※ 2011年5月8日,15日 Myspaceブログ投稿分

カシオペアの分裂を知った当時のファンの反応は様々でした。分裂なんて有り得ないと思っていたファンが大半だったでしょうから、皆様ショックが大きかった事と想像されます。「これを機にカシオペアを卒業します。」と宣言したファンの言葉は話題になりましたし、他にも「この4人で作ってきたサウンドなのに、メンバーを入れ替えてバンドを続けるなんてフェアじゃない。解散して各人が一からやり直すべきだ。」と苦言を呈するファンも居られました。中でも特に櫻井さんや神保さんを贔屓していたカシオペアファンが一番ショックを受けられた事でしょうね…。その心中をお察しいたします。

しかし野呂さんも、歴史も実績もあるカシオペアを新鋭バンドのシャンバラに食われる形で解散させる事だけは何としても避けたかったのではないでしょうか?だからこそ新メンバーを探してカシオペアを存続する事に決められたのでしょうし、私も野呂さんが「カシオペア」の名前を守ろうとされた事は間違っていなかったと確信しています。


1989年10月、新メンバーを探し始めた野呂さん。先ず最初は若返りを図るべく、若手ミュージシャン達とセッションしてみたそうです。ところが、演奏してみると「経験の差」が出てしまうとお感じになられたそうで、結局、若返り案は断念されました。当時の野呂さんは30代前半でしたので、30代から見た「若手」となれば…当時のカシオペアに匹敵するような熟練者はそんなに居そうにないですよね。(^^;)

そのため野呂さんは、改めて「経験がある」「和を保てる」「ライブ演奏が良い」の三点を新メンバーの条件として設定し、色々なミュージシャンとセッションを重ねていきながら、心の中で何名かの候補者をピックアップされていたそうです。当時はプロのベーシストもドラマーも数え切れないほど存在したとはいえ、野呂さんは『頑固な人を避けたい』という希望をお持ちでしたので、これによって必然的に候補者の選択範囲が絞られたと考えて良いのではないでしょうか?…決して前任者が頑固だったとかそういう意味ではなくて(^^;)、『どんなにテクニックがある人でも、人間関係がうまく行かなければ長続きしない』という持論をお持ちだったようです。

そんな中、新ベーシストの最有力候補に浮上したのが鳴瀬喜博さんでした。「その1」でも書きましたように、元々鳴瀬さんはカシオペアがEastWestコンテストに出場した際の審査員だった大先輩で、それをきっかけにカシオペアとの交流が続いていました。特に野呂さんは酒の席で何度も相談相手になっていただいたそうです。(^^;)

勿論、音楽面でも鳴瀬さんは1979年の企画盤「Tokyo Fusion Night」に野呂さんを招いたり、ソロアルバムは81年「Mystique」に野呂さん、82年「Bass Bawl」には櫻井さん、83年「Base Metal」には櫻井さんと神保さんをそれぞれ迎えてレコーディングが行われましたし、逆に86年には向谷さん野呂さん共同プロデュース企画盤「スーパーマンサンタ」に鳴瀬さんを迎えてレコーディングされました。又、レコーディング以外にもジャズフェスで一緒になる機会も多く、カシオペアと鳴瀬さんは旧メンバー時代から結構交流があったそうです。ちなみに鳴瀬さんの初期ソロ作の4枚のうち単独でCD化されたのは「Base Metals」だけです。その他のソロ作はいずれも未CD化で、4作から選曲されたベスト盤のみCD化されています。
「Tokyo Fusion Night」http://www.amazon.co.jp/dp/B001B56J4E
「NARUSE THE BEST 22」http://www.amazon.co.jp/dp/B00005GFBI
「HERE COMES THE HURRICANE BASSMAN」http://www.amazon.co.jp/dp/B00005A1G2

89年10月、向谷さんの「三国志Ⅱ」のレコーディングに参加していた鳴瀬さんは、カシオペアが年末いっぱいで分裂する事を知り、「カシオペアの若帰りの為に、俺が入ってやろうか?」と冗談を飛ばしながら和気藹々とレコーディングされていたそうで(笑)、後の野獣王国の前身「是方スーパープロジェクト」の仕事中も、是方さん達と「アイツら、一体どうするんだろうねぇ~?」と他人事のように面白がっておられたそうです(笑)。

すると向谷さん、鳴瀬さんのジョークを真に受けた訳ではないでしょうが(笑)、真剣に鳴瀬さんの力量を思い知らされたようで…野呂さんに「ベースはナルチョがいいんじゃない?」と提案されたそうです。すると野呂さんも、89年に鳴瀬さんと何度かお仕事をされていて、同じ事を考えておられたそうです。こうしてお二人の意見が一致した事により、野呂さんはベース候補を鳴瀬さんに一本化する意思を固めました。

野呂さんが鳴瀬さんに電話をしたのは89年の11月頃でした。

野呂 「もう話は聞いてると思うけど…。」
鳴瀬 「おう、辞めるんだってな。新しいベースを紹介してほしいか?」
野呂 「いや、それが、そうじゃなくて、あのう…ナルチョやらない?」
鳴瀬 「ええっ!俺が?ちょっと待ってよ~!」

という会話がなされたようです(笑)。結局鳴瀬さんは「これからラジオクラブの南米ツアーに行かなきゃならないから、終わるまで待っててくれる?」と、即答は避けられました。

しかし、鳴瀬さんが決心するのにそんなに時間は掛かりませんでした。ラジオクラブの南米ツアーを終えた鳴瀬さんは、本多俊之さんに「カシオペアに誘われているんだけど、どうしようか…」と相談したところ、そんなの冗談だと思った本多さんは「いいんじゃないですか。行っても良いですよ。」と即答。すると鳴瀬さんは「そうか!」と言って、本当にカシオペアに行く決心をされました(笑)。

そして鳴瀬さんは、野呂さんにカシオペア加入受諾の意向を伝える為に電話しました。当初鳴瀬さんはカシオペアを「世界一まとまった演奏をするバンド」だと思っておられたようで、自分に務まるのかを懸念された為、「俺、あんなややこしい演奏はできないよ。それと知ってるだろうけど、音も大きいよ。」と念を押されました(笑)。すると野呂さんは「大丈夫。色んなミュージシャンとセッションしてみたけど、ナルチョが一番若かったから。」と回答(笑)……こうして鳴瀬さんのカシオペア加入が正式に決定しました。

当時鳴瀬さんは、「後輩バンド」へ新加入する事になった理由を、雑誌のインタビューで「何より野呂と向谷が誘ってくれたのが嬉しいじゃないの。櫻井の後任というのも相手にとって不足無しだよ。1970年から10年間バンドをやって、1980年からはソロで10年間色々なプロジェクトに参加した。野呂も長く続けたいと言っているし、1990年からもう一度バンドをやるって言うのも区切りが良くていいだろ。」と答えられました。

そういえば鳴瀬さんの若き時代に「バッドシーン」という伝説のバンドが存在したのですが…実はその初代ベーシストは櫻井さんのお兄様で、そのお兄様の後任として3代目ベーシストになったのが鳴瀬さんだったらしいのです。そして時は流れ…鳴瀬さん、今度は櫻井さんの弟様が初代ベーシストを務めたカシオペアの2代目ベーシストに就任する事になった訳です(笑)。しかも鳴瀬さんと櫻井さんは誕生日も同じ11月13日!(驚) こんな共通点もあって、お二人は当時からずっと親しくされていたのです。

又、鳴瀬さんのカシオペア以外のバンド活動に関しては、野呂さんから「新しいカシオペアはツアー本数もそんなに多くないので、ソロ活動してもOKだよ。」とお墨付きを貰っていましたので、是方スーパープロジェクトだけはカシオペアのスケジュールの合間を見て継続する事になりました。しかしそれ以外の活動は、鳴瀬さん自身がカシオペアで慣れられるまでの間、しばらく中断する事にされたのです。

そして一方のラジオクラブも、鳴瀬さんが抜けた事で一旦活動停止となり、後にメンバーを総入れ替えした上で新生ラジオクラブが誕生する事になりました。ちなみにラジオクラブは形式的には「プロジェクト」扱いであり、パーマネント・バンドではなかったそうです。だからこそ鳴瀬さんもパーマネント・バンドのカシオペアに行く事に関して支障が無かったのだと思われます。でも本多さん、まさか鳴瀬さんが本当にカシオペアに行ってしまうとは思われなかったでしょうね…(苦笑)。


とりあえずはメンバー3人が固まった新生カシオペア…あとはドラマーを探すのみでした。そこで野呂さんは、当時ジャズフィールドで活躍していた日山正明さんに白羽の矢を立てました。実は日山さんは神保さんともドラマー同士、旧知の中であり、カシオペアのライブもよく観に来ていて、楽屋にもよく遊びに来られて野呂さん達と色々お話をされていたそうです。

日山さんのそれまでの活動歴ですが…小川銀次氏のクロスウインド、松本英彦氏、益田幹夫氏等のセッション等に参加されていました。レコード媒体として残っているものとしては、益田氏のLP「Chi-Chi」で唯一、日山さんのカシオペア以前のドラミングを聴く事ができます。(VIH-28102) 元々クロスウインドもフュージョンバンドであった事が日山さんも音楽的にカシオペアに近い存在だったと音楽性の面で認められる要因となり、更に人間性の面でも律儀で真面目な人だそうで、その辺りが神保さんとも重なったりして、メンバーの皆様にも好感を持たれたようです。

元々日山さんのスティックの握り方は、ジャズドラマーに多く観られるレギュラーグリップ(鼓笛隊のように握る方法)でした。そのため、実際にカシオペアに加入してその利点がどれほど生かされるか?と検討されたところ、野呂さんが「レギュラーグリップで面白い演奏をしている。これは可能性がありそうだ。」と感心を持たれ、日山さんも正式にカシオペア加入が決定、これにて新生カシオペアの4人が勢揃いしました。

当初野呂さんは、89年12月までに新しいメンバーを決めて、旧メンバー最後のライブで二人の脱退と新メンバーを同時に発表したかったそうですが、結局はそれまでに間に合わせる事ができなかったようで、新メンバーは年を越してから発表される事になりました。

一時はレコード会社も所属事務所も失った野呂さんと向谷さんでしたが、カシオペアが新メンバーで復活する事が決まると同時に、当時のスタジオ・ジャイヴのオーナー様(故人)の御尽力によって新事務所「カシオペア・インターナショナル」が設立されました。勿論、現在も存続している事務所です。そして新しいマネージャーやローディー等のスタッフも得て、ついに新生カシオペアの活動がスタートしました。

一方、櫻井さんと神保さんについては、カシオペア分裂前の最後のマネージャー様が新しい事務所でも引き続きお二人をマネージメントする事になりました。(衝撃の年にしたいと言った人です^^;) 結局シャンバラは2ndアルバムを出せないまま短期間で自然消滅してしまったのですが、お二人が新たに結成したインストバンド「JIMSAKU(ジンサク)」が大きな存在となってカシオペアと共にフュージョン界で躍進しました。

実はこのマネージャー様も、カシオペアと縁が切れたようで切れていなかったんですね(^^;)…そのあたりのお話も、後年の章でまた登場します。


1990年、鳴瀬さんと日山さんが新加入して「新生カシオペア」の幕が明けました…。

1月には、野呂さんが正月を返上して作られた曲を多数携え、新生カシオペアのリハーサルが開始されました。そして3月には新メンバーの公式発表、新しい4人が写ったプロモーション写真が方々に配布されました。私もその写真を媒体誌で初めて観た時は、うおお~と思わず声を上げてしまいました(笑)。前年に「三国志Ⅱ」を聴いていた私は、正直『鳴瀬さんが新メンバーだったらいいのになぁ~。でも先輩ミュージシャンだから難しいだろうなぁ~』と思っていましたので、本当に鳴瀬さんがカシオペアに加入されたのはもうそれはそれはビックリしました!(笑)。勿論、日山さんの存在はこの時に初めて知りました。


実はカシオペアが前年に旧メンバーで「JOIA」を発売した後、発売元のレーザーディスク社(旧社名)より「もう1枚、映像作品を作りましょうよ。」と野呂さんに打診されていました。この時野呂さんは『パーティーのようなものを作りたい』というアイディアが浮かんだそうです。

その後、分裂騒動があった為、しばらくこの件は中断しましたが、赤鬼バンド等で多くのミュージシャンと盛り上がるうちに、野呂さんの中で再びその「パーティー構想」が浮かび上がり、更にカシオペアの新メンバーも決まった事によって具体化される為の構想が練り始められました。

更に野呂さんは、丁度同じ時期に知人経由でダンスチームのプロデューサー様と会話する機会があり、その際に『パーティーのプロジェクトにダンスチームを取り入れてはどうだろうか?』とひらめいたそうです。これをきっかけに「ロッキー」と言うダンスチームが参加する事が決まり、本格的に「パーティー・プロジェクト」がスタートしました。

当初はプランニングも難航していた様子ですが、その途中、かつて「CASIOPEA LIVE(国技館ライブ)*」を担当したパイオニアの映像ディレクター様がこのプロジェクトを知って参加してくださった事により、プランニングは大きく進展して行きました。一度はハワイやニューヨーク等の海外ロケも検討されたようですが、機材・スペースの問題、エキストラを集められるのか?を検討すべく情報をリサーチしたところ、良い作品を作る為には海外ロケでは不可能という結論が出た為、収録は国内で実施される事になりました。やはり日本の機材が一番だと確信されたそうです。
*参考「国技館ライブ」DVD版 http://www.amazon.co.jp/dp/B000244RSU (野呂さんのインタビューが追加収録されています。)

又、時を同じくして、レーザーディスク社もCDソフト制作部門を併設、新社名「パイオニアLDC」としてスタートしたばかりでした。新生カシオペアが発足した事に伴ってこのプロジェクトも「全曲新曲で行きましょう。」という話になったのですが、カシオペアの所属レコード会社がまだ決定していなかった事を知ったパイオニアの担当者様より「それならCDもぜひパイオニアで作っていただけませんか?」と要請された為、新生カシオペアはレギュラーアルバムもパイオニアLDCと契約、LDとCDが同時に制作される事になりました。

アルバムの選曲作業は、予め完璧な状態でレコーディングされていた20曲を超える候補曲の中から野呂さんと向谷さんによってどの曲を選ぶのか検討されたのですが、どの曲もクオリティが高く、お二人の間でも複数のアイディアが出て一つにまとめる事が困難でした。そのため、お二人は「アルバムの核になる曲」を新たに共作する事になり、向谷さんの自宅スタジオに野呂さんも2晩泊り込んで作業が行われました。

先ずお二人が各々思い付いたフレーズを無作為にMacに打ち込み、それらをテーマ、サビ、間奏という感じで繋ぎ合わせて試行錯誤する中、出来上がったのが「Cyber Zone」でした。但し「Cyber Zone」は、当初Bメロ部分だけが無い未完成の状態だったのを、リハーサルで演奏している最中にBメロも出来上がってようやく完成したそうですので、危うく誕生していなかった可能性もあったそうなのです。(^^;)

そして90年4月、NHK三鷹撮影所にてパーティー・プロジェクトのライブ収録が2日間に渡って行われました。これは「日本的な雰囲気」を出す為に、それを実現できるのは撮影所しかないという理由によって選択されたものでした。

そして「映画のような雰囲気」を出すにはビデオではなくフィルムを使う事になり、更に「土の匂いがする泥臭さ」を表現する為に建物をイメージしたセットが設営され、その中をダンサーがアクロバティックに踊り抜ける全容が組み上げられました。

「大世界」と「Golden Island」のみ、別途撮影されたのですが、それ以外の全ての曲はオーディエンス(観客)が加わって大きく盛り上がる中での撮影となり、無事に全曲の撮影が終了しました。

ライブ収録を終えたメンバーは、ミックスダウン作業に取り掛かり、LD用はライブっぽい音源に仕上げ、CD用はスタジオ盤っぽい音に仕上げる事になりました。

先ずLDは、サウンドがデジタル音源なのに対して映像を録ったのはアナログ機器のフィルムだった為、フィルム特有の回転ムラで時々音と絵がずれたりするのをうまく合わせなければならず、アナログフィルムの録画分数も限りがあって付け替え作業を要したりして、全てを同期させる作業が大変だったそうです。ちなみに「Cyber Zone」1コーラス目のBメロで1音抜けた箇所は、「一発録りライブ素材」としてのポリシーを崩さない為に修正はされませんでした。

一方、CD用のミックスダウン作業は、スタジオでオーディエンス音声をカットしてエフェクトも掛けてリミックスする作業ですので、かつての「Mint Jams」と同様の方式とも言えますが、「Mint Jams」と違う点は、向谷さんが弾いた演奏ログがリアルタイムのMIDI信号でデータ保存され、後でリミックスする際に音色を差し替える事が可能な余力が残された点でした。又、ドラムとベースの一部のパーツについても「シンクラビア」という高級シンセサイザーの音色を重ねる事によって一層特徴のあるサウンドを作る事ができました。

以上のようにして、新作「The Party」は完成しました。発売に先駆け、向谷さんのFM番組に新生カシオペアの4人が2週に渡って登場、スタジオライブを披露しました。1週目は「The Party」のCD音源が初披露され、「大世界」や「目撃者」等がオンエアされました。

この時私も、当然初めて新生カシオペア・サウンドを聴いたのですが、「目撃者」の鳴瀬さんのウネり踊るようなベースソロを聴いた瞬間、「期待通りの働きをしてくださってるな~」と感激しました。そして2週目はスタジオでの新曲と旧曲のライブ演奏、名曲「Take Me」も新メンバーによって初演奏され、ベンチャーズの「パイプ・ライン」も披露されました。そして何より2週に渡ってギャグを喋りまくって爆笑を誘う鳴瀬さんのキャラクターが強烈で(^^;)、バンドの雰囲気がすごく楽しくなっていると私も感じました。

そしてついに「The Party」はレーザーディスク&ビデオの「Visual Stack」と、CD&カセットの「Audio Stack」とが6月に同時発売されました。
「Visual Stack(DVD)」 http://www.amazon.co.jp/dp/B000244RTE (野呂さん向谷さん鳴瀬さんお三方による座談会が追加収録されています。15分。)
「Audio Stack(再発)」 http://www.amazon.co.jp/dp/B000FUU0PU

ちなみに当時、LDとCDの両方に付いていた応募券を一緒にメーカーへ送ると、抽選で「The Party~EXTRA STACK」というVHSビデオが貰えました。(LPR-017) このビデオにはLD本編とは違う「大世界」のオフショット無しの演奏中の映像のみのバージョンや、本編には未収録だったメンバーのお茶目なオフショットも収録されていました。(全部で10分程度ですが…)

私も「The Party」のLDとCDの音を聴き比べて「音が全然違うなぁ~」と喜んだのを覚えていますが、特にLDの映像作品にすごく感動しました。

まず野呂さんはロングヘアで印象が変わったなぁ~と思いましたが(^^;)、「Cyber Zone」でディストーション(歪み)を掛けてロングトーンでギャ~ンと弾く姿や、ライトハンド奏法(指を立てて叩く奏法)を観た瞬間、「ギンギンにロックしている!」と思いました(笑)。旧メンバー時代でライトハンドが使われたのはライブの「Misty Lady」と「Steet Performer」ぐらいですからねぇ…。いきなりロックの象徴が登場したという訳です。各々の曲調も旧メンバー時代よりやや骨太な印象を受けますが、これは野呂さんの「軽い曲はやりたくない」という意向によるものでした。

向谷さんの機材が増えているのにも私は驚きました。実際に沢山買い増しされたそうです(^^;) 向谷さんはマスターキーボードのヤマハKX76とKX88をコントローラー(司令塔)として、多くのシンセ音源をMIDI信号でコントロールされていました。この時新しく加わった音源郡にはE-mu ProteusやヤマハTX-16W等がありました。鍵盤タイプのシンセも増えたのですが、特にエンソニックのVFXというシンセサイザーは発音のタイミングが若干遅い為、その分早めに鍵盤を弾かなければならないので大変だったそうです。

そしてVisual版のみ収録されている鳴瀬さんと日山さんのソロも必見でした。特に鳴瀬さんが何度もカメラ目線をされながらもきちんと弾いておられるのが私も面白くてたまりませんでした(笑)。鳴瀬さんがどれだけ面白い人なのかは予めFM番組で予習していましたので、思った通りだなぁとは思いましたが(笑)。そもそもベースでライトハンド奏法やタッピング奏法をされる人なんて初めて観ましたので(笑)、ベースの既成概念をぶち壊すようなアクロバティックな演奏が魅力的で、速攻で虜になりました。並のベーシストが弦のグリッサンド(指を滑らせる奏法)をすれば2拍以上食ってしまうかも知れないので危険ですが、鳴瀬さんは例えば「Cyber Zone」でも2拍目と4拍目のみブウーンと入れても1拍目と3拍目のリズムを崩さずにキープしておられますので、私もなんて器用な人なのかと驚きました(笑)。ベースを正攻法で学んできた人は気を悪くされたかも知れませんが、新しくなるのであればこれぐらい大幅な改造がされても私は当然だと思いましたよ。しかも鳴瀬さん、向谷さんがMacでプログラミングした「Cyber Zone」を人力で見事に弾きこなしておられたのも凄いですよね!

だからと言って鳴瀬さんも、決して無茶苦茶に弾いておられた訳ではありません!当時鳴瀬さんは「俺を新メンバーに選んだと言う事は、何もかも変えて欲しいと言う事だろう。それは俺が普通に演奏する事で自然に変わるものだろうと思う。でも、このバンドの伝統的に良かった部分は残していくべきだと思うよ。」と冷静にお話になられていたのです(笑)。ですから鳴瀬さんもカシオペアではあくまで「手下」として(笑)、常に色々計算しながら演奏されていたのですから、その点は誤解しないでください(笑)。

日山さんのドラムも新鮮でしたね。日山さんのスネアは通常のドラマーのアタックが強いロールとは違う感触と言うか、竜巻のように下から上に吹き上がるように聴こえるんですよね。しかも日山さん、部分的にスネア・ロールを入れる時は助走をつけなくても急に一拍部分だけワンポイントでロールを入れたりできますので、私も観ていて緻密な作業の出来る人なんだなぁ~と感動しました。当時日山さんは「やたら音数を増やしても音が埋もれてしまうだけなので、空間を作ることも大事です。」と語られていましたが、それも日山さんのように細かい技が効くドラマーだからこそ可能だった事なのかも知れませんね。

当時野呂さんは「4人の個性や瞬間的なパワーをファンの皆様に観ていただくのに相応しい作品です。」と語っておられましたが、メンバーも後年に振り返ると一同に「よくあんな大変な事ができたね。」と声を揃えておっしゃるくらいにハードなお仕事だったようです。確かに全曲新曲で一発録りでしたからねぇ…(^^;)

特に新メンバーのお二人はさぞ大変だった事でしょう。日山さんは集中力を高める為に一切喋らなくなる事もあったとかで(^^;)…それだけ全力を掛けてくださったのでしょう。鳴瀬さんも難しいフレーズばかり色々用意されながら(^^;)見事にこなされました。鳴瀬さん曰く「確かに大変だったけど、その点、俺は百選練磨だから大丈夫。」との事でした。なんて心強い事かと!他のベーシストなら根を上げていたかも知れません。大変な事を強いられても耐えられる器量を持ったベーシストは、鳴瀬さんしか居なかったでしょうね。

そして90年7月には、新生カシオペア初のツアー「Brand New Tour '90」が行われました。野呂さんの「新曲だけだと曲数が足りないので、伝統的な曲も演奏します」という意向によって旧曲も演奏され、各会場とも大いに盛り上がりました。ちなみにこの時の旧曲レパートリーはConjunction、North Sea、Misty Lady、Galactic Funk、Eyes Of The Mind、Take Me、Asayakeだったと思います。North Seaはたしかツアー後半でTwilight Solitudeに変わったような記憶もありますね…。これらの曲は、その後も新生カシオペアにおける旧曲レパートリーとして定着する事になりました。

又、11月にはパリ・ダカールラリーのテーマ曲の「候補曲」としてCDシングル「Splendor」が発売されました。(PIDL-1013) 候補曲と言うのは、最終的にテーマ曲に選ばれなかったという意味です(苦笑)…でも曲自体は素晴らしく、野呂さんと向谷さんの共同アレンジという新しいアプローチにより、荘厳な感じのロックナンバーが出来上がりました。

更にこの「Splendor」は、カシオペア初のCDVソフトとしても発売されました。(PIFL-1012) このCDVというソフトは、CDと同じサイズの盤面に映像が収録されたもので、レーザーディスク・プレーヤーで映像が観れるアイテムでした。但し、映像は全編サーキットカーのドキュメント映像で、メンバーは一切出演していません(苦笑)。どうせテーマ曲にならないのなら、メンバーに出演しまくってほしかったです…(笑)。

(その5へ続く)