戦前の言論の自由

2015年01月04日

戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~





戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~





表現の自由の重要性を訴える規制反対派の
決まり文句として、

 戦前は表現や言論が統制された結果
  勝ち目のない戦争に突入していった


という主張がある。

国家の検閲によって反戦的な言論は規制され、
マスメディアは軍国主義的な主張を強制され、
真実を知らされなかった国民は戦争でひどい目に遭った、
そして戦前の言論統制はエログロから始まったのだから、
児童ポルノ規制は大変危険なんですよ、
そういう言論の自由が制限された社会を、
あなたの子どもや孫に
   残したいですか?
      >父兄のみなさん!


ということを言いたいのだろう。





出版労連 - 声明など
      (web 魚拓)

憲法で保障された 「言論・出版・表現の自由」 と 
「流通の自由」 は、出版産業の存立・発展を保障する
最も重要のものと位置づけています。

それは、戦前の言論統制が招いた悲惨な戦争や
あまたの犠牲の反省に立つものでもあります。


戦前の言論統制法制史 - kitanoのアレ
      (web 魚拓)

どんな言論への弾圧も、たとえば以下のような大日本帝国時代の
統制法も、わいせつなものへの処罰だったり、
あるいは非難されるべき犯罪をとりしまるための制度として
最初は作られ、権力者のフリーハンドとして使われました

(これらの統制法で) 新聞雑誌の記事が差し止められ、
国民の知る権利は奪われました。
大日本帝国の犯罪対策や風紀対策という顔の制度は、
戦争プロパガンダという牙で国民を管理したのです。

みなさんはどんな社会で生きていたいですか? 
そういう言論の自由が制限された社会を、
あなたの子どもや孫に残したいですか?>父兄のみなさん


日経デジタルコア: 児童ポルノ「ブロッキング」の悩ましいリスク~
      (web 魚拓)

日本はかつて無謀な戦争に突入していった過程で言論を弾圧した
歴史に対する反省から、他国と比べて非常に厳しい検閲の禁止や
通信の秘密を定めた憲法、電気通信事業法を持っている。


国民の基本的人権と安全を考える有志のブログ
 【拡散希望】表現の自由守れ 戦前生まれの僕の警告
  漫画家 ちばてつやさん

      (web 魚拓)

戦前生まれの僕から見ると、「これはこわいな」と思う流れが、 
世の中で最近じわじわと強まっている。 
とくに表現の自由が危ないと感じることが多いですね。 

戦前の表現規制が、初めは「エロ・グロ」の取り締まりから始まって、 
そのうちに新聞記事とか、写真や放送の規制にまで
広がっていったことを、 つい昨日のように思い出します。 



新しい戦争のための戦前規制<児童ポルノ法>思想統制
      (web 魚拓)

「わたしたち創作者の表現の自由だけではなく、読者、
つまりすべての日本国民の知る権利をもおびやかすことになり、
実に恐ろしい戦前の時代の流れが見えて来る」 と、
戦前の言論弾圧になぞらえて危機感を訴える。



東京都の青少年健全育成条例の件について
      (web 魚拓)

80年前、私たちの国は同じように攻撃しやすいところから攻撃し、
言論を少しずつ封じ込め、それを拡大していくことで国内に
言論の自由が無くなり、新聞が世論を煽るだけ煽って
戦争へ向かって行きました。

地獄への道は善意で敷き詰められている。という言葉が
あるようですが、善意を盾に使うのは実に安直で
取るべきではない方法です。




これらの主張には、明らかに

言論統制がなければマスメディアは反戦的な主張を行い、
  国民は真実を知り、戦争は回避できたはずだ


という前提が存在しているが、
私は事実認識に大きな間違いがあると考える。

戦前の日本が、国際非難を浴びた満州事変や
泥沼化した日中戦争や
勝ち目のない対米戦に突入した経緯としては、

最初から好戦的な国民世論と、
 それに迎合したマスメディアが
  こぞって強硬論を煽り、
   軍部は世論を後ろ盾に増長し、
     暴走を正当化し、
    尻を叩かれまくった政府は
  追従するしかなかった


という解釈が妥当であると私は考える。

確かに戦前の日本に言論統制はあった。
反天皇的な言論や共産主義的主張は
厳しく取り締まられていたし、戦時色が強まるにつれ
反軍的な言論も弾圧の度合いを増していった。

しかし、いわゆる戦争協力報道と呼ばれる
煽動的、好戦的な言論まで強制されていたわけでは無く、
それを拒否して最低限の抵抗を示す自由は
戦前、戦中ともに認められていた。


新聞を中心としたマスメディアは、
むしろ自発的・積極的に戦争を煽ったのだ。
その理由は、世論への迎合であり、販売競争である。
仮に言論統制がなくても好戦的な記事を書いた方が
新聞が良く売れるという事実に変わりはなかっただろうから、
やっぱり日本は戦争に突き進んでいったことだろう。

私も最初は 「戦前のマスメディアは言論統制の犠牲者」 という
朝日新聞などの言い分を真に受けていたが、
日露戦争時のポーツマス条約と満州事変勃発時の
政府と世論・マスコミの温度差を知って、
その実情は、「暗黒の検閲統制国家」 などという
おどろおどろしいものとは大分違っていたのではないか、
と考えるようになった。

それらの史実では、冷静に戦争終結を望む政府に対して、
世論やマスコミは強硬に戦争継続を叫んでいたからだった。


そして、いくつかの書籍やネット情報を収集するにつれ、
その考えは確信に近づいて行った。


それらのソースを以降のエントリで紹介していこうと思うので、
「児童ポルノ規制が戦前の言論統制につながって戦争に・・・」
などという規制反対派の言い分が果たして妥当なものかどうか
各自判断していただきたいと思う。

参考書籍や URL は次のエントリにまとめておくが、
その前に水無月氏のブログで紹介されている
大御所漫画家 (笑) ちばてつや氏の主張に一言文句を言っておきたい。


国民の基本的人権と安全を考える有志のブログ
 【拡散希望】表現の自由守れ 戦前生まれの僕の警告
  漫画家 ちばてつやさん

      (web 魚拓)

戦前生まれの僕から見ると、「これはこわいな」と思う流れが、 
世の中で最近じわじわと強まっている。 
とくに表現の自由が危ないと感じることが多いですね。 

戦前の表現規制が、初めは「エロ・グロ」の取り締まりから始まって、 
そのうちに新聞記事とか、写真や放送の規制にまで
広がっていったことを、 つい昨日のように思い出します。 


wikipedia によるとちばてつや氏は
昭和14年 (1939) 1月生まれという事だが、
その頃にはエログロ規制はとっくに始まっているし、

地下本基礎講座 第三回 エログロナンセンス時代
      (web 魚拓)

反軍的な言論統制もかなりの部分まで進んでいた。


昭和16年12月の対米開戦時、氏はまだ2歳、終戦時でも6歳。

「つい昨日のように思い出す」 って、
  いったい何のことを言ってるんだ?


昭和14年以降なら、マスコミ報道はほぼ強硬論一色である。

意図をもって相当数のメディアに目を通していた大人であっても、
非公開の検閲結果の推移を大雑把でも把握することは
困難であっただろう。

氏が驚異的な現実認識能力を有する天才児だったとしても、
学齢前児童が生前から始まっていた戦前の規制の広がりを
認識して記憶することなんて不可能に決まってるじゃないか。

おそらく戦後に刷り込まれた後知恵を基にして
「戦前の思い出」 をねつ造して喋っているんだろうな。
あるいはマンガの読みすぎ (書き過ぎ) で
現実とフィクションの区別がつかなくなっているのかもね。






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  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~






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戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その2 ~参考文献、URL~





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  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~





1.「戦う石橋湛山」 半藤一利  東洋経済新報社

2.「黒船の世紀」  猪瀬直樹  小学館

3.「朝日新聞の戦争責任」 安田将三 他 太田出版

4.「二十世紀 日本の戦争」 阿川弘之他  文春新書

5.「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」  
   田原総一郎責任編集 朝まで生テレビ収録本 アスキー

6.「朝日新聞血風録」  稲垣武 文春文庫

7.「日本の戦争」  田原総一郎  小学館





8.朝日新聞の戦争協力

一編 言論の自由とは
      (web 魚拓)
二編 創られた新聞弾圧
      (web 魚拓)
三編 販売競争と戦争報道
      (web 魚拓)

戦前の言論の自由について非常に詳しく検証。
正直、ここを見ればそれだけでOKなくらい充実しているが、
ちょっとサイトデザイン的に読みにくいのが玉に傷。

特筆すべきは、二編における 「マスコミは右翼の恫喝や
 在郷軍人会の不買運動、226などのテロの脅威に屈した」 
という通説への反論。恫喝や脅迫などに大した影響は無かったという
主張はこのサイトのオリジナルでありたいへん貴重だ。
要は、マスコミはやっぱり自発的に戦争を煽ったという話。

マスコミが受けたテロ被害実態のしょうもなさに思わず爆笑する。


9.朝日新聞の戦争責任
      (web 魚拓)

太田出版刊の同名書籍を画像付きで紹介している。


10.日本の戦争責任を追及する「朝日新聞」の戦争責任
      (web 魚拓)

「週刊新潮」平成14年8月29日号より抜粋。
朝日新聞への痛烈な罵倒の数々もさることながら、
当時の朝日の記事見出しの煽動表現の数々に苦笑しつつ、
その表現力の豊かさ、峻烈さに感心してしまう。
それ以上に驚きなのが、これらは軍部の強制をはるかに超えた、
当時の記者たちによる自発的な表現欲求の発露だったという事実だ。


11.朝日新聞の戦争責任/最大のA級戦犯は朝日自身だ
      (web 魚拓)

同じようなサイト記事名が続くが、これは朝日新聞が
いかに自発的に戦争を煽ったか、また戦後に手のひらを反して
いかに責任逃れに終始したかを指摘する証言集。
分量も豊富で読みやすく興味深い。

ただ、最初の方の田原総一郎氏の発言は、小池百合子氏の発言が
ミックスされており、他にも引用者のアレンジが
加えられている可能性は考慮したほうがいいかもしれない。


12.ジャーナリストから見た日米戦争 (PDF)

静岡県大教授の前坂俊之氏の論文。
対米感情が一気に悪化した排日移民法や
その世論に迎合したマスコミ批判を扱った
3P 中段から 10P 中段までの記述は必見。


13.日本新聞史<満州事変から太平洋戦争までの戦時期の日本の新聞>
      (web 魚拓)

上に同じく、前坂教授のサイト記事。


14.前坂俊之アーカイブス [戦争報道]

「兵は凶器なり」 と題された戦前の言論の自由を研究した
web 書籍で、53のPDFファイルが公開されている。

このエントリを書き始めて色々調べてる時に見つけて、
私も今から読み始めるところだが、
あちこち拾い読んだ限りでは物凄くレアな資料が満載。
何しろ冒頭いきなり、「近きより」 の正木ひろし氏に
手書きのガリ版刷りを見せてもらう話が出てくるのだ。

この問題に興味がある人なら全部見ても損は無いだろう。






<< 注 >>

私が実際に所有している書籍は 1.~ 7.までで、
  それ以外の引用はすべてネットなどからの孫引きであり、
  私は現物を見ていないという点に注意していただきたい。
  また、読みやすくなるよう全文引用ではなく
  私の方で要約している場合も多々あるため、
  できれば原文を確認すること推奨。

エントリ中の引用は書籍名、サイト名に
  振りあてられたインデックス番号のみで記述する場合あり。

やり玉にあがることが多い治安維持法に関しては、
  私は当時は必要悪の存在であって、
  戦争との因果関係も希薄だったと認識しているため、
  今回のエントリからは除外しているが、
   必要・要望があれば別記事で検討する予定。

戦前の戦争協力報道では、朝日新聞が
  やり玉にあがることがやたらと多いが、毎日 (東京日日) や読売だって
  似たようなものであっただろうから、  
  エントリではなるべくマスメディアと総称する。




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  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~







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戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その3 ~初心者向け基本編~





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  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~





田原総一郎責任編集 朝まで生テレビ収録本 
「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」 (株)アスキー発行



小池百合子 「さっきからの議論で抜け落ちてることは、
        世論をアジテートして 軍部をイケイケドンドンにした
          マスコミだと思うんです」 

田原  「マスコミがどうして戦争賛成になったかをいうと、具体的には
      日露戦争から 始まるんです。
      つまりね、反戦をやってると売れないんですよ。 
      みんな戦争反対ってやってると、
      売れなくなっちゃって部数が落ちて
      それで戦争賛成になっちゃうんですよね。 

   太平洋戦争が始まる前も実はね、マスコミは弾圧が有って
      戦争反対 と言えなかったというけど、嘘ですよ。
       むしろ煽ったんですよ、マスコミは。 
      これは今も昔も同じ。今もマスコミは煽ってんだ、やっぱり。」 


      「大正から昭和の初期は天皇批判ダメ、共産党ダメですよ。 
       しかしそれ以外の言論はいえたんです」 

猪瀬直樹  「メディアの問題で、言論の自由が無かったからと
         信じられてるけど、 言論の自由はかなりの部分まで
          認められてたんですよ。 
         例えば発禁になるでしょ。
           すると、「発禁の書」 って広告出して 
          また売るんですよ。そうするとかえって売れた。 
          だって要するに伏字を増やせばいいわけだから。 

          いろんな表現の仕方があったし、
         情報的にかなりきちっとした
         見通しを 書いた本もいっぱい出てます。 
         当時、日本とアメリカが戦争したらどうなるかと、
         そういうことを 全部シミュレーションした小説が
          いっぱい出てますよ。
          かなり正確に書いてます」 



「二十世紀 日本の戦争」 文春新書
    なぜ言論は機能しなかったのか (P92~)


阿川弘之  「五・一五事件がおきた昭和七年に、『文藝春秋』 が
         世界の戦局をめぐる大座談会をやっている。 (中略) 
         不思議なことに、出席者のうち、
          未来戦争の予測に対して
         一番冷静なのは現役陸海軍軍人なんです。
         いちばんカッとしてるのが三上於菟吉という
         僕みたいな文士なんだ (笑)感情でものを言っている。

         何故向こうが攻めてくる前に
          こっちから先にやらないのか、
         われわれ税金納めてるじゃないか、と (笑)


         文筆家のそういう責任というのは、新聞記者も含めて、
         大きいと思いますよ。責任というより、
         つまり無責任ですがね。」

猪瀬直樹  「(略) 三上が 『もう少し立てば米国が戦争を仕掛けてくると
         いうのでしょうが、なぜザックバランにやらんのです』 

         と景気がよいので、司会役の菊池寛もたまりかねて 
         『米国と戦争しても米国を征服することは
          できやしないでしょう』
            とたしなめています。」

阿川  「この座談会をどれだけの人が読んでどれだけの影響を受けたかは
      わかりませんが、三上於菟吉って今は忘れられているかも
      しれないけど、当時は大変な人気作家ですからね」

福田和也 「シナ事変の推進力のひとつは新聞ですね。文学者も林芙美子、
        南京に一番乗りとかやっている。菊池寛も漢口作戦に
        出張っていたり。文学者は敏感だから、世間の空気が
       すでに戦争に向かっていることを
        いち早く吸い上げるんでしょうね」

秦郁彦 「学者もひどいもんですよ (笑)。学徒出陣の際、
      名のある学者が、『中央公論』 のような雑誌で
      『喜んで死んでこいと私は言いたい』 
        なんてことを堂々と書いている」






侵略戦争へと軍部を挑発した新聞の責任
      (web 魚拓)


好戦的な戦争報道は、最も積極的に奨励された。
「売れる」 からである。 

読売は、満州事変がはじまると、
それまでは控えていた夕刊の発行に踏み切った。 
拡大された紙面は、当然、「満蒙の権益を守れ」 という
好戦的な怒号で埋めつくされるようになった。 

もちろんそのころには、戦争協力報道は
読売だけのことではなくなっていた。 

 社説の題は、まるで官報そのまま、
「強く正しく国策を遂行せよ」 であった。 
満州事変以後の日本を非難する国際世論への猛反撃である。 

「日本の権益は武力によってでも確保しなければならない」 とし、 
「国際連盟の問題についても、日本の主張が通らなければ
  脱退もやむを得ない」 
という趣旨の主張であった。 





読書録148(2001.10.25)
      (web 魚拓)

『昭和史の論点』(文春新書、2000年) 
 坂本多加雄・秦郁彦・半藤一利・保坂正康


▼戦争を煽ったマスコミ 

読書録117 (稲垣武 『朝日新聞血風録』) でも
読書録147 (田原総一郎 『日本の戦 争』) でも触れたが、
マスコミは戦争を煽ってきた。そのことが本書でも強調されている。

例えば、満州事変の頃の 『朝日新聞』。
事変勃発当時は事変反対の主張だったのが、
関西で朝日新聞不買運動が起こると
急に戦争支持の論調に変わった (40 頁)。
眉間を射抜かれた兵隊がまた歩き出す記事まで
書いたというから呆れる。
大衆 に迎合して戦争を煽ったと言われても仕方あるまい。 

国際連盟脱退の際にも、新聞12社は横並びで、
「国際連盟は日本の東洋平和の意図を わかっていない、
報告書は断じて受諾すべきでないと松岡を励ます宣言をだし」 
(保坂発言、56頁) たという。

さらにひどいことに
「政府も軍部もまだ本気で国連脱退を考 えていないとき、
 新聞が率先して脱退せよと政府の尻を叩いた」

 (半藤発言、59頁) そうだ。 

戦争の責任を考える際にあまり触れられないが、
マスコミにも国を誤らせた大きな責任があるのだ。 



▼戦争責任は国民全体にある

しかし、戦争を煽ったのはマスコミだけではない。
例えば、文学者・芸術家だ。

「日米開戦のとき、日本の文学者や芸術家の多くが、
まったく芸術性の欠けた表現で、積年のウッセキが晴れた、
いざ戦わん、などと日米開戦を賛歌していました」
  (秦発言、59頁)。

こう見ると、戦前の日本の過ちを軍部や政府のみに
押しつけることは、正しくないということが分かる。

日本人全体の責任という面も大きいのだ。国民にとっては、
一部の人間に騙されたと考える方が楽なのだろうが、
あの戦争の反省・総括をしっかり行なうためにも、
いま一度あの戦争の原因をしっかり検証する必要があろう。



戦争責任者の問題  伊丹万作
      (web 魚拓)

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。
みながみな口を揃えてだまされていたという。
私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間は
まだ一人もいない。ここらあたりから、
もうぼつぼつわからなくなつてくる。

多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、
はつきりしていると思つているようであるが、
それが実は錯覚らしいのである。

たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、
軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、
上からだまされたというだろう。
上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうから
だまされたというにきまつている。
すると、最後にはたつた一人か二人の人間が
残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で
一億の人間がだませるわけのものではない。

すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりも
はるかに多かつたにちがいないのである。

しかもそれは、「だまし」 の専門家と 「だまされ」 の専門家とに
劃然と分れていたわけではなく、
いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、
もうその男が別のだれかをつかまえて
だますというようなことを際限なくくりかえしていたので、
つまり日本人全体が夢中になつて互に
だましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは
人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。
「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子に
 うそをつかなかつたか」
 と。
たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、
一度もまちがつたことを我子に教えなかつたと
いいきれる親がはたしているだろうか。

いたいけな子供たちは何もいいはしないが、
もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、
彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず
戦争責任者に見えるにちがいないのである。


「だまされていた」 といつて
 平気でいられる国民なら、
 おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
  いや、現在でもすでに別のうそによつて
 だまされ始めているに
    ちがいないのである。







戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~








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戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~





戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~




「その1」 で触れた日露戦争と満州事変に関する、
政府・軍部の方針とマスコミ報道の温度差について、
簡単であるが改めて論じてみようと思う。


明治38年(1905)、日露戦争で日本は劇的な勝利を収めたわけだが、
実際はかなりの損害を被った上での辛勝で、
アメリカに仲介を頼んで何とか和睦に持ち込んだ
というのが実情だった。

だから賠償金など、有利な講和条件など引き出せるはずもなく、
日本の指導者たちは交渉決裂を恐れて、終戦を優先すべく
最低限の譲歩を引き出した上で、ポーツマス条約に調印した。

これはどう考えても賢明かつベストな選択で、外交戦略の勝利といってよい。

ところが、これにマスメディアが激しい批判を行った。いわく、


 「嗚呼 (ああ)、嗚呼、大屈辱」
  「天下不許の罪悪、日本に外交なし」
    「講和会議は主客転倒」 
   「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」 
  「小村許し難し」

     (小村とは、ポーツマス条約に調印した当時の外相)


このようなマスコミの論調が、日比谷焼打ち事件や各地で行われた
反対集会の火の手に油を注いだ事実は間違いない。

戦争中、日本の財政ひっ迫や莫大な損害状況など、
敵国に知られてはまずい情報が統制されていたため、
ロシアに勝ったら莫大な賠償を請求できると国民の多くが勘違いし、
暴動騒ぎに発展したという側面は否定できない。

しかしよく考えてみれば、戦時中の国家機密を報道させる自由を
マスコミに与えるバカ国家はどこにも無いわけで、
当時の日本政府は最低限の情報統制はやってても、
反国策的な言論自体を統制するまでには至らなかった。

講和を受け入れたなら、国民世論は怒り狂うだろうと
分かっていながら、何の手も打たなかったのである。

ちなみに、日露戦争前の世論動向に関しては、
その5 ~最初から強硬的だった世論~ で取り上げる。



ポーツマス条約 - Wikipedia
日比谷焼打事件 - Wikipedia
ポーツマス会議のあと、講和条約反対・戦争継続の世論が盛り上がった事情
      (web 魚拓)



次に、満州事変とは、昭和6年(1931)、中国東北部に駐留していた
石原莞爾ひきいる関東軍が、自作自演の爆破事件を口実に
引き起こした独断軍事行動。

当時の政府 (若槻内閣) はもちろん、
陸軍省や参謀本部ですら計画は事前に知らされていなかった。

若槻内閣は最初から、石原関東軍の自作自演の
可能性が高いと見ぬいていて、
速やかに不拡大方針を打ち出し、早期撤収を求めている。
増援を提議しようとしていた参謀本部も、
結局は不拡大方針に同意した。

          (7. 276P)


国家による言論統制が行われていたなら、
当然新聞やマスコミの論調も不拡大方針に沿ったものに
なったはずだが、実際にはそうはならなかった。

マスコミはいっせいに、

「暴戻なる支那側軍隊に日本軍が
  敢然として起ち、自衛権を発動させた」


「その非と責任は支那側にあることは
  疑いの余地が無い」


「いかに死命を賭しても、
 強く防衛にあたるかという
  厳粛無比の事実」


などと論陣を張り、満州事変を支持したのだった。


        (1. 114~115P)


もちろん、この時点で関東軍の自作自演は
国民には知らされていない。
しかし、マスメディアはどうだったのか?については
その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~ で検証する。





戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~










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戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その5 ~最初から強硬的だった世論~





戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~




wikipedia の日露戦争の記事を見ると、
政府の情報統制の結果、世論が好戦的な方向に誘導された、
と受け取れる記述がある。

しかし、世論は日露戦争の前から、
すなわち情報統制が行われる前から十分に好戦的だった。



(日露戦争前の) 日本のマスコミは、当初は、
非戦論と反戦論が交錯していたのだが、
日露の穏健派が表舞台から降りた頃には、
いずれも 「戦争やるべし」 という論調に変更し、
最も激しく 「戦争反対」 を主張し続けた黒岩涙香の
『万朝報』 もついには 「戦争やるべし」 に転じた。

内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦などはこの 「転向」 で
『万朝報』 を辞めた。

他の新聞は 『万朝報』 以前に 「戦争やるべし」 に
「転向」 していたのだが、 これは政府の弾圧のためではなく、
どの新聞も 「反戦」 報道では部数が激減したからである。

ということは、世論は挙げて 「ロシア撃つべし」 に
なっていたのである。

 部数の激変はマスコミにとって、
    弾圧よりも致命的だった。


          (7. 213P)



日清戦争後、「三国干渉」 によって国民は相当な
精神的忍従を強いられ、逆に戦争への意欲を
かきたてられてゆきます。
官吏の給与を一割カットして次回の戦争に備えようといった機運は、
かなり民衆に近いレベルから出てきたのです。
そうした自発性の上に、指導者は安心して
日露戦争の準備をすすめていられた。

あれは 「国民 (による) 戦争」 だったのですね。

      (4. 31P  中西輝政発言)




 日本の外交を通観して第二に感ずることは、
民間の世論が常に強硬で、政府の政策が常に慎重であつたことだ。
幕府の外交に始まつて約90年の間、
外交軟弱を以て攻撃されぬ政府を、我等はただ1つも
  ― 恐らくは第一次、第二次近衛内閣を例外として ―
指摘することは出来ぬ。

 (中略)

 外交目的は強硬にさへ出れば達せられる、
外交の実があがらないのは強硬に出ないからだといふのが、
幕末以来の一貫した民間常識であつた。

 (中略)

この民論はその性質上無責任で感情的だ。
だが、これが国民層に深く喰ひ込んで居る関係から、
これを無視してしまふことは全く不可能である。

清沢洌 『日本外交史』 上、5-7頁より抜粋引用。




 一時、国民外交が叫ばれた。国民の世論が支柱となり、
推進力とならなければ、力強い外交は行われないというのだ。
それは概念的に肯定される。が、外務省から見れば、
わが国民の世論ほど危険なものはなかった。

  (中略)

国民大衆は国際情勢に盲目であり、しかも思い上がっており、
常に暴論に迎合する。正しい世論の湧こようはずがないのだ。

  (中略)

ドイツ人を乗せたわが商船を、イギリス軍艦が房州沖で臨検し、
それが日本・イギリス間の問題となった。

  (中略) 

日本の強硬論者が騒ぎ立てた。たとえ領海外の臨検であっても、
いやしくも富士山の見ゆるところでのこの権利行使は
許しておけないと怒号し、 合理的に問題を
解決しようとする政府の態度を軟弱外交だとして責めた。



石射猪太郎 『外交官の一生』 (中公文庫、昭和61年11月)、
  507-8頁。






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  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~







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戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~





戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~




そして、そのような好戦的世論に迎合し、
販売競争を勝ち抜くために戦争を煽って
政府の尻を叩きまくったのが当時のマスメディアだった。

もちろん、戦時色が強まるにつれ、
言論統制が厳しくなっていったのは事実だ。

たとえば、昭和15年 (1940) に発足した内閣情報局は
定期的に大手マスコミ幹部と会合を行い、
政府や軍部の意向に沿った記事を書くことを強要している。

         (3.  241P)


また、昭和16年 (1941) 対米開戦翌日には
世論誘導方針として、

今回の対米決戦は帝国の生存と権威の確保のため、
まことにやむをえず立ち上がった戦争であることを強調すること


など18項目が通達されている。

自民新憲法起草委:「表現の自由」制限を検討 - kitanoのアレ
      (web 魚拓)



ただ、言論統制する理由は、軍事情報の漏えい阻止と、
敵国に付け込まれないよう国論を統一する必要があったからで、
その部分さえクリアできていれば
政府や軍部の要求を無視することも可能だった。

石橋湛山が主筆を務めた東洋経済新報では、
戦前・戦中一貫して戦争協力報道の拒否を貫いた。
当局からは目をつけられていたが、廃刊処分は免れた。


「太平洋戦争がはじまり、当局の圧力がいよいよ加わり
言論が完全に封殺されたとき、
 『戦争中にもかかわらず自由主義を捨てていない』
と軍部から目の仇にされた。
社内からも、このさいは社の存続を考えるためには
いくらか同調すべきではないか、との声が出た。
このとき、湛山社長は毫もひるまずにいってのけた。

『新報には伝統もあり主義もある。その伝統も主義も捨て、
いわゆる軍部に迎合し、ただ新報の形骸だけ残したとて
無意味である。そんな醜態を演ずるなら、いっそ自爆して
滅んだほうがはるかに世のためになる」


            (1.  15P)



その一方で、他のマスメディアの好戦姿勢は、
政府や軍部の要求のはるか上を行っていたのだった。

大体、上記の世論誘導方針が通達される前から、
朝日新聞は 「有題無題」 というコラム欄で

「国民の覚悟は出来ている。
  ひじきの塩漬けで国難に処せんとする決意は
   すでに立っている。


 待つところは、『進め!』 の大号令のみ」


と対米開戦を煽っている。

これは 「政府や軍部の意向に沿って強要」
された記事なのか?

日付は昭和16年10月17日で、東條内閣発足前日だ。
当時の政府や軍部では対米開戦強硬派と反対派に
分裂しており、陸軍は強硬に開戦を主張したが、
近衛首相や海軍は反対していた。
東條内閣でも、東郷外相賀屋蔵相嶋田海相木戸内大臣
なにより、天皇陛下が一番反対していた。
 (嶋田海相は後に賛成派に転向)

強硬派だった東條が次期首相に選ばれたのは、
陸軍を抑えることができるのは彼以外いなかったからで、
その東條も首相就任後は消極派へと立場を変更していく。

この時期の政府や軍部に開戦に関する統一された意向など無く、
アメリカとの交渉で開戦の回避を必死に模索していた。

強硬に主張したのは世論、マスメディア、
 そしてその支持を背景にした陸軍だったのだ。

 
開戦翌日の12月9日には、有力マスコミ 8 社共催で
米英撃滅国民大会」 の社告が朝刊に載っている。
これは、上記の世論誘導方針通達と同じ日だ。
通達が出る前から、マスコミは素早く連携して戦意高揚を
図っていたことがわかる。

また、日本はミッドウェー海戦で惨敗を喫したが、
大本営は引き分けの印象を与えようと、戦果をねつ造して発表した。

ここでも朝日新聞の煽動は大本営の思惑を上回り、

「ミッドウェー戦果拡大」

  
「敵艦隊を捕捉撃滅」

「日本をうかがう最後の拠点に
    先手を打った大鉄槌」


「危ないぞアメリカ本土の防衛」


などと、まるで日本が大勝したかのような

印象操作丸出しの見出しを紙面に躍らせた。

しかも自分のねつ造を棚に上げ、

「米海軍の発表は 『恒例のデマ発表』
  という通り相場になっている」


などと誹謗を付け加える念の入りようだった。

       (3.  58P ~ 65P)



戦後になってマスメディアの連中は、
「軍部の強制に委縮した」 とよく言い訳するが、
これが委縮していた人間に書ける表現だろうか?
明らかに筆がノッてるじゃないか。
他の戦意高揚記事も大体同じようなもので、
ノリノリで記事を書く記者の姿が思い浮かんでしょうがない。





同様の事例を挙げだしたらきりがないので、
最後にもう一つだけ。

「その4」 でも取り上げた満州事変の自作自演だが、
マスメディアは最初から関東軍の謀略に気づいていた。

満州での軍事行動にあたり、世論の支持が必要だと
感じていた関東軍は、朝日新聞の緒方武虎他数名の
マスメディア幹部と会合を開き、満州国独立の必要を訴えた。

「時代錯誤もはなはだしい」 と反論する緒方に対し、
小磯軍務局長は 「日本人は戦争が好きだから、
火ぶたを切ればあとはついてくる」 と答えている。

     (1.  88 ~ 89P)


また、若槻首相は新聞記者から、
 「読者から 『戦争はいつあるのか』 という問い合わせがある」
と聞かされているし、幣原外相も、民間業者から
「関東軍が軍備を蓄積しており、素人の居留民までもが
何かあると感じている」 と聞かされている。

一般人にすら、謀略の気配は察知されていた。

関東軍の不穏な動きに天皇陛下は激怒し、
軍中央は暴発阻止のため建川作戦部長を現地に派遣した。
そのため、関東軍は事変勃発の予定日を建川到着直後に繰り上げている。

     (1.  103 ~ 106P)


東京日日新聞記者であった石垣恒喜は満州事変勃発直後に
「われわれ若い記者クラブと雑談していたところ、(中略)
 (陸軍新聞班大尉から) 満州事変が関東軍の仕組んだ
 謀略である事を耳にした」
 ことを明らかにしている。

日本の国際連盟脱退をめぐる新聞論調
      (PDF  4P目)


さらには、事変勃発の4日後に満州に渡り、
10日後に帰国した大阪毎日新聞の野中成重記者は、
「日本軍の自作自演は明らかであり、まじめに勤務するのは
  バカらしいので社命を待たずに帰国する」

と実情を友人に伝えている。

     (1.  116P)


事変後に現地入りした特派員にすら
   謀略は見抜かれていた。


常駐していた新聞記者たちが気づかないというのは不自然だ。
ならば、好戦的に世論を煽る記事を書くのではなく、
せめて客観報道に徹して事態を見守るべきだった。

しかし、実際の報道がどうであったのかは説明するまでもない。

このように、マスメディアは言論統制に関係なく、
 自発的に戦争を煽った。
  そのことは、何度強調してもしすぎるという事は無い。






■■  捕捉  ■■

マスコミは好戦論一色で盛んに戦争を煽っていたのに、
なんで検閲や言論統制を厳しくする必要があったのか?
という疑問を持つ方がいるかもしれない。

たしかに両者は矛盾しているように見えるが、
その理由をここで書くと文章量が多くなりすぎるので、
捕捉エントリとして後日取り上げたいと思っている。





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  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
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  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
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戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~





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関東軍は満州事変の3年前に同様の独断軍事行動を
起こして満州制圧を試みている。(張作霖爆殺事件


(それが失敗に終わったのは)
世論が 「乱」 を好まなかったからである。
中国側の発表を進んで載せ、「満州某重大事件」 として
新聞はしきりに陸軍の陰謀を匂わせ、
世論はしだいにそっぽを向いた。

関東軍も陸軍中央も、つぎに事を起こす時には、
強力な宣伝と媒体の後援が必要であることを、
戦訓のひとつとして自分たちのものとしていた。

戦後の緒方武虎の述懐にあるように、軍部にとっては
「新聞が一緒になって抵抗しないか、
 ということが始終大きな脅威だった」
 のである。

     (1.  90P)



時は下って昭和16年 (1941) 、首相に就任した東条英機は、
陸軍時代の強硬論を引っ込めてしまい、対米開戦に
消極的になっていた。

そんな東條の実家には、日本全国から
手紙やはがきが大量に寄せられた。内容は

「米英撃滅」  「鬼畜米英を倒せ」
  「猶予は亡国、即時立て」  「弱虫東條」
  「いくじなしはヤメロ」 
    「何をぐずぐずしている」


といった非難の嵐であり、その数は首相就任から

開戦までの50日余りに3000通以上にものぼったと言う。

     (7.  486P)


さらに時は下って昭和19年 (1944) 2月、太平洋戦争の戦況は
日本の敗色が濃厚となっていた頃、「竹槍事件」 が起きた。

毎日新聞の朝刊一面に突如として

「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」

「敵が日本本土沿岸に
   侵攻して来てからでは手遅れである」


「竹槍では間に合わぬ
    飛行機だ、海洋航空機だ」


との見出しが躍ったのである。
これは戦争批判ではなく提言記事ではあったが、
東條首相は激怒し、発禁処分に課そうとした。
しかしこの記事は確信犯的に検閲を通さずに
発行されており、すでに配達を終わっていた。


東條は毎日新聞の廃刊を命令したが、
内閣情報局の村田次長は

「廃刊にするのはわけはありません。紙の配給を止めれば、
 毎日はあしたから出ません。
 ただし、よくお考えになってはいかがですか。

 毎日と朝日はいまの日本の世論を代表しています。

 その新聞の一つが、あのくらいの記事を書いた程度で
  廃刊という事になりますと、世論の物議を醸す。
  ひいては外国から笑われることになるでしょう」

と答えている。

     (3.  242P)



戦後の東京裁判の判事の一人であったラダ・ビノード・パルは

 「国務処理の責任者たちが、いかに世論と公衆の利益に
   敏感であったかは証拠の明らかにするところである」


と書き記し、「日本に独裁者はいなかった」 と擁護しているが、
ジャーナリストの清沢洌はそれに先立つ昭和8年、
ジュネーブ会議における斉藤首相と内田外相に対し、

 民論の赴くままに動くというよりも、寧ろ民論に責任を転化して、
    「世論の趨向」 とか 「国民の総意」 とかいって、
      この陰に隠れんとした


と非難している。また、

 「国家の絶大なる難局に面した場合には、
   暫く与論を無視し、国家のために一身を
     犠牲にするのも国民、殊に指導者の任務」 

 「今や、こういう国士的矜持を有している者が何処」 にも
   見当たらなくなった
と慨嘆している。

清沢は、世論の反発を覚悟してポーツマス条約に調印した
小村寿太郎のような、ある意味独裁者的な国士
どこにもいなくなってしまったことは国益に反する、と言っているのだ。


東京裁判研究会編 『共同研究 パル判決書(上)』
      775頁および、下巻473-5頁より。
  清沢洌 「松岡全権に与ふ」
       (『中央公論』、昭和8年5月号、162 ~ 167P)。
   緒方貞子 “外交と世論
       ―連盟脱退をめぐる1考察―”、40-41頁。







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  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~







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戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~





戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~




戦前の日本において、ある時期から反軍的、反国家的な言論統制が
厳しくなっていったのは事実だ。
それがいつ頃かは諸説あるが、私が見る限り、
日本が国際連盟を脱退した昭和8年 (1933) 以降と推定する。


根拠はいくつかあって、

「小日本主義」 を訴え続けた石橋湛山の
    膨張主義批判のピークが昭和6 ~ 8 年だった。

日米戦争で日本は負けると結論付けた
   未来戦記を複数著した水野広徳の 「海と空」 (昭和5年) は
   そのまま販売されたが、昭和7年の 「日米興亡の一戦」 は
    一度発禁処分になり、問題部分を伏字にして再刊行された。

             (2.  240P)

検閲強化による新聞の発禁件数は、
   昭和7年にピークを迎えている。(以降は自主規制が定着した)

             (3.  240P)

昭和8年の信濃毎日新聞の社説
  「関東防空大演習を嗤う」 は軍をこきおろした内容であったため、
  主筆の桐生悠々は退社している。

             (3.  247 ~ 249P)

  同年の毎日新聞の社説 「近畿防空演習について」 は、
  軍をこき下ろすと言うほどの過激な表現では無かったが、
  灯火管制などへの提言が問題視され、
  2日後に社説を訂正・再掲するという異例の措置となった。

  両紙とも検閲を通さないまま発行され、発禁処分もくらっていない。
  軍部の怒りを買ったため社内的な処分はあったが、
  法的処罰や行政処分は一切行われていない模様。

    「近畿防空演習」 社説訂正事件 PDF



というあたりになる。
ただ、その後も単発的、局地的、小規模的ではあったが
反軍的な言論は少なからず世に発表されている。


その筆頭は石橋湛山率いる東洋経済新報だろう。
日本の国際連盟脱退以降も、

「軍部は何を勘違いしているか」 (昭和8年)
 「政治が、軍部の政治関与を
   認めるごときことが、
     今日のわが政治の悩みだ」

                (昭和15年)
「理由なき外部の要求には屈従しない」
                (昭和18年)
  ●  東條内閣退陣時の言論統制批判 
                (昭和19年)
  ● ドイツ降伏に際して遠回しの戦争批判
                (昭和20年)

などの記事を書いているが、19年の言論統制批判は
さすがに当局が全文削除を命じている。

     (1.  10P、280 ~ 285P)


ジャーナリストから見た日米戦争 PDF

ところが、こうした中でもごく少数だが勇気をもって
書いた記者がいた。

先にも述べたが 『時事新報』 社説部長の近藤操は毎日
 「今日やられるか」 と覚悟しながら、
  2・26 事件 (昭和11年) から
約10ヵ月間にわたって厳しい軍部批判、粛軍論の社説を
書き続けた。

ところが、戒厳司令部からの注意は一度しかなく、
全く拍子抜けした、と戦後の回想録で記している。

 「各紙が筆をそろえて批判、
  直言したならば軍部や革新官僚に
    対する抑制効果は
      必ずあったに違いない。

非常時でもやれば出来たことであった。
  しかるに新聞は萎縮し、
   その言論責任を果たさなかった」



委縮、委縮ってよく言うけど、仮に記者が戦争反対だったとして、
自分の考えと正反対の仕事を押し付けられて
何百万人も死人が出る戦争に加担するなんて、
私だったら委縮する以前にそんな仕事すぐ辞めるけどな。

人殺しに加担してでも新聞記者の地位と給与を
守りたかったんだね?徴兵も免除されたみたいだしね。

それとも委縮してたってのはウソで、本当はノリノリで書いてたの?
おそらくそっちの方が正解だろうけどね。




通信販売の雑誌 『近きより』 は、
販売実数が最高で1万部程度のミニコミ誌であり、
共産主義者でない、裁判官の支持が多い、等の理由で、
何度か発禁処分を受けながらも、廃刊は免れた。

「国民を圧迫し続ける権力者たちにはいずれ
  鉄槌が下される」
 (昭和19年 大意)

「特攻隊員が命を散らしているのだから、
 東條氏もせめて硫黄島で働いたらどうか」

               (昭和20年)


などなど、なかなか過激な主張を行っている。

     (3.  252 ~ 254P)


その中でも最も有名なのは 「その7」 でも取り上げた
竹槍事件」 であろう。
驚くべきは、もっとも言論統制が厳しかった時代に
紳士協定を利用して検閲を潜り抜け、
発禁になる前に配達を終わらせてしまったという大胆な手口が、
堂々と通用していたという事実だ。

記事を書いた新名記者は懲罰召集されるも、
厭戦気分にとらわれていた海軍のバックアップを受け、
海軍報道班に配置されるよう手回しされている。



最後に、朝日新聞が廃刊を賭して権力に
抵抗した事例を紹介する。

開戦直前の昭和16年、政府は新聞統合を計画した。
全新聞社の資本を一つにまとめ、幹部の任命権を
政府がもつというものであった。

この案に、朝日、東京日日(現毎日)、読売の3社が結束した。
たとえ廃刊を突きつけられても歩調を乱さず、
政府の統合案に抵抗する、と意思を確認しあった。

この結束を前にして、政府は統合案を撤回するのだった。

     (3.  242P)


しかし、言論が脅かされても一切戦わない朝日が、
経営が脅かされて初めて必死に抵抗するのだから、
そしてその抵抗で政府案の撤回に成功してしまうのだから、
本業の言論の方でももっと頑張れば何とかなったんじゃないのか?
と言いたくなってしまう。

ああそうか、朝日にとっては、
反戦論みたいに部数を落とすだけの
ムダ言論を展開する理由は最初から何も無かったんだったな。



言論よりも金もうけが大事、というマスコミの本質が
よくあらわれている一件であると思った。





■■ 捕捉 ■■

ただし、大阪朝日と東京朝日、
東京日日と大阪毎日、読売と報知は
それぞれ統合されている。


新聞統制 - Wikipedia






戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~








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戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~





戦前の言論統制を非難する規制反対派のウソ  全記事一括表示


  その1 ~浅知恵でテキトーなことをいう規制反対派~
  その2 ~参考文献、URL~
  その3 ~初心者向け基本編~
  その4 ~日露戦争と満州事変に感じた疑問~
  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~




最後に、メディアが人にどういう影響を与えるかという、
メディア効果論について簡単に言及しておきたい。


支持される 「新・強力効果論」 支持されない 「カタルシス理論」


マスメディアの影響に関する研究は、1920年代から
主にアメリカで盛んに行われて来た。

当初は、ウォルター・リップマンが提唱した「強力効果論」が主流だった。
これは、「弾丸理論」 「皮下注射モデル」 とも呼ばれる
「マスメディアは人々に対して直接的に強い影響を与えている」
という理論で、
 (当時のマスメディアといえば主に新聞・ラジオ)
報道の提示する疑似環境に人々の意識が影響を及ぼされ、
反応し何らかの行動を起こすというもの。


これらは特に、ナチスドイツによる感覚系メディアを用いたプロパガンダに
多くのドイツ人がダマされたという事実をもって、
マスメディアの強力な影響力に対する警告という意味合いを
持ち合わせていた。


1940年代に入ると、ポール・ラザーズフェルドやジョセフ・クラッパーによる
「限定効果論」 が支持を集めるようになる。

情報の受け手は自分の信念や考えに基づいてマスメディアに対し
選択的に接触をしているので、マスメディアはごく限定的な影響しか
与えていない
という理論で、コロンビア大学が行った
エリー調査という実証調査研究の裏付けがあり、
素朴な強力効果論はほぼ否定された形となった。


1960年代後半になると、テレビというより強力なメディアの
普及により、「新・強力効果論」 が台頭するのだが、
戦前の日本のマスメディアは新聞、ラジオがメインなので
適用されるのはやはり限定効果モデルという事になるだろう。

戦前の日本の国民が戦争を支持したのは、
メディアに影響を受けたというよりも、
最初から好戦的だった国民が同じ主張をしている
メディアに選択的に接触していったという事で、
これは反戦を訴える新聞の部数が減少する一方、
好戦的な新聞の売り上げが上がったという
史実と合致している。

情報統制が世論にもたらした影響は、
 限定的であったと証明されたのだった。



ところで、児童ポルノ法の議論に接している方なら、
規制反対派がポルノを正当化したいがために
強力効果論が否定された研究結果を持ち出して 
「ポルノに悪影響は無い」 と主張していることはよくご存じだろう。

政治的言論の影響とポルノ表現の影響をいっしょくたにして語るという
こじ付け気味の論法には妥当性に疑問があるのだが、
それはさておき、一方で戦前の言論統制に話が及ぶと、
今度は強力効果論を都合よく引っ張り出して

「児童ポルノ規制が戦前の言論統制につながって戦争に・・・」

などとのたまうのだから話にならない。

それはともかく、

「強力効果論は否定されているからポルノの悪影響なし」

「言論統制で国民はダマされて戦争に突入した」


この2つの主張を同時に行っている人は、
あきらかに矛盾したことを言っているので
どっちかにした方がいい。

まあ、ぶっちゃけて言えば、

間違っててくれた方がこっちは面白いんだけどね。





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  その5 ~最初から強硬的だった世論~
  その6 ~自発的に戦争を煽ったマスメディア~
  その7 ~世論の反発を恐れた軍部、迎合した政府~
  その8 ~言論統制に抵抗したメディアもあった~
  その9 ~強力効果論を信じこむ規制反対派~













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