とりあえず一巻だけ読了。
昨今のオタ要素(美少女文化 フィギア BL 等々)をベースにしつつ、古典SF(超能力、仮想現実、滅亡後の世界 等々)的な物語を展開する連作短編集ギャグ。
まあ、古い言葉で言うところのパロディ・・・なんだけど、それを一発ネタではなくてちゃんと物語に仕立て上げているところはお見事の一言。
昨今ではこういうのをハイブリッドな感覚と呼ぶのかもしれない。
また、過剰なテンションとギャグの応酬は「センチメントの季節」で名を挙げた榎本ナリコっていう作家さんの作品の幅を広げて見せることに成功していると思う。
昔からのファンへのサービスという意味でも、新規の読者開拓という意味でも、うまく作戦がはまったなという感じ。
実際、刊行当時、話題にもなったよな。
木村紺の「巨娘」に通じるマーケティング的な戦略がある気がする。
でも、個人的には、このマンガには「巨娘」とか、沙村広明の竹井てあしとか、あるいは鈴木央の「金剛番長」を読んだ時に感じた『作者は血迷ったのか!?』っていう驚きは少なかった。
むしろ、「ああ、こう来たか」という、なんとも冷めた感想で。
それは作者の別の一面が噴出した、というよりは、こういう世界を仕事として描いたという感じが強かったからだと思う。
そもそもこの人って確か幽遊白書とかのBL同人誌から出てきたんだよなあ。
そう考えたら、ここで行ってる、「誰かが作った世界観を元に自分の物語を語る」っていうのは、元々特技だったわけで。
(未読だけど『こころ』の現代verとかも描いてたはず)
今作も勢いで描いたというよりは、頭で計算してわざと狂っていった感じ。
あるいは、使えそうなパーツをオタク界隈から拾ってきてつなぎ合わせた感じ。
そういう意味でまさにプロの仕事。
実際、どの話も作り込まれ、練り込まれていた。
その作り込まれ方や完成度には、榎本ナリコの別の一面というよりも、むしろ『センチメントの季節』等のいわゆるブンガク的作品群に通じるものがある気がした。
『センチメントの季節』から連なる「センチメンタルな若者達の感傷的な物語」群ってのは確かにこの人の持ち味だったんだろう。
でも、当時、僕はそれにどうにもはまりきれなかった。
その理由は、この人の描くセンチメンタルがどこか、「頭で考えたもの」に思えて仕方がなかったからなのだけど。
今作を読んで感じたのは、この作家さんにとってアニメのパロディもインターネットの戯れ言も、あるいは繊細な少女の世界も全て等価に、「自分の商品」を作るパーツなんだろうなあということで。
例えばデビュー時に持ち味だった「センチメンタルな感じ」から、既に「誰かが作った世界」の一部だったんだろうなぁと。
それっぽいものをそれっぽく組み合わせる才能というか。
そう考えると、今作みたいなのが出てきたのは必然だとも言える。
まあ、
既存のものを組み合わせて、自分の世界を作る。
それ自体は90年代のサンプリングミュージック以降、王道といえば王道なわけで、責められるものではない。
また、上にも描いたけどこの人の仕事ってとても手堅いし、丁寧。
今作なんか、作劇的にはとくに丁寧な仕事だと思う。
だから、これも好きな人は好きだろう。
ただ、その隙の無さからはあまりにも商業誌の匂いがするというか、プロの手堅い仕事という感じがぷんぷんする。
パロディの対象も、これまた王道。
どうにもこうにもぶっこわれた感じが希薄なので、個人的には満足できなかった。
サブカルパロディにしてもセンチメンタルブンガクにしても、どこかに破綻というか、ほころびがないと情緒がない気がする。
まあ、古い言葉で言うところのパロディ・・・なんだけど、それを一発ネタではなくてちゃんと物語に仕立て上げているところはお見事の一言。
昨今ではこういうのをハイブリッドな感覚と呼ぶのかもしれない。
また、過剰なテンションとギャグの応酬は「センチメントの季節」で名を挙げた榎本ナリコっていう作家さんの作品の幅を広げて見せることに成功していると思う。
昔からのファンへのサービスという意味でも、新規の読者開拓という意味でも、うまく作戦がはまったなという感じ。
実際、刊行当時、話題にもなったよな。
木村紺の「巨娘」に通じるマーケティング的な戦略がある気がする。
でも、個人的には、このマンガには「巨娘」とか、沙村広明の竹井てあしとか、あるいは鈴木央の「金剛番長」を読んだ時に感じた『作者は血迷ったのか!?』っていう驚きは少なかった。
むしろ、「ああ、こう来たか」という、なんとも冷めた感想で。
それは作者の別の一面が噴出した、というよりは、こういう世界を仕事として描いたという感じが強かったからだと思う。
そもそもこの人って確か幽遊白書とかのBL同人誌から出てきたんだよなあ。
そう考えたら、ここで行ってる、「誰かが作った世界観を元に自分の物語を語る」っていうのは、元々特技だったわけで。
(未読だけど『こころ』の現代verとかも描いてたはず)
今作も勢いで描いたというよりは、頭で計算してわざと狂っていった感じ。
あるいは、使えそうなパーツをオタク界隈から拾ってきてつなぎ合わせた感じ。
そういう意味でまさにプロの仕事。
実際、どの話も作り込まれ、練り込まれていた。
その作り込まれ方や完成度には、榎本ナリコの別の一面というよりも、むしろ『センチメントの季節』等のいわゆるブンガク的作品群に通じるものがある気がした。
『センチメントの季節』から連なる「センチメンタルな若者達の感傷的な物語」群ってのは確かにこの人の持ち味だったんだろう。
でも、当時、僕はそれにどうにもはまりきれなかった。
その理由は、この人の描くセンチメンタルがどこか、「頭で考えたもの」に思えて仕方がなかったからなのだけど。
今作を読んで感じたのは、この作家さんにとってアニメのパロディもインターネットの戯れ言も、あるいは繊細な少女の世界も全て等価に、「自分の商品」を作るパーツなんだろうなあということで。
例えばデビュー時に持ち味だった「センチメンタルな感じ」から、既に「誰かが作った世界」の一部だったんだろうなぁと。
それっぽいものをそれっぽく組み合わせる才能というか。
そう考えると、今作みたいなのが出てきたのは必然だとも言える。
まあ、
既存のものを組み合わせて、自分の世界を作る。
それ自体は90年代のサンプリングミュージック以降、王道といえば王道なわけで、責められるものではない。
また、上にも描いたけどこの人の仕事ってとても手堅いし、丁寧。
今作なんか、作劇的にはとくに丁寧な仕事だと思う。
だから、これも好きな人は好きだろう。
ただ、その隙の無さからはあまりにも商業誌の匂いがするというか、プロの手堅い仕事という感じがぷんぷんする。
パロディの対象も、これまた王道。
どうにもこうにもぶっこわれた感じが希薄なので、個人的には満足できなかった。
サブカルパロディにしてもセンチメンタルブンガクにしても、どこかに破綻というか、ほころびがないと情緒がない気がする。
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