あーあ、1日が53時間になったらいいのにな
そう呟き続けて50年が経った。私はまだ何も成していない。
完
と終わってしまうような人生だと寂しいので、限られた時間の中でも頑張って成果を出して行きたいというか、年間1000本論文をpublishし、30冊本を書いて、15枚のシングルと3枚のアルバム、1枚のベストアルバムをリリースしたいなぁ
そう呟き続けて50年が経った。私はまだ何も成していない。
完
と何度でも終わってしまうので、こんなことをつぶやいている暇もないのではないか?とドリカムの曲が脳内で流れつつ焦るのだが、よく考えてみれば自分はこの24時間一体何をしていたのだろうか。と考えると実は何もしておらず、ほとんどの時間Twitterをみて過ごしているという驚愕の自体に気が付いた。
歩いていて信号が赤になって止まった時、電車に乗った時、「オッケー、じゃあまた明日」と言った直後、仕事をしていない時はほぼTwitterをみているのである。
これは衝撃的な事実で、しかもそうやって見るたびにTwitterが新しいツイートを更新していれば良いのだが、昼とか夜中とかはあまり更新がないので、必然的に、更新が一番最新のツイートは同じで、誰かがリツイートしたTikTokの女子高生の同じ動画を何回も見てしまうことになるのである。
自分が見続けているものはTwitterに限らない。Twitterの更新があまりないと、今度はInstagramを見始める。そこで、さして仲良くもない人の、誰かも知らないヤンキーとの飲み会の様子を30秒ほど使って眺めたり、誰かの子どもが屋内を這っている映像を、「おー、大きくなったね」と役所広司の口調で呟きながら眺めているのである。
何がcreative office(要は自宅のこと)だ。何かをcreateしているつもりでいて、自分はただのSNS廃人だったのだ。1日が53時間になったらどうなるだろうか、Twitterを50時間見続けて、寝不足になっている意味不明のアラサーにはなりたくない。
僕はなりたくないんだ!
と、一人で欅坂のノリで叫んでいる方がまだ生産性がある。お、彼なかなかいい演技をしているね、うちでどう?と映画俳優になる道が開ける可能性があるからである。
しかし、このままでは廃人である。まず自分は携帯電話に電話以外の何らの通知も来ないように設定した。
これは、何かに集中しているときに、「はろはろはろー、ミロきちだよん!今から飲む人集合ゥ〜」などという謎のヤンキーからのLINEを受信して気が散ってしまい、「ミロきちなんてヤンキーと俺は知り合いではないのにこれは一体誰なんだろう、もしや乗っ取り?」などと考え始め、注意が逸れるのを防ぐためである。
そして、ついにSNSのアプリをスマホから消去した。
このような画期的なことは、mixiを10年前に開始して以来初めてと言ってよく、ほぼ革命レベルの大改革である。
するとどういうことが起こるか、習慣というのは恐ろしいもので、赤信号になって止まった時、電車に乗った時、「オッケー、じゃあまた明日」と言った直後、もはや無意識にスマホを取り出し、Twitterのあった場所をタップしているのである。
しかし、もはやそこにTwitterのアプリは存在しない。タップすると「どああああああああん」と銅鑼の音が大音声で鳴るだけの意味不明のアプリが仕込まれており、赤信号になって止まった時、電車に乗った時、「オッケー、じゃあまた明日」と言った直後に、いきなり脈絡もなく銅鑼を鳴らす変な奴になってしまっている。
自分もようやくそこでself-awarenessが働くというか、ハッ、俺はこんな道端で銅鑼を鳴らして、一体どういうつもりなんだ、こんな始終銅鑼を鳴らしているアラサーがいたら、婚活女子も皆離れていってしまうに違いない。
そう思って、次第にスマホ自体を開かなくなっていくのである。
実際のところ、無限の時間がそれによって確保できるようになった。ほとんど精神と時の部屋状態である。
と書くと、ほーう、じゃあ僕が送ったあのメールにはいつ返信がくるのかな、などと思う人間が500人くらいいる可能性があるので、精神と時の部屋というのは言い過ぎにしても、週20時間くらいは増えた感覚がある。
進研ゼミ効果的な感じでなぜか早起きにもなり、顔もなんか爽やかな雰囲気になった気がする。
ようし、このまま部活も勉強も恋もがんばるぞ!
そう叫んで一人のcreative officeで漫画のコマの間から飛び出すようなポーズをしばらくして、映画俳優になった気分で大満足していたら無意識に大音声で銅鑼を鳴らしていた。