今日郵便受けにヤフオクで落札した古文書が届ていた。『御上洛御用掛 全』という古文書だ。
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この古文書は文久2年閏8月22日に上洛した徳川家茂公のお供の家紋と姓名等が記された、いわゆる武鑑である。
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徳川家茂公
そのお供の中でトップの地位にいたのが、老中になりたての羽州山形藩初代藩主水野和泉守忠精だ。家紋は水野沢瀉紋である。
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忠精は天保の改革を実施したかの水野忠邦の長男である。文久2年は忠精にとって大出世した特別な年だ。

3月15日 若年寄より老中に異動。
3月26日 従四位下に昇叙。
4月11日 外国御用取扱を兼帯
5月14日 外国御用取扱の兼帯を止め、勝手掛を兼帯。
6月1日 侍従を兼任。
8月22日 将軍徳川家茂と共に上洛。


最後に『御上洛御用掛』は江戸日本橋南一町目の須原屋茂兵衛によって発行された。

須原屋茂兵衛とは江戸の有名な書物問屋で、多くの武鑑を発行していたようだ。店紋は丸に須の字紋である。
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以上、ヤフオクで貴重な古文書が手に入ったお話でした。

「折り紙」、日本人なら誰もが遊んだことのある日本の伝統的玩具である。
折り鶴や船、風船まで…様々な立体が平面の紙で出来上がる。そんな折り紙が最近では海外でも大人気のようだ。
 
 
今や “origami” は世界中で通じる言葉になってきています。なんと、海外では折り紙を学校の授業で取り入れたり、「折り紙クラブ」ができたりしているのです。
 
 
折り紙は日本で独自に発達し、次第には遊戯目的ではなく、実用目的にもなっています。
 
例えば「財布」。「財布」の折り方で紙ではなく布で折れば、実用的な財布が出来上がります。
 
子供だけでなく大人も使えるのが“日本の折り紙”です。
 
ところが、実はヨーロッパでも古来からおりがみが楽しまれていました。
 
それを物語るのがドイツの『ゲルマン国立博物館』にあります。
 
 
なんと、19世紀前半に折られたとされる「折り紙」が沢山展示されているのです。
 
ヨーロッパのおりがみは、フリードリヒ・フレーベル氏によって、幼児教育に取り入れられていました。
 
 
ヨーロッパの折り紙は例えば
 
ヨーロッパの折り鶴“パハリータ”や“紙飛行機”“風船”などがあります。
 
しかし、ヨーロッパの折り紙はあくまでも子供対象であったようです。
 
 
また、折り紙は“折る”だけではなく“切る”という遊び方もできるので、多様性な玩具でもありますね。
 
 
ところで、折り紙をテーマにした家紋をデザインしてみました。
『隅捲れ折り紙紋』
『折り舟紋』
 
 
いかがでしょうか(^_^;)
 
 
以上、折り紙はスゴイっというお話でした。

 
桃の日に
      葵橘あらそひて
               もみじを散らす
                        桜田の雪
 
 
 
これは1860年3月3日に起きた桜田門外の変の後に広まった狂歌です。
 
桜田門外の変、皆さんはすでにご存知だと思いますが、念のため簡単にご説明します。
 
 
江戸幕府大老の井伊直弼の政に不満を持った反井伊直弼派が、朝江戸城に出仕する井伊直弼の駕籠行列を襲撃し、直弼を暗殺したクーデターのことです。
 
 
 
狂歌の話に戻します。実はこの狂歌の中には家紋があるのです。皆さん分かりますかな?
 
 
 
 
正解は“橘”と“葵”です。
 
 
橘は井伊家の家紋であることから、井伊直弼の事を表しています。
 
井伊家は「井戸の中から赤ん坊が現れ、そばに橘の花があった。その赤ん坊が井伊家の初代である」という伝説から、井筒に橘紋を家紋にしました。
 
井伊家は、後に図柄を少しずつ変え井筒紋橘紋を用いています。
 
←右から順に井筒紋、橘紋
 
 
 
続いて、葵は徳川家の家なので、井伊直弼の政を徹底的に反対していた水戸徳川家の徳川斉昭を示していると思われます。
 
 
当時の徳川家は次期将軍をめぐって、家茂派(井伊直弼)と慶喜派(徳川斉昭)に分かれていました。
 
 
この分裂に序盤は家茂派が勝り、家茂が将軍になりましたが、家茂が病死すると、徳川斉昭の息子慶喜派が勝り逆転します。
 
 
狂歌の中では葵は橘と争っていると詠われているので、葵は徳川家本家ではなくて水戸徳川家を示しているということになります。
 
 
因みに再来年の大河ドラマは井伊直弼のご先祖様の井伊直虎が主人公です。
 
 
 
以上、幕末の狂歌に家紋が隠れていた話でした。
 
 
 

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