March 21, 2014
春の風
しょうもないなあ、と思う。
今日は春分の日。
もう、春なのだ。
気まますぎる気まぐれで久し振りにここに認める事にする。
しょうもないなあ、どうしようもないなあと思いながら
延々と床に座り続けている。
諦めなければいけない物々があって、
その中でも我慢をすることをしないで、せめて___と思うことに費やして。
しょうもないなあ、と、思う。
妙なところで気にしたり、気持ちを考えたりしては行動に移せず、
そのことを気にかけてそわそわしている。
仕方のないことだと、言葉にしないと、
行動に起こさないと相手にはみえないし伝わらないのに。
黙っていればそのまま時は過ぎてしまうのに。
空はとても晴れていて、心地よい光がこの部屋にも入ってくる。
けれど春の風はとても強くて、ガラス窓を揺らす。
こんなんなのに、あと1週間。
あと1週間でまた歳を重ねる。
しょうもないけれど、どうにもならない。
望んでいた現実でもなければ、そもそも現実に望むことをしていなかった。
もう少し胸を張って色々としてみたいものだけれど、
しょうもないまま、また日々が過ぎていくのを受け止めながら過ごしていくのだ。
(1年半前の、あの日のあとの気持ちが下書きに残っていたけれど、下書きのままにしておこうと思う)
好きなひとに会いにいこう、
無理もしなければ無茶もせず、ただただゆるりと自分のペースで。
August 18, 2012
「会いたい」の4文字
『人恋しくなる写真たち』
気分が乗らないと片付けられない質であり、
気分が乗っても日頃こまこまと片付けないひとであるからして
放っておいたままでいたのだが、えいやと重い腰をあげて少しだけ整理をしてみた。
1月に行った写真展の感想メモのなかで
1枚飛び出していたものがあったので、読み返してみたら、
そう書いてあったのだ。
そうか、私の写真は人恋しくなるのか。
写っているものは様々なものだけれど、
何にせよ、そこに流れる空気のような、気配のようなもの。
確実に私が込めていたものは、そういうものなのかも知れない。
人恋しさ=切なさ
か、どうかはわからないけれど
私を形成しているものとして、なくてはならないものであるのは確かである。
いつだって、叙情的なものが好きなのだ。
August 08, 2012
ある一日の、
聴覚のひとだけれど、どうしても「ただしさ」を気にしてしまうから
どちらも受け取れるほうにしておいたら、
集中する時と、見惚れてしまう時があって
困ったなあなどと、思う。
促したり、合わせたり、追い掛けたり、引っ張られたり。
経てば経つほど実感しているあれやこれがある。
見事に世間体や理性という目に見えないものたちが頭を過るけれど
そろそろ目の前の出来事に素直に従ってもいいんじゃないか、?
言葉で、仕草で、差し出されたなら、触れるまでだ。
気持ちを沈めて抑えながら、手を伸ばさないでいることは、やめようと思う。