衝撃です。

“こんな趣味の悪いネタじゃ笑えないぞ。”

訃報の知らせを受けてから昨日まで、それでもどこかでネタなんじゃないかと信じられませんでした。
夢か現か。
吹原さんを知る多くの方がそうだったんじゃないかと思います。

でも昨日彼に会い、もう現実だと信じるしかありませんでした。
九腸寸断。

そして、迷ってましたが、目を泣き腫らしながらも気丈にふるまうご家族や劇団員の皆さんに接する中で、その一時を知る人間として僕個人の勝手なものではありますが、思い出を1つでも多く口にし、形にしてお伝えするのがむしろ礼儀なのではと感じるに至り僭越ながら筆を取るべくパソコンに向かっている次第です。

彼の作品のように出来るだけ明るく。
なので、よそよそしいから敬称は略します。
愛称の“フッキー”で綴らせていただきます。

出会いは遡ること16〜7年前、彼がまだ大学生だった頃。
ドラマの撮影現場でプロデューサーに紹介を受けたのが最初でした。
「ウチの会社でバイトしてる学生で笠原さんのファンなんですよ」
現場に来たい見たいということでエキストラとして潜り込ませたと。
僕のファンっていうのは甚だ怪しいなと感じてました。
が、そのプロデューサーの無茶振りリップサービスを翻すことなく、僕が主力会というチームで以前に作った自主映画が大好きだと、作品のファンだと、大学の友達と何度も映画館に観に行ったと、頭の良さを感じさせる見事なフィールディングでけして嘘をつくことなく話してくれたのをよく覚えています。

二十歳そこそこのヒョロヒョロの、破顔しても目の奥がどこか笑ってないような、ちょうどその時撮影してるドラマの主題歌を歌うアジカンに似ている子、と思ったのが最初のフッキーの印象でした。

ポップンを立ち上げる際、その旗揚げ公演に主力会の飛び道具専門である(大竹)志門を主役に使いたいと聞いた時はどういうつもりなのか全く意図が読めず驚きましたが、後にその作風と芸風に触れ、しっかりキャラクターを見抜いた上での器用だったことがわかりとても納得させられました。
ちょうどその頃くらいから趣味嗜好の面でも、なるほど主力会ファンというのは誠か、と彼に対して自然により強いシンパシーを感じ始めたように思います。
まあでも、ポップンの方が倍ぶっ飛び狂ってましたが。ホメテマス

ほどなくして現在ではポップン常連の主力会の今井孝祐や、またスタッフサイドで音響として花澤が参加したり、劇団も含め僕の中でごく身近な存在になっていました。
また主力会代表の野口とチームを組んで脚本家として活躍すると同時に、その大変な苦労の数々を聞かされてもいました。
僕自身はプライベート含めそこまで親交が深かったわけではないですが、ポップンの芝居は初期の頃からほとんど観てますし、今井と二人で外部の劇団に出演したりする際にも応援に行っては終演後酒を飲んだりしてました。
そうだ、おこがましいですが、当時から板の上での視野の広さ、演劇IQの高さを感じさせられる素晴らしい演者でもあると思っていました。声もいいし。
学芸大学でオムニバスをやってた時だったかな。
なんで出ないの?って聞いたら、少し抑えたいと言っていて、いやもったいないよと話したこともありました。

そうそう一度、渋谷のセンター街でばったり会ったことがあって「お〜!」と握手するまではいいんだけど二人っきりになると月並みな会話の先が続かず、劇団と比例するように大きくなってゆくお腹を触ってジャレてたことがあったのをふいに思い出しました。
そんな、1on 1がなんとなく微妙な距離感の関係でもありました。
それもこれも奇しくもこの街と同じ名前のプロデューサーによる、最初のリップサービス回避の出会いが尾を引いていたのだと僕は思っています。
嘘です思ってません。笑シッテルヒトダケワラッテクダサイ

時系列があっちゃこっちゃと前後してますが、二人きりで比較的多く話したのはポップンの公演『よーいドン!!死神くん』の終演後だったと思います。
あれはたしか中野の小さな劇場でした。
館内で会うスペースがなくて劇場外での立ち話だったんじゃないかな。
めちゃくちゃに感動してその思いを熱く語ったんだけど「あ、あ、ありがとうございます」みたいな微妙なリアクションだったので。
いや、何故だフッキー!・・・と。笑

本当にあの芝居を観た時は家に帰っても興奮冷めやらずで、当時お付き合いしていた全く演劇に興味のない女性に事の顛末を語ってみせ、これがまた「君もフッキーか!」というほど僕の話にピンと来ないので翌日彼女を連れ、死神くんをおかわりしに行きました。
終演後は彼女もめちゃくちゃに感動して僕は「でしょ?でしょ?でしょ?」と。
そしてテンション高くフッキーに詰め寄り、今日は二人で熱く感想を語る。
「あ、あ、ありがとうございます・・・」
「だから何故なんだフッキーッ!!」

その後、この演目は吉祥寺で再演し、その時はフッキーから招待してくれました。
観劇後、吉祥寺シアターのロビーで珍しくフッキーからテンション高めに「ありがとうございます!」と握手を求めてきました。
その後しみじみと「この芝居がいろんな転機のきっかけでした」
「そっかそっか」と話しているところに空気を全く読めないところもプリティな今井ザルが異常なテンションで横から「どうでした?どうでした?」と邪魔してきたので、フッキーとはあまり話せなかったことをかなり鮮明に覚えています。
冷めました。今思い出すとウッキー(怒)です。
これまでたくさんの舞台を観てきましたが、同じ演目を同じ劇団で三度も観たのはポップンマッシュルームチキン野郎の『よーいドン!!死神くん』だけです。

彼との間に個人的な大きな悔いが1つあります。
劇団員の横尾下下さんと話していて、
「笠原さんにポップン出てほしいって話してたんです・・・」
ちょっとやばかった・・・昨日のハイライトでした。
そう、主力会の主要面子の多くは何かしらフッキーと仕事として関っているのに僕だけ全く接点がないのです。
実は一度、4〜5年前(もっと前だったかもしれません)に、正式にオファを受けたことがありました。
でもその時は色々あって実を結びませんでした。
まあ、そのうち機会もあろうと思っていたのですが・・・。
今となってはこんなに悔しいことはありません。

「今」というものがどれだけ貴重か、どれだけ特別なことなのか、今また彼の死によって思いしらされています。

ここ数年会う機会はなかったけど、今年僕がツイッターを始めるやいなや即刻フォローしてくれて、それを機に直接ダイレクトに近況を知らされたり、より身近に感じていたところでした。

続けることの大切さを最も身近で示してくれた偉大な男でした。
その遺志を継ぎ、劇団の存続、さらなる発展を自分たちが、という前向きな劇団員の皆さんの気持ちに感嘆しています。

負けずに僕も前向きに顔晴ります。

ご家族の皆様、PMC野郎劇団員様、また劇団関係者の皆様に対し、謹んで哀悼の意を表します。



#PMC野郎の皆をずっと応援して行きます