尾久 守侑って、読めない

詩を書いています。 第一詩集「国境とJK」(思潮社)絶賛発売中! http://amzn.asia/2gfT7A7

ハアチュウという人とシミケンという人が結婚したのだという。

全くもって慶賀の至りと感銘を受け、お祝いの意味を込めて杏仁同妃を食べた。と焦燥のあまり杏仁同妃などと意味不明の打ち間違いをしてしまったが、杏仁同妃とは一体誰だろうか。

そう思考を燻らせ、セブンという店で購入した杏仁豆腐を食べながらネットニュースを閲していたところ、よく見ると、事実婚、と書いてあってそこで思考が止まった。

事実婚とはどういうことだろうか。

事実としては婚姻状態にあるものの、一見するとそうではない、という意味だろうか。

つまり、普通に結婚生活を営んでいるものの、世間ではそれをひた隠しにしており、普通に独身のふりをして生きている。合コンや婚活パーティーにも参加するが、事実上は婚姻している、そういうことだろうか。

一見会社を早退して遊びにいくような雰囲気を出しつつ、実は保育園に子どもの迎えに行っており、簡単な食事を夫と子どもに作ってから、夜はわざわざ友人とコリドー街にナンパされにいくみたいな矛盾をはらみながら1年中生きているヤバい奴、というイメージが浮かんでくる。

なぜそのような茨城の道を通るのだろうか、とまた打ち間違えて不意に茨城県をdisってしまったが、どうしてイバラの道を通るのか意味がわからない。

それに、もしそうであるとすれば事実婚などと公表してしまった時点でその結婚は事実婚ではなくなってしまうため、字義通りとは別の意味があるのだと思うのだが、調べるのも面倒なので知らないでおくことにした。

しかし一方で、この逆、虚構婚というのは非常に有用なのではないだろうか。

つまり、一見結婚しているように見えそのように振舞っているが、その実は結婚などしておらず、独身ということである。

結婚している男は、独身の男より醸し出す雰囲気などからかえってモテるという話も聞く。そうか、既婚者ばかりがモテるから自分がモテないという簡単な事実にすら今まで気がつかなかったが、虚構婚をすればいいだけの話なのだ。楽勝である。

そう思って虚構婚を決意した。まず、道行く美人にいきなり1000万円を手渡しし、これで写真を撮ってくださいと懇願、二人で婚姻届を持って区役所の前に立っている写真を撮影してSNSにアップロードする。

かと思うと翌日には親族のみで挙式をしました、と虚婚式の画像をアップし、さらに翌日には、「3210g!闘志溢れる子に育って欲しくてφ兎(ふぁいと)と名付けました!」と、ネットでひろった新生児の写真をアップロード、高速の展開に周囲は全くついていけないが、周囲なんて関係ない、ぼくはあなたが好きなんだ、と既婚者の余裕でいきなり道行く女性に告白をし、結婚、とそこまで見えた。

ただこの虚構婚がブームになった場合、保育園のお迎えにいきまーす、などと言って3時くらいに退社し、一人のアパートに帰ってNetflixで海外ドラマを見るような悪い女性がでてきたり、小6で虚構婚をする人、事実婚をしつつ虚構婚をする人などが出てきたりして意味がわからなくなり、社会問題になってしまう可能性があるためやはり自分は普通の婚姻で良いかな、ところでハア中って誰だよ、などと思っている当直中。明日は髪の毛を切りたい。


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ネットで読める尾久の詩をまとめました。

昼間の花火をみていた
ドラマタイゼーション
ガールズナイト
デジタル
暗闇

第二詩集が出るまでは世間様に詩を発表する機会もないのかなと思いつつ、密かに書きためています。

第一詩集「国境とJK」もよろしくお願いします。

最近ソッカーというスポーツの世界大会が夜もすがら放映されているものだから、夜中にスポーツバーに闖入し、日本代表の青いユニフォームを着用に及び、顔にフェイスペイントを施してにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんにっぽんなどと連続的かつリズミカルに発声をし続けてしまい、すっかり昼夜逆転してしまっている。

というのは嘘で、ソッカーの試合など全く見ていない。

というのも言い過ぎで、こんなにソッカーに興味がない自分ですら日本戦は夜中に起きて観戦、ホンダや香川、長友、ハセベという既知の人物のみならず、全く知らないイヌイや柴崎という人に対しても、旧知の仲、というようなfamilialityを感じて、creative office(要は自宅のこと)で大声を出して応援をした。

じゃあこれを機にソッカーを応援しようか、とかフッ猿という5名程度に規模を縮小したソッカーまがいの行為をしてみようか、という気になるか、と言われるとそういうことはない。

なんとなれば、自分は小中高と体育で義務的に行われるソッカーが大の苦手であり、ソッカー部といえばイケメンで運動神経がよくちょっと腰パンとかもしてて、買い食いとかもするけど成績はそこそこ良くてダンス部の女子と付き合ってるみたいな、ヒエラルキー上位のイメージしかなく、一方で尾久はといえば中高6年間朝から晩まで勉強と読書以外のことを一切考えずにメガネをかけてひたすらガリ勉し続けていただけであり、ソッカーの授業ではボールポゼッションも0.02%くらいで、ボールを触った瞬間にソッカー部に奪われ、ただグラウンドをうろうろ走り続けて虚しさを感じているだけの存在であった。

なので、ソッカー、という言葉を聞いただけで、その眩しさにうっと胸が詰まるような気がなんとなくしてしまうのである。フッ猿も同様で、フッ猿の場合はinstagramなどを見ていると男女混淆で行うことなどもあるらしく、青春の同義語、もしくはバーベキューと一対で使う言葉、のような気がしてきてつらくなる。

そんなことを思いながら昨晩も眠れずにテレビをつけたところロシアとクロアチアが対決しており、じゃあロシアの青春群像劇、クロアチアのバーベキューに思いを馳せながら見たかというとそんなこともなく、やはり国際試合くらい真剣勝負になると、そういった個人的体験とソッカーそのものが切り離され、純粋ソッカーというか、ソッカーそのものの面白さが際立って感じるのかなあなどと思った。

なのでバーベキューなども遊びみたいな気持ちで取り組むから青春群像劇が入り交じっておかしなことになるわけで、純粋バーベキューというか、とにかく国際試合ができるくらいレベルの高いバーベキューを目指すべきである。

つまり火を起こす速度が神業の人とか、肉の焼き加減のファンタジスタとか、満腹状態の人間の箸が止まらなくなるような焼きそば職人とかを日本中から集めてバーベキュー日本代表を決定、ワールドカップで強豪オーストラリアやアメリカと対戦するわけである。

皆眠い目をこすりながら深夜に起きて日本対ポーランドの純粋バーベキュー対決を観戦して盛り上がるが、このまま試合が終わり、裏で行われているコロンビアとセネガルの試合でセネガルが奇跡的な焼きそばを調理しなければ決勝トーナメントに進出できるということが分かっている場面で、日本はポーランドに麺を渡さず自陣で麺を回し続け、ポーランドも肉の焼き加減で日本に勝っていたため、あえて麺を奪いにいかず、何も載っていない鉄板の上でヘラを動かし続けるみたいな無気力試合を演じて大批判みたいなこともあるだろう。

高校にもバーベキュー部や、インターハイを目指す文化などもあり、後ろ向きで野菜をめっちゃ焼いて半端ない、などと呼ばれる人もでてくることだろう。

そう考えるとひたすらに純粋バーベキューがしたくなってきた。夏ですね。 

前編のあらすじ
学会でウィーンに行くことになった尾久は、美容院で髪の毛をバロック調に仕立て上げられてしまったことから音楽の才能に目覚め、DTMで交響曲を作曲することに成功する。それらがソニーミュージックの目に留まってUTA-TUBEに初出場が決まった夜、モーツァルトの母を名乗る人物から電話があり半信半疑で電話に出た尾久は、信じられない事実を耳にし、気を失ってしまった。そして飛行機はウィーンへ。。。


ウィーンに着いたが投宿する宿への行き方がわからない。しかも、よくみると宿はホテルではなく、謎のシェアハウスである。

せっかく学会に来たのにどうして地元のヤンキー達とテラスハウスをしないといけないのだと思い悲しくなったが、よくよく見てみると他人と部屋をシェアする訳ではなく、一緒に行く仲間とのシェアであり、なーんだ、よかった!と声に出して読みたい日本語!と空港で叫んだが、ウィーンは人が少ないのか数人日本人が振り返る程度でなんらの反応もないといってよかった。

エアポート急行に相当する緑色の快速に乗って中心街に向かい、そこから地下鉄に乗って、読むことが全くできない謎のβみたいな字が混じった駅に行かねばならないのだが、どうやっても地下鉄を発見できず、路面電車に乗ってβ駅を目指した。

チケットのようなものを車内で販売しているのだが、誰も確認している様子はない。これは地下鉄も同様で、改札は無人で、出入りが自由である。

とすると普通は特急あずさ号のように、えーー、皆皆々ああさま、ただいまより特急券を拝見、あ、いたしやああああす(裏声)と車掌が口上を述べてサルサの音楽に合わせて切符をきっていくジャパニーズスタイルなのかな、と思うのだが、そういう狂った車掌も現れず、ただただ無人なのである。

普通の感覚で言えば、無賃乗車をしないとかえって損、ということになるので、タダ乗りを選ぶのが合理的のようにも思えるが、実は我々が知らないだけで、一回無賃乗車をするごとに空港で指を一本折られるとか、足に石を置かれるとかそういう拷問刑がないとは限らず、見知らぬ国のことなので、切符を購入して電車に乗り込み、シェアーハウスに到着した。

うっす、ハチです。消防士やってます。よく行くのは、どこだろ、家にいること多いかも(笑)

などというイキった自己紹介を出し抜けに知り合いにして奇妙がられつつも、翌日から学会に参加、面白いものは真剣に聞き、そうでないものも真剣に聞き、一方で英語の練習のために婚活アプリで現地の女性とチャットをするなど勉強三昧の毎日だった。

最終日には現地にお住いの日本人にお話を伺う機会もあったし、宮殿に行ったり音楽祭に参加することはなかったが、ドナウ川沿いで、やいやいやい!私がヨハンシュトラウス2世だ!と舞台をウィーンにしてリメイクした狂言を演じながらヴァイツェンビールを飲み干して、のどごし生!と違うメーカーの商品を叫んだりするのは楽しかった。

帰国してから時差ボケに悩み続けており、休日の昼間に誤って6時間寝たり、次にお送りするのはCHEMISTRYの新曲ですなどと20年くらい前の曲をうううううううぉうぉうぉうぉいぇいいいぇへぇーふううううううう(裏声)と歌ったりして過ごしている。

では、なんとなくサッカーを見始めてしまったのでまた今度。 


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所用があってオーストリア共和国のウィーンという都市にいかなければならなくなった。

ウィーンというのは音楽の都として有名で、とするとオーケストラに詩をつけて欲しいとかそういう現地人の依頼でしょうか?と思う人がいて当然なのだが、そういうことは一切なく、オーケストラに日本語の詩をつけて一体誰が喜ぶのだろうか、という話である。

とするとまさかの音楽留学?と最初は自分も思った。米津玄師とかしか聴いていない自分が伝統あるウィーンに音楽留学などして良いものか、最初は随分と迷った。しかし、またとないチャンス、ここは話に乗って行きまっしょい!と田中麗奈のマネをして叫んで気合いを入れたはいいのだが、どうも様子がおかしい。

というのも、音楽留学であれば、当然年の単位、場合によっては10年以上の留学になることが予測されるのだが、最初にウィーン行きの話をメールしてくださった谷先生という人の記載をみると、どう見積もっても5日程度しか滞在の予定がないのだ。

それに、どうして先輩医師である谷先生が音楽留学の話をメーリスに流すのだろうか、バリバリ研究をされている裏で交響曲とかも作ったりしているのだろうか、としばし混乱したのち、自分はウィーン、という言葉を聴いただけで音楽のことしか考えられなくなり上記の思考に陥ってしまったが、普通、これはウィーンで医学の学会があるからそこで発表をしたらどうだ、ということだろう、と正常な思考が働き、英語の出来ない自分はYes, I’m lovin it!と適当な英語を叫んで参加することにしたのであった。

今回、成田空港には恐ろしく早く着くように手配した。というのも以前サン・ディエゴという都市に行った時に、特殊な登録をしていないお前は米国に渡航する価値のない人間だという要旨のことを空港のグラウンドスタッフの方に言われてしまい、あわや渡航出来ないところだったので、何が起きてもいいように余裕を持ちたかったのである。

到着した後Wi-Fiという電波発信機を取得したり、両替をしたりしたため、結局は12時くらいに全ての手続きが終了、フライトの時間は13時35分であったため、今まで食べたことのないような味に問題のあるピッツァを食し、意気揚々と飛行機に乗り込んだ。

しかし、乗り込んで早々に大問題が発生した。自分の席が窓側になっていたのだ。

自分はトイレットに行きたくなった時に素早くいけるように、飛行機に限らず能の座席とかも必ず通路側にすると心に決めていた。しかし、紛れもなく自分の席は窓側で、通路側にはオーストリア人と思しきおっさんがムッと座っていた。

これは座席を指定する時に急に童心に退行した自分が、わーい、飛行機は窓際がいいなああと自室で叫んで窓際を選んでしまったのか、単なる選び間違えか、どういうことなのだろう。

通路側と代わってくれ、と申し出ようかとも思ったが、いきなりドイツ語で怒られても怖いし、ましてや英語で怒られているのにリスニング能力が低すぎてドイツ語に聞こえているのであれば恥ずかしいな、と思ってしまい、固まっていたところ飛行機は離陸してしまった。

すぐにベルト着用サインというのが消えて、真っ赤な服を着たオーストリアのCAの人たちが水やパンを配り、間も無く機内食が出るのだと知れた。

しかし問題はトイレットである。今、自分とおっさんの間には空席が一つあるが、その座席の机はオーストリア人のおっさんがワインやクラッカーなどを随意においてしまっており、通ろうとした場合、まずおっさんは自分の食事をどこかにやり、その後隣の座席のワインやクラッカーを片付け、ようやく立ちあがる、という流れになり、非常に頼むのが申し訳ないような気がする。

かといって無理やり突っ切ろうとした場合、ワインなどが床にこぼれてしまう確率が高く、そうするとドイツ語で怒られる確率が高くなるため、尿意というものがこの世からなくなった人のモノマネをして平然としているうちに、本当に尿意が気にならなくなり、自分は深い眠りについた。

次に起きた時、辺り一面に失禁をしていた、などと言った場合、笑い話には昇華できずに5週間落ち込んでしまうと思うのだが、そんなことはなかった。しかし、そろそろトイレに行こうかな、と思った時に、しまった、と思わず声をあげた。

オーストリア人のおっさんが爆睡しているのである。

そして隣のテーブルには変わらずワインやクラッカーなどが先ほどよりも散乱して置かれてある。

さっきであれば、ドイツ語で怒られたとしても、そうは言ってもトイレに行くのは人間の基本的人権なので、許してくれるだろうと思ったが、今は深い眠りについている。この状態のおっさんを起こした場合、一体どうなるか想像がつくだろうか。

そう、殴ったり蹴られたりするに決まっている。それは嫌なので、まず片足のみを隣の席に乗せ、次のターンで反対の足をおっさんをまたぐように通路に出し、最終的にぴょんと廊下側に出ればいいのではないかと思った。

しかし、もし、それをしている最中におっさんが起きたらどうすればいいのだろうか。計算上、おっさんの目の前に自分の股あたりが位置することがあり、何かとてつもない勘違いをさせてしまうのではないか。

そう思うと全く身動きが取れず、しかし苦悶の表情を浮かべたりすると、お身体でもおかしいのでしょうか、先生をおよびしましょうか、とCAの人が跳んできてしまう可能性が高かったため、

「なあに、こんなのなんでもないさ、ほうら、こうやって叩いても平気さ」と膀胱あたりをいきなり殴って、余裕な大人、パパ活もしています、みたいな雰囲気を醸してみたはいいものの、実際に限界が近づき、このままではこのおっさんをどうしてしまうかわからない!と発狂しかけたところで無事おっさんが起床、toilet、と一言でおっさんはどいてくれたため無事にウィーンに着いたのであった。(後編に続く) 


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1) 学会あるある:ポスターと私

 学生のころから、学年が上がるごとにやることが増えている気がして、無理やりに時間を捻出する術ばかりどんどん得意になり、暇がないのに神楽坂で飲酒行為に及び、泥酔して叫びながら歯茎から出た血で藁半紙に詩を書いてわずかなお金を得る、というスコット・フィッツジェラルドのような生活をしており、あらお父さんそれって歯周病かもよ?などという的外れなツッコミを聞き流しながらも、結果的に捻出した時間を飲酒に使ってしまうので何も仕事が進まない生活が続いている。というと明らかに言い過ぎで、それなりに明朗快活に仕事をしているし、退嬰的な生活に憧れはあるもののその実はメモ帳に今日やることを詳細に書いて、一つ終わるごとにチェックボックスにチェックをつけて消していくといった非常に小さな行為の積み重ねで毎日を生きている、ぼくは。そうやって倒置法などをして文学者ぶったところで、最近は詩集を出してからだいぶ経ったからだろうかほとんど原稿の依頼もなく、なんとかして忙しいふりはできないだろうかと寝る前に1日100回を目標に「ごめーん、今からラジオの収録だわ」というセリフの練習をしたり、万一若手俳優になったときのために即興で映画の制作秘話を語って監督をイジる練習をしているが今日も余裕綽々で一人でカリーの美味しい店を訪問し、夏が近づきズッキーニなどをトッピングすると美味しい気がするなぁ、などと思ったことを思わず声に出して言ってしまい、ズッキーニはございません、などと店員に注意されてしまった。さて、この年になると結婚、などという言葉が脳裏をちらついては流星のように消え、その後柄の悪い若者たちのグループが前方を指差しながら音楽に合わせて軽妙なステップを踏み、途中ポンと手をうってその場で跳躍する映像が4分59秒くらい脳内を流れるのだが、正月の時点では今年こそ結婚する気しかしなかったのだが、その根拠のない自信もどこかに消え去り、脳内では自分がcreative office(要は自宅のこと)で頭を抱えている写真と、その横に大見出しで「尾久、今季絶望」と書かれているスポーツ新聞を見知らぬタクシー運転手が読んでいる。そして今週末はそのタクシーに乗って遣欧使節団の一員として維納という西洋都市に向かう予定である。
 なんとこのような駄文を書き始めてから今日で10年経った。2008年6月14日は尾久がmixiに登録した日であり、SNS元年である。以降10年に渡ってFacebook→ブログと媒体を替えて6月14日には必ず日々の暗雲という日記を書いてきたが、10年書いてきてどんな学びがあったかを振り返ったがそこには「無」しかなく、酒を飲んで泣きながらゴミ箱を抱きしめて今、チークダンスを踊っています。 

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