ブラックパンサー (オリジナル・スコア)

ヒーロー映画のあるべき姿。
以下、若干のネタバレ。
なにやら大仰な書き出しで始めたけども。
とにかく、いいヒーロー映画を見たというのが率直な感想だ。

アクションよし、ビジュアルよし、ストーリーよしと、ヒーロー映画に望むべくもの全てが超高得点。
そりゃあ、見たあと鼻息も荒くなるってなもんだろう。
で、何がよかったかと言うと、それらの「よかったところ」の全てがとてもフレッシュだったってところで。
特にビジュアルに関しては、ブラックパンサーというヒーローがアメコミ初の黒人ヒーローだということをこれでもかというくらいにアピールしてきており、それがビッシビシにかっけーのだ。
これまでの白人一辺倒だったヒーローの持つかっこよさとは明らかに異なったかっこよさが画面の端々にあふれており、眼福としか言いようがなかった。

特に、ワカンダ(ブラックパンサーの故郷)で行われる王位継承の儀式のシーンでの、アフリカンの民族衣装をうま〜くアレンジしたビジュアルが最高。
見方によってはSFっぽくもあったり、でも同時にアフリカならではの熱というかパワーも感じられて。
とにかく、これまで見たことのない「かっこよさ」を堪能できる。
個人的にはサプールの映像を初めて見た時の衝撃にも似た感動があった。

で、そういったやたらにクールな装いで訴えてくることは、かっこよさは白人だけのものじゃねえぞっていう強い意思であり、同時に白人的な価値観とかアジア的な価値観とかありとあらゆる価値観、そういったもの全てをお互いにリスぺクトしていこうぜっていう単純明快にして最もオーソドックスな”理想”だ。
で、その理想はラストの明確過ぎるほど明確なトランプ政権批判につながる。
「賢きものは橋をかけ、愚かなものは壁をつくる」
そう!まさにそれ。
劇場で自分が感じた興奮は、そういった当たり前の理想論をちゃんと語ってくれたところにある。

なんというか、色々ややこしい昨今、それぞれの価値観をそれぞれに尊重し合うっていう簡単なことが一番難しいってことが露呈しつつあるわけだ。
勿論、それは昔から難しいことだったのだろう。
でも、今の問題はその達成が困難であること・・・・よりもむしろ、それが露呈してしまっている、あるいはその難しさだけを露骨にアピールすることが「現実的」とされてしまうところにある気がする。
まあ、それも大切なんだろう。理想だけで飯は食えない。
でもさ。
まずは、理想を語らないと何も始まらない。何も変わらない。
少なくともヒーロー映画という子どもも観るジャンル映画で、理想を語らなくてどうするんだよと思う。

また、本作が素晴らしいのはその結論に至る過程に於いて、主人公であるティチャラ自身もまた変わるというところだろう。
主人公だってずっと正しいわけではないのだ。
主人公だって、先に書いた「現実の厳しさ」を理解していないわけではないのだ。
でも、そこを乗り越えて、ワカンダの新しい王として、ある決断をする。
その、乗り越える姿があるからこそ、ラストに語る理想に重みがある。

ティチャラを乗り越えさせるのは、本作の悪役キルモンガーだ。
誰もが思うことだろうけども、このキルモンガーの圧倒的な説得力は見事。
なんというか、手段はともかく言ってること自体はキルモンガーの方が正しいじゃないかと思う人も多いだろうし。
実際キルモンガー的な思考で現実と戦ってきたアフリカ系アメリカ人は少なくないわけで。
ここで語られるアフリカ系アメリカ人の怒りは、エンタメ映画としては異例の重みがある。

そんなキルモンガーとティチャラの戦いは、激しいアクション満載ではあるが間違いなく「対話」でもある。
対話とは討論ではない。
どちらが正しいのかを決めるのではなくて、どちらも正しいのだから、それぞれに少しずつ歩み寄る。
お互いがお互いの主張をぶつけ合い、そのぶつかりの中から新たな道を模索する。
勿論ヒーロー映画だから、最後はティチャラが勝つし、キルモンガーはこの舞台から退場する。
でも、その対話を経てティチャラは変わる。
この「対話」をきちんと描いているところにもグッときてしまったし、ここでちゃんと対話しているからこそ、ラストの「賢きものは〜」にもちゃんと説得力がある。
その意味で、キルモンガーという存在はワカンダにとって、あるいは世界にとってちゃんと意味はあったのだ。

というわけで。
まさに今見られるべき理想のヒーロー映画だった。
こういう作品がちゃんと出てくること、そしてちゃんとヒットするっていうのがアメリカの底力だよなぁ。
で、そこにかすかだけども、確かな希望を感じるのだ。