【チラシ付き、映画パンフレット】 万引き家族  MANBIKIKAZOKU

仕事にかまけて、△らすっげー間があいてしまった・・・・
とりあえず大急ぎでを。
信代というキャラクターは、この家族の中にあって最も現実的な人物だ。
勿論、現実的というのは、別に堅実だとか、地に足が点いているという意味ではない。
ただ、「現実を見ている」もしくは「現状をわかってはいる」という意味に於いて、彼女は現実的だ。

でも、だからこそただ父親に流されていた祥太とか、あるいは状況に流されていた治と違って、はっきりとこの生活を選んだことに対する自覚がある。
そして、それをずっと守っていこうという強い意思があり、なんならそこに責任も感じている。

その責任故に、例えば、りんを家族として迎え入れることにも、はじめは慎重だったのだろう。
あるいは、自分の同僚に、自分たちのしていることがバレているとわかった時には「殺す」という凶悪な言葉を吐き捨てたのだろう。
彼女にとって、この生活は、はっきりと「守るべき対象」として位置付けられている。

で、その強い意思は、裏を返せばこの家族形態が、偽物であるということに対する痛烈な自覚でもあるわけで。

その証拠に、りんを受け入れてからは、むしろ積極的に、意図的に、りんと親子関係を結んでいく。
お風呂でお互いの傷を見せ合うシーンは、りんと信代がお互いを家族として受け入れ合うシーンだ。
あのシーンの神々しさというか、説得力は凄い。
少なくともあのシーンだけは、どれだけこの家族に批判的な観客であっても、この二人の関係を肯定できてしまう。
この辺りは、父親役であるリリー・フランキーの、なんとなく状況に流されている感じとは対照的だ。

信代にとって、家族とは、傷を見せ合い、受け入れ合い、癒やし合うものであり、それができる場所だ。
そして、自分がそれなしでは生きていけない存在だと、はっきりと自覚している。

信代は劇中何度か「血がつながっていないからこそ、絆が深い」的なことを口にする。
後半、信代が子どもを産むことができない身体だということがわかってからは、この台詞が非常に重たい意味を持つことになるのだけども、それはそれとして。
不自然なまでに、絆という言葉にこだわる信代の姿は逆説的にこの家族形態の不自然さを肯定してしまう。
信代というキャラクターは、この家族ごっこに対して、最もその脆さを認めている。
そのうえで、それでも自分が、この家族ごっこなしには生きていけないことを理解しているのだ。

だからこそ、この物語の終盤、祖母の死体遺棄を先導するのは信代なのだし、あるいは祥太に本当の親の情報を与えてこの家族ごっこを実質的に終わらせるのも信代だ。
それは、どちらもなんとなく状況と情に流されて生きている治にはできない決断ではある。

これを「女は強い」とか「女は怖い」的な流れで読むと、物語の筋を読み違える。
そうではなくて、信代にとっては、この家族ごっこは、紛れもなく「現実」であり、生きるための手段だったということ。
そして、その内包する根本的な「悪」とか「無理」を理解していたということ。
それが全てだろう。

クライマックス、池脇千鶴の「正論」に涙を流す信代の姿は、本当に哀しい。
でも、それは決して「温かかった疑似家族が、公権力によって破壊された」みたいな安っぽいストーリーには回収されない哀しさだ。
と、同時に当たり前だけども、自分たちの悪事を認めての悔恨の涙でもない。

ここで描かれるのは、正しいとか、正しくないとか、そういう二項対立では回収できない、「なにか」だ。
でも「こうなるとわかっていながらも、こう生きることを選んだ」人間の、「なにか」だ。
これこそが監督の言う「大きな物語」に回収されない小さな物語なのだと思う。

ただ、ここに記しておきたいことは、この「なにか」は信代が選んだ「なにか」なのだということだ。
色々思うところはあるだろうけども、結末まで含めて信代はその選択を、自分の責任に於いての選択だと、断言するだろう。
そこに一筋の誇りのようなものを感じる。

僕らはおそらく、この「なにか」を完全に言語化することはできない。

でも、言語化できない感情を描くことにこそ、物語は意味を持つ。
安易に、単純な言葉に置き換えることは、肯定であれ否定であれ、この信代の生き方を矮小化することになるだろう。
世界は、そんなに単純ではないし、単純であってはならない。

そして同時に、言語化できないそれを、なんとか言語化しようとする行為を諦めてもいけないような気はするのだ。
もし、何も考えずに鑑賞して、何も考えずに終わるには、この映画が残す余韻は余りにも生々しい。

で、その生々しい余韻をなんとかしたいってのが、こんな風にブログなんか書いちゃったりする行為なのだとは思う。
そうやって考えることはきっと、何か意味がある。

少なくとも、自分がこんな長文でこの映画を語ろうと決意したきっかけは、あの取り調べ室の信代の涙を見た時の自分の感情の暴発を、なんとか整理したかったからだ。

と、まあ三回目にして早くも結論めいたかんじになっちゃったけども。
もう少しだけ続く。