The Broken Lives of Fukushima
Oct 4, 2013

2011年に日本の北東部を巨大な地震と津波が襲い、福島の原発を破壊し約1万6千人の命を奪ってから2年半が経過した。放射能汚染が広範囲に広がったことが明白となったとき、政府は原発近隣住人およそ16万人を避難させ、周囲20kmを強制的な立入禁止区域とした。

現在、東京電力は未だに壊滅した原発の汚染水の処理に苦闘している。元の住民たちは月に一度だけ帰ることが許されているが、現地に泊まることは禁じられている。ロイターのカメラマン、ダミール・サゴルジはそうした元住民たちの日帰り帰郷に同行し、心に残る風景と災害によって引き裂かれた生活をカメラで捉えてきた。


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2013年9月13日、日本の福島県富岡町の近く、津波で損傷した第一原発付近で警備員が警戒区域へ至る国道6号線を塞いでいる。町の元住民たちは月に一度、特別な許可により警戒区域にある自宅へ訪れることができる。合計16万の人々が第一原発の近隣にある彼らの家から退去するよう命じられた。


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2013年9月23日、人のいなくなった福島県浪江町の通りを街灯が照らす。
浪江町には2万人以上の住民が暮らしていた。


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2013年9月16日、第一原発の南、いわき市付近を台風が襲い防波堤で波が弾ける。
2011年3月11日の地震と津波以来、福島県のほぼすべてのビーチは閉鎖されたままだ。
今年7月、損傷した第一原発を管理運営する東電は数ヵ月に及ぶ否定を撤回し、数百トンもの汚染地下水が海へ流出していることを認めた。


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2013年9月23日、第一原発から僅か6kmの津波が襲った浪江町にある放置された家、その中から見える草むらで横たわる釣り船。


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2013年9月22日、津波が襲った浪江町の沿岸地域にある小学校のプール。


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2013年9月23日、クレーンと煙突が見える第一原発を背景に、防波堤や破損した車、漂流物が散乱する浪江町の沿岸地域。

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2013年9月23日、浪江町近く、破損し錆びついた車と崩れた防波堤。


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2013年9月22日、浪江町海岸線近く、放棄された家の前にある小さな慰霊碑。


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2013年9月21日、福島県南相馬近くの警戒区域内の芝生の中に取り残されている損傷した仏像。


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2013年9月15日、放棄された浪江町役場付近の放射線濃度を示している。


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2013年9月22日、浪江町海岸近く、損害を受けた小学校の内部。


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2013年9月22日、住民が避難した福島県双葉町の道路で自然が力を取り戻し始める。
数十年前、住民たちは第一原発の施設を誘致したことを誇りにしていた。
原子力がこの町を繁栄させるという看板を掲げていたほどに。
現在、彼らは日本中に散らばりいつ家に戻れるかもハッキリしていない。


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2013年9月23日、住民が避難した浪江町の朽ち果てた家の前で灯る赤信号。


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2013年9月23日、津波で破壊された浪江町の沿岸地域、墓地を訪れた彼女は損傷した家族の墓にもたれかかる。


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2013年9月21日、警戒区域にある住民が避難した福島県南津島の墓地で、避難者として亡くなったヨツノ・カンノの小さな葬儀を執り行う僧侶がガイガーカウンターを装備している。
2011年の第一原発災害で他の住民と共に避難したカンノは、今年5月、100歳の誕生日の2週間前に仮設住宅の中で息を引き取った。


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2013年9月21日、警戒区域内にある福島県南相馬の田んぼの中で放置されている津波に運ばれた自動販売機。


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2013年9月13日、東電の労働者が浪江町に生い茂る野生の植物を狩り取っている。


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2013年9月23日、浪江町の小学校の中には、捻じれた時計にクモの巣とがれき。


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2013年9月17日、アトムを抱いているケイゴ・サカモト(58)は、楢葉町近くの警戒区域内の彼の家で21匹の犬と500以上の動物を保護している。第一原発近隣の警戒区域から退去することを拒否した元介護士兼農家のサカモトは、2011年の津波と原発事故の直前に産まれたので彼の犬をアトムと名付けることに決めた。福島県外からの寄付と支援により、サカモトは元の飼い主に警戒区域内で捨てられた多くの動物たちと一緒に生活している。


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2013年9月15日、京都から来た消防士たちが、住民の避難した浪江町の沿岸地域を訪れ犠牲者へ敬意を表する。


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2013年9月14日、人のいなくなった浪江町の線路上に野生の草花が生い茂る。


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2013年9月15日、津波が襲った浪江町の荒れ果てた家から密生した植物が見える。


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2013年9月18日、ミエコ ・オオクボ(59)は義理の父フミオ・オオクボの遺影とジャケットと共にポーズをとる。住民が避難した飯舘村にある彼が自殺した部屋で。
警戒区域の外で生活するミエコは、一日おきにやって来てフミオの犬に餌を与え家の掃除をしている。


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2013年9月18日、この部屋で自殺したフミオのジャケット。
102歳の農家だったフミオは、当局から退去を命じられた後に、彼が生涯を過ごした家で首を吊った。


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2013年9月18日、ミエコ ・オオクボ(59)は義理の父フミオ・オオクボがどう自殺したかを説明する。
ここではないどこかで人生を終えることがフミオには耐えられなかったと彼女は言った。


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2013年9月15日、福島県大熊町近くの国道6号線から見える福島第一原発からの光と電線。


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2013年9月14日、浪江町のレストランには顧客のためのテーブルが今もセットされたままだ。


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2013年9月22日、損壊した浪江町の小学校の中で腐食した構内放送装置の制御盤。


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2013年9月22日、浪江町にある小学校の科学教室の黒板に書かれた支援メッセージ。


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2013年9月15日、浪江町の放置された家の中に佇むピアノ。


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2013年9月15日、浪江町沿岸地域の放置された家の中から見える畑を通る道。


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2013年9月14日、住民が避難した浪江町の事務所内に積み重ねられた福島民報新聞。
大見出しには「マグニチュード8.8、国内史上最大」とある。
日付は2011年の大震災の翌日のもの。


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2013年9月21日、南相馬沿岸地域に近い警戒区域の端部にある放置された農場。
破壊された温室の中では野生の植物が育っている。


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2013年9月22日、住民が避難した双葉町の損害を受けた家でがれきの中に横たわる死んだ猫。


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2013年9月13日、浪江町にある家の外に取り残されたゴム手袋。


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2013年9月21日、除染活動で出た汚染された土や葉、がれきを入れたビニール袋が楢葉町スポーツ公園のテニスコートに積まれている。


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2013年9月23日、浪江町の墓地を訪れるとき、人々をマスクを装着している。


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2013年9月13日、第一原発近隣の警戒区域から出て来た車の放射線量を測定する当局員。


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2013年9月17日、第一原発近く、住民が避難した富岡町の人通りがない道に立つナオト・マツムラ(53)。退去命令にも関わらず、マツムラは警戒区域に留まり50頭の牛と2匹の猫、1匹の犬、1頭のポニー、2羽のガチョウと共に一人で生活している。ハイレベルの放射線に晒されもう売ることはできないというのに、彼は取り残された動物たちの世話をすることを自身の任務とした。


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2013年9月18日、第一原発の南、いわき市にある Radiation Citizen Center NPO の診療室。
母親に連れられた4歳のマリア・サカモトに医師が甲状腺検査をしている。
この非営利団体は福島エリアの子供達に無料で甲状腺検査を実施。
世界保健機構(WHO)が福島の子供たちは甲状腺がんになる高いリスクがあるかもしれないと発表したことで、福島の母親たちは地元の保健機関が十分な仕事をしていないのではないかと心配している。

((引用ここまで))

今回は何も言葉が出ないんで、
写真と説明文の紹介だけで終わり。
これを見た人たちがいろいろと考えてくれたら本望。
ソース記事に大きな写真があり、より素の状態を感じられるので是非)
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※10/12(8:10) 誤字・誤記を修正しました。
コメントでのご指摘ありがとうございます。