今日郵便受けにヤフオクで落札した古文書が届ていた。『御上洛御用掛 全』という古文書だ。

この古文書は文久2年閏8月22日に上洛した徳川家茂公のお供の家紋と姓名等が記された、いわゆる武鑑である。
徳川家茂公
そのお供の中でトップの地位にいたのが、老中になりたての羽州山形藩初代藩主水野和泉守忠精だ。家紋は水野沢瀉紋である。
忠精は天保の改革を実施したかの水野忠邦の長男である。文久2年は忠精にとって大出世した特別な年だ。
3月15日 若年寄より老中に異動。
3月26日 従四位下に昇叙。
4月11日 外国御用取扱を兼帯
5月14日 外国御用取扱の兼帯を止め、勝手掛を兼帯。
6月1日 侍従を兼任。
8月22日 将軍徳川家茂と共に上洛。
最後に『御上洛御用掛』は江戸日本橋南一町目の須原屋茂兵衛によって発行された。
須原屋茂兵衛とは江戸の有名な書物問屋で、多くの武鑑を発行していたようだ。店紋は丸に須の字紋である。
以上、ヤフオクで貴重な古文書が手に入ったお話でした。

この古文書は文久2年閏8月22日に上洛した徳川家茂公のお供の家紋と姓名等が記された、いわゆる武鑑である。

そのお供の中でトップの地位にいたのが、老中になりたての羽州山形藩初代藩主水野和泉守忠精だ。家紋は水野沢瀉紋である。
忠精は天保の改革を実施したかの水野忠邦の長男である。文久2年は忠精にとって大出世した特別な年だ。
3月15日 若年寄より老中に異動。
3月26日 従四位下に昇叙。
4月11日 外国御用取扱を兼帯
5月14日 外国御用取扱の兼帯を止め、勝手掛を兼帯。
6月1日 侍従を兼任。
8月22日 将軍徳川家茂と共に上洛。
最後に『御上洛御用掛』は江戸日本橋南一町目の須原屋茂兵衛によって発行された。
須原屋茂兵衛とは江戸の有名な書物問屋で、多くの武鑑を発行していたようだ。店紋は丸に須の字紋である。
以上、ヤフオクで貴重な古文書が手に入ったお話でした。