※ 2011年5月22日 Myspaceブログ投稿分

1991年1月、新生カシオペアは新作に向けてのミーティングを開始、メンバーの皆様は『時代の流行にとらわれず、1曲1曲の個性が強くてカラフルなアルバムを作りたい』という方針を定め、仮のタイトルを「フルカラー」と名付けました。

そしてメンバーは「曲の色合いを出すにはヨーロッパがいいね。」「お城みたいなところでレコーディングしよう。」という意見を出し合ってロンドンでのレコーディングを計画、「独特の響きを得られる」という理由により「チャーチ・スタジオ」を事前に確保し、ビザも取得して、1月26日に日本を出発する予定でした。

ところがその直前になって突然、湾岸戦争が勃発したため、安全上の問題で急遽ロンドン行きは中止となり、結局レコーディングは国内のスタジオ・ジャイヴとサウンドスカイ・スタジオにて行われる事になりました。

当初の計画が狂った事でショックを受けられた野呂さんは、同一曲を国内で録音するにあたり、アレンジを全て書き直されました。つまり当初のアレンジはロンドン録音を念頭に置いてのものだったからです。鳴瀬さんは「俺一人でもロンドンに行くぞ!」とかおっしゃったそうですが…(笑)。

そんな中、残念がるメンバーを気遣ったスタッフの計らいにより、スタジオ・ジャイヴには大きな英国旗が貼られ、時計もロンドンの時間に合わせられました。その効果でメンバーの皆様も元気が回復したそうです。(^^)

それでも実は…向谷さんだけはレコーディングが国内になった事を喜んでおられました(笑)。なぜなら、ロンドンでの機材の調達が非常に困難だったからだそうです。これは実際にバンドをやっていてキーボードを担当している人なら理解できる話だと思いますが…(^^;)

本作のレコーディングでは、当初20曲程度候補曲があった中からベストテイクが選択されたそうです。

先ず1曲目の「Fightman」は、ギターとベースのチョッパーによる掛け合いが印象的な曲ですが、実は当初のアレンジではベースのソロが少しあっただけだそうです。ところが鳴瀬さんが、普段ライブで野呂さんが「Galactic Funk」のソロでチョッパーを披露しているのを興味を持って観ておられた事から「ギターも一緒に弾こうよ。」と提案された為、ギターとベースのバトルが展開される事になったのです。後にこの曲はライブでも定番の曲となりました。

そして本作では「The Sky」や「Top Wind」等、旧メンバー時代の伝統的なリズムを持つ曲もレコーディングされました。それはハイハットで例えれば、下手な説明ですみませんが『チーチキ、チーチキ、ン・チー、ン・チーチー』みたいな感じで1小節の前半がポップス風の「タテノリ」なのに後半がジャズ風シンコペーションの「ヨコノリ」になっていて、タテノリとヨコノリを交互に繰り返す細かいリズムパターン…かつて野呂さんがアレンジして神保さんも身に付けられた伝統的なパターンです。それについては日山さんも昔からカシオペアを聴いていて知っておられたようで、ベースとドラムのコンビネーションも重視した上でレコーディングに臨まれていました。

前作の「The Party」が一発録音だったのに対し、本作はじっくり時間をかけて作る事になった為、特に向谷さんのキーボードの音色やフレーズには非常にこだわられたようで、試行錯誤に時間を費やされたそうです。向谷さん曰く、以前のカシオペアでは『如何に多くの音色を集めて固めるか』という方針でしたが、本作では『如何に一つ一つの音色の存在感を強く出すか』という方針へと転換、FM音源の使用は控えめとなり、代わってエンソニックSQRやVFXの音色が多く使われ、サンプリング・キーボードE-mu EmulatorⅢも「The Sky」で生音に近いブラスサウンドを出すのに活躍し、「Passionate Voltage」と「Navigators」では野呂さんのギターサウンドをEmulatorⅢに取り込んだものがブラス音源と混ぜ合わせて使われました。

向谷さんの曲も個性の強いものが出来上がりました。ちなみに向谷さんは前作までは殆どの曲をMIDIキーボードで作曲しておられたのですが、当該レコーディングで久しぶりにアコースティック・ピアノを弾いてみたところ、そのダイナミクスの良さに感動された為、数年前から取り掛かっていて未完成だった「Once In A Bluemoon」を完成する事ができました。この曲はアルバムで唯一、一発録音した曲だそうで、野呂さんもピックを使わず、エフェクトも掛けず、素に近い音だったそうです。ちなみに向谷さんは「Purple Hours」と「Final Chance」の2曲のみMIDIピアノ(坂本龍一さんも使用されていた、あれです)を使用されましたが、これ以外の曲のピアノパートは全てアコースティック・ピアノを弾いたものです。

同じく向谷さんの「Search My Heart」では鳴瀬さんのベースがメロディを奏でていますが、当初向谷さんが鳴瀬さんに指定したのは完成音源よりも「1オクターブ下」だったそうです。しかし鳴瀬さんは「一番きれいな音が出る弦の音域は1オクターブ上だよ。」と言って変更を提案、実際レコーディングするとCDを聴いての通りにうまく行ったという訳です。向谷さんの曲を鳴瀬さんがベースでメロディを弾くパターンはその後も毎年、定番化していく事になりました。

その鳴瀬さんも、本作で初めてオリジナル曲「Akappachi-ism」を披露しました。とは言っても、元々この曲は鳴瀬さんのベースソロが基軸となったもので、リズム・イントロ・サビ・コードのみを鳴瀬さんが作成していた譜面を野呂さんに手渡し、新たにメインのメロディーを付けてアレンジしてもらったそうです。その為、作曲クレジットはお二人の連名になっているという訳です。「Akappachi」と言うのは鳴瀬さんが御自身の8弦ベースに付けた愛称です。ちなみにこの曲での野呂さんは、「ベースが主役だから」という理由でギターを控えめにするべく、ディストーションは掛けずに、更に意外性を持たせるべく、ジャズ風のフレーズを弾かれたそうです。

そして本作のレコーディングも殆ど終わりかけた頃、「パーカッションを入れよう」という事になり、「Final Chance」「Private Sunday」「Street Dreams」の3曲に於いて、カシオペアと同様、湾岸戦争で海外レコーディングが中止となって同じ境遇に在った「オルケスタ・デ・ラ・ルス」のメンバーが参加しました。カシオペアメンバーの演奏が全て終わってからのダビングとなった為、全体的なバランスに合わせるのが大変だったでしょうが、そこはオルケスタのメンバーの皆様も熟練者らしく器用な演奏をしてくださり、色の濃いラテンのノリを出す事ができました。

以上のようにして本作は完成し、改めて「Full Colors」と言うタイトルが付けられて5月25日に発売されました。「フルカラー」だと某写真ブランドと紛らわしいので「S」が付いたそうですよ(^^;)
[再発盤] http://www.amazon.co.jp/dp/B000FUU0Q4

前作「The Party」がロックを前面に出したのに対し、「Full Colors」は色々なジャンルの要素が散りばめられた文字通りカラフルなアルバムとなり、ファンの間でも高い評価を得たようです。結果的に「幸い転じて福となす」という事だったのでしょうか?

そもそもロンドン・レコーディングと言えば「Jive Jive」のイメージが強い人も私だけではないと思いますが…全然違いますよね(笑)。逆に「Full Colors」がロンドンっぽいかと尋ねられてもピンとこないですし、どちらかと言えば和風テイストな作品に仕上がったような気がします。それもそのはず…日本人ですからね(笑)。

又、本作はCDと同時にLDシングル「MOTION PICTURES from FULL COLORS」も発売されました。(PIML-1100) 中身は「Fightman」「Purple Hours」「The Sky」のビデオクリップとレコーディングのオフショットが収録されています。こちらでも鳴瀬さんが笑わせてくれますね。(^^) サウンドの出来について話し合っていると、鳴瀬さんがカメラの存在に気付いて、その瞬間急に「最高のテイクじゃん!」ですって(笑)。「Fightman」の映像では各メンバーの手元が大写しになっていますので、野呂さんのギターをコピーしたい人も必見です(^^)。ちなみにこの作品は、後にカシオペアのオールタイムベストDVD「the way of CASIOPEA」のボーナストラックとしても収録されました。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00023BNI8

91年7月には、「Full Colors」を携えての国内ツアーが行われました。MCで向谷さんが「結成15周年記念メドレー」とアナウンスした新生カシオペア初の旧曲メドレーは「Dazzling」「Misty Lady」「Domino Line」「Galactic Funk」の4曲が演奏され、新生カシオペアで初めてボコーダーVP-330を使用、向谷さんはヘッドセット・マイクを装着しておられました。

そういえば確かに…「その1」でも書きましたが、カシオペアが最初のメンバーでEastWestに出場した1976年を起算点とすれば、本当ならこの年が結成15周年となっていたのですね。しかし10周年の時に比べれば大々的なアナウンスはされませんでした…。おそらくそれは、メンバーの皆様も新生カシオペアとして過去を振り返らずに新しい歴史を築いていきたいという強い願望を持っておられたからなのかも知れませんね。

更に91年11月には、旧メンバーのカシオペア以来、7年ぶりのインドネシア・ツアーも行われました。既にカシオペアは現地でも人気を博していましたが、警備面も穏やかなのか、鳴瀬さんがベースソロを弾いている最中に観客が何人も勝手にステージに上がってきて記念撮影を始めるという事態まで発生したそうです(笑)。

穏やかなのは警備だけではありません。現地の宣伝用のポスターもカシオペアが以前に他のバンドとセッションした写真を使われて知らないメンバーが増えていたり(笑)、「1988年に来たでしょ?」と何度も言われるのでおかしいなぁ?と思ったら…渡辺香津美さんのバンドと混同されていたり(笑)、鳴瀬さんはどこに行っても「顔、変わりましたね!」と言われっぱなしだったそうです(爆笑)。そして現地のマスコミが殺到した中でのインタビューも「カシオペアの音楽には武士道を感じます。その秘訣は何ですか?」などと質問され、メンバーは返答に困られたそうです(笑)。

実はこの年より、東南アジアに於いてもカシオペアのアルファ時代の作品が「シンガポール・ポニーキャニオン」と言う現地法人のレコード会社から正式にリリースされるようになりました。よってインドネシアツアーはこれのプロモーションも兼ねておられたようです。現地の価格は日本円で数百円程度で、安すぎるような気もしますが、なにぶん前年までは無法状態で売られていましたので…(^^;)ゞ

(その6に続く)