでいろいろと考えさせられました。若いときは将来のことを考えて忙しく、なんだか強火で情熱燃やしていたけれど、大人になると昔を思い出して「温まる」ようになるんだなぁ・・・とか。人生への情熱も中火からとろ火へ・・・やはり、過渡期かなぁとか全然、アンパンマンと関係のない話になっていく。それだけ、心というか魂に対する作用が深いんでしょう。

 どちらかと、シンクロしましたでしょうか。 


 良寛がひそかにブームになりつつあるようです(もうなっているのかも)。水上勉の作品では、『一休』や『沢庵』も素晴らしい作品ですが、楽しむとか、味わうとかいうよりも、ちょっとそういうのとは違った、なんかもっと濃い、異質な体験ができます。水上勉と言えば、京都の葛切屋さん「鍵善」を思い出したり・・・、映画『飢餓海峡』があったり・・・いろんな記憶がグルグルと頭のなかを駆け巡る・・・。話を戻すと、良寛からお金や物質に依らない、豊かさや仕合せ、「ひとつの道」としての生き方を垣間見ることができるかもしれない(この作品は、そんな実用書や寓話のような生易しいものではないにせよ)。何より、現代の作家では味わえない日本語が味わえる、これは保証できます。

良寛 (中公文庫)
水上 勉
中央公論社
1997-07-18


 映画化されたりして、ヒットしたときには読まなかった作品ですが、この人の文章が好きで読んだら、麻雀の知識がほとんどなくても面白くてひっくり返った記憶のある作品。映画もとてもよくできていました。暴力、不条理、貧困とネガティブづくしの戦後、何より日本人が人間力、生存本能を全開にして生きてた。そこにナンセンスな美学あり、生き様あり・・・現在の「モンスター」溢れる世の中ではあり得ない「リアル」な人たちにおもいを馳せるひとときとなること請け合い。こんな名文らしからぬ名文が書けたら、どんなに自由自在かと思う作家。ご存知の通り、阿佐田哲也こと色川武大氏のことです。



麻雀放浪記 ブルーレイ [Blu-ray]
真田広之
角川書店
2012-09-28


 昭和を代表する作家のひとり。独特な文章、非凡な文章、わたしごときが言う必要などないことを承知で、天才というのはこういう人なんだなと何度も思った人・・・野坂昭如氏。なんと、あの滝田ゆう氏が野坂昭如氏の作品を漫画にしたとか・・・なんて、これも「邂逅」です。ごちそうです・・・。

怨歌劇場
野坂 昭如
河出書房新社
2016-05-19





 連想ゲームで作品をアップすると止め処ないので、この辺で。松本清張の映画の黄金時代がボックスで登場していたらしい。次回買って帰ろうかな・・・。

松本清張セレクション 壱 [DVD]
松竹ホームビデオ
2009-10-28




ギャラリー
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