前々回はフランシスコザビエルにまつわるカトリック教会を紹介しましたが今回はプロテスタントです。上海のプロテスタント教会の発展には租界時代のキーマン「宋慶齢」が関わっています。租界時代上海で存在感があったのはフランス・イギリス・アメリカ・日本でロシア・オランダ・オーストリア・イタリアなどが続きました。街も租界時代から発展して来た歴史から市中心部には仏教寺や道教廟よりもキリスト教会の方がたくさんあることがわかりますし(最後に地図を載せておきます)イギリスの影響下に置かれた場所にプロテスタント教会があることは当然と言えば当然かと思います。
中国政府としては無宗教(実際には共産教?)である共産主義のベースを確保するためにカトリックの主教の任命をバチカンの指示を受けず独自に行っているなどの政策をしていて習近平体制で宗教への関与は強くなってきていると聞きますし最近になってバチカンと主教の任命に対し合意したみたいなことを言っていますが果たしてそれが継続するのかはいつもの中国だと思います。現在キリスト教の政府公認の信者は2千万人程度と言われていますがその他は非公認とされ地下信者と呼ばれています(差別用語みたい)ので監視対象と言えます。上海では表向き監視などの制限は無いように見えますが、そもそも集団での集会活動を制限しているため公認であっても制限をかけられているのと何ら変わりはありません。もちろん監視カメラも施設の周りにはたくさん設置されているのでしょう。ちなみにプロテスタントを中国語では「基督教」,カトリックを「天主教」と言います。
さて本題に入ります。今回は上海にある由緒正しき·プロテスタント教会の2か所を紹介します。この施設は兄弟教会で怀恩堂が兄、新恩堂が弟になります。

■新恩堂 中国名:乌鲁木齐(ウルムチ)北路聚会所
上海市静安区乌鲁木齐北路25号
1939年竣工鉄骨コンクリート造。正統派ゴシック調建築。建築高 9.48m 建築面積955㎡ 屋根には青平瓦を使用し外装にもレンガが貼られています。(一部タイルも使用されています)屋根の角度がきつく屋根の傾斜で採光ができています。窓サッシはスチール。レイアウトは典型的な十字型となっています。日曜午後には広東語での礼拝があります。建築直後はイギリス人専用の教会として使用されていたためその当時は「万国教会」と呼ばれていました。1962年から現在の名前に変わりましたが文化大革命時には閉館、1989年からまた使用を始めました。

1 (2)1 (3)1 (4)341 (5)




予算が無かったので外壁が安い材料になってしまったのだと思いますが逆に現代風です。目立たない路地の裏の方に建っていますが、当時のイギリス租界エリアとローカルエリアの境目に位置していることから土地の価格も安かったのだと思います。すぐ近くに「百楽門劇場」があります。
関連サイト↓↓↓
 
1 (6)IMG_20181128_0816201 (1)













■懐(怀)恩堂
静安区陕西北路375号 キリスト教連合礼拝所。敷地面積2200㎡ 鉄筋コンクリート造3階建て 外装には赤レンガが使用され東南角に鐘があります。大ホールには2200人が収容できる上海でも大きな教会となります。アメリカ人宣教師 Frank Joseph Rawlinson 中国名(楽魂生・イギリス生まれ)日中戦争の際に中国軍の爆撃により「大世界」前交差点で爆死しています。教会建物は1910年にここよりも5㎞ほど離れた虹口にできましたが1924年その土地が高騰したため、現在の場所に土地を買いその後虹口地区が戦火に見舞われたため1942年移転しました。wikiwiki (2)左の白黒写真2枚はウイキペディアから拝借しました。大世界周辺の爆撃後の写真です。この爆撃で死亡したのだと思います。誤爆とのことですがこの場所フランス租界とイギリス租界で当時上海で最もにぎやかな場所でした。いくら戦時中とはいえこの場所を爆撃するということは何か大きな原因があったのだと思います。

IMG_20181216_090005IMG_20181216_085942IMG_20181216_085935IMG_20181216_085918




IMG_20181216_085901IMG_20181216_085850
この日は日曜日でしたので礼拝をするために信者さんたちが集まってきていました。しかしそのほとんどが年長者で若者は皆無。宗教感が違うせいかもしれません。










HUAIこの教会の隣には宋慶齢の自宅が保存されています。この建物は移築されたものではありませんので、この場所には大きな意味があると言えます。宋三姉妹は父の影響でプロテスタントのメソジスト派だったことは有名な話。次女の宋慶齢は共産革命を陰で支えた人物で孫文の妻で今も国母とされていますので、ここに教会が土地を買えたのも彼女の力が大きかったのではないかと言うことは容易に想像できます。前の道は現在は陕西北路という高級エリアでイギリスの租界地ですが1899年以前は田んぼだったとの記述が残っています。1905年にイギリスが西摩路(Seymour 恐らくイギリスの貴族シーモア家のこと)と命名し著名人や事業家・国民党幹部などが住むようになり高級なエリアに変貌していきます。ですから宋慶齢が住んでいたころは段々とにぎやかになってきた時代で、その中にこの教会が作られたのではないかと思います。
中国の共産革命に外国の力は必要だったわけで、その中でプロテスタントが影響を与えていたことは確かです。宋三姉妹は子供のころアメリカに住んでいて英語が堪能でした。長女の靄齢は後に大統領になるニクソンの大統領選挙時に資金と在米華僑の票をとりまとめて当選に貢献したわけですし、その後アメリカは妹の美齢の夫である蒋介石率いる国民党を支援し日本との戦争に突入しました。その後国民党は台湾に逃げるのですが、その後ここを統治することになる共産党(軍)はソ連とアメリカ・イギリスの支援で戦備を増強し力をつけました。一般には中国共産党の支援はソ連だと思いがちですがソ連に中国のような強大な国を支配・管理できるほど多くのお金があったわけではないはずです。特にナチスとの戦争でさんざんぱらやられ、満州にも攻め入っていたわけで、軍事的な産業しかない国家でお金があるはずがありません。ここにも誰かしらがお金を貸し付けていたと考えるべきです。では誰か。ロックフェラーが未だに外灘の一等地にたんまり不動産を持っている理由、ロスチャイルドのHSBCとスタンダートチャーターズ銀行が香港で紙幣発行銀行である理由これと合致するように思えます。今回紹介した2つの教会はただの布教活動施設ではなく歴史の断片であるともいえるでしょう。

MAP (2)両教会の場所です。直線距離で1.5㎞くらいの比較的近いところにあります。駅から中途半端な場所にありますので、散策がてら歩くといいと思います。裏の方にはおいしいラーメン屋さんなどがたくさんありますし、夜になると不良白人のたまり場になり派手な電照看板が目立つようになります。韓国のようにひどくはありませんが「昼間反外国夜親外国」は昔から変わりません。

MAP市内中央部にある宗教施設をプロットしてみました。抜けているものもあるかとは思いますし時代を反映していないかもしれませんがおおよそはつかめると思います。これを見るとキリスト教が圧倒的に多いことがわかります。その多くは当然のごとく川添いにあり旧租界エリアです。他の宗教施設は豫園城内と郊外が多いこともわかります。これをみてもいかに上海が租界時代に発展して来たかがわかりますし興味深いのがローカル宗教がほとんどないことです。これだけを見ても歴史から上海人が無宗教であり拝金教になったのもわからないでもありません。今もキリスト教は監視対象ですがこれだけの数の監視をするとなると費用も莫大です。監視カメラ設置に国家は10兆円以上使ったとのこと。いくら中国が大きいと言ってもそんなに予算はあるのでしょうか。社会保障費を削って一帯一路に回し南沙諸島を埋め立てていますが、足元では超が付く高齢化社会が始まっています。不動産依存もさすがにもう無理です。国庫を自分の利権としてウラガネを払いもらいじゃぶじゃぶに使ってしまっている中国はもうそろそろ。と言われても仕方が無いように思えます。

関連バックナンバー