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チャイナタウン探検隊も早いもので7回目です。今回の訪問地はミャンマーで最大の都市ヤンゴンです。古くはラングーンと呼ばれ港湾都市として栄えたところです。内戦の影響もあり発展が遅れていましたが現在は日に日に大きくなってきていて最近は日本人も激増しているとのこと。少し内陸に入ったこの町にもチャイナタウンがあり都市の開発状況も特徴的です。

最も特徴的なのは隣にリトルインディアがあることと区画がはっきりしていることです。ヤンゴンも他のアジアの都市と同様ヨーロッパの列強が植民地支配をしていましたがここはイギリス。ですからホーチミンやプノンペンのようにフランスが都市開発したレイアウトとは全く違った形になっています。インド人が元々多く住んでいたということもあるのでしょうが、インド人のエリアとチャイニーズで変にもめたり支配権を主張しないよう分けて住ませたあたりイギリス人も統治には苦労していたことが伺えます。インド人は労働者としてチャイニーズは商売としてこの地で交わっているでしょうからカルチャーの他に収入もかなり差があったのだと思います。

Yangon_Rangoon_and_Environ_map_1911ウイキペディアに1911年の地図が出ていましたので添付いたします。当時から町はしっかりしたグリットに区画されていたことがわかります。南側には交易のための川がありますしその荷揚げの場所にお約束通りチャイナタウンがあります。よく見ると川に沿って細い線が東西に延びていますがこれは貨物用引き込み線路で今は使われていない線路が今も残っています。このブログの最初の写真から3枚目まではちょうどこの荷揚げ場のところで今も船着き場としてにぎわっています。

スクリーンショット (262)←現在の地図です。
スクリーンショット (264)航空写真を見ても今尚南側の川から物資が運ばれていることがわかります。こてこてのチャイナタウンの作りを残している場所は意外と珍しいのですが統治時代からのしっかりした都市区画の名残りがありマニアにはたまりません。左の地図のチャイナタウンとリトルインディアのくくりは大体こんな感じなのですが、この町のチャイナタウンのシンボルは航空写真で表記した通り「観音古廟」と赤いマークがある「慶福宮」そして台湾と泉州に同名のある「龍山堂」です。この施設を中心として19th stが一番賑やかなので古くからチャイナタウンのメインストリートはこの辺りだったと言えるでしょう。



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観音古廟は1823年広東人によって創建、一時火災で焼失しましたが1868年再建されました。見ると最近建て替えたようにも見えます。他のサイトを調べるとこの廟のあるエリアは広東所出身者、大きな道路の南側には福建省出身者が住んでいたようです。広東省出身者は建築業や製造業、福建省出身者は交易を主な生業だったようです。

DSC_600慶福宮に関しては写真を撮らなかったのでこのサイトからお借ります。
https://trtr-mitiru.blogspot.com/2018/07/kheng-hock-keong.html
ここでも商売の神様「関羽」と海運の守り神「妈祖」が祭られています。屋根には大きな龍が対である正しい廟の装飾です。


DSC_1988photo龍山堂に関してもお借りしちゃいます。(この方写真撮影お上手なこと)
https://trtr-mitiru.blogspot.com/2018/01/long-shan-tang.html
「福建省出身の華僑である曾氏と邱氏の二つの氏族により建てられた。1878年の創建。この龍山堂にも一族の子息が奉納した大学の卒業、修士号・博士号の取得、ビジネスでの成功などを記した絵馬のようなものを多数見ることができる。寺院の管理や修復費の寄付等は全て曾家と邱家により行われている。(一部抜粋)」
気になるのがこのお堂の横に先の航空写真でロの字型にできた建物です。周辺には新しく開発されたと思われるもの以外大きな区画で作られたものはありません。福建省の出身者がこの場所にいたことから鑑みてこの形状は客家の土楼を模したと考えるのは行き過ぎでしょうか。

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観音古廟の対面にある建物の上に「寧陽会館」という看板があります。そのまま調べると寧陽は山東省なのですが多分違うでしょうからおそらく浙江省寧波か福建省の寧徳辺りかと思います。こういった会館があることもチャイナタウンの特徴です。日本で言えば天理教の「詰所」なのでしょうし町中の公民館的な役割も持っていたと思います。私が高校時代同じ学年の仲間が甲子園で準々決勝を勝ったとき準決勝が翌日朝からの試合だったので応援団は自分の県の信者が運営する詰所に泊めさせてもらい助かったことを覚えています。チャイナタウンでもその地区出身者の有志で運営され、廟に併設されていたり独立だったりしますが血縁や同郷出身者の絆を維持するコミュニティセンターとして重要な施設なのだと思います。

その他、祖先を祭る施設も見受けられます。お墓が作れないことなども背景にはあるとは思いますが祖先を敬い廟を建てることは子孫の役目であり財力を誇示すること、支配を示すことはチャイナーズにとって重要なアイコンなのです。

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19番通り辺りです。夜はバー通りとしてにぎやかになるようです。台湾で名物の腸詰ソーセージが店頭にあります。これもなきゃね。(おっさんたちもハムソーセージに見えてしまうのは気のせいか。。)すぐ裸になるところもDNAか。

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それ以外乾物や置物など中国から持ってきたのかと思われる約束の中華食材が並びます。今のご時世こちらで作ったほうが安いのでこちらで作って逆に中国に輸出しているかもしれませんね。

リトルインディアに比べ規模的には少し小さめなのですがこちらの方がにぎやかな感じがしますし距離的に圧倒的にインドが近いので勢力的にもインド人の方が強いのでしょう。長く内戦の続いたミャンマーでしたので物資なども不足していた時期があったのかもしれません。そういった時にはチャイナタウンに住んでいる人たちが外国との交易を通じて町を活性化させてきたのでしょう。インフラや自動車は日本のものが目立ちますが、今のアジアの発展には華人の財力が欠かせません。派手な開発が目立ちますがここに住む華人は民族服であるロンジーを身にまとっていることからもミャンマーローカル人とも同化していることが見て取れます。

この町のチャイナタウンも期待外れではない汚さとにぎわいを見せていました。都市が発展するときにここも整備されてしまうのでしょうか。きれいなチャイナタウンは日本だけで結構です。