自分の言葉を紡ぐ、という行為はとてつもない熱量を要します。
言葉の一つ一つを慎重に選んで、物語を一つ書きあげることは、命を削っていると言っても過言ではないと思うのです。
久しぶりに市川拓司さんの本を読みました。
彼の本はエッセイを含め結構読んでいますが(実は未だ出世作である「いま、会いにいきます」は読んでいない)、作家自身を知ることで作品への理解を深めることができる、典型的な作家の一人だと言えます。
作家自身を作中人物に投影しているからなのですが、彼の生まれながらの病が彼の本質から切っても切り離せない (つまるところ、アイデンティティの形成に切り離せない事項である) ものであるからこそ、作中での設定が特異になりがちなんですね。
ここが好みの分かれどころだとは思うのですが、端的に言えば彼という人間に近づきたいと思えるかどうかだと思うのです。
>おそらくは読み手の神経の活性度と、読んでいるときの印象は関係している。活性度が高いほど、テキストに反応して潜在意識が顕在化してくる。共鳴ですね。
(ご本人のブログより抜粋。)
普段小説ではなく、医学書や物理学書を読んでいるということだけあって、ブログでは論理的な自己分析がなされているのですが(正直ここまで真っ向から自分をとらえて向き合って、さらにそれを公開している人を私はあまり見たことがない)小説はそれとは対極に位置していると思います。
ふわふわと幻想的で、わかるようなわからないようなリトルファンタジックな世界感。不思議ですね。まぁでもその点についても説明してあるのですが。
>度を超えたナイーブさというある種の狂気を描くこと。とことん誠実に、じっと耳を澄ませ、自分のうちなる声を掬い取り、物語にする。それ以外のことはやろうとしてもできないし、それなら他の作家さんたちがすでにちゃんとやっている。
(ご本人のブログから抜粋。)
市川拓司という人は視覚的な部分が非常に優れている人らしく、映像を文章に書き起こす、というような作業で小説を書いているらしいのです(どこで読んだか忘れた;)。
結局何が言いたいのかまとまりませんけど、小説の好みっていうのは要は自分の中の何かと共鳴するかどうか、そこに尽きるような気がします。
*
あ、今回読んだのは「吸涙鬼」でした。世界感がその後に出版された「ぼくらは夜にしか会わなかった」と類似していてスピンオフにあたるのかと思いましたが、よく考えたら市川さんの作品全てに共通する世界感でしたね。でももう一度「ぼくらは~」の方も読んでみたいと思います。
*
小説というのは、とても分かりやすいメッセージです。
「わたしはここにいます」。
同じ思いを抱えて生きている人間はそれを見つけます。
そして、安心するんですね。
この世界に、こんな生き方をしている人間が他にもいるんだ。わたしひとりだけではないんだ、って。
混乱は少しだけおさまります。いままでよりも、少しだけ深く息が吸えるようになる。
市川拓司
「きみはぼくの」より
言葉の一つ一つを慎重に選んで、物語を一つ書きあげることは、命を削っていると言っても過言ではないと思うのです。
久しぶりに市川拓司さんの本を読みました。
彼の本はエッセイを含め結構読んでいますが(実は未だ出世作である「いま、会いにいきます」は読んでいない)、作家自身を知ることで作品への理解を深めることができる、典型的な作家の一人だと言えます。
作家自身を作中人物に投影しているからなのですが、彼の生まれながらの病が彼の本質から切っても切り離せない (つまるところ、アイデンティティの形成に切り離せない事項である) ものであるからこそ、作中での設定が特異になりがちなんですね。
ここが好みの分かれどころだとは思うのですが、端的に言えば彼という人間に近づきたいと思えるかどうかだと思うのです。
>おそらくは読み手の神経の活性度と、読んでいるときの印象は関係している。活性度が高いほど、テキストに反応して潜在意識が顕在化してくる。共鳴ですね。
(ご本人のブログより抜粋。)
普段小説ではなく、医学書や物理学書を読んでいるということだけあって、ブログでは論理的な自己分析がなされているのですが(正直ここまで真っ向から自分をとらえて向き合って、さらにそれを公開している人を私はあまり見たことがない)小説はそれとは対極に位置していると思います。
ふわふわと幻想的で、わかるようなわからないようなリトルファンタジックな世界感。不思議ですね。まぁでもその点についても説明してあるのですが。
>度を超えたナイーブさというある種の狂気を描くこと。とことん誠実に、じっと耳を澄ませ、自分のうちなる声を掬い取り、物語にする。それ以外のことはやろうとしてもできないし、それなら他の作家さんたちがすでにちゃんとやっている。
(ご本人のブログから抜粋。)
市川拓司という人は視覚的な部分が非常に優れている人らしく、映像を文章に書き起こす、というような作業で小説を書いているらしいのです(どこで読んだか忘れた;)。
結局何が言いたいのかまとまりませんけど、小説の好みっていうのは要は自分の中の何かと共鳴するかどうか、そこに尽きるような気がします。
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あ、今回読んだのは「吸涙鬼」でした。世界感がその後に出版された「ぼくらは夜にしか会わなかった」と類似していてスピンオフにあたるのかと思いましたが、よく考えたら市川さんの作品全てに共通する世界感でしたね。でももう一度「ぼくらは~」の方も読んでみたいと思います。
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小説というのは、とても分かりやすいメッセージです。
「わたしはここにいます」。
同じ思いを抱えて生きている人間はそれを見つけます。
そして、安心するんですね。
この世界に、こんな生き方をしている人間が他にもいるんだ。わたしひとりだけではないんだ、って。
混乱は少しだけおさまります。いままでよりも、少しだけ深く息が吸えるようになる。
市川拓司
「きみはぼくの」より