2022年05月14日

NO-381 何のために生きるのか、真実を求め!やがてUFOとかかわり、それは 「*真実の静かなる革命」へと続く心の旅人の道であった。 *クラディーナ・アイカリーナ少女の命名(NO-347参照)

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         創造のシンボルマーク
仮題(創造思考)前回からの続き、その2
その後、宗教に見切りをつけて離れたが、それでも、自分が求める確かな本物の教えがどこかにあるはずだと思っていたし、UFO研究も相変わらず続けていて仲間達がいた。そのどちらもが一気に大きく展開する時が突如訪れた。1985年に世界初公開として「木曜スペシャルUFO特別番組」日本TVで放映されたのだった。それはまさに、これまでのUFO研究を証明するとともに真実に至る道が開かれたビリー・マイヤーの事件だった。
スイスの片田舎に住む片腕の男になぜ宇宙人がやってきて会見しているのか。数多くのUFO写真やUFOが飛び回っている8ミリ映像を証拠として撮影し、しかも宇宙人と会見しているというのだから、一体それは何を意味するのだろうか?
それから1〜2年経った頃、UFO仲間がビリー・マイヤーの本が出たよ、といって一冊の本を持ってきた。「セムヤーゼ」のタイトルの本だった。待ってましたとばかり読み進むと仏教ではわからなかった人間の進化と仏と思われる霊的な状態に至る進化の過程が克明に書かれてあった。これを知った時に確信した。これは本物だ、ついに出会った。「ヤッター」と大声で叫んだ。やっぱりあったのだ。しかもこの時代に。そうすると彼はこの世に現れると預言されたマイトレーヤー(弥勒)なのか、それとも写真で見た感じの、ひ弱な哲学者かと思いつつ、真相を確かめるべく、初めてスイスへ彼を訪ねた。彼の力強い微動だにしない握手で私の中に衝撃が走った。同時に私の懸念は一気に吹き飛んでしまい、見透かされていたと感じた。強靭な肉体に強靭な精神力が宿るとは、まさにこのことかと、その賢そうな人相とともに感じた。同行した仲間は「ただのおじさんよ」と言っていたが、私にはとてもそうは思えなかった。訪問によって多くの質問をし、多くを知った。彼の本の出版活動に参加して以来、彼ほど私の人生に大きな影響を与えた人はいなかった。そしてそのために山梨に移り住むことも、その後の生活や活動でも非常に多くの知識を彼から得た。この人生で彼に会えたこと、それによって探し求めてきた真実に出会い、さらには自身の使命を見つけたことだった。このことをとても幸運に思う。それは自分のみならず、やがてすべての地球人にとっても幸運なことであろう。
さて、こうして故郷の田舎から都会へ出て日本を知り、世界を知り、そして宇宙についても知ることになった。「広い視野で物事を見る」という少年時代の考えは、こうして宇宙の果てまでも知り得ることになった。だが、まだその果ての外側にも数多くの宇宙が存在しいているという驚きの世界は、それらすべてはひとえに人間のために存在しているのだった。この世界は偶然の産物ではなく創造という存在によって創出され、驚異のしかも広大無辺に網羅された被造物の集合体なのである。つまり存在の原因となった創造から生み出された太陽、惑星、星、銀河、星雲なども創造無くして存在することもできず、また生成流転も無いのである。すべては創造から始まりそして創造へと収束してゆく、この大きな変遷は法則にも基づいており、岩、石、砂、土、鉱物、水、空気、微生物、昆虫、植物、動物などあらゆる存在、そして人間も決してこの法則から逃れることはできない。ビッグバンによる宇宙の誕生は10の7000乗のスピードで広がり、我々の宇宙(デルン)が造られ、その隣に双子の宇宙として(ダル)が誕生した。これら宇宙の数は10の49乗という膨大な被造物である。我々の宇宙をとっても宇宙の中心太陽をはじめとし2層3層そして4層目が太陽、惑星、星、銀河、星雲、そして無数の銀河が点在するところの、いわゆる我々の宇宙とされている。
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しかし、その外側には5層目、6層目、そして最後の7層目がある。この7層目が我々の宇宙の果てと呼ばれるだろうが、この7層目の壁に隣接して隣の宇宙(ダル)がある。宇宙は球体でありその中に7層の構造があり、その4層目が我々人類の生息空間であり通常の宇宙旅行ができる。宇宙の中心太陽からは人間の新生霊が作られ生存に適した惑星に到達すると人間としての生を始める。この始まりから人間は7×7の49段階の進化過程を経ることになり、物質的な人間としての存在期間だけでも6000万年から8000万年に及び、次には半身半霊の状態になるともはや人間としての生まれ変わりはせず進化を続け次にはアラハトアテルサータの純粋霊領域に達し、さらにはペターレ領域に達する。そして宇宙の終焉とともに創造へと没入してゆくのである。創造の1日は311兆400億年であり、およそ155兆年のあいだ新生霊は創出され宇宙空間へ広がり人間となって進化過程を歩み、UFOあるいは母船によって宇宙を旅行し、見聞を広め認識し、あるいは進化過程にある人類に火の作りかた、道具の作り方など生活に関して、あるいは生き方に関する教示をし、統治し、太古の人類史や地球上におけるあらゆる宗教や哲学についての解説や、創造のエネルギーの教え、生命の教え、真実の教えを通じて人類社会に愛、平和、自由、調和、を育んで、人間が幸せと喜びのうちに豊かに人生を送ることができるようになる。
ここまでの説明によって創造思考の根拠は何かが大まかにお分かりいただけたと思う。
次回は創造思考の根本となる創造のエネルギーについて説明したい。






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2022年04月30日

NO-380 大好きな4月、連続失敗の曲木、土葬の会への取材、76歳になって山菜出荷で多忙、ヒノキの伐採、超カンナの威力など

 前々回の曲木板を加熱蒸気発生装置(スチームヒート)実験は予想以上であった。というのはヒートレンジを経由して出てくるパイプに被せてあった断熱材が高温のため溶けてしまった。温度計で測るとなんと200度もあった。そのせいでいつもより早く蒸し器の温度が上がって1時間ほどで100度になった。そして2時間をちょっとすぎたあたりで取り出し板の温度を測ると90度だった。これまで70度とか80度くらいだったから取り出し早速プレスにかけると曲げ始めるとパリパリと音がし出した。これはまずいと思ったが最後まで曲げてみる。翌日プレスから外すとあちこちヒビ割れていた。水分計で測ると9%これでは乾燥しすぎで通常は乾燥状態で15%なのだから温度が上がりすぎて乾燥しすぎてしまったのだ。つまり最適な曲げ温度を超えてしまっていたようだ。次回は温度を上げすぎないようにして早めに取り出してみようか。これまでの失敗作の曲げ板、どうしても戻りがあって期待通りのサイズに収まらない。そこでまた8度目の挑戦としてカンナ掛けた板は水分35パーセントだったので乾燥し過ぎはなさそうです。通常の乾燥板は15パーセントだから!温度は加熱し過ぎない様にヒータースイッチを入れたり切ったりして調整。
温度計が100度になった時点で一度取り出し板を計ると90度、それから今度は105度になったので取り出したら何故か板が80度に下がってる。板の水分が抜けてきたせいか?それをプレスにかけて加圧すると今までと違ってスムーズに曲がるがプレスの凸面よりも先に板が曲がって凹面へと近付く、そして綺麗に押しつけられた。こうして今までよりもスムースに曲がり加圧状態で綺麗に収まっている。このまま1週間ぐらい置いて結果を見ることにした。
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昨年、土葬の会の取材を受けその動画がYouTubeに上がっているが、その取材者の下駄華緒氏が4月8日に直接取材にやってきました。スクリーンショット 2022-04-13 18.26.06
現在5年前に移住した淡路島にお住まいとかで今日はそちらから来られたとか、元々は大阪出身でれいわ新撰組の参議委員選挙予定候補者の八幡愛さんとは知り合いだそうです。今回は土葬の会のホームページに掲載されていた新たな墓地が2カ所増えていることで、その経緯などをお話ししました。YouTubeで取材を受けた後からも近年のイスラム関係者が新たな墓地を探していること、また他の宗教団体でも土葬の墓地を探し求める機運が高まっていること、土葬の会の会員の平均年齢が学生などを含め若い方が多いことなどを説明しました。また彼は火葬場奇談の他にもあちこちで不思議現象についてのお話もしているということでした。そして玄関前の看板にあるUFO情報にも興味があるとかで、土葬は宇宙人の世界でも普通に行われているという内容が含まれた本『宇宙の深淵より〜』を購入していただきました。コロナ禍ですので玄関前にて対応しましたが、彼がここは静かで色々と考え事ができますねと感想を述べられ、また機会を見つけて訪問したいとおっしゃっておられました。
そして、その後取材内容に基づくYouTube で放映されいています。
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 今月は富士川町議会選挙があってこの平林集落からも立候補者が現れました。 10年程前にこの平林にやってきて森の幼稚園をやられている女性です。平林にはこれまで25世帯ぐらいが移住してきて、それらの女性が選挙運動を展開していました。そして選挙結果は上位
5番目当選でした。その選対委員長は昨年集落におけるソーラーパネル設置反対運動を展開した女性です。このように移住組が頑張っていて平林がますます発展するでしょう。
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今月は 氷室、神社のお祭りがあって。 各組では提灯を飾ったり、 吹流しの旗を立てます。
4月14日は私の76年目の誕生日でした。
IMG_7528これまで大過なくやってこれたのも子供達が札幌の会社を切り盛りしてくれていることや山での自給自足という自然を相手にすること、自分の学びと健康が必要であると感じておりFIGUの会員として、またFIGU山梨研究会としての活動を通じて、ビリーからのさまざまな情報によって知識を得て、それを実践し生活してきたことによると思っている。心すべきは何よりも健康であること、そのためには常に何を学び、何を食べ、何を飲むか、サプリメントを摂り、労働し、瞑想し、そして北向きに寝て睡眠をとる。こうして弱者でも強くなるのである。そのためには自分でよく考えることと思っている。しかし、コロナやワクチン、そしてウクライナ情報について、実に多くの人が新聞、テレビ、政府の報道に流され鵜呑みにしているのは残念なことである。
自分自身の人生を人任せや国任せにしていては身を滅ぼすほど国も経済も企業も利益追求のために偏って日本は疲弊してしまっている。ここで詳しくは説明しないが衰退国家状態なのだ。日本の現状を詳しく説明しているのはれいわ新選組の山本太郎だ。政治家で彼ほど研究し現状に危機感を感じている人はいないはずだ。それは一度でも彼の街宣の動画を見れば誰にでもわかるだろう。

さてまだ4月はウドやワラビ、そしてタラノメやコシアブラなどの出荷作業がある。
昨年から出荷するようになって今年も忙しい。というのもウドもワラビも多年生なのでドンドン根で増えるのです。もう採りきれないので来年は観光農園にしようかと。
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コロナ禍になってからドームハウス作りに暗雲が。それはウッドショックから始まった。
外国の木材が入って来なくなって国産材が引っ張りだこで価格が上がり、これまで入手できた檜材の幅広板が手に入らなくなったのだった。ところが家のそばのヒノキ林を林業者が木材を買い取ることになり伐採が始まった。有難いことに、以前家の近くのヒノキを切り倒したいということでそれを手伝って板にするための木をもらったことがあり、その人が持っている林の木を売ることで、その業者に私が太い木を欲しがっているので分けてやってほしいと頼んでくれたのだ。ここに住んで不思議に思うことは家の周りからの様々な恩恵に預かっていたことだ。数え上げればキリがないが遠くの親戚より近くの他人のことわざのように欲しいものが手に入るのだった。これは最高効率の生活ではなかろうかと、恵まれてきたことに感謝している。伐採のヒノキは希望する30センチ以上の太さが必要で林の中でもその太さの木は数本だ。それでも森林組合からでは手にな入らないのでとってもラッキーで助かる。
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ヒノキの製材に超カンナを用意してあって、これは埼玉県から木工プレスと共に買ってきたものだ。これも丸太を製材してから使うつもりでいたのだった。初めての機械なので使い方もわからない。よく使われているのは回転刃のカンナでこれは結構うるさい。これは持っているが超カンナ仕上げというのはそれこそ25センチ幅くらいの板に鉋をかけるのだ。それも行ったきり、ではなくまた戻ってくるからいちいち向こう側まで行かなくても作業ができる。しかし、中古の機械なのでまずは点検しスイッチを入れるとモーターが回って板を上から挟んでベルトが回るようになっていて、その下にカンナ刃角度を変えるターンテーブル式になっている。そのベルトが経年劣化で滑っていたと見えてツルツルでうまく板を送れないのだった。それで粗目60番のサンダーで削り、次いでラバープロテクタントを吹きかけゴムを柔らかくすると作動するようになった。次に鉋刃の調整で薄さ0.05ミリに削るのだとネットで調べた。送りと戻り操作で削って見るとこれがまたすばらしく薄皮の帯が出来上がる。そして香りが漂い良い匂いだ。
IMG_7634そこで網袋に詰めて匂い袋を何個か作り部屋に置いた。昔はこの木の薄皮が利用されていて弁当とかおにぎりなどを包んでいてその香りも懐かしい。また脱プラスチックが叫ばれているので活用されるようになるだろう。IMG_7517
桜咲き、草や木々が芽吹き風薫る春、花粉まで飛んできて目と鼻が詰まりそうだったがもう明日は5月です。


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2022年04月14日

NO-379 何のために生きるのか、真実を求め!やがてUFOとかかわり、それは 「*真実の静かなる革命」へと続く心の旅人の道であった。 *クラディーナ・アイカリーナ少女の命名(NO-347参照)


人間は生きるために考える。しかし何を考えるのか、どのように考えるべきか?
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創造のシンボル

(仮題)創造思考
この仮題の創造思考という考え方は自分自身が幼い頃からそして社会に出てから、また宗教に関わってから、さらには「ビリー」エドウアルト・アルベルト・マイヤーによる「創造のエネルギーの教え、生命の教え、真実の教え」を学ぶことによって身に付いた考え方である。
今日の誕生日にちなんで、創造思考とはどのようなものか、自身の経過を辿って説明し、この思考方法が少しでも興味を持たれる人々にとってお役に立つことを願うものである。
もの心付いた頃に気がついたのは鏡を見た時に自分の顔を知ったことによる自分という自覚だった。そして親や兄弟と自分は顔も年齢も考え方、そして男か女という違いがある存在だということ、さらには近所の子供やその家族との違いなどから人間はそれぞれに違いがあり自分という存在とはまったく別な人間として生きていることがわかった。またそれは人間同士だけではなく例えば家畜の鶏とも同じ生き物であってもそれは自分とは違う生き物として生きている。他にも蛇やネズミ、小鳥や馬や犬もやはり生きて人間と関わりを持っていたりそうではなく自然のままに生きているものもある。蛇を見つけて殺したり、鶏を絞めて食べようとする時に、もし自分が蛇であったり、鶏であったらどうしよう?などと人間とその周りにいる生き物との関わりについても考えさせられた。また魚を掬いに小川や谷川に探し求め取ってきては当たり前のように食べた。それは母乳から始まり食べ物としての野菜や米、魚などを自然の欲求として人間は食べている。そのほかに水も毎日のように飲んでおり、さらには目に見えない空気も吸っていることに気づいた。
思春期という多感な時期に誰も思い悩むであろうが体の変化や異性への恋、家族とも違いまったく他人の、見ず知らずの人であっても気になり心惹かれるのはなぜだろうか。同時に性衝動という身体に潜む不思議な威力は自制が困難なほどに強いのはなぜか?それは人間に備わる本能であると知るのは後になってからであった。また男であれば自分の体の中で精子が作られていて、それはあまりにも小さく目にも見えないがオタマジャクシの格好の生き物なのだが、腹の中に寄生する虫とは違って自分の体が産み出しているというのだから驚いた。そこで疑問が湧いた。この目にも見えない生き物が自分の体の中で作り出されている。しかし、きっとその精子からはこの人間の自分が大きすぎて、どのような生き物か見ることもできず、知ることもできないのではないか?と考えた時にハッと閃いたのは、自分ももしかしたら途轍もない大きな生き物の中にこの精子のように小さな存在通して生きているのではないかというものであった。その大きな生き物が人間を作り出し、人間からは人間を生み出した生き物があまりに大きすぎて見ることも感じることもできないのではないか?この宇宙そのものが巨大な生き物かもしれないと思ったのだった。それは微細な生き物が体の中で生み出されており、それと同じように人間の自分も大きな生命体の中で生み出されたものかも知れないという悟りにも似た考えが湧き起こった。その後、社会に出て勤め始めると大勢の人々や街並み、電車や車が行き交う雑踏にあっては自分の存在は職場でも生活でもこのままでいいのだろうかとの不安がよぎる。仕事と通勤という単純な日々にやがて物足りなさを感じこのまま一生過ごして行くのだろうか、もっと他にするべきことがあるのではなかろうかと疑問を感じたのだった。ある時、田舎へ帰って思い悩みながら裏山に1人登った。頂白山の頂上から見下ろす家々や田や畑、そして鉄道と走る列車が黄金に輝く稲穂の中を進んでいる。そして、その先には余市の青い海が見える。人々は蟻の子のように小さく動き回っている、そして無力に見えるがそれでも賢明に生きて行動し、家庭を持ち家も建てて社会を構成している。見た目には小粒で非力にも見えるが、それでも人間の行動や仕事は偉大なものを作り出すのだから凄いものだ。
こうして山の頂上から周りの景色や家々や町並みを見回して様々なもの、そして山の向こうや水平線の果てなどへと考えを巡らしていると何か頭の中に変化が起こった。それは感動のようにまた閃きのように全身を駆け巡り、そして「広い視野で物を見る」という考えが湧いてきた。体がジーンとしてしばらくその感じに浸った。山の上から下界を見回すとすべてが明らかに見て取れる、と悟り感動したのだった。まだ自分が知らない広くて大きな世界を知れば人間は何のために生きるべきかを知ることができるのではないだろうか。そして、あるとき誘われるままに宗教の世界に踏み入った。もしかするとその中に求めている解決を見出すことができるのではないかと思ったからだった。
それは仏教であり会合参加、学習、本尊に向かい読経する。信徒団体は活発で信仰を基に体験発表によって信仰の成果を示すのであった。その仏教には人間が途方もない長い年月を修行することによって仏になることができるとあり、仏とは何かという説明は法華経に説かれている。仏になってから現在に至るまで、経過した年月は計り知れず、その間、常に真実の教えを説き続け、それは三千世界あるいは三世十方の娑婆世界に及び、無数の人々を教化し導いてきた。とされる。
そして、この仏がそれまでの様々な教えによって救われなかった人々を教え導くために末法のこの世に現れるというものであった。しかし、本仏であるとされる人物は私の知る限り、学んだ限りにおいてそうではないと知った。なぜなら人間の修行の仕方や拝む行為が自分にとって論理的ではなく、到底納得のできるものではなかったからだ。法華経には宇宙観が解かれ、この地球上だけではない広く宇宙における人間社会を示しており、法華経の内容を裏付ける本仏と言われる人物は近年においてまだ現れていないと思われた。
社会に出てから宗教の他に空飛ぶ円盤(UFO)や宇宙人の存在について研究していたことから、宗教によって真の人間の生き方を知ることができるなら、宇宙にも宗教があって人々は信仰しているのだろうか、仏壇や信仰対象があって毎日拝んでいるのだろうか、と考えたが、そうでは無く、人間が知識を得て真実の生き方を知ったなら、信仰対象が無くても決して不自由はないはずだ。きっと宇宙には普遍的な真実の教えがあるに違いない、それも、誰もが知識として学べるように教え導く存在がどこかに・・・そしてついに・・・次回へ





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2022年03月31日

NO-378 れいわZoomミーティング参加、曲げ木の改良、ウドの根分け、鳩のエサ場作りなど

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れいわ新選組では各地でZoomミーティングをやっていて今回は南関東ブロック在住の希望者が参加できることになった。3月1日は高井幹事長が司会をつとめ意見交換会をネットで開催するのだからコロナ禍対策ではあるが自宅に居ながらに参加できるのは便利なものである。こうした一般の人を対象として話し合うことはこれまでの政治活動にはなかった取り組みだと思う、また政治が身近なものであるとの認識と意識変化に貢献するだろう。また各地でのボランテアの取り組みや勝手連の活動状況を知ったり、これから何を望むのかなどアイデアも募集し活動幅を広げるのだという。また国会議員のみならず自治体議員の希望者も募集するという方針だ。れいわは身障者や中卒者や派遣社員や地域の活動家など現場を知っている当事者を擁立し、世襲議員や族議員や団体組織が擁立しこれまで壊し続けてきた政治への対抗軸を市民のボランテイアによる手弁当で駆けつける無償の行動で明らかにしている。れいわがYouTubeで発信する街宣から多くの人々は政治に参加すること、注目することによって、考え行動し責任ある人間へと意識変革を起こしているのは注目すべきことだ。
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先月末で曲げ木をプレスしてその後どうなるか?で終わっていて、あれから翌日、つまり一晩置いてプレス解除してみた。するとやはり曲げ戻りがあって思い通りに行かない。
考えられるのは球面曲げの反発力は縦方向だけでなく横方向も働くので通常の曲木方法ではできないのでは? こうなるとあとはやはり加熱温度をもっと上げる工夫をしなければならないのかなど、以前相談したことのある大阪の高周波加熱機のメーカー山本ビニターがあってそこの東京から営業マンが様子を見にやってきた。
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なにしろメーカにしてみると、今まで球面曲げでは椅子の座る部分程度であって、1800✖️220✖️30という、これほどのサイズを手掛けたことはないという、おそらく全国にもなく初めてであると言っていた。それゆえにメーカーとしてもこの球面曲げができるのかどうかわからないそうだ。そこで提案されたのは年末までに埼玉にテスト工場を作るのでそこにプレスの型を持ち込んでテストしないかというのであった。もしそれが成功したとしてもプレス機に高周波発生器と付属品をつけて600万もするのである。とはいえ通常の設備だと2,500万かかるというのだからプレス機や型、そして蒸し釜を調達した分安上がりなのだが... 現在3時間ほどかけてやる作業が高周波加熱機だと数十分でできる効率の良さは魅力的だ。
それでも自分にできることをやるまでだ。蒸気そのものの温度はストーブの能力にかかっているが、さらにガスか何かで加熱するのもむずかしい。悩んでいると仙女ことゆかりがこんなのがあるので参考にならないかと加熱水蒸気発生器を教えてくれた。またしてもそれは初めて知るもので水蒸気をさらに加熱して最大500度まで加熱出来るというものだった。数年前に北海道へ行った時に知人に紹介された女性で、驚いたことに兄も知っている人だった。まだほかにも不思議な縁もあってドームハウス作りに興味を持ってくれていると私が勝手に思い込んでいるのだが、並みの人ではないので北の仙女と名付けた。以来何かと情報交換して刺激を受けているのだが、今回もよく見つけた物だと驚いたのだった。これは良さそうだとネットで探すと中古品はなく新品だと40万円もする。水蒸気の2次加熱は考えていて既にスパイラルヒーターというものが140度まで加熱できるというものだった。それを使ってみたが1メートルの長さの物を蒸釜の入り口のパイプに巻き付けると30センチくらいになった。それでも板の温度は80度くらいにしかならなかった。きっと短い加熱部では効果は少ないとみた。加熱水蒸気のアクアスチームヒーターも配管長さによる温度変化とあったので、加熱部と共に被加熱部の長さも関係するということがわかった。水蒸気導入パイプを高い温度で加熱するとなると、以前ヒートローラーで曲木ができないかと、その時に使った魚焼きグリルのヒーターだ。
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それを改造して3本指構造に曲がった上下のヒーターに同じように曲げた銅パイプを上、中間、下に入れてそこに蒸気を回してヒーターで温めるという具合だ。ヒーターは300度〜350度になるのだからスパイラルヒーターどころではない、それに蒸気が通過する銅パイプの長さはくねくね曲げておよそ2メートルになるのだから蒸気の高熱が期待できる。
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ところがである、太さ8ミリの銅パイプを急角度で曲げると潰れるしなんといっても手が疲れる。とても普通の曲げ方では不可能だ。それで仕方なくパイプベンダーを探して買った。それで曲げると確かに曲がるがヒーターの曲げ角度に合わせるともう少し内径を少なく曲げなければならず、ベンダーで曲げた後、手作業で曲げると無理すれば潰れてしまう。慎重さと力の加減で悪戦苦闘。やがて疲労で手が突っ張って動かなくなってしまう。パイプを曲げる代わりに指が曲がらなくなるという皮肉、へバーデン結節じゃないけどへばった指だ。
IMG_7408それでもなんとか曲げて追加分は蝋付で繋げて伸ばしたのでおよそ2メートルの長さになった。
IMG_7419これだけ長ければかなり期待できそう。それを針金で束ねて密着させた方が熱伝導率が上がるはず。そして1100Wのヒーターに通電すると1〜2分で赤く光る。
IMG_7420テストを終えて束ねたヒーターシステムをアルミパネルで包んで放熱を防ぐのだがその上にグリルの蓋を被せ、外に出たパイプを圧力釜の蒸気入力と蒸し釜への出力に繋げて出来上がり。そして実際に蒸気を送ってそれをヒーターシステムに通しながら同時に通電して加熱してみた。するとヒーターシステムから出ているパイプの温度が200度を超えているので本体はかなりの温度になっていそうだという手応えを掴んだ。目指せ100度越えということで近々テストします。IMG_7421

3月になるとウドの根分け作業がある。昨年の11月にもやったのだがまだ残っていたお隣さんの畑を、新人の?娘さんのご主人がテレワークで仕事をしている関係で住んでいるのだ。その彼に野良仕事を教えるのが私の役割だというコキ使いだが。それでも自分の畑なのだから自覚を持ってもらわなければならないから隣人として教育的指導は当然なのだ。私がユンボで何年も育って株が増えて大きくなっているのを選んで半分くらいを掘り起こして根分けのために若者がノコギリで根を断ち切る。この株が大きいと結構きつい仕事なのでテレワークで運動不足気味の彼にはもってこいの仕事だ。根は全部掘り起こすと根が傷むので半分あるいは3分の1くらい残しておき、掘り出した根は新芽の状況を見て半分か何個かに切り分けて植え付けていく。こうして4月には新芽が出るが最初の一年は全部取らず一本残して置く。来年のために根が育つように。
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スイスのセンターに習って、我が家でも小鳥のために餌場を用意してあった。しかしほとんど小鳥が寄り付かず、代わりにやってくるようになったのが山鳩である。これは小鳥より体が大きいので餌もたくさん食べるのだから小鳥の餌では物足りなかろうと鶏用の餌を買ってきた。生活費の一部から出すのだからただで食べさせるわけにはいかない。それで居間からベランダ越しに見えるところに鳩用の餌台を作っておまけに雨を防ぐ東南アジア製の傘も付けた。
IMG_7425餌皿に雨が降ると水浸しになるので雨よけが必要なのだ。こうすると時には1羽で、またある日には2羽でやってくる。こうして見えるところに餌台があると毎日餌やりと鳩がやってくるのを待つようになってしまった。しばらく一羽だけがやってくると、独身なのかとか、彼女と別れたのかとか、ツガイでなかったのかなどと余計な詮索が働く。するとまた2羽でやってくるとヨリが戻ったのか。それとも他の鳩かと、見分けがつかないのだから仕方がない。気がつくとすっかり家族の一員、じゃない家畜?でもないか。とにかく毎日が鳩の鳴き声を聴きながらそして仲良く餌をついばむ姿が微笑ましく楽しいものだ。餌代は帳消しの価値ありかな?鳩は平和のシンボルでもあるのだからとりあえず我が家は平和でありますように。
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さてまだ家族みたいなのがいて例のムササビだ、最近またやってきて妻が屋上に行ってムササビを追い出しそれをまた撮影した。昼間飛ぶムササビの映像は我が家ならではではなかろうか、またある日確認に行くと相変わらず同じ場所で寝ていた。ライトで照らすと逃げて飛び降りていった。
こうやって夜行性のムササビの寝込みを襲って追い出して、このように写真も撮れるのです。








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2022年03月14日

NO-377 何のために生きるのか、真実を求め!やがてUFOとかかわり、それは 「*真実の静かなる革命」へと続く心の旅人の道であった。 *クラディーナ・アイカリーナ少女の命名(NO-347参照)


ゴータマ・シッダルタの誤った伝承の真実について明らかにされた。

53年前、人間の生き方を求めて仏教に入信した。しかし、15年の入信生活もそこに真実を見出すことはできなかった。宗教の教え以外を学ぶことを禁じられ限界を感じて離れたのである。広い視野で物を見るという考え方を持っていたことから、やがて縁あって「ビリー」エドウアルト・アルベルト・マイヤーと出会うのだった。そこには私の求めるすべてがあった。すなわち人間の生き方について、そして生命の教え、創造のエネルギーの教え、真実の教えであった。これらは教えであり宗教ではない。そして釈迦の教えは宗教ではなかったと、それどころかビリーの教えと同じであったとこの会見記録で明らかにされたのである。

第754回会見2020年9月23日(水)22時31分まで。より抜粋
ゴータマ・シッダルタの実際の生活と仕事は、今日、完全に誤った、中傷的な「伝承」によって知られているものとは、事実上まったく異なっていたのです。彼は、瞑想が非常に重要な役割を果たし、それによって常に平和と調和を得るという人生を送ったが、彼の死以前、そして死後も存在する偽りの「伝承」とは全く異なる方法で多くのことを説明し、語ったため、本来伝えられているものとは異なることが多くあった。これは、イマヌエル(キリスト)やモハメッドの場合と全く同じで、彼らの教えや仕事などは、時代の流れの中で、すでに生前から、特に死後長い間、異常に改ざんされ、彼らの口に出された発言は否定され、空想され、帰属されて「聖典」とされたが、それらはどんなに努力しても超えられないような灰色がかった嘘と中傷に満ちているのである。20世紀に流布したある「真実の伝承」を読み聞かせられたシッダルタ・ゴータマは、その多くが真実ではないと断言した。たとえば、彼の人生、知恵、特別なことは、生まれたときから予言されていたわけでもなく、彼の家族が王族の地位にあったわけでもない、というものだ。彼の家は王家ではなく、単なる小公家で、父親は釈迦地方の小執政であった。彼の家族は、妻のヤソダラ、息子のラーフラ、そしてハシタ、アバヤ、ジュナナ、ガウリマという4人の娘で、彼の時代には女の子や女性は劣ったものとされ、本当に悪いもの、価値のないものとしてしか扱われなかったが、皆を愛し、尊敬していたのだ。彼は、人間の性別はどちらも同じ価値があると考えるが、むしろ女性の方を少し尊敬している。なぜなら、女性は生命を与え、生命を維持するものであり、彼女なくして生命は生まれず、存在し得ないからである。
シッダルタ・ゴータマの4人の娘については、昔も今もどの伝承にも書かれていません。 シッダルタは、彼や彼の人生について書いた「伝承」の書き手たちが、彼女たちについて言及しなかったのは、彼の時代の若い女の子や女性は軽視され感謝されず、しばしば拉致されて「ベシャバサ」(売春宿)に囚われ、いずれは殺されるからだろうと説明しました。しかし、当時のネパールやインドがそうであったように、現在もそうであることを、私自身、インドやネパールで長い間目撃してきた。
シッダルタは、しばしば数日から数週間にわたって家族を離れ、28年間にわたり修行僧として地方を放浪し、人々に瞑想法や人生の意味を見出し理解する方法、また、神はいないから助けてくれない、だから自分で自分を助け、すべての病気、苦しみ、運命のいたずら、すべての悪と不幸から解放しなければならないと説いたのです。だから、そんなに長い間、修行僧として旅をしていたわけでもなく、偽りの「伝承」のように家族を捨てたわけでもなく、彼の説明によれば、他の賢者や経験者の教えを用いたわけでもなく、ただ彼自身の見識、経験、個人的体験が、はっきりと、一義的に表現されているだけなのである。これは、彼もはっきりと、何事も自分の瞑想を実践し、自分の道を行くだけで、自分で万物の真理を求め、それを評価し、そこから万物に対する深い知識と遠大な理解を得たと述べているとおりである。彼はただ一人、人生において必要なすべてのもののつながりを見出し、認識し、自らを知者、賢者としたのである。そのため、内面的には欲望や仲間より上に立ちたいという欲望から解放されたのです。そのため、社会階層の異なる人々が常に彼に大きな崇敬と献身を示し、彼を大悟の人と呼ぶことは、彼にとって都合が悪く、困惑させるものでした。これに対して、彼はしばしば羊のように弁明をした。しかし、弁明のすべてがうまくいくことはなく、「仏陀」という評判を払拭することはできなかった。これは彼にとって恥ずかしいことで、この評判を払拭することができれば、ありがたいことである。しかも、自分の教えを基礎として広げるために、大きな共同体をつくることには、常に抵抗があったのだ。確かに彼の周りには常に男女の信仰者がいて、彼の教えの多くの信者の面倒を見ることになったが、彼はこの方向でさらに何かをするのではなく、全体を開かれた学びの共同体として維持しようとした。そうしないと、そこから信者(注:信仰組織または宗教)の運動が発生し、しかしそれは彼の感覚とは一致しないだろうからである。(注:残念ながら、イマヌエルやモハメッドのように、これを防ぐことはできなかった)。
つまり、シッダルタは宗教団体を設立したのではなく、宗教組織を持たずに、個人あるいは小さなグループに対して公然と演説を行い、その結果、さまざまな社会階層の人々を取り込むことができた。そこから教義の伝統の学校のようなものが発展し、多くの人にとって「生命の教義」となり、「真理の教義、創造のエネルギーの教義、生命の教義」とFIGUにも示されているように、その教義が「生命の教義」になっていったのだ。しかし、そのすべてが、生前すでに妬み、敵、また悪敵を呼び起こし、彼を嘘つき、詐欺師と呼び、教えを改ざんし、シッダルタを呪い、彼の教えを不可能にする陰謀論に利用したのです。これは、擁護者や知ったかぶりも、生前や死後に彼の全仕事や人物を美化したり、最後の例が証明するように、自分の裁量や理解に従って彼の本来の教えを改ざんしたり、改ざんした嘘解釈の仕事を、今日ではシッダールタやあらゆる真実事実を超えて世界に広がり、すべての仏教徒に嘘や中傷の仕事として仏や法の本当の本来の教えとして押し付けられているのである。
時代の流れの中で、シッダルタ・ゴータマ(注:仏陀)の本来の教えは、他の宗教や宗派の誤った教え、習慣や儀式などと非常に強く混ざり合い、特に中国、チベット、日本で宗教として土着し、現在も大部分がそうであるため、完全に変化して、もはや本来の教えとは一致しないのです。
シッダルタの教えについては、さまざまな原則を持った生き方に対応していると言わざるを得ません。例えば、その中の一つに、すべての人の間で非暴力またはアヒンサーが優勢であることを明確に述べています。この非暴力は、もともとヒンズー教やジャイナ教で広まっていたもので、シッダールタもその教えの中に入れていた。そして、彼が説明したように--これは完全に正しく、私たちのFIGUが「真実の教え、創造エネルギーの教え、生命の教え」で根本的に表し教えていることでもあります--これを行ったのは、人々とすべての生き物が、ヒンズー教とジャイナ教のルールに反して支配者と人々によって悪と暴力で虐待され、結果として人々もあらゆる事件によって殺されていることを見たからでした。そして、このことは、快楽のためだけに無意味に殺された他の多くの生物に関しても起こったことである。そして、このことが、彼がその教えの中で、行動や振る舞いを区別する善と悪の間の倫理的な区別を挙げた理由であり、それは、正義と真の人間であるために不可欠であり、従わなければならないことであった。そして、人間が守るべき、また果たすべきこの重要なルールには、シッダルタが明確に強調していたように、責任感、誠実さ、そして必要な敬意に対する持続可能性を満たすために、すべての価値観に対して特別な注意と配慮が払われなければならないことも含まれていました。これは、正義、透明性、人々の協力的な共存、したがって特に、一般的なグループ関連だけでなく、公共および社会的な懸念やニーズなどに対する責任の分担を確保する唯一の方法である。全体が完全に、そして必然的に重要なのです。なぜなら、これによってのみ、すべての生態系、地球、自然、そしてあらゆる属や種の動物や植物の生き物の機能が保証されるからです。倫理的な行動だけが、すべての生きとし生けるもの全体の機能を可能にしますが、それには、思いやり、注意と心遣い、優れた道徳的規律だけでなく、傾倒、参加、配慮と親しみ、人に対する尊敬と尊重、また、存在するすべてのものに対する尊敬が必要です。
非暴力またはアヒムサの教えは、シッダルタ・ゴータマがそのオリジナルの教えの中で解釈し、教えたものですが、FIGUの私たちも「真理の教え、創造エネルギーの教え、生命の教え」を通じて教えているように、人間や動物、動物やその他の生き物に対して、いかなる形の生命にも苦痛や強制、またいかなる苦痛や暴力も一切与えてはならないという事実に向けられているものなのです。苦痛、強制、痛みなどの暴力は、人間に対しては拷問、折檻、死などの罰によって、動植物に対しては狩猟、魚や動物、鳥などを捕らえるなどの自然界において、動植物の生命体を破壊、消滅、絶滅させることによって与えてはならない。この非暴力の教義は、最初の不文律のヒンドゥー教の行動規範の中ですでにこのように保持されており、遠くメソポタミアまで人々に広まり、教えられ、従われていた。しかしある変化によってすべてが荒廃し、この原則はあまり注目されず、ついに忘却の彼方に消えてしまったのである。仏教徒の間でも、この非暴力の誓いは、今日では、いや、1844年に始まった近代のずっと以前から、単なる理論にすぎない。なぜなら、今日の世界中の多くの仏教徒の間では、人間、動物、家畜などあらゆる属・種の生き物に傷つけられないという規則を守ることは、もはや義務ではなく、自発的行為である。不正をしてはならない、憎しみや嫉妬を育ててはならない、戦争をしてはならない、テロや暴力を行ってはならない、他人に対して悪い考えを抱いてはならない、嘘や中傷や陰謀で人を侮辱したり悪口を言ってはならないというのと同じように、この古代の規則は今日破られてもう守られないのである。
シッダルタ・ゴータマの本来の教えは、今日の仏教だけでなく、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教などの大宗教や、世界中の大小さまざまな神の宗派とも本質的に異なるものです。しかし、現在でも受け入れられている仏教は、ある程度シッダルタの本来の教えが残っており、宗教教義にも宗派教義にも対応していないため、神間違い教義、価値観教義、哲学教義、それに類する脳なし信念型教義構築には対応しておらず、まだ半ば受け入れることができるのです。その結果、仏教が発生した絶対的な真の本来の教えは、その効果的な起源において、シッダルタが創造し教えたように、信仰や信念の問題ではなく、精神的な進化と理解、理性、あらゆる点での人生の正しい習得を目的とした「正しい生き方の教え」「自己認識の教え」「経験の教え」「自己啓発の教え」であるのだ。
(注)シッダルタ・ゴータマは、実母をマヤ(注:チベットではギュトルマ、他ではマヤデヴィ、マハマーヤと呼ぶ)、実父を摂政シュッドダナ・ゴータマとするヒンズー教徒として紀元前563年にネパール、ルンビニで生まれました。シッダルタはヤソダーラと結婚し、二人の間に生まれた息子をラーフラと名付けた。シッダルタ・ゴータマは、紀元前483年、インドのクシナガルで80歳の生涯を閉じた)。
シッダルタ自身が63歳のときに語っているように、14歳の少年だった彼は、すでに観察を通して、多くの悲惨な状況を認識していた。とりわけ、遠く離れたあらゆる地域の非常に多くの人々が、さまざまな病気や孤独に苦しみ、ひどい運命の一撃を受け、ひどい貧困と飢えに苦しみ、誰もがそれに対処することが困難な状況にあることを。さらに、これとは対照的に、健康で十分な食料を持つ裕福な人々は、あらゆる人道に反して、庶民を搾取し、多くの人々を農奴として飼い、虐待し、あらゆる出来事、健康問題、疫病問題、飢餓、一般的な人生の価値のなさに全く無関心であることも観察したと述べた。金持ちなどの富裕層は、不満、憎しみ、妬み、貪欲、悪癖、中毒、快楽追求などに悩まされ、庶民には全く冷酷無比で、自分のことだけを甘受し、仲間には全く災いをもたらさない、広げない人が多いと言われた。
シッダルタが語ったことは確かに真実で、小さな改善が起こるまで長い間続いたが、それは人口の一部が彼の教えに従った結果であり、彼は7年で鍛え上げ、21歳の時に知性と理性を駆使して自力で立ち上がり、多くのことを学んだ後に普及し始めたのである。彼が新たに生み出した教えによって、彼の信奉者となった多くの人々は、その言葉通り生活環境が良くなった。しかし、彼の教えに従おうと努力しない人々は、どんどん腐っていき、スラム街で悲惨な生活を送るようになったのだ。
シッダルタは、瞑想的な思考に深く浸ることによって、自分を教え、コントロールすることを学び、それによって自分への道を見出し、信奉者から「仏陀」と呼ばれた結果、自分の教えを「仏道」と呼ぶようになったと説明した。このようにして、彼は瞑想を通して、自分自身と自分の道を見つけ、すべての苦しみから自分を解放することができたのです。とにかく、これは彼の演説であり、それによると、彼もまた慎ましい生活を送り、それによって、同胞に素直に献身的に近づき、彼らを喜ばせ、皆を平等に扱い、彼らに良いことをしたのであって、決して彼らの宗教、信仰、外見、社会的地位、道徳、行動などについて批判したり、彼らを軽蔑したり、彼らの取引において他の誰とも違う扱いをすることはなかったのである。
ゴータマ・シッダルタの働きと行いによって、彼はさらに多くのことを知るようになり、その結果、すでに述べたように古代の信仰と言葉に従って、彼は人々から「仏陀」または「悟りを開いた者」と呼ばれるようになったのである。
また、シッダルタ・ゴータマは、多くのことを深く教え、見返りを求めずに自分の見識や経験を伝え、人々が個人個人を教育し、自分を助け、苦しみから解放し、生きがいある人生を送ることができるように教えを説いたという。しかし、ありがたいことに、彼は生計に必要なものはすべて自発的に、要求することなく、信者たちから受け取っていた。
それが今から2500年ほど前のことで、そこから--今言ったようにシッダルタは人々から「ブッダ」と呼ばれていたので--「仏教」が生まれ、彼自身は進んで何かに貢献したわけではなく、それに抵抗し失敗したと説明されています。しかし、シッダルタが20世紀の近代に至るまで「純粋」とされる伝統について述べ、説明したことは、今日の彼の教えと人生に関するすべての既知の事実と主張される事実と比較すれば、嘘、偽り、中傷以外の何物でもないことに相当するのです。すべての「伝承」とされるものの大半は、実際には比類なき不真実であり、シッダルタ自身が言うように、「許されざる恥ずべきもの」に相当する。これは、イマヌエル(キリスト)やモハメッドも同様に、嘘、改ざん、欺瞞、悪意、誤解、狂信などによって、彼らの教えから捏造され、神を欺く宗教に至るものすべてを公言しているのである。シッダルタ・ゴータマは、自分の教えが19世紀の未来に何をもたらすかを知ったとき、完全にショックを受けた。しかし、真実を知り、自分の死の日を知った後、さらに有害なことを防ぐことができるかもしれないと、最後の17年間、自分の教えをより強く、激しく主張することにしたのである。地球の人々と同じように、シッダルタもそうでした。彼は、これから起こることを受け入れず、自分の教えを広めることにますます力を注ぐことで、まだ何か、あるいはすべてをより良く、肯定的に変えることができるという意見にしがみついたからです。このことは、彼自身がその生涯において経験した未来の事実と、彼の生前にすでに彼の教えの偽物が出回り、彼の真の教えを全く間違った、変化した形で広め、悪を教える信仰集団さえ生じたことを知って、率直に語ったものである。したがって、将来、いわゆる「真の」伝統が、最も邪悪な方法で彼と彼の教えに適用されたとしても、それはもはや、あらゆる最悪の妄想よりも偽りであることを理解できたのである。
仏教は、まずアジアのインダス川流域やメソポタミアで広まり、さらに他の国々にも広がり、世界中に信者を持つようになり、現在でも第4位の宗教と言われているが、そのような宗教ではないのだ。すでに説明したように、仏教はもともと宗教や宗派とは何の関係もない。そのため、今日では、本来のゴータマ・シッダルタの教えとはほとんど共通点がないのに、宗教という間違った、まったく間違った名前で呼ばれている。しかし、本来のヒンドゥー教と同様に、信仰の問題ではないので宗教や宗派ではなく、「正しい生き方の教え」であったのだ。しかし、それがいつの間にか変わってしまったのは、宗教学の看板を背負った知ったかぶりの人たちの仕業だ。
すでに述べたように、一度ははっきりと言わなければならないことなので、もう一度繰り返します。仏教でも、知ったかぶりから分離派、つまり宗派が生まれ、宗派ごとに見解や意見が異なり、その結果、教義も異なるなど、残念ながら地球人にはよくあることです。
シッダルタ・ゴータマが説いた真の教義は、すでに説明したように、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の大神と女神の妄想とは対照的であり、したがって、全能の神の崇拝を一元的に志向するものでは決してない。この点だけで、シッダルタの教えは、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教などの大宗教や、世界中の大小さまざまな宗教、神の宗派から、仏教の起源となったものであることがわかります。今日流布している捏造された仏陀の教えは、シッダルタが今日偽りの形で伝えていないもので、宗教的教義にも、宗派的教義にも、哲学的教義にも、信仰に基づく同様の教義にも対応しないものであります。その効果的な起源における真のオリジナルの教えは、シッダルタが創造し、それを教える方法において、何度もはっきりと述べ、強調しなければならないように、信仰の問題ではなく、「正しい生き方の教え」「自己認識の教え」「自己発見の教え」であり、心、理性の使用のための認識能力の個人的な開発、またあらゆる人生と正しい関係における自己認識と人生の正しい習得を目的としているのである。
人が考え、行うことはすべて、良い影響も悪い影響も生み出します。この点でも、人間は悟りを開いて正しい見識を持つことで、本質的に現実とその真実に生き、正しい判断、正しい言葉の選択、正しい発言、正しい答え、嘘をつかない、間違った言葉で人を傷つけないようにすればよいのである。常に正しい行動を守り、正直で高潔で威厳があり、盗まず、騙さず、中傷せず、殺さず、また、あらゆる方法で正しい生活を追求し、他の生物を傷つけず善を行うこと、そして、前述のように、悟りのために正しく努力し、思考と感情に必要な注意と正しい心を向けること、これらはすべて、多くの必要な価値を正しく集めることに対応し、これらは、瞑想を通して常に存在させておくべきことなのである。
シッダルタ・ゴータマのオリジナルの教えのエッセンスは、内なる平和の質、そして調和、正義、生命への敬意、愛、正義、人間であること、知恵に関するマインドフルネスと注意の瞑想に関連する深遠な思考作業として要約することができます。
しかし、シッダルタが彼の瞑想法において考慮しなかったこと、また、それ以降の仏教の瞑想の教えにおいても、また他の外国の教えにおいても、その更なる価値について言及されていないことは、すべての瞑想の母、すなわちすべての学習の主要な要素である実際の瞑想基本因子である。
基本的な瞑想要素 恒久的な状態 昼間の瞑想 昼間の目覚め 意識的な瞑想
瞑想とその様々な方法に関して瞑想の実践全体に与えられているものとは別に、これは、他のすべての瞑想に先行する、毎日の、意識と無意識-潜在意識ではない-定常状態の日の瞑想を指していますが、太古からすべての地上の瞑想の教えでは知られておらず、結果として、一度も教えられず広まっていないものなのです。
この瞑想は、一日中起きている意識の中で行われ、横になったり、座ったり、立ったり、歩いたり、また動いたり、あらゆる活動の中で行われ、これは意識的な方法と無意識的な方法の両方で行われます。根本的に、日覚醒意識における定常的な日瞑想に関して、瞑想の最初の最も重要なステップは、日マインドフルネス・アテンション定常瞑想である。これは特に注意すべき点であるばかりでなく、最も重要な瞑想である。それは、絶えず生じる思考とその結果生じる感情を意識的に制御して育てることになり、現在考えていること、感情で創造していること、行っていること、話していること、実行していること、扱っていること、行動で実行していることなど、すべてとすべての人に集中的に占有されているからである。
日中の覚醒した意識の定常的な瞑想を通して、この瞑想が進んで意識的に実践されれば、あらゆるものが意識的にも無意識的にも徹底的にコントロールされ、それによって、行われ、行動され、言われ、扱われるすべてが完全にあるいは少なくとも大部分が正しく、誤りなく実行されます。
一日の中で、あるいは一日の仕事の後で、休息や休息の瞑想のために、一日の目覚めた意識の中で、連続した一日の瞑想状態が中断された場合、思考の停止が必要であり、それによって休息のための瞑想に入ることができるのです。

簡易翻訳のため正確ではありません。    翻訳文責 山野井英俊


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2022年02月28日

NO-376 昨年から待っていた電気が来て曲木プレス機の始動だ〜

素人が思いつきで曲げ木によってドームハウスを作りたい、と始めたもののもう5年目となった。それもそのはず知識なし、経験なし、金なし、液体ガラスを知って木の耐候処理によって活用の幅が広がり建物にも使えると考えたのだった。その思いつきの勢いと、何せ今時の家は外からは木が見えない建物ばかりだからだ。自慢じゃないが育った家は板壁で柾屋根だったから新築すると黄金に輝いて見えたものだ。いま日本では有り余る木材があり、これを生かさない手はない。しかも住んでいる家の周りに沢山あるのだから。気持ちは急くが、三相電気の動力を引くにはトランスを設置しなければならないとかでおよそ半年かかって電気会社の工事が始まった。動力の電気は通っているのだが、新たにトランスを付けなければならないのだとか。
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木工の大型機械は200Vの低圧動力を使うのが多い。木工旋盤、帯鋸、プレス機、集塵機、超カンナなどはそうなのだ。この電気からダウントランスを付けて100V電気を使うようにした。こっちの機械はもっと多い。丸鋸、帯鋸、小型木工旋盤、抉りカッター、サンダー、掃除機、電気照明、カンナ、ルーター、インパクトドリル、ドリル、扇風機、電動ウインチ、ジグソー、グラインダー、ヒーターなどなど。これら全てを動かすには三相低圧電力と100Vを使えるのが望ましい。というのも三相から100Vを取り出して使う方が安いのだ。
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といっても仕事じゃないからそれほど電気を使うわけではないので気分的なものかな。
今のところプレス機を動かすのが先決なので、設置したプレス機に欅の丸太から切り出したプレスの型枠を作ったのを嵌め込んでモーターの回転によるネジシャフトで圧縮する構造だ。昨年はユンボで押しつけたのだが圧力不足であったことから電動プレスを買って、と言っても中古なのだが、弓形の型に曲げる板を乗せると圧縮高さが足らないので下側の型の両サイドを切り下げてローラーシャフトで板を受けるようにして凸型を上から押し下げるとローラーの上を板の両サイドが移動して凹面に入り込むようにした。
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準備が整っていよいよ薪ストーブに火を入れてその上に乗せてある圧力鍋に水を入れ、ネジ蓋を閉めてしばし待つ。圧力鍋のゲージが100度を超えると蒸気を木製の蒸し釜に入るようにしてこの入り口付近のパイプに改良として巻き付けたスパイラルヒーターに電気を通す。このヒーターは140度まで上がるので安定温度を狙ったのだが。2時間を過ぎると蒸し釜に付けてある温度計が100度になる。このまま1時間ほど継続して火を燃やし、3時間ほどで火を止め、ヒーターの電気も切って、蒸し釜を開ける。すぐに非接触温度計で板の温度を測るが80度くらいしかない。原因がわからないまま取り出して型に乗せて電動プレスを動かして曲げ工程に入った。
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なんとか最後まで押し込んで負荷がかかると自動的にモーター止まった。2〜3時間待ってプレスを戻してみると板の戻りがまだある。ストーブが最初の燃え方の勢いがなかったので加熱温度が低かったか、それとももっと冷却時間を置いた方がいいのか、とりあえず一晩待ってみることにして作業を終えた。いつもそうだが試行錯誤の連続だ。それでも少しずつ前に進んでいるのを実感するので挫折しないのだが、この曲げ板は本当にむずかしい。この板がプレスの型通りに曲がらないことにはまた先には進めない。何度か説明しているが今やっている曲げ板は平面曲げではなく球面曲げなのだからなおさら難しいのだ。明日の朝の結果次第ではまた更なる挑戦か別の方法を考えるかが迫られる。





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2022年02月14日

NO-375 何のために生きるのか、真実を求め!やがてUFOとかかわり、それは 「*真実の静かなる革命」へと続く心の旅人の道であった。 *クラディーナ・アイカリーナ少女の命名(NO-347参照)

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すべての人々が探し求めているもの 、それは何であるかを指し示す冊子を紹介したい。
「人間が探し求めるもの・・・」というタイトルで「ビリー」エドウアルト・アルベルト・マイヤー著の小冊子(330円)である。
そこには人間が人間として生きるための基本的な教えが示されているが、しかし、人間が探し求めるものに辿り着くことの困難さも書かれている。

古来、人類はこの教えを求めて地上を彷徨い続けてきた。それにもかかわらずほとんどすべての人々は求めてはいるが得られずに死んでいく。
何度生まれ変わってきてもそれでも得られることが困難なこの真実の教えは、かつては歴代の預言者から直接に教えられる機会に浴した僅かな人々によって学ばれそして伝えられた。当時は口伝による教えであり人々の多くは文盲であったからだ。それゆえ一度に多くの大衆がその教えの恩恵に預かることもできなかったようだ。そしていま宇宙の水瓶座時代に移行した時の流れに従って、人類が精神的な価値に目覚める黄金の時代が到来した。
魚座から水瓶座時代への移り変わりの過渡期に合わせて1937年の2月3日に生まれた1人の人物がいる。地球上における歴代の預言者の使命を引き継ぐ者として、しかも地球上における最後の預言者でもある。彼の使命は7番目の預言者であり最後の預言者として太古よりの教え、真実の教えを書物に書き記すことであった。そして、今まで書き綴ったその著書は膨大であり、創造のエネルギーによって創出された宇宙の始まりから終わりまで、その寿命と人間の生存と進化の関係性は法則によって定められておりすべての生物は法則に従って生存することができるという、創造のエネルギーの教え、生命の教え、真実の教えは人間が人間として生きるために決して欠かすことのできない教えであり、この教えを知らずして人間は真の目的も、生き方も、生きがいも、喜びも知ることはできない。つまり愛、平和、自由、調和、知識、力、英知などの意味も学ぶことはできない。人間は誰も教えを必要としており、学ぶことによって知識を得て賢くなる。しかしこの教えには誰もが辿り着くことはできない。たとえ稀に出会ったとしても一時的な関心ごととして、興味を持ったとしても本質的な教えには難しさを覚え、やがて忘れ去られ、他の世俗的な出来事に迷う。
自分自身の経験からして、真実への探究は子供の頃から始まった。それは家族の相次ぐ死や台風災害での不運に見舞われ、このような運命はなぜそうなのかとの疑問がいつも心の中にあった。自然に恵まれた山里の生活は厳しくも草や木々や小川のせせらぎ、川の魚、あらゆる自然の移ろいに心躍らせ、遊び、悩み、時に自然の脅威の身に及ぶ危険と戦ったし
自分で自分を守らなければならないと知った。しかし何をすればいいのか何を学べばいいのか、大学への興味もなく、社会に出てもわからなかった。それで宗教に誘われた時に、そこにあるかも知れないと思ったが数年所属して初めは喜び、これは本物と思ったがやがてもっと深く知るにつれて限界が見えてきた。そのころは宇宙にも関心があってさまざまな本を読み漁ったものだ。また他の宗教にも関わってみたが結局満足のできるものではなくすべての宗教に共通する矛盾が現れ、突き詰めていくと限界が見えたのだった。哲学も宗教も小説や書物も人間によって考え出され書かれたものである以上、明快な真実に思えず、史実や不思議な出来事の「UFOと宇宙」「トワイライトゾーン」「ムー」などの神秘的な情報も夢中になって読んだ。
社会に出て就職したのは札幌トヨペットでこれからの車社会のことを考えてのことだった。
ここで営業をした時には様々な業種の人と会ったし性格の人とも会った。大人の顔をしているが子供のような大人がたくさんいること、結婚して子供ができると否応なく自分は大人としての行動なのだと思うが、その自覚は持てなかった。人間として学ぶべき知識をまだ探し求めていた。つまり子供を正しく養育し教える知識が自分にはなかったし、自分が本当は何をすべきかも見つけていなかった。ある時、日本テレビのUFO特別番組を見て、宇宙人と会見しUFO写真を撮ったスイスの人物が紹介された。UFOや宇宙人に興味があったので彼らこそ人間の本当の生き方を知っているのではないか、宇宙には様々な人種があって中には宗教もあるのだろうか、それとも平和な生き方をしているのではないかと。そしてスイスへと真相を確かめるために行ったのだった。そこで初めて「ビリー」エドウアルト・アルベルト・マイヤーと会う。一見して彼は田舎の親父には見えなかった。握手して強靭な身体と威厳を感じさせ、頭脳は明晰のようだった。帰国してから仲間と共に彼の本を翻訳出版することになったが、とにかくその内容はまさしく自分が探し求めていたものであり、真実そのものであった。宇宙のはじまりから終わりまでや人間の49段階の進化。太古の人類史や地球上におけるあらゆる宗教や哲学についての解説や、創造のエネルギーの教え、生命の教え、真実の教えなどを読み進むと、世間に出回っている無数の書物の真偽まで判別することができることがわかった。永遠に変わることのない真実を知ることは絶対的な確信と自信と希望が見えて、そしてついに大人になったと実感したのであった。以来、これまで様々な書物を読んできたが、書の中の書といわれる「オーム」や歴代の預言者によって伝えられた「真実の盃」などには、これから我々人類が何千万年もかかってたどるであろう人間の行方が示されており、現在の肉体を持った生活からやがて肉体を必要としない霊の状態は高等法院(長老会議)、アラハトアテルサター領域、ペターレ領域へと進みやがて最終的には創造への没入となって人間の進化過程は終了するというのである。これらの驚愕すべき内容はひとえに現代の預言者あるいは宇宙の預言者でもあるビリーによって書き記されたのである。これらの教えは親や、学校教育で学ぶことはできず、世界中の書物を探し回ってもなかなか見つけることはできない。なぜならば、これらの本は例外をのぞいて一般書店には並んでおらず、売ってもいない。従ってFIGUから通信販売にて買い求めなければ入手できない。
これらの本に出会うためには大いなる謎解きや懸命な関心と努力が要求されるためわずかの人々によって読まれているのである。
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2022年01月31日

NO-374 移住から23年目、家の周りの環境について心掛けること

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 1999年3月、札幌から山梨の山の中に移住して来た。まったく縁もゆかりもない未知の土地だ。ビリーに出会って私の人生は大いに変わった。それまでは人間としての生き方を模索し、宗教や哲学にも関心を示したが満足はできなかった。自然の中での生活は望んできたこともあって、そのような環境に身を置いて、そしてビリーの本の出版に関わり続けることであった。スイスのセンターは山中のまさに自然の中にあって自給自足や食料保存、メンバーの協力、安全対策、集会や学びの場所でもある。そこは憧れの理想的なそして世にも不思議な、UFOがやって来て、宇宙人との会見が頻繁に行われているところなのだ。そこには世界からも会員や、マスコミや関心を寄せる人々が訪れる。
いつしか日本にもこのような場所ができれば・・・。との思いからの行動であった。
まずは家族と仲間が生活できることが優先されることであるが、それにはなんの保証もなかった。それでも自給自足と山の中でも車屋をやりながら、なんとかなるだろうとの思いであった。そう思わせるのも、祖先は四国から明治時代に北海道へ船に乗って開拓に来たのだから。電気もない、病院もない、店もない、車もない。熊の住んでいる山に分け入り木を切り、家を建て、土地を耕し、作物を得て、そして子育てして、学校には通えたのかは知らない。自力で生き延びることしかなかったはずだ。それに比べれば未知の土地への移住であっても苦労の度合いが違うだろう。なんたって電気は通ってるし、道路もあって車が使えるのだから。パソコンまで使えたし、借金すれば家も建てられたから、そして集落では組み制度があって、水を使うには必然的に組みに加入し、地域活動に参加するのだ。これは望んでいたことであって、この地に骨を埋める覚悟だ。畑で作物と周りから山菜やキノコ、栗や胡桃などを取ったりして食を満たすのは子供の頃からの習慣だった。それゆえ鶏やヤギやウサギも飼って卵、鶏肉、ヤギの乳も得た。集落のグループで稲作もして田植えもしたし、近くの川では魚も釣れる。近所の農家からの作物をもらうことも多々あることだ。どこで生きるにしても周りの人と仲良くやることは欠かせない。なんたって田舎の人は親戚縁者があちこちにいるから、悪口を言ったり不祥事を起こすことは御法度なのだ。だから知り合いは作物や貰い物を分けあって、物々交換も頻繁だ。このように生活の上での人間関係も大事な要素だが、忘れてならないのは人間は植物や動物そして昆虫や魚や鳥などと共存関係にあるということだ。世界中で、そして日本でも絶滅危惧種がどんどん増えて絶滅してしまったのも数多くあるという。そして今も、これからもその消滅は加速していくというのだ。
その最大の原因は人口過剰によって木を切り、家を建て、工場を作り、動植物のや昆虫の生息空間を奪うと共に、畑を作り、作物を栽培し、農薬や除草剤を撒いて、蜂や蝶々など昆虫を殺す。こうしてますます昆虫は減り、その影響はそれらを餌とする小鳥が数を減らしている。これらの変化は徐々に現れてくるのでなかなか気がつかない。人間は急激な変化には気がつくが、徐々に進む変化にはよほど注意していなければわからない。ミツバチも集落のあちこちで飼っていたが、今ではどこにもいなくなってしまった。これはネオニコチノイドという農薬が原因と知られている。夏になると家の周りが蝉の鳴き声で目が覚めたものだがその賑やかさも無くなった。頻繁に畑や木々にやって来て囀っていた野鳥の姿も、そして声も減ってしまった。大型鳥のキジやカッコウ、フクロウの声も今は無い。天敵のいない人間だけがこの地上で幅を効かせ農薬や環境ホルモンを撒き散らして、人工甘味料や添加物や農薬に汚染された食べ物を知らずに食べている。便利さと贅沢を追求するあまり身の安全性は2の次にされてしまう。せめて安心安全なものを口に入れようと思うなら自分で作らなければならない。汚染されていない土、農薬を使わず、化学肥料も使わず、多少虫に食われても健康が大事だと思えば収穫量は気にならない。薪ストーブの灰や木酢液は肥料にもなるし害虫の忌避剤でもある。そんな畑に時々キジバトがやってくる。スイスのセンターではバードテーブルを置いて餌を入れてある。それは初めて行った時から、そして現在もそうである。スイスでも農薬で昆虫が減ってそれを餌としている小鳥が減少しているのだという。もう一つの原因は草を刈りすぎて小鳥の営巣場所と昆虫の生息場所が失われたせいだという。確かにここの田舎でもまた他所でも暇さえあれば畑や田の周りの草を刈っている。集落では草を刈らないと周りの迷惑になると考えられているからだ。だから役所も河川敷などは刈ってしまうから小鳥もカモも棲めないのだ。
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だから我が家にやってくるキジバトには鳥の餌を買ってきて与えるようにした。いまのところ鳩だけだが春にはセキレイも我が家に巣作りに来るだろうから、鳥やムササビにとっても良い環境であれば、それはまた我々の生活にとっても共存しているという共感を覚えさせてくれる尊い存在なのだ。
植物相、動物相、昆虫やミミズも、モロコや鯉も我が家のご近所さんで仲間なのだ。共存共栄、愛、平和、自由、調和、そして幸せ。どんな生物もそれを望んでいる。


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2022年01月14日

NO-373 何のために生きるのか、真実を求め!やがてUFOとかかわり、それは 「*真実の静かなる革命」へと続く心の旅人の道であった。 *クラディーナ・アイカリーナ少女の命名(NO-347参照)

音楽が与える人間への影響をどのように利用するべきか?
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 人間だけが音楽を作り出し、演奏し、そして聴くことができるのではないか。
しかしながら風の音、雨音、雷や木々のざわめき、小川のせせらぎや滝の音、海の波音やそれに鳥や昆虫そして獣の鳴き声など、さらには犬や猫の鳴き声もある。街では人の声、車の騒音、信号機や列車の音も入り混じって捉えようのない騒音となって、日々人間に刺激を与えている。なかには人の耳では捉えられない低周波音がありそれは人知れず健康に害を及ぼしているのだから、聞こえる音だけが人間に影響を与えているわけではないことがわかる。
また人体が発している本人にしか聞こえない耳鳴り音や吐息、飲食や体を動かした時の骨格や筋肉によって発する音もある。家庭にあってはテレビやパソコン操作音や信号音、家事仕事の音もあるから実に人間は様々な音に日常的にさらされていることになる。
さて音楽鑑賞として意図して聴く場合には人によってそれぞれの好みに合った音楽を選ぶのだからこれもまた非常に幅広い曲目となるだろう。代表的なものでもクラシック、エレクトロニカ、民族音楽、ポップス、ブラックミユージック、ジャズ、ロック、ラテン音楽などがある。
ここで確認しておきたいことはこの宇宙すべての事象現象、そして要素として全てにわたって2元性を持っているということである。プラスマイナス、男女、生死、寒暖、明暗、昼夜、肯定否定、強弱、上下、左右、前後、高低、内外などまだまだあるが、これらの変化を無視することはできない。というのも、どちらかに偏っても生命形態の存続には支障が出るしあるいは生命の存続そのものが成り立たない。そして種の存続も不可能だ。つまり宇宙そのものも消滅を繰り返し、そして永遠の存続が保障されその法則は存在するあらゆる生命体にも適用され、いかなる存在も法則から免れることはできない。2元性の法則は調和によってのみ維持され存続しあらゆる生命体は生存できるのである。この法則や存在としての条件から逸脱したり無視したり逃避すると、その行為は自身の生命維持活動を放棄するに等しくなるということを考慮しなければならない。この2つの特質との調和こそ、それは日々の生活においても大切な要素である。
以下に第583回会見記録から抜粋引用―――

ビリー。
ストレスや運動不足、さまざまな種類の音楽が、人生そのものや人生の質、人間の寿命にどのような影響を与えるのか、簡潔に教えてください。プライベートではよく話していましたが、オフィシャルな形ではなかったので、オープンに聞く必要があると思います。
Ptaah:
(14)ストレスの多い生活 - 過労の結果だけでなく、他のあらゆる点においても - と身体の不活性化、そして嫉妬、喧嘩、悲しみ、憎しみ、争いなどは、ご存知のように、非常に悪い影響を全身に及ぼし、またしばしば非常に悪性の影響を及ぼします。一方では心身症の結果として、また最終的には効果的な苦しみの結果として、深刻な慢性疾患や身体の損傷、心臓の問題、さらには臓器不全などによる死につながることもあります。
しかし、ネガティブで有害なライフスタイルは、他の面でも寿命を縮め、通常よりも数年、数十年も早く亡くなってしまうことがよくあります。
なぜなら、ストレスを感じる思考や感情、身体の不調(正確には活動不足やストレス過多)は、意識を著しく乱し、その機能を低下させ、うつ病の結果として人生に疲れを感じさせるからです。
17 精神的・感情的な混乱を招き、最終的には病的な意識の障害が発生し、心や理性の働きにも悪影響を及ぼしてしまいます。
18.その結果、人生に疲れ、最終的には自殺願望とその実行につながる。
19. 様々な種類の音楽については、良い音楽やポジティブな音楽は、生きている実感を高め、健康や心身の状態全体をポジティブに促進し、それに伴って人生に対する良い正しい態度やそれに応じた行動も促進すると言うべきである。
(しかし、そのような音楽は、調和のとれた音や音色の中にしかなく、地球上ではクラシック音楽や調和のとれたポップスの中にしか与えられていない。
(他のすべての不調和な音やトーンについては、とんでもない音やブーイングのようなノイズの放出や、唸り声、金切り声、キャーキャー言う声、吠え声、ヤジを飛ばす声などにしか対応しておらず、これは比類のない不調和に対応しています。
このような騒音は、当然のことながら悪性の悪影響を及ぼします。それは、真の対人関係が築かれず、明確な秩序がなくなり、このような騒音に固執する人々は、同胞やすべての生命に無関心になるという事実です。
感覚が鈍り、現実を認識できなくなり、一体感を持って考えることができなくなります。
この他にも様々な被害がありますが、人々は漂流し、主に若者や「成長した」大人が非社会的な状態に陥ります。
25)仲間の生命と身体が尊重されなくなったので、残忍に立ち向かい、殴る蹴るの暴行を加え、しばしば無惨になったり死に至ったりする。
もはや人生には何の意味もなく、ただ無意味な生活と快楽の追求だけが行われ、それによって思考や感情は冷たく、狂ったようになり、病気になってしまいます。このような状況は、健康を害するようなストレスにも対応しており、最初に述べたストレスの多い生き方と同じような要因をもたらします。
27 だから、自殺に至るまでの影響は何度もある。
ビリー。
この背後に私はもっと多くのことを見ています。今日、恐ろしい不協和音と轟音で作られている途方もない騒音は、狂ったように音楽と呼ばれ、非常に愚かな形をしていて、骨髄や足を動かし、強制的に鬱や不満を誘発します。しかし、これができるのは若者だけではありません。しかし、これを理解できないのは若い人だけではなく、年齢を重ねた人たちも、残酷な楽器やボーカル、神経を逆なでするような不協和音にすっかり魅了され、何が本当の調和のとれた音なのか、もはや何もわからなくなってしまっている。1980年代半ばには、言葉やフレーズに誤ったアクセントをつける行為も登場し、光速で世界中に広まっていきました。それまでは、音楽や歌と呼べないような不協和音はほとんどなかったのですが、正確には1980年代半ばに突然、悪が襲ってきたのです。疑惑の音楽の楽器の雑音、衝突、騒音、同様に疑惑の歌の轟音、遠吠え、叫び、文章や言葉の間違った強調と同様に、世界的に不調和の段階が現れ、おそらく正しい強調と真に調和のとれた音やトーンが再び発見され、したがって真に調和のとれた音楽や同様の歌が発見されたときにのみ、再び沈静化するだろう。しかし、それにはまだ時間がかかると思います。―――ここまで。

以上から音楽と生活の関係性が示され、このような説明から日々心がけるならクラッシックやポップスのような音楽が推奨されているのはそれによって身体や精神的な影響をもたらしその恩恵によって心豊かに人間関係を協調して生きる喜びを得られる。良い音楽は良い人間性を育みパートナーや家族、そして職場や社会においても良い影響を及ぼすのである。昨日のNHKためしてガッテンではパーキンソン病の患者は歩くことが困難であるが、メトロノームの規則正しいリズム音を聞くことで、とまどうことなく歩くことができるのであった。またモーツアルトのクラッシックを聞かせてワインを醸造したり、作物を育てたり、また乳牛などは乳の出がよくなるとの音楽効果はよく知られている。
また、かつてビリーはプレヤーレンの音楽に似た感じはボレロ、ヴァルキューレの行進、ニーベルングの指輪を挙げ、もし地球人がプレヤーレンの音楽を聴くと陶酔して中毒状態になってしまうと言っている。
したがって日々聴くことのある音楽を今一度吟味されてはいかがでしょうか、コロナ禍にあって免疫力の向上にも役たつことでしょう。


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2021年12月31日

NO-372 古民家ありますが田舎暮らしや就農などに有効利用しませんか?

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 平林集落に11の組がある。組にはそれぞれに道祖神があって、1月14日と7月の14日には組み衆が集まってお祭りが開催される。各組には組長が回り順でその役割を引き受け2年間のお世話役となる。組費を集め、行事の連絡をし、平林区の中で組長会に参加する。町からの連絡や行事や配り物など回覧を通じて各戸に伝え集約し冠婚葬祭なども組単位で行われる。平林区の行事は区会によって運営される。お祭り、運動会、防災訓練、盆踊りなどだが町の行事にも区で参加する。その他にも平林活性化組合のみさき耕舎があって道の駅の役割を担い食事と蕎麦打ち体験、秋の収穫祭の大根祭りでは様々な食べ物、売り出しもの出店が並び、神楽も踊られ賑やかな1日となる。この集落からの富士山の景観は目の前の眺望なので人気があってカメラマンもよく来る。全国的に限界集落とかで住人が減って集落が消滅する事例が報じられているが、富士川町でも小さな集落はその傾向がある。
ここ平林はどうかというと明治から昭和にかけては300世帯が暮らし、あたり一面畑であったと長老はいう。いまでは山林の中に畑と家が点在する程よい景観と見えるが、一歩林の中に足を踏み入れるとあちこちに石垣や田んぼ跡らしき地面が広がっている。トラクターも管理機もないすべて馬か手作業での耕作栽培だったのだから昔の人は逞しいというか、それがあたりまえの生活だったのだろう。他には林業者や炭焼きの仕事とパチンコ屋や映画館もあったという。今では100世帯くらいが暮らす集落であるが結構混み合って家を建て生活していたらしく、車が入れない道や駐車場もない家が結構あるのだ。畑道は馬か人が通る程度だったから道も細い、今時のトラクターも入らない。この集落で一番先に私がトラクターを所有して畑道はやはり所有したユンボで広げ軽トラも走れるようにした。それまではほとんど耕運機を使っていた人たちも徐々にトラクターを導入しだした。
その背景には老化による体力低下と利便性や効率が重視されたことが私も含めあるのは間違いない。移住してから21年が過ぎて、当時と世帯数はほとんど変わらない。というのも住まなくなったり、亡くなったりしてそこに住む人がいなくなれば空き家となって貸したり売り物件となればすぐに入居者が決まる。平林は人気があるので空き家待ちの状態だ。しかし、古民家の場合と違って私や仲間やあと数軒の新築による移住者は流石に少ない。
それらを含め移住者すなわち地元で言うところの「来たり者」は25軒ほどで100軒のうちの4分の1が移住者となった。これからもこの集落は1人り世帯が約25軒あるのでいずれあと20年もすれば空き家となるからまたその後には移住者がやってくるだろう。そうすると実に半数が移住者となり入れ替わりが生ずる。私の組でも11世帯のうち移住者は8世帯で逆転現象が起きている。こんな何もないところに人が来るわけがない、なんでこんなところに来た?こんなところで仕事になるのか?仕事がないから誰も帰ってきて住まないのになどと地元民にとっては不思議なことなのだ。それでもやって来た人々は蕎麦屋、木工オルゴール、ギャラリー、竹細工、鍛冶屋、車屋、カヌー作り、陶芸家、弁当屋、登山ガイド、サラリーマン、林業者、森の幼稚園、退職者、郵便局員、テレワーク者、藍染職人、役場職員などなどで、それぞれに生活の糧を得ている。かつて1000人以上がこの平林で
生活をしていた。現在の3倍の人口だ。それだけの人々が育ったこの集落。ここには澄んだ空気、そして水があり、周りは自然に恵まれ人々を養っていた。ウド、ワラビ、タラノメ、フキ、ミツバ、コシアブラ、タケノコ、コゴミ、ゼンマイ、ヤマイモ、キノコ、カヤの実、クリ、クルミ、グミ、コウゾ、野いちご、桑の実、コクワ、イワナ、ヤマメ、ドジョウ、サワガニなど、またイノシシ、ウサギ、シカ、アナグマ、タヌキもいて野生の食材はこれ以外にもあるが、この他に畑をあたり一面に作っていて人々の食生活を支えていたのだ。鳥や獣などあらゆる生物はひとえに自然の中から食を得て、営巣の材料を得て、繁殖している。人間はそれらの生き物よりもマシなのではないか?
人間の幸せの原点は食べること、しかも自分でその食物を生産、採取、あるいは捕獲して
食欲を満たすことだ。きれいな空気、水、そして安全な食べ物は自分の手で育てる。こうして健康な身体を維持することによって、希望も夢も仕事も追い続けることができる。田舎には助け合いと、人々との適当な距離が存在し、騒音や、排気ガスや、夜の照明や人声によって生活が阻害されない。静かな時間の流れの中で、日々の計画を立て、自分のペースで作業し、自分を見つめながら地道に生きる。「田舎でのんびりと暮らしたい」という人はお金持ちでなければできない。田舎ではお金に頼らずに自給自足で自然界の風や雨や災害に常に対応できなければならず、それゆえ安全な生活の場所を確保することも重要な要素だ。
したがって、数年前から組内の空き家状態で放置された古民家があるが、この活用をどうするか気になっていた。というのもこの家に東京からやって来た若者がいて1人で住んでいたのだが、数年暮らしてまた都会へ戻ってしまって、その後そのままになっていたからだ。
やがて所有者も絶え、事後処理はどうなるのかと調べると、後継人から弁護士に相続され最終的に裁判で処分するのだと言う。その処分の引き受け先にどうですかと弁護士から尋ねられ、財産はもう増やすつもりはまったくなく、手を出せば時間と労力と、面倒になるからでしばらくの間考えていた。しかし、組み内の物件でなければ関わらないのだが、それもちょうど組の行事の中心地である道祖神の前にあって放置状態は一番目立つからだ。弁護士が他に処分すればどんな人がここを所有しどのように使われるかわからない。やはり希望としては事情を理解した上で組に入ってもらって地域の行事や活動にも参加してほしいとは誰もが考えることだ。別荘のようにただ一時的に住むだけの人は歓迎しようがない。それらを考慮し、一時所有し管理することにした。それで1週間ほどかけて、周りの草刈り、片付け、掃除などしていつでも見学できるようにしたが、現状は水回りがパイプの破損で使えないので繋げば使える状態なのと床も一部凹んだりしているので、風呂場やトイレ、台所も含め改修して住むか、それとも取り壊して新たに建て直すかは入居者と相談の上で決めてもらおうと思っている。東のお隣は空き家と北側には韓国風ギャラリーがあり、韓国製の古い壺が並べられています。南に電話の電波塔、南西に道祖神があり、その後ろにはイチイの大木、そばには泉も湧いていて無人のお寺があります。就農希望であれば借りるなり、買うなりできる畑もあるし、山林もある。建物前には庭があるので車の駐車場に使え、庭には梅の木が何本かある。建坪は約31坪、小屋が2棟、敷地面積は158坪です。以上ですがご興味のある方はお問い合わせください。  山野井英俊 090−8639−2416









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