2011年05月07日

解かしてきたもの

ad4e4084.jpg「基本的に、孤立型の人の生活には、人間同志の間での、共感や、連帯感や、愛や、相互の刺激がありません。自由はあっても、限られた狭い世界であり、独立があるようでも、その実は孤立です。それは、安定したように見えても、不安をはらんだ淀んだ生であり、生の本来の姿である、他とともに生き、成長し、発展する動的なものではありません。

その結果ここで、対人関係ばかりでなく、自分自身の内部にも重要な変化が訪れてきます。

自分が欲望や野心を持つことは、その充足をするために、他人を必要とします。しかし他人を必要とすることは、他人にかかわることであり、他人にしばられることになります。それは、自分の自由や独立が妨げられることです。自分の自由や独立が犯されるくらいなら自分の欲求や欲望をなくしていく方がまだよいのです。こうして、自分の自然な欲求や願望の感情を抑圧し無視し、あきらめていく態度がとられます。そのもたらすものは当然、無気力と憂愁感でしょう。

しかしそればかりではありません。もっと重要なことは、こうした態度をとりつづけると、自分の本当の感情や欲望が何であるかが解らなくなってくるし、無感動になってきます。たしかに、そうした自分の状態を、他人事のように眺めている知的な自分はありますが、眺められている自分は、空虚で、中心のない、生き生きした感情のない自分です。

また、自分を動かす情熱や、欲望や、野心や、愛情を断念しますから、積極的に生きる目標を失って、ただ限られた自由での現状維持の生活になり、いわゆる努力の意義を感じることができなくなります。むしろ、自分に努力を強いる外部からの力を、自由に対する干渉と感じ、憎みます。しかし、その憎しみも、外に出すと面倒が起こるので感じないようにもします。

こうした敵意を含んだ自分の感情に無関心な態度をとることによって未解決の矛盾した感情は解消されるはずはなく、身体的なものに転化して、いわゆる心身症といわれる症状に悩むことにもなります。

(略)

しかし、他人から見ますと、この型の人は、おとなしく、謙遜で、自分の分を守り、義務感が強く支配型の人のように、威張ったり、押しつけがましくなく、また依存型の人のように、しつこく甘ったれないために、良い人だという感じがします。

(略)

もともと、この型の人も、はじめは、人の子として、愛情を求め、自分を認められることを願っていた人です。しかし、求める愛情は得られず、与えられたとしてもひもつきであったりして束縛され、また自分の才能を発揮して認められようとしても、嫉妬や中傷などで傷つけられ、反抗しても、周囲の力で押さえつけられたのです。そうした状況の下で、せめて、たとえ小さくとも純粋な自分を失うまいとしてとった生き方なのです。

人からの影響や、圧力からできるだけ離れて、たとえ狭い、限られた範囲であっても、懸命にその中で自分を確保しようとする態度があるわけです。たしかに、他の神経症的態度と同じく、自分の安全の防衛のためにのみエネルギーをつかい、自分の成長や発展の方向に向かっていませんから、この態度によって守られている自分は、未発達の幼稚な自分であることは事実です。しかしここには、それだけに純粋な、まだ歪められていない自分があります。

それは、未発達であるから、発達を求め、幼稚であるから、成就する可能性を持っている自分です。媚びもせず、へつらいもせず、また、烈しい野心や、猛々しい敵意に身をまかせず、独力で、静かに自分の分を守っている点で、これまで述べた三つの型の中で、一番、清潔な生き方をしているのかもしれません。

(略)

しかし、一度こうした防衛的な態度がゆらぎはじめますと、次第に閉じこめられた狭い世界から自分を解放し、積極的に自分の可能性をみとめてそれを成長させていく態度が開けてきます。こうなりますと、この型の人には、比較的純粋に自分らしい自分が保たれていただけに、かえって優れた個性的な才能を発展させていく人が多いようです。そして、今まで、防衛のために、人から離れ、他人との間に距離を作っていた態度が変わって、他人を客観的にゆとりをもって理解する態度になります。

また、今まで独立とか自由とかいっていたことは、その実、孤立に過ぎなかったのですが、それが、自分の考えや感じたことを自由に表現したり、自分の判断によって行動する本当の自由や独立に変わってきます。その結果、意見を交換したり、集団で討論したりして、他人と接触するようになり、他人との競争を怖れず、また共感することができるようになります。

全体として、生き生きした感情の流れが発展し、はじめの状態と比べますと、まるで氷が解けたような印象を受けます。前にも述べたように、時としてこの型の人の治療は、他の型の人よりも手間がかかるように見えますが、それだけに、お互いに努力の報いられた感じが深いものです」

(近藤章久)



ぼくと出会い、この十年で少しずつ、少しずつ、解かしたものを、この時間の流れの中で、ゆっくりと彼女が思い出すことができますように。



P.S.近藤章久氏の著書は、Amazonで購入できるようです。絶版になっているものはとても高いですが・・・。










caminante77 at 21:09│Comments(0)

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