少年少女漂流記

思春期特有の妄想癖。
それが暴走して現実を浸食しちゃう話。
「中二病」ってかなり秀逸な言葉だと思うのだが。
この言葉に代表される思春期特有の痛い妄想。

じつは自分が見ている世界は全部嘘で、本当はもっとすばらしい世界が自分の住むべき場所なんじゃないか。
本当の自分はこんなんじゃないのではないか。
みたいな、現実逃避型の妄想を、一度もしたことがないっていう人は少ないと思う。
でも、きっと大人になるにつれてそういう妄想は記憶の奥に封印されていく。
だって恥ずかしいもの。
思い出したくないもの。

本作はそれをあえてメインにすえるという、荒技をかましたマンガ。

だから、自分は魔法少女だと思い込んでいる女子の話だとか、蟻が好きで、部屋で飼っている蟻をダシにして女の子を部屋に呼ぼうとする話しだとか。
心が折れそうになるシチュエーションの嵐。

ただ、そんなかなり痛い話ばかりなんだけど、妄想の暴走を描く、古谷兎丸の細密画みたいな筆さばきはいつも通り美しい。
あくまでもそういう「中二病」達にやさしい。

だから、ラストのわけのわからない終わり方も、なんとなく救いがあったというか、光を感じるものになっている。
今まさに中二病現役な若者達に、「それでいいんだよ。」と語りかけるキリスト様みたいな存在を感じさせる。

総じて、完成度が高い。

ただなあ。

個人的には、そういう光って必要なのかいな?みたいな思いもあって。
さぶい思い出はさぶい思い出として、美しい思い出と等価で重要なのでは?とか思ったりする。
美しい思い出ばっかりじゃ面白くないし。そもそもネタにならんじゃないか。
せっかくのさぶい記憶をあえて「それでいいんだよ」なんて受け入れる必要がどこにあるのだろうか。
それって、さぶい思い出を「なかったこと」にすることと同じくらいに味気ない処理の仕方のような気がする。

思春期なんてさぶいもんなんだし。
誰の思春期だって、程度の差はあれ、さぶいに違いはない。
だったら、それを笑いに昇華することこそが成長なんじゃないの?とか思った。

あと、個人的にだけど、古谷兎丸は、デビュー作〜二作目くらいまでが一番絵がうまかったと思っている。