ひさびさに読み返した。

こんなアンドロイドみたいな娘さんが、全国の少年を夢中にさせていた時代もあったのかと考えると、なんというか、全体的に日本人の童貞力も下がってきてんのかなぁとか、そんな妙な感慨で胸がいっぱいになった。

美人で勉強もできてスポーツもできて、性格もよくて・・・・て。

ここまで完璧な設定のヒロインでラブコメできた、このころのあだち充御大の童貞力は筋金入りだと思う。

で。

読み返して改めて確認したんだけど、これってカッちゃんが死んだところで物語としてはほぼ終わってるんだよなあ。
あとは、そのバトンを兄貴が受けとめるってところでクライマックス、ハッピーエンド。
それが一番きれいな形だろうと思う。

少なくともその先、延々と続くのは、物語としては蛇足でしかない。
長く続けば続くほど、登場人物が増えれば増えるほど、最大のライバルであったはずの和也の存在は読者の意識からは薄く消えていくのだし、かといって物語の性質上、和也以上のライバルを出すわけにもいかないから、にっちもさっちもいかない。

にも関わらず人気連載の宿命でだらだらと続けさせられてしまったのは、なんとも作品にとっては不幸なこと・・・のはずなんだけど。

このマンガ、不思議なことにこのだらだらと続く蛇足の部分が、悪くない。
なんというか、それなりに楽しく読めてしまう。

それは、ここにきて職人技みたいになってくる、作者のあの誰にもマネできない間合いのせいもあるんだろう。
でもけっきょくのところ、ノリにノってる連載がもつ変な勢いみたいなもんだったんだろうなという気がする。

おそらく連載時は、読者の誰もが素直にタッちゃんと南を応援していたんだろう。
そこには、トータルで読んだときのバランスとか、完成度とか、そういう視点は微塵もない。

連載という特殊な環境が生んだ、作品と読者の美しくだらだらした関係。
そういうものを、見せつけられた気がした。

それは、まあ、後から読む人間にとったら鬱陶しくなくはないのだけど、否定するようなものでもないよなあとか思う次第。

週間連載のマンガってのは、完成度とはまた別の評価軸もある。
そういうことなんだろう。

しかしまあ、本編よりもエピローグが長いなんて作品は、これくらいだろうなあ。

で、そんなスタイルこそが「残されて生きていく」ってテーマの露骨な表現になってたりもするから何ともかんとも。

追伸

しかし改めて確認したんだけど、ほんとにカッちゃんがかわいそうすぎる。
報われないにもほどがある。
物語の途中退場をさせられるは、恋にはやぶれるは、死んでからは「天才って言葉は兄のほうにふさわしい」とか言われちゃうはで散々・・・

追伸2

しかしこのマンガほど努力を否定してるマンガもないよなあ・・・・

追伸3

喫茶店って言葉が妙になつかしかった・・・・