2006年03月
2006年03月04日
具体感覚、抽象感覚(はっきり、ぼんやり)
ハートで感じる英文法 会話編 第8回「可算・不可算」を観ました。
この言葉の認識・感覚の幅が、目の前の500円玉を英語でも同じ語感・認識で‘Money’といってしまう原因なのである。
日本人の語感は、英語ネイティブの語感よりユルイのである。
だから私たちは具体的・抽象的(はっきり・ぼんやり)というのを常に意識して英文を発しなければならないのだ、ということを再認識した今回だった。
- 「はっきり」、「くっきり」
そのもののイメージの物体の輪郭が「はっきり」、「くっきり」するときには“可算”、そうでない場合は“不可算”を使うという内容のものだった。
番組中、鴻上氏がポケットから500円玉をとりだし、
「この‘お金’は、はっきり・クッキリしてるよ〜。でもなんで、この‘お金’は可算じゃないの?」
と言っている。
これに対し大西先生は、「‘あの人たくさんお金をもってるよ〜。’と言った場合、その‘お金’ってはっきり・クッキリしてますか〜?してませんよねー。」と言うように説明している。
鴻上氏は少々納得したような、しないような表情で「なるほどねぇ。」とつぶやいた。
このモヤモヤの正体は、私は「日本人とネイティブの“ものの認識の違い”」からくるものだと考えている。
日本人の鴻上氏が一枚500円玉を出して“この”お金という場合、具体的・確定的なものにたいして漠然とした‘お金’をイメージする、することができる。この言葉の認識・感覚の幅が、目の前の500円玉を英語でも同じ語感・認識で‘Money’といってしまう原因なのである。
日本人の語感は、英語ネイティブの語感よりユルイのである。
だから私たちは具体的・抽象的(はっきり・ぼんやり)というのを常に意識して英文を発しなければならないのだ、ということを再認識した今回だった。