『メディアの権力』を監視する

『報道の自由』を盾に垂れ流される内外メディアの偏向報道が日本を苦しめています。『報道しない自由』による情報操作にもウンザリです。メディアが『権力監視』を錦の御旗にするのなら、『メディアの権力』をネットが監視しなければなりませんね。※民族差別的コメントはご遠慮下さい。

戦勝国史観

戦後レジームから脱却するには、NHKを解体するしかない


 安倍総理の三選が決まり、総理の悲願である憲法改正への動きが加速している。だが、 憲法改正といっても、9条2項を残したまま自衛隊の存在を明記(加憲)するだけの、最もハードルが低いかたちでしか発議できそうもないし、しかも、公明党の支持を取り付けるのが難しく、国民投票で勝てる見込みはほとんどない。戦後、最強の安倍政権においてすら、改憲に失敗するとなると、そのダメージは計り知れず、外国人が作った憲法に永久に縛られたまま生きざるをえないという無力感に苛まれる可能性が高い。

 安倍総理は『戦後レジームからの脱却』を掲げ、その象徴的目標として憲法改正を唱えてきた。だが、『戦後レジームからの脱却』とは、憲法改正だけを意味するものではない。敗戦後、GHQがこの国に残した悪しき負の遺産を全て取り除いてはじめて、『戦後レジームからの脱却』を完成させることができる。これを実現するには、『戦後レジーム』を死守している勢力、即ち、敗戦利得者たちの力の源泉を叩き潰す他なく、彼らの力が弱まれば憲法改正もスムースに実現する。逆に、『戦後レジーム』を死守している勢力を残したまま、イチかバチかの正面突破で憲法改正に挑戦しても、失敗する可能性の方が高く、安倍政権は退陣に追い込まれることになる。

 戦後、敗戦利得者としてGHQ統治下で力を獲得し、GHQが去った後も既得権のようにその力を維持しながら『戦後レジーム』を死守してきた勢力がある。主に教育界とメディア業界で著しい。公職追放で保守系学者が大学から根こそぎ追い出された後、その後釜を独占したマルクス経済学者などの左翼学者たちは、自分たちと同じ思想を持つ学生ばかりを後継の教授に選ぶことで、大学をイデオロギーでコントロールし、一般学生に偏向教育を押し付けてきた。一方、戦争中、戦争を煽りまくった日本放送協会は、敗戦後、GHQにその社屋の一部を接収され、GHQの忠実な犬として戦勝国史観を日本国民に刷り込むプロパガンダ機関に変貌することで焼け太りした。

 敗戦後、日本に君臨したGHQは、NHKや新聞メディアにプレスコードを強要し、アメリカや戦勝国への批判を一切禁止する一方、日本政府批判は「報道の自由」の名の下に大々的に奨励した。GHQ統治下の1950年に制定された放送法は、受信料の名目でNHKに徴税権のような特権を与える一方、「言論の自由」の美名の下、NHKが日本政府の干渉を受けない公共放送になることを定めた無茶苦茶な法律で、GHQが日本政府に無理やり押し付けたものだった。GHQは日本が独立した後も、NHKが戦勝国史観を日本人に刷り込み続けることを期待してNHKに特権を与えたのかもしれない。何れにせよ、放送法は独立後も既得権のように残り、『戦後レジーム』の中核を担うこととなり、NHKの肥大化、偏向、暴走を許す原因となった。放送法第3条の『放送は何人からも干渉されない』という項目は、同じくGHQが日本政府に押し付けた教育基本法第16条『教育は不当な支配に服することなく』と同様、放送と教育を政府のコントロールの効かない聖域にしてしまうことを意味し、こうした聖域が左翼の縄張りと化し、反日勢力や外国勢力の温床となり果てていくのである。
動画出典:ETV特集『敗戦とラジオ 放送はどう変わったのか』2010年

 NHK会長に安倍総理と近い籾井勝人氏が送り込まれた時、NHK内部の抵抗は激烈を極めた。籾井体制下、籾井会長と対立してNHK理事をたった一期二年で退任させられた下川雅也元理事は、最後となる経営委員会で逆切れ退任挨拶を行っている。『公共放送NHKは、戦後の理想の時代が生んだすばらしい存在』『戦後の原点に立ち返るべき』などと発言し、戦前の日本を全否定してGHQ占領時代を「理想の時代」呼ばわり。GHQの負の遺産である憲法と放送法を礼賛し、自分が採用したNHK職員がいる限り、外部の力で変えようとしてもNHKは決して揺らがないと豪語した。

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以下、出典元参照。

 公共放送NHK様は政府からも誰からも干渉されない。政府は国民が選挙で選んだ代表? 知ったことか。放送の方向性はNHKの優秀な職員が勝手に決めさせてもらう。それはGHQがNHKに与えてくれた特権なのだ。NHK会長や経営委員に誰を送り込もうが、そんな奴の言うことには面従腹背。我々は天下の公共放送なのだ。だが、受信料は見る見ないに拘わらず国民から強制的に徴収する。NHK職員の高額な給与は当然だ。我々は良質な番組を愚民どもに提供してやっているんだ。ナニ、テレビを持っていないだと? 小癪な。だったら携帯から徴税してやる。NHKの徴税権よ、永遠に、と言わんばかりの傲慢な発想。それを「報道の自由」「言論の自由」だとはき違える夜郎自大ぶり。国家の中にもう一つ、徴税権を持つ別の国家が存在するかのような歪んだ構造。だが、政治家はNHKの選挙への影響力を恐れて、何も文句を言えない。まるで、統帥権を振り翳した戦前の軍部を彷彿とさせる。無論、NHKと雖も一枚岩ではなく、政治部はより抑制的で政権寄りだが、社会部やドキュメンタリー部門は完全に左翼の巣窟。あの朝日新聞より酷い。朝日は民間企業であり、新聞業界の衰退とともに力を失っていくが、受信料強制徴収権を持つNHKは肥大化する一方。政府のコントロールの効かない巨大世論操作機関・NHKに中国や韓国、北朝鮮などの外国勢力が浸透したら、一体、どんな災いを引き起こすか。いや、既に浸透されてしまっているかもしれないのである。

 安倍政権が正面突破を狙って憲法改正を推し進めたとしたら、NHK内部の左翼職員たちは、その職権を最大限に悪用して改憲阻止の番組を量産するだろう。戦前の日本を悪魔化する番組や護憲ドキュメンタリーを作りまくり、偏向報道の限りを尽くすだろう。NHKにそこまでやられて、国民投票に果たして勝てるのだろうか。NHKの世論に与える影響力は凄まじい。ネットを使わない情弱老人世代の選挙行動は思いのまま。多分、国民投票で否決されると思う。保守の真の目標は、憲法のマイナーチェンジなんかではなく、『戦後レジームからの脱却』だったはず。ならば、このまま闇雲に憲法改正へ突入するのではなく、「急がば回れ」で『戦後レジームの権化』であるNHKの解体こそ先に仕上げるべきではなかろうか。無論、NHKを具体的にどうするのか、様々な意見があろう。単にスクランブルをかけて民営化するのか、一部を公共放送として残したまま、無駄な部門を民間へ売却するのか、やり方はいろいろある。要は、世論操作を行う巨大組織に徴税権を与えたまま野放しにしておいてはならないということ。NHKの解体は憲法改正より遥かに簡単。国民投票は要らないし、両院の3分の2の賛成も要らない。放送法を改正さえすればこと足りる。無論、NHKは必死の抵抗をするであろうが、それは憲法改正をする場合でも同じ。憲法のマイナーチェンジよりNHKの解体。これこそ、『戦後レジームからの脱却』の近道となりうるはずである。





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【徹底検証】『ノモンハン・責任なき戦い』とNHKの責任



 毎夏恒例、 NHKスペシャルでの旧日本軍誹謗中傷特集。今年の目玉は『ノモンハン』。昨年は、『インパール』と『731部隊』『樺太戦』だった。相変わらず、陰惨なBGMと恨みがましいナレーション。『ノモンハン』での悪玉は辻政信少佐で、まるでオカルトのような絵を使って印象操作をしている。ヴォルデモート卿かヘルレイザーのようなイメージ。歴史背景や戦闘の詳細に関する客観的な説明は少なく、『敗北』『過小評価』『責任』という3つの単語を只管、連呼して断罪する。こうした番組の場合、視聴者は二派に真っ二つに分かれる。日本軍の悪逆非道ぶりを再確認できて大喜びし、安倍政権に日本軍のイメージを重ね合わせ、護憲を誓うタイプと、いい加減にウンザリしてNHKへの不信感を深め、受信料支払いを拒否しようと心に決めるタイプ。この二つのタイプ以外は、多分、見ない。そんな番組である。

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 国民から受信料を強制徴収しているNHKが、このように偏向した政治的メッセージを含むドキュメンタリーを量産し続けることは問題なのではないか。NHKの問題を考える意味で、番組内容を検証してみたい。当番組では冒頭、NHKが日本軍の問題点を列挙し、大きなキャプションをつけて映し出しているので、これを一つ一つ検証していく。


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1.「敗北」を連呼するNHK 実際はどうだったのか?

 ノモンハンは、ソ連が自軍の損害を秘匿して「大勝利」を喧伝してきたことに加え、戦後、日本国内で軍部への偏見と憎しみが重なり、恰も日本が大敗北を喫したかのように説明されてきた。共産国家・ソ連に対する左翼知識人の盲目的な憧憬もソ連「大勝利」説に拍車をかけた。だが、ソ連崩壊後、ソ連側から新たな資料が発見され、ソ連軍の被害規模が予想以上に大きかったことも判明したことから、評価の見直しが進んでいる。ところが、ソ連崩壊から既に30年近く経過しているにも拘わらず、NHKが今さら日本軍「大敗北」を高らかに連呼するのには驚いた。『ソビエト側の死傷者は2万5千人。日本軍は2万人』と番組で新しい数字にこっそり言及しているというのに。数と装備で遥かに上回る相手と戦い、より大きな損害を与えたのだから、関東軍の健闘を称えても良さそうななものだが、NHKは只管「敗北」という言葉を連呼し、日本軍を断罪する。

 日本が敗北したと断定する根拠として、戦後の国境線がソ連・モンゴル側の主張する通りになったからだと主張する人がいるが、これは事実に反する。駐ロシア大使・東郷重徳がソ連の外務大臣モロトフと粘り強く交渉した結果、「双方とも現在占拠している線で停戦」で妥協が図られている。これは、ソ連の大攻勢と日本軍の撤退によって失った領土がある一方、日本軍が占拠したハンダガヤ - アルシャン地区について日本軍占領を既成事実化することを意味し、実質的にほぼ対等な条件となっている。ソ連は、ノモンハン事件の最中の1939年8月23日、ドイツと独ソ不可侵条約を締結し、日本との停戦協定が成立した直後の9月17日、ドイツと共にポーランド侵攻を開始している。ポーランドやバルト三国、フィンランドへの大規模な侵攻を企図している最中、満州国境で発生した日本との武力紛争は、ソ連にとって極めて都合が悪く、西部戦線での予行演習をかねて、東部へ大部隊を派遣し、日本に一撃を加えた後、速やかに国境の安定を図りたい意図があったと思われる。もし、関東軍が予定していた新たな大反攻計画を東京の参謀本部が潰していなかったならば、ソ連は東西二正面作戦を強いられることになったわけで、日本との停戦協定はソ連側にとっても渡りに船だった。大規模な国境紛争が発生したことで、日ソ共に大損害を被り、互いの力量を改めて認識しあった結果、日本がアメリカに降伏するまでの数年間、日ソ間の国境紛争はほとんど起こらなくなった。大草原の一部領土の喪失をもって「敗北」を連呼するのは、単に日本軍を罵倒したい意図がミエミエでナンセンスである。


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2.日本軍の「貧弱な装備」 実際はどうだったのか?
 
 NHKが名指しする「貧弱な装備」とは、具体的には三八式歩兵銃と戦車の有無を指す。ノモンハン事件では、空中戦も特筆すべき特徴だったのだが、こちらでは日本軍の方が有利だったせいか、NHKは完全に無視している。陸軍の具体的な装備状況と各国比較については、ミリタリー・マニアに任せるとして(コメント欄にお書き下さい)、興味深いのは、僅かな国防費増加だけでも目くじらを立てるNHKが、国境紛争に際して、日本の「貧弱な装備」を非難していることである。日本陸軍の装備が貧弱だったのは、軍部の怠慢というより、予算が足らなかったから。当時の日本は貧乏国家であり、貧弱な装備を工夫して戦うより仕方がなかった。NHKは、ベトコンが米軍より貧弱な装備で戦ったことを非難するんだろうか? 貧弱な装備しかない国家は、隣国の国境侵犯に対し、何もせずに尻尾を巻いて逃げろと言うのであろうか? 現在、尖閣で中国との領土紛争が深刻化しつつあるが、中国の海警局がどんどん戦力を強化しているのに対し、日本の海上保安部は完全に後れを取っている。もし、紛争が発生した場合、例え「貧弱な装備」であっても、海保は中国船に毅然とした対応をとらなければならない。NHKの「貧弱な装備」批判は、敗者を悪者にして、批判のための批判をやっているに過ぎない。


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3.「敵を知らず己を知らず」 ソ連の情報収集能力
 
 NHKは、日本軍がソ連側の大攻勢を事前に察知することができず、「敵を過小評価した」と非難する。それは確かにその通りである。ソ連がスパイのリヒャルト・ゾルゲを東京に送り込み、アグレッシブに情報収集をしていたのに対し、日本側の諜報活動は全くお粗末なもので、ソ連にやられっぱなしだった。独ソ不可侵条約も察知できず、外交に窮した平沼内閣は総辞職する有様。三国軍事同盟の同盟国、ドイツにも騙され、独ソ戦も寝耳に水。ソ連がアメリカ国内に巨大なスパイ網を構築し、単に情報収集するのみならず、ルーベルト政権の政策にまで影響を与えていたことや、アメリカが日本の外交・軍事暗号を解読し、手の内を全て知っていたことと比較すると、日本は負けるべくして負けた、としか言いようがない。

 ノモンハン事件は国境紛争である。現在、中国と深刻な領土紛争を抱えてる現代の我々にとっては、他人事ではない。日本がノモンハン事件や第二次世界大戦から教訓を得るとすれば、それは、情報収集能力の拡充こそ国防の要だということ。だが、もし、日本政府が米ロ並みの強力な情報機関を設立しようとしたならば、NHKは絶対に反対するはずである。片や、旧日本軍の情報収集能力の低さを罵倒し、片や、情報機関の設立に反対する。そこに矛盾はない。何故なら、戦前の日本軍を罵倒したい心理は、戦後の平和主義からきており、軍隊だけでなく諜報活動もダメ、兎に角、平和へいわーと唱えていれさえすれば平和になるというお花畑な発想に基づいているからだ。「敵を知らず己を知らず」どころか、軍事や諜報の全てについて知りたくない、知らせない、触らぬ神に祟りなし、という発想で、果たして日本国民の生命と財産を守ることができるのか。そうした問題にNHKは全く頓着していない。


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4.「責任」の問題 自決の強要と辻政信少佐の処分

 NHKは、昭和天皇が越境爆撃に激怒し、関東軍司令官・植田謙吉大将を処分するよう示唆したのに、陸軍がこれを無視したかのように描いているが、これも事実に反する。ノモンハン事件後、植田をはじめ、関東軍幹部の多くが解任され、予備役にされている。参謀本部作戦課長の稲田正純大佐が、好戦的な作戦を強行した辻政信少佐を更迭しようとするシーンがあるが、そもそも、関東軍司令官の責任を、一少佐に被せる方が異常であり、組織としてトップの責任問題と、辻への処罰は別問題である。確かに辻は、独断専行癖の強い強烈な個性を持つ軍人で、太平洋戦争では強引で無謀な用兵も少なくなく、毀誉褒貶相半ばする。だが、1939年の時点では、まだ前途ある中堅将校。その将来を潰してしまうか否かは判断が分かれるところだろう。辻は予備役入り寸前でクビの皮一枚繋がり、左遷された後、シンガポール攻略戦で活躍した。陸軍大臣の板垣征四郎ら上層部は辻の才を評価していたのであって、かつて上司部下の関係があったからという「情実」と依怙贔屓だけで辻を庇ったというのは、NHKの邪推に過ぎない。

 問題となった「満ソ国境紛争処理要綱」を辻が起草したことをNHKは問題視しているが、同要綱は関東軍上層部が事実上承認している。辻が書いたからと言って、一少佐に過ぎない起草者に全責任を押し付けるなんて組織のあり方としておかしい。辻の息子までカメラの前で晒し者にするやり方は、『インパール』や『731部隊』の時と同じで、全く悪趣味としかいいようがない。辻は、無気力で責任を回避することだけに長けたズル賢い役人タイプではない。寧ろ、辻を更迭しようとした稲田大佐の方こそ、後の日米戦ではニューギニアに兵を置き去りにしたまま自分だけ脱出するような卑怯な行為をして処分されるなど、典型的なお役人気質といえるだろう。
 
 NHKは、辻が現場指揮官の井置中佐に責任が押しつけて自決を強要したかのように描いているが、これもおかしい。ノモンハン事件で多数の兵を死傷させた組織としての責任と、敵前逃亡・無断撤退をした現場指揮官の責任問題は、全く次元の異なる話である。どんな軍隊であれ、戦闘中、上官の許可なく撤退するようなことをすれば、軍法会議で処罰される。戦後の平和ボケした視聴者には、そうした軍隊の厳しい掟が理解できないのをいいことに、NHKは家族の証言映像などを使って、情緒的に日本軍の極悪非道さを喧伝しているわけだ。

 井置中佐への自決強要を見て、映画『スターリングラード』(Enemy at the Gates)を思い出した。陥落寸前のスターリングラードの指揮を担ったニキータ・フルシチョフが、綱紀粛正のため、劣勢の言い訳を「貧弱な装備」のせいにする将軍にピストルを渡し、自決を強要するシーン。敵前逃亡や捕虜になった軍人への処置は、ソ連軍の方が遥かに厳しかった。戦場での銃殺刑も多く、日本軍の捕虜になったソ連兵の中には、強制収容所送りになった者もいる。独ソ戦では、ドイツ軍の捕虜になったスターリンの息子も、父親に見捨てられて自殺している。日本はそんな軍隊と互角に戦っていたのである。平和ボケした現代の価値観で批判するのは無意味であろう。


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5.「責任」の取り方 NHKのケース
 
 NHKスペシャル『ノモンハン』のエンディング。陰鬱なBGMをバックに、おどろおどろしい声のナレーションで締めくくられる。『79年前、モンゴルの草原で散った無数の命。責任とは何か。組織とは何か。ノモンハンに刻まれた塹壕は、今も私たちにその問いを発し続けています』。これだけ偉そうな啖呵を切るなら、NHKという組織の責任のとり方について考察してみたい。

 この番組の制作統括を担当した西脇順一郎は、2011年に「追跡!真相ファイル:低線量被ばく」という番組で捏造騒動を起こしている。元NHK職員の池田信夫氏が事実の捏造を指摘(『BPOはNHKの捏造を調査せよ』)し、原子力関係者110名がNHK会長と西脇に抗議文を提出する騒ぎになった(『不安煽る番組作りに抗議 NHK 低線量被ばく特集 ICRPも問題視』)。この抗議に対しNHK側が不誠実な対応で終始したため、BPOに審議要求するも、BPOはNHKに忖度したのか審議拒否。結局、「NHK相手に裁判など不可能なので諦めるしかない」ということで有耶無耶にされてしまった(『「NHK低線量被ばく問題報道番組への抗議顛末』)。 

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 この西脇順一郎は、昨夏に放送された『731部隊』の制作にも関わっている。同じように陰鬱なBGM。鉄条網とレールを組み合わせた映像は、明らかにアウシュビッツをイメージするように作っている。ソ連に抑留された軍人、医学者たちが、人権を無視した環境で「証言」させられる映像を、恰も決定的な証拠であるかのように流し、その家族までカメラの前で晒し者にした。見るに堪えない番組だった。

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 軍人に戦争責任を問うのであれば、メディアは放送内容に責任を取らなければならない。だが、現実には、メディアはどんな捏造報道、偏向報道をやらかしても、その責任を問われることがない。朝日新聞による慰安婦強制連行捏造報道では、社長が辞任したものの、国民が朝日を訴えた裁判は敗訴している。NHKスペシャル『JAPANデビュー・アジアの一等国』も、捏造問題で大騒ぎになったが、NHKに対する訴訟は敗訴。「報道の自由」を錦の御旗にして、日本を叩く番組を作る限り、何でも許されてしまう。これが、他国や他民族批判となると、「ヘイト」のレッテル貼りであっという間に潰されてしまうにも拘わらず。それを良いことに、NHKは放送内容に責任をとる義務も責任感もないまま、好きなように日本軍誹謗中傷番組を作り続ける。公共放送の名の下に、国民から強制徴収した受信料を湯水のように使いながら。

 『ノモンハン』では、日本軍の無能、無責任ぶりを太平洋戦争と結び付けて非難しているが、満州事変以降、軍部の独断専行を支持し、国際連盟脱退を声高に主張したのは新聞だった。日本放送協会(NHK)のラジオも、軍部の広報役を担って、戦争を煽りまくった。軍人に敗戦責任を問うのであれば、それに加担したメディアもその責任の一端を担うべきだったが、メディアへの処罰は全く行われず、敗戦後は、日本を統治したGHQの報道統制に唯々諾々と従い、戦前と真逆なプロパガンダ報道を行っている。そして、メディアも軍部による情報統制の犠牲者だったかのような嘘を撒き散らしてきた。


6.最後に

 勝てば「英雄」だとチヤホヤし、負ければボロクソに叩きまくる。水に落ちた犬を叩くかの如く、毎年毎年、何度も何度も話を変えては日本軍への誹謗中傷を繰り返すNHK。死人に口なし、といった態度で死者に鞭打つ放送は、いい加減に止めるべきではなかろうか。戦後70年以上を経た今日、視聴者が本当に見たい歴史ドキュメンタリーとは、勧善懲悪の戦勝国史観や、只管、戦争の悲惨さを情緒的に煽る番組ではなく、なぜ世界大戦が起こったのか、どうやったら防ぐことができたのか、未来の戦争を無くすにはどうすればいいか、具体的かつ科学的に解明する番組である。日本軍を悪魔化し、結果、国防全般を忌避する空気を醸成し、憲法9条さえ堅持していればいいと国民に思い込ませて、それで絶対に日本が未来永劫安全になると本当に断言できるのか? そんな風に世論を誘導して、NHKは責任をとれるのか? だったら必ず責任をとると、今から断言しておくべきだろう。その責任をとりたくないのであれば、中立公平な放送を目指すべきである。今後もNHKが好き放題にやり続けるのであれば、国民は声を上げて政治家を動かし、国民から受信料を強制徴収できるNHKの特権を剥奪しなければならない。


【追記】
 1999年にNHKが放送した『ノモンハン事件~60年目の真実』を視聴してみた。ドイツと日本に挟まれ、東西二正面作戦を恐れるスターリンの心理や、ソ連の属国と化し、スターリンの命令で大粛清が行われたモンゴルの事情、初戦の空中戦で日本軍に完敗したこと、新たに司令官となったジューコフ将軍が臆病な兵士に厳罰をもって臨んだことなどが描かれ、新作より遥かに客観的な番組だった。ソ連の戦車は、外から鍵がかけられ、兵士が脱出できないようになっていたという、日本兵の証言も登場する。2018年度版は、白黒映像をカラー化するなど、技術的な進歩は見られるものの、ただ日本軍を悪魔化し、罵倒することだけに囚われ、内容的には20年前のバージョンより遥かに底が浅く、扇情的で劣化しているように思う。制作者は、1999年版を見ているはず。ソ連軍のほうが日本軍より兵士に過酷な処遇をしていたことを知っていながら、日本軍が捕虜に厳しかったことだけを描き、現代の価値観で断罪する。ほとんど詐欺ですね。




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敗戦革命の仕掛け人、ハーバート・ノーマンのスパイ疑惑


 戦後、GHQで暗躍したカナダの外交官ハーバート・ノーマンには、数々の共産スパイ疑惑が存在する。日本人の多くは、ノーマンの存在さえ知らないが、彼が戦後の日本に及ぼした影響は凄まじく大きい。にも拘らず、後に赤狩りの標的となり、悲劇的な最期を遂げたことから、表向きにはタブー視されながらも、裏では聖人化が進み、その実態が掴みにくくなっている。また、ネット情報の中には、ソ連のスパイだったと確定したかのように書いているものもある。そこで、スパイ疑惑に的を絞って、彼の人生を検証してみたい。

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 以前、『日本国憲法の父?鈴木安蔵とハーバート・ノーマン』でまとめた通り、ノーマンはカナダ人宣教師の息子で、日本生まれの日本育ち。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ留学中、『大英帝国のレーニン』を自称する若き共産主義者、ジョン・コンフォードと出会い、彼を通じて共産主義者になった。スペイン内戦が勃発すると、コンフォードは共産主義者らで構成された国際旅団に参加して戦死する。参戦を思いとどまり、寄付集めなど後方支援をしていたノーマンは大きな衝撃を受けた。その後、ハーバード大学で日本研究を始め、マルクス主義経済学者・都留重人(後に一橋大学学長)と出会い、反日親中共の学術団体『太平洋問題調査会(IPR)』の研究員となる。ノーマンが都留の助言を得てIPRから出版した『日本における近代国家の成立』(Japan's Emergence as a Modern State: Political and Economic Problems of the Meiji Period)は、マルクス主義の観点から明治維新と日本の近代化を糾弾する内容で、日本敗戦後、日本のことを全く知らないGHQ職員たちの教科書的役割を果たし、占領政策に大きな影響を与えた。

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 1939年、カナダ外務省に採用されると、語学研修生として東京に派遣される。真珠湾攻撃後、カナダに送還されると、戦争中はIPRで『日本は自力で封建制から脱却できなかった。かくなる上は、日本を決定的かつ完全に敗北させて、アジアを日本の侵略から解放し、日本を民主化しなければならない』と、日本の無条件降伏を主張する論陣を張った。日本敗戦後、カナダ人捕虜の保護を目的に再来日すると、GHQに要請され、そのまま日本に滞在。1945年9月から翌年1月までGHQ対敵諜報部で勤務した。その後、一旦、日本を離れ、ワシントンの極東委員会カナダ代表代行として働いた後、その年の8月、駐日カナダ代表部主席として再来日。羽仁五郎や丸山眞男、鶴見俊輔など、戦後リベラルを代表する学者たちと親交を深めたが、1950年、朝鮮戦争勃発を前後してノーマンに共産スパイ疑惑が持ち上がり、解任されて帰国している。

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 ノーマンへの疑惑の発端は、GHQ参謀第2部 (G2) 部長ウィロビー将軍の告発。ノーマンが1945年10月に、府中刑務所から共産主義者の志賀義雄や徳田球一らを釈放し、その後、共産党の勢力拡大を支援したというもの。次に、原爆スパイの一人がトロント大学時代の友人だったということで疑惑が深まり、ノーマンはカナダ政府から最初の尋問を受ける。更に、コンフォードを通じて繋がっていたであろうケンブリッジ大学の同窓生二人が、ソ連のスパイ疑惑をかけられ、そのままソ連に亡命する事件が起こる。所謂『ケンブリッジ・ファイヴ』事件で、イギリスの国家機密が戦中戦後を通じ、ソ連にダダ漏れになっていたことが判明し、世界に衝撃を与えた。その他にも、ノーマンが共産主義者として活動していたことを示す数々の証言があり、カナダ政府は二回に渡ってノーマンを尋問したが、結論は『学生時代に共産主義者ではあったが、スパイ行為はしていない』というもの。尋問にあたったカナダ警察は、ノーマンを全ての公職から外すよう提言したが、時の外相ピアソンは、不問に付した。

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 その後、ほとぼりが冷めるまで暫くの間、駐ニュージーランド高等弁務官という閑職に就いていたが、1956年、 駐エジプト大使に就任し外交の表舞台に復帰。折り悪くスエズ動乱が勃発し、世界中の注目がエジプトに集まる中、カナダのピアソン外相は、宗主国イギリスや大国アメリカになびかない独自の国連外交を展開。ノーマンはピアソンの手足となって活躍し、エジプトのナセル大統領に国連緊急軍の受入れを認めさせる。だが、ピアソンを快く思わないアメリカ保守派が、再びノーマンのスパイ疑惑を問題化し、米議会でノーマンの親友・都留重人を尋問。都留は、学生時代に共産主義者だったことやノーマンとの関係を白状してしまう。その1週間後、ノーマンはカイロのビルから飛び降りて自殺した。

 その後、ノーマンの存在は忘れられ、ノーマン同様、宣教師の息子で日本育ちの元駐日大使、ライシャワー教授による親日的な日本史観が台頭するも、ベトナム反戦運動に加わった日本研究家ジョン・ダワー教授によってノーマン再評価が行われた。1980年代、ノーマンに関して2つの異なる視点からの本が出版される。一つはノーマンを共産スパイだったと見做す『No Sense of Evil: Espionage the Case of Herbert Norman』。もう一つは、スパイ説を否定する『Innocence Is Not Enough : The Life and Death of Herbert Norman』。スパイ説否定本を書いたロジャー・ボーウェンは、ダワーと同様、ノーマン史観を継承する学者であり、彼が制作に協力したノーマンの伝記ドキュメンタリー『The Man Who Might Have Been: An Inquiry into the Life and Death of Herbert Norman』も全く同じ論調。都留重人本人が出演している上に、エンディングはノーマンの友人だった丸山眞男の追悼文で〆ており、ノーマンの名誉を守るために、端からスパイ説を否定する目的で作ったような内容。オリジナル英語版NHK日本語版はネットで視聴できる。ただし、英語版はケンブリッジ時代のノーマンが共産主義に傾倒していく状況を詳しく描いているのに対し、NHK日本語版は、ややこしいスパイ疑惑の詳細を全てすっ飛ばし、ノーマンのお蔭で恩恵を被った左翼学者たちのインタビューを追加して『赤狩りの犠牲になった悲劇の外交官』として単純化しているので、注意が必要。
 英語版と日本語版の動画を両方検証したが、重大な瑕疵があることに気づいた。英語版では、1930年代のケンブリッジ大学がどれだけ共産主義に毒されていたか詳しく描いていて参考になるものの、ハーバード大学入学から外交官時代にかけて、ノーマンが関わり続けた反日親中共の学術団体『太平洋問題調査会(IPR)』について、全く描いていないのである。ノーマンは親友の都留重人が米議会で尋問を受けた直後、自殺している。自殺前、医者から鎮静剤を貰った時、『友人が議会で尋問された』とはっきり語っており、都留の尋問がノーマンに大きなプレッシャーを与えたことは確実である。都留は何を知っていたのか? 都留はケンブリッジ時代のノーマンを知らない。ハーバード時代以降、ノーマンがIPRの活動にのめり込んでいった時代の生き証人なのだ。スパイ疑惑のカギはケンブリッジではなくIPRにあるのではなかろうか。

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 『太平洋問題調査会(IPR)』とは何か? 詳しくは『オーウェン・ラティモアと太平洋問題調査会の暗躍』でまとめているので、そちらを参照して貰いたいが、要は、日米戦争をけしかけて、日本で敗戦革命をやろうとした親中極左(China Hand)のアジア研究家集団である。中心人物のラティモアは、中国育ちのモンゴル研究家。IPRを牛耳り、日米開戦前は機関誌『パシフィック・アフェアーズ』で日本批判の論陣を張ってきた。日本の敗北が濃厚になると、IPRの矛先は親日派(Japan Crowd)の巨魁・グルー前駐日大使に向けられる。米国務省では戦前、親中派(親国民党であり親中共ではない)のスタンリー・ホーンベックが極東局長で、日本を石油禁輸で追い詰め、近衛・ルーズベルト会談を潰し、日米開戦不可避の状況を作ったが、戦争中、中国国民党が同盟国として全く役に立たないことからハル国務長官の不興を買い、日本から送還されていたグルー前大使と交代された。戦後の日本占領計画は、グルーによって練られることになったが、グルーは軍部を排除するも天皇制は温存し、近衛文麿や木戸幸一ら穏健なリベラルからなる宮廷グループによって日本再建を図ることを計画していた。所謂、『soft peace』(穏やかな非軍事化)政策である。これに真っ向から噛みついたのが、IPRのChina Handsで、日本の軍国主義は封建制や財閥支配に原因があるとし、旧支配層の徹底的な排除と農地解放、財閥解体を断行する所謂『hard peace』を主張した。要は、地主と資本家を打倒するという共産主義の究極的な理想を、戦争責任追及にかこつけてやっちまおう、ということである。

 日本が降伏する1945年、ラティモアは戦後の対日、対中政策を提言する本『Solution in Asia』を出版する。この中でラティモアは、近衛文麿ら上流階級のリベラルについて、“We must not be soft with the old-school-kimono ‘liberals’, from Prince Konoye on down”と辛辣に書いており、戦後の日本は、親ソの中道左派に担わせるべきだと主張している。一方、注釈でノーマンの著作を引用する際には、ノーマンの日本研究家としての力量を絶賛。これが推薦状の役割を果たして、ノーマンはGHQにスカウトされることになった。

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 日本敗戦後、来日してGHQで働き始めたノーマンが、妻イレーネに送った手紙(1945年10月26日付け)がある。共産主義者らを府中刑務所から解放した時のことを、詳しく説明している。ウィロビー将軍が問題視した件だ。

Dear Irene:
You have no idea how terribly busy I have been the last two weeks. yet never so excitingly busy in my life. My present position is head of the Research and Analysis branch of the Counter-Intelligence Section of GHQ — and it is every bit as interesting as it sounds. (中略)

The most exciting experience of my life was to drive out to a prison 20 miles from Tokyo with another officer and be the first Allied officials to enter a prison with 16 leading political prisoners, including 2 communists (略) . The reception we got was something beyond description. I have never enjoyed anything so much as being able to tell them that according to General MacArthur’s order they were to be released within a week. Later we had the opportunity to interview them at greater length and after a few days of liberty they were able to give us political information on current affairs of the utmost interest.

 後にスパイ疑惑で尋問された時、ノーマンは共産主義者の釈放について『マッカーサーの命令を実行しただけ』と弁明したが、『私の人生で最もエキサイティングな経験』と明言しており、実際にはかなり積極的にやっていたことがこの手紙から分かる。多分、マッカーサーを説得して、釈放命令を出させたのではあるまいか。当時のマッカーサーは日本のことを全く知らず、ノーマンの影響力は甚大だった。占領軍最高司令官の名前を印籠のように使って、日本の官憲に超法規的措置を命令するのは、共産主義者のノーマンにとってさぞかし快感であったに違いない。だが、問題は、その次の箇所である。

Recent arrivals of old friends include Pat Ayres, T.A. Bisson (Strategic Bombing Survey) Bill Holland, Smith-Hutton, and now Owen Lattimore is due to arrive soon.(中略)On Sunday I am driving out with John Emerson and Shigeto to visit Riho’s home in the country.

 ノーマンが言う旧友の中、ビッソン、ホーランド、ラティモアの3人は、IPRのChina Handsである。彼らはいろんな名目を使って、戦後の日本にやってきた。ビッソンは、戦略爆撃調査団の一員として来日したが、IPRからの推薦でそのままGHQ民政局に採用され、憲法制定や財閥解体に関わるようになる。ビッソンは中国で宣教師をしていた経験があり、China Handsにはキリスト教関係者が多いパターンを踏襲している。『Shigeto』というのは都留重人のことで、彼もキリスト教徒のマルキスト。ノーマンの親友だった都留も、そのコネを使ってGHQに入り、日本政府の高官にまで大出世することになる。
 
 ノーマンがGHQに在職したのは、1945年秋から翌年1月までと、極めて短い。だが、この間、その後の占領政策を左右する重要なことが次々と行われている。即ち、戦犯逮捕、公職追放、鈴木安蔵らの憲法草案発表である。ノーマンは来日早々、都留と一緒にマルクス主義憲法学者の鈴木安蔵に憲法草案作成を持ちかけ、GHQ民政局には、鈴木らの憲法草案に注目するよう、根回しもしている。一方、マッカーサーが別途、近衛文麿に草案作成を依頼すると、近衛を戦犯容疑で告発する文書を提出して、これを潰してしまう(【参考】『日本国憲法の父?鈴木安蔵とハーバート・ノーマン』)。ノーマンは近衛だけでなく、木戸幸一も同時に戦犯告発しており、この二人の逮捕は(実際、近衛は逮捕前に自殺)、戦後の日本再建を近衛や木戸ら宮廷グループにやらせようとするグルーの計画をも潰すことを意味した。

 ただ、近衛に対する告発が辛辣極まりないのに対し、木戸には相当に甘い内容になっていた。実は、都留重人の義父が木戸幸一の弟だったのである。当時、都留は木戸幸一や義父一家と同居しており、木戸は都留を介してノーマンやGHQの動きを知っていただろう。近衛を潰すために、敢えて木戸も戦犯指定するものの、木戸が極刑にならぬよう配慮していたはずである。東京裁判の間、都留は木戸の弁護にも協力。木戸は死刑を免れることになる。文官として、近衛や木戸の代わりに死刑になったのが、元首相の広田弘毅。玄洋社との縁が深く、右翼の巨魁・頭山満の葬儀委員長を務めたことが仇になった。ノーマンは日本の右翼や武士道のような文化を憎悪しており、戦時中、玄洋社を日本のナチスとして糾弾する記事をIPRに書いていた。広田の妻は玄洋社幹部の娘で、東京裁判中、それを苦にして服毒自殺している。

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 大政翼賛会や軍部、右翼関係者を中心にした公職追放にノーマンがどれだけ関わったか、明白な資料は見つからないが、日本のことを何も知らないGHQのアメリカ人たちに、総計20万人に及ぶ日本人追放者の人選ができるはずもなく、ノーマンや都留重人の人脈に連なる左派日本人(恐らく、戦前に冷遇されてきたマルクス主義学者たち)の協力を得てやったのだろう。46年1月に最初の公職追放が発表され、その翌月から憲法改正への動きが加速している。明治憲法からコペルニクス的転回をする新憲法草案を日本の国会で通すには、大規模な公職追放によって議員を総入れ替えすることが必要絶対条件だったのである。大学から保守派学者が追放されたお蔭で、丸山眞男や都留重人ら左派の学者たちは、若くして大学教授になることができ、その後、長きにわたって日本の大学に君臨することになる。

 46年1月にノーマンがGHQを辞めた後は、GHQ民政局に入ったIPRの同志・ビッソンが代わって憲法草案の細部交渉や財閥解体に深く関わることになる。ビッソンは吉田政権と激しく対立し、共産主義者による二・一ゼネスト(1947年)では、スト容認を主張して吉田茂政権打倒を目論むも、マッカーサーはゼネスト中止を決定。民政局の左翼ニューディーラーたちやビッソンは、共産主義者を目の敵にする参謀第2部 (G2) ウィロビー将軍によって、徐々に力を削がれていく。ウィロビーは、来日する前にビッソンが関わっていたIPRやその提携誌アメラシアについて調べ上げ、ビッソンが共産主義シンパであり、都留重人に機密情報を流したとして告発した。追い詰められたビッソンは、47年4月、志半ばにしてGHQを辞め帰国してしまう(【参考】Thomas Arthur Bisson and the Limits of Reform in Occupied Japan)。その後、冷戦が激化する中、GHQの占領政策が逆コースへ舵を切ることに反対し続けたノーマンも駐日カナダ公使を解任され、IPRのChina Handsによる敗戦革命は終わりを告げる。

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 アメリカ帰国後、ビッソンはラティモアと一緒にマッカーシズムの暴風に巻き込まれ、過去の共産主義活動を厳しく追及される。IPRは活動停止に追い込まれ、大学での仕事を失い、ラティモアはイギリスに移住。ビッソンも仕事探しに苦労することになる。だが、それでも実刑を受けなかっただけまだ幸運だったと言える。ビッソンの死後、ソ連のスパイ活動を暴いたベノナ・ファイルが公表され、ビッソンは『アーサー』の暗号名を持つソ連のスパイであったことが判明する。その他、IPRに所属した中国人・冀朝鼎(Ji Chaoding)も中共のスパイだったことが公表されており、IPRのヤバイ実態が明るみになった。

 スパイ疑惑をもたれた財務省のハリー・デクスター・ホワイトや国務省のローレンス・ダガンは、赤狩りの最中に自殺したので、魔女狩りの被害者と見られていたが、後にベノナ・ファイルの公開でソ連のスパイだったことが確定する。一方、同じく自殺したノーマンに関しては、ベノナでも名前が出なかった上、スパイだったことを示す証拠は未だに見つかっていない。これを持って、『無罪だ』『濡れ衣だ』と言えるのだろうか? ノーマンやラティモアのような共産主義活動家のことを、英語で“Fellow traveller”と呼ぶ。共産主義革命を目指し、共産党員と共闘するものの、自分自身は党員にならず、機密情報を漏らすようなあからさまなスパイ行為は行わない。飽く迄、一般人として官庁やメディア、大学で働きながら、その職権を運動に利用する。こういうタイプをスパイとして罪に問うことは難しいが、さりとて外交官として機密情報に接するポストに就けることには問題がある。

 ノーマンの上司、レスター・ピアソン外相は、ノーマンの尋問で共産主義者だった過去を知ったものの、公職から外すことなく起用し続けた。ピアソン自身、ノーマン同様、宣教師の息子で、リベラルな思想の外交官だった。カナダは、宗主国イギリスと大国アメリカの狭間で、独自色のあるリベラルな外交を展開しており、ノーマンのような共産主義者の外交官でも、国益を損なわないと考えたのだろう。だが、カナダの同盟国として、機密情報を共有するアメリカ政府にとって、ノーマンのような共産主義者がカナダ外務省の要職にいることは由々しき問題である。両国の狭間で苦しんだ結果、ノーマンは死を選んだ。

 スエズ動乱解決のため、国連緊急軍の派遣を実現したピアソンは、ノーマンが自殺したその年、ノーベル平和賞を受賞する。ノーマンが大使としてエジプトのナセル大統領にカナダ軍を国連軍として受け入れるよう説得した時、ナセルはカナダ国旗にユニオンジャックがあることから、イギリスの傀儡だとしてこれに難色を示した。その後、カナダの国旗からユニオンジャックが消え、カエデのマークだけになったのは、この事件が切っ掛けである。

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ピアソンとノーマン

 後に首相になったピアソンは、ベトナム戦争にも反対するなど、リベラルな外交を貫き、現在では最も偉大なカナダの首相として評価されている。ピアソンの後継首相がピエール・トルドーで、その息子が現カナダ首相ジャスティン・トルドーである。もし、ピアソンの片腕だったノーマンがソ連のスパイだったと判明すると、カナダの国家的威信が傷つくことになる。今後、カナダ政府がノーマンに不利な機密情報を開示することは絶対にないだろう。ノーマンについて今言える結論は、『スパイ行為をした証拠はないが、限りなくクロに近い共産主義者』であり、反共に舵を切った当時のアメリカの外交官だったらクビだが、カナダだからこそクビにならずに済んだものの、それが災いして自殺に追い込まれた、というものである。



初稿:2018年7月22日




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日本国憲法の父?鈴木安蔵とハーバート・ノーマン


 憲法改正を何がなんでも阻止したい護憲派メディアは、「押しつけ憲法」というネガティブなイメージの払拭に躍起になってきた。その筆頭格・NHKは、頻繁に憲法特集番組を放送してきたが、その全ては、現行憲法を礼賛し、改憲を阻止するための世論操作を目的として作っているとしか思えない。視聴者から強制徴収した受信料を湯水のように使ってNHKが作る番組は、日本国憲法を「戦争を反省した日本人が自発的に作った」かの如く歴史修正する番組ばかり。長年、違憲状態で放置されてきた自衛隊関係者の心情や緊迫する尖閣問題、国際平和維持活動の必要性などの観点から憲法問題を考える番組は皆無である。そうしたメディアが好んで繰り返し礼賛するのが、戦後まもなく発足した「憲法研究会」。そこで日本人が作った憲法草案要綱こそ、現行憲法の原型だと喧伝しているのである。

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 周知の通り、日本国憲法は、マッカーサーが指示した基本原則「マッカーサー・ノート」に基づき、GHQ民政局の憲法起草チームが約1週間で草案を作成し、それを日本側とも協議・修正した上で完成した。それ故に「アメリカ製」「押しつけ憲法」と言われてきたわけだが、護憲にトチ狂った人々は、GHQが憲法研究会の草案を基にしてGHQ草案を作ったから、「日本製」だと言いたいわけだ。

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 憲法研究会とは、戦後、新憲法を日本人の手で作るべく、進歩的な学者、ジャーナリスト、知識人らが集まって結成した民間の団体とされている。そこで中心的に憲法草案要綱を書いたのが、マルクス主義者の憲法学者、鈴木安蔵。彼らは国民主権などを定めた自由主義的な憲法草案要綱をまとめてGHQに提出した(1945年12月26日)。日本人民間人が勝手に作った草案だったはずなのに、なぜかGHQはこれを直ぐに英訳し、精査した結果、「民主的で受入れ可能」とポジティブに評価している(1946年1月11日)。一方、日本政府が正式に組織した憲法問題調査委員会の松本私案は、日本を君主国と規定するもので、GHQは「極めて保守的」とバッサリ(2月2日)。これが災いしたのか、憲法改正担当だった松本烝治大臣は、その後、公職追放されてしまう始末。日本政府に任せられないと判断したマッカーサーは、GHQで草案を作るよう民政局に指示した(2月3日)。僅かな時間の中で他国の憲法草案を書く羽目になった民政局は、鈴木らの憲法草案要綱だけでなく、アメリカ憲法やソ連憲法、ワイマール憲法など、世界中の憲法を参考にして、泥縄式に草案を仕上げたのだった。


 なぜ、鈴木安蔵は、政府からの委託を受けたわけでもないのに憲法草案を書こうと思い立ったのか? 実は終戦直後、GHQの高官がジープに乗って鈴木の自宅を訪問しているのだ(1945年9月22日)。カナダ外務省からGHQに出向していたハーバート・ノーマン(Egerton Herbert Norman)である。ノーマンは、牧師の息子で日本生まれの日本育ち。日本史研究の専門家であり、鈴木とは戦前、明治史研究会で知り合った。隠れ共産主義者だったノーマンは、鈴木に大日本帝国憲法の問題点を指摘し、民主的な新憲法を起草するよう強く勧めたとされている。新憲法制定は、GHQにとって喫緊の課題であり、マッカーサー自身も元首相の近衛文麿に別途要請していたが、日本の守旧勢力を憎悪するノーマンは、近衛の戦争犯罪を糾弾する報告書を書き、戦犯に指定させることで近衛ルートを潰すのにも一役買っている。


 NHKの憲法特集番組では、ノーマンの存在や役割を完全に省いてしまっているものが多い。上に掲示したETV特集では、ノーマンを登場させているものの、「日本近代史研究家で外交官」とだけしか説明しておらず、共産主義者であったことや、後に悲惨な運命をたどる話などは完全に省かれている。制作統括の塩田純は、ETVで左翼的な番組ばかり作っているディレクター。知らないはずがない。全てを知った上で、敢えて視聴者を騙す番組を作っているのだろう。下で紹介する映画では、鈴木とノーマンの再会シーンを更に美化して描いている。


 GHQ職員がジープで突然現れるエピソードには既視感を感じる。優生保護法が成立した背景でも、全く同じような光景が繰り広げられていた。戦前の日本による対外侵略の原因が多産にあると考えていたGHQは、人口増加に歯止めをかけなければ、将来また、膨張主義が復活する、と危惧していた。そこで、戦前に産児制限の普及運動に取り組んだ加藤シヅエに目をつけ、GHQ民間情報教育局の二世職員が加藤の自宅をジープで訪問。国会議員に立候補するよう強く説得した。産児制限を認める法案を日本人女性議員に提出させ、中絶を事実上合法化する優生保護法を日本人自身の意思で法制化した、ということにするためである。(出典:『日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉』)

 優生保護法と日本国憲法成立の共通点は、中絶と戦争放棄という、当時のアメリカでは絶対に制定不可能なルールを日本人に押し付ける際に、「命令」ではなく「自発的な制定」を偽装したことにある。GHQによる命令や強制は、「日本国国民が自由に表明した意志」を尊重せよ、というポツダム宣言第十二項に違反するのである。だから、発案は目をつけた左翼日本人にやらせる。それを可決する際には、天皇の戦争責任や早期独立の可否をちらつかせて政府や議会に圧力をかけるという手法を使ったのであろう。ノーマンと鈴木安蔵には、二つの共通点があった。キリスト教徒で共産主義者。鈴木もまた、クリスチャンの両親に育てられ、青年期になってマルクス主義にかぶれていった(出典:日本の憲法・人権思想にキリスト教の影響)。ノーマンのハーバード大時代の親友で、後に一橋大の学長になる都留重人もキリスト教徒で共産主義者。終戦後、来日したノーマンを早速、鈴木の自宅に連れて行ったのは、他ならぬ都留だったのである。敗戦直後の混乱した状況を利用して、左翼的な憲法を作るべく、キリスト教徒で共産主義者の人脈が機能していたわけだ。ノーマンと都留は、20万人に及ぶ公職追放の人選にも関与しており、一種の「敗戦革命」を企んでいたと思われる。彼らの「革命」は、冷戦の激化とアメリカの対日政策大転換、所謂「逆コース」によって頓挫することになる。

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 マッカーシーによって始められた赤狩りがアメリカで吹き荒れ、ノーマンにも共産スパイの嫌疑がかけられると、ノーマンの後ろ盾だったカナダのピアソン外相はノーマンを庇い続け、アメリカと対立することになる。FBIはノーマンの友人だった都留を尋問し、共産主義者であったことを自白させる。それで窮地に追い込まれたノーマンは、赴任先のエジプトで自殺した。日米戦争の切っ掛けになったハル・ノートを書いた財務省次官捕・ハリー・ホワイトも、共産スパイの嫌疑をかけられて自殺しているが、後に、ソ連のスパイ活動を暴いたヴェノナ・ファイルの公開によって、スパイだったことが確定している。だが、ノーマンの場合、ファイルに名前が登場しなかったため、未だに真相は藪の中。赤狩りで最大の標的となった反日活動家・オーウェン・ラティモアもファイルに登場しない。このラティモアこそ、ノーマンをGHQに推薦した張本人である。ノーマンとラティモアは、コミンテルンが牛耳っていたNGOの反日団体「太平洋問題調査会」で繋がっていた(【参考】オーウェン・ラティモアと太平洋問題調査会の暗躍)。ノーマンは、ケンブリッジ大学留学中、ソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイヴ」に加わっていたという情報もあるが(【参考】ノーマンと『戦後レジーム』―近代日本を暗黒に染め上げた黒幕)、カナダ政府は、未だにノーマンのスパイ説を頑なに否定している。ノーマンがクロだと、ノーベル平和賞を受賞し「カナダで最も偉大な首相」と評されるピアソンの素性まで疑われるからだ。



 鈴木安蔵の憲法草案要綱は、国民主権を規定するなど、確かに自由主義的であったが、GHQがどこまでそれを参考にしたかは判然としない。GHQ民政局に鈴木案を参考にするようノーマンが根回しをしたと鈴木自身が証言しているが、GHQは合衆国憲法やソ連憲法など、他国の憲法も参考にしてゴチャマゼに取り入れているので、鈴木らの草案は参考資料の一つに過ぎなかった。そもそも、肝心なものが欠けている。憲法9条に相当する戦争放棄、戦力不保持の規定が無かったのである。キリスト教的人道主義やマルクス主義の観点から発案しても、「戦力不保持」というラディカルな発想は出てこなかった。

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マッカーサーとノーマン

 では、9条はどこから来たのか? マッカーサーが明示した「マッカーサー・ノート」であり、敗戦国・日本を二度と軍事大国にさせないための懲罰的色彩が濃厚だった。だが、この点でも護憲派左翼は、もっともらしい言い訳を用意している。幣原首相がマッカーサーと会見した時、幣原の方から戦争放棄の考えを提案したから、「日本人が発案者」=「押し付け憲法ではない」という詭弁である。憲法を強制的に押し付けたことにしたくない当時のアメリカ側と、改憲を阻止するために「自主憲法」だったとアピールしたい今の護憲派左翼は方向性が同じであるため、それっぽいエピソードはいくらでも見つけてくることは可能だが、大局を左右するような話ではない。オーストラリアや中国など、他の連合国から天皇訴追の声が高まる中、天皇制を維持する唯一の方法は、とても民主的で平和的、かつ天皇制を残した憲法を、日本人の手でできる限り早く可決することだった。天皇の命運をチラつかせて圧力をかけるGHQに対し、占領下の日本政府はあまりに無力だったのである。憲法が制定された時期、20万人もの公職追放が強行され、衆議院議員の8割が軍国主義者のレッテルを貼られて追放された。当時の日本国民は、外国人が書いた草案を基に憲法が作られたという事実さえ全く知らされず、国民投票さえ行われなかった。こうした事実に鑑みれば、「自主的な憲法」などとても言えた代物ではないのは明らかである。『日本の憲法は我々が書いた』と発言したバイデン元副大統領は正しい。

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 日本国憲法制定後、冷戦の激化に伴い、GHQは対日占領政策を大転換する。自衛隊を設立し、日本を共産主義への防波堤にしようとした。岸信介らが主導して結成された自民党は、憲法改正を党是に掲げるものの、戦争の記憶が生々しく、左翼勢力が大暴れしていた時代に改憲するのは困難であった。日本国憲法を書いた主役が、キリスト教徒でマルクス主義者の鈴木安蔵であったのか、GHQ民政局の左翼的なニューディーラーたちだったのか、断定するのは困難であるが、どちらにせよ左翼が作った左翼的な憲法だからこそ、その後もずっと、左翼やキリスト教徒が既得権益として必死に守り通してきたのである。国会前で反安倍デモをやっていたシールズも、コアメンバーはキリスト教愛真高校の出身者。日本国憲法は彼らにとって、「神聖にして侵すべからざる聖典」なのである。





初稿:2018年6月12日



追記1:戦時中、二等兵だった都留重人は、戦後、ノーマンと再会した後、GHQ勤務を経て、1947年に35歳の若さで経済安定本部総合調整委員会副委員長(次官待遇)に大出世している。翌年、一橋大学教授に就任。1972年に一橋大学長。恩人のノーマンが悲惨な最期を遂げたのと対照的に、順風満帆な人生を送った。退職後は、朝日新聞社論説顧問。叔父で牧師の都留仙次が院長をしていたキリスト教系の明治学院大学教授となり、国際学部を創設している。因みに、シールズの奥田愛基も牧師の息子で、キリスト教愛真高校→明治学院大学国際学部→一橋大院。

追記2:憲法研究会の実質的なトップは、鈴木安蔵ではなく、東大教授の高野岩三郎。高野は、天皇制廃止を主張していたが、鈴木は時期尚早と考えて憲法草案に入れなかった。それにノーマンは強い不満を示している。その後、高野は、GHQによる検閲を担う日本人グループの長として暗躍。1946年、戦後初のNHK会長に抜擢された。NHK東京放送会館は、GHQ民間情報教育局(CIE: Civil Information & Educational Section)が一部を接収し、放送の検閲を実施している。

追記3:公職追放された保守派学者の筆頭、慶應大学の憲法学者で枢密院議長だった清水澄は、新憲法施行後、明治憲法に殉じて自殺している。遺書で『新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團體及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戰爭責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ』と嘆いているが、天皇制廃止を強く主張する高野岩三郎が、新憲法にも飽き足らず、別途発表した日本共和国憲法私案要綱を指すと思われる。








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清水潔のNNNドキュメント『南京事件Ⅱ』を検証する


 『南京事件Ⅱ』は日テレ記者・清水潔が制作した番組。清水は元々、 写真週刊誌「FOCUS」の記者だったが、『桶川ストーカー殺人事件』で名をあげ、日本テレビに移籍した経歴を持つ。殺人事件が専門だったが、2015年、『南京事件〜兵士達の遺言』を制作してギャラクシー賞を受賞。2017年には『重慶爆撃』、そして今回の『南京事件Ⅱ』と、歴史問題に関する番組制作を連発している。伊藤詩織や望月衣塑子など、最近話題の女性たちとも繋がりがあり、伊藤詩織がレイプ事件を週刊新潮で告発した時は、その仕掛け人でもあった。

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 清水は何故、殺人事件ではなく歴史問題を追うようになったのか。そこには、改憲を目指す安倍総理に対する左派の根深い敵愾心があると思われる。戦前の日本を断罪する歴史問題の二本柱は、南京大虐殺と慰安婦問題。だが、2014年8月、朝日新聞は吉田証言の誤報を認めてしまい、社長は謝罪後に辞任。歴史問題の一角が崩れてしまった。護憲派の思想的支柱は、「戦前の日本は絶対悪」→「改憲すると戦前に戻る」→「戦争になる」という単純な論理なので、日本人の贖罪意識が薄まると、改憲派が勢いづくのでは、と警戒するのも当然。慰安婦問題が使えないとなったら、南京大虐殺を再びクローズアップして贖罪意識を煽ろうと考えるのは自然な流れである。翌年、清水が放送したのが『南京事件〜兵士達の遺言』であった。

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 今回の『南京事件Ⅱ』は前回作『南京事件〜兵士達の遺言』の完全な焼き直しである。「化学労働者」を自称する素人歴史家の小野賢二が収集した元兵士の証言を元にしており、新たな発見があったわけでは全くない。違う点は虐殺シーンのCGが遥かに精工になったこと、冒頭、日本軍が敗戦直後に機密書類を焼いたことを非難するシーン、そして後半、両角連隊長の自衛発砲説を嘘だとするシーン、など。普通の歴史問題ドキュメントと明らかに違う点は、右派との歴史論争をかなり意識した構成になっている点。副題はナント、『歴史修正を検証せよ』。歴史修正主義のレッテルを貼る側こそ、歴史を政治に悪用している証なのだが。安倍総理こそ名指しで非難していないものの、安倍総理のお気に入りである稲田朋美議員を狙い撃ちにしている。

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 では、内容を精査していきましょう。

1.日本軍の機密書類焼却

 ドイツ映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』では、降伏直前のドイツ軍が機密書類を建物の窓から放り投げて、外で焼いているシーンが登場する。イギリス映画『レイルウェイ 運命の旅路』では、シンガポール攻略戦で日本軍への降伏を決めたイギリス軍が、兵士に機密書類を破棄するよう命令するシーンが出てくる。降伏する場合、機密を敵に渡さぬよう破棄するのは日本軍だけでなく、世界共通の常識である。日本軍だけが卑劣極まりないことをしたかのように描き、昨今の公的文書隠蔽問題と同一視するなんて、完全にナンセンスである。

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 陸軍省や参謀本部の機密書類を全て焼却しても、識字率が高い日本では、各兵士が個別に日記を残しているケースが多く、全て隠蔽することは不可能である。これまで、揚子江沿岸での捕虜虐殺はしばしば語られてきたが、それ以外の場所での組織的大規模な虐殺の話は出てきていない。まして、捕虜だけでなく、婦女子を無差別に大量虐殺したかのような兵士の証言はない。市ヶ谷での書類焼却をもって、恰ももっと凄い虐殺が隠蔽されたかのように描くのは、捏造である。

2.両角連隊長の自衛発砲説

 中国兵を揚子江の河畔に連れて行ったのは、彼らを逃がすためであったが、途中で反乱が起こったので殺さざるを得なくなったとする説。これは両角連隊長が嘘をついたのだと思う。軍人にとって戦争は、勝てば英雄、負ければ戦争犯罪人。敗戦後、都合の悪いことを隠したり、記憶を改ざんするケースは多い。そして、戦後、嘘を吐いたのは軍人だけではなく、新聞記者も同じである。新聞社の利益拡大のため、満州事変以降、戦争を煽りまくってきたくせに、敗戦後は、軍の情報統制のため、無理やり書かされていたかの如く被害者ヅラしてきた。軍部同等の戦争責任を負うべきは、番組にも登場して当時の写真を提供した毎日新聞。清水潔が所属する日テレの親会社・読売新聞も同罪である。

3.肝心の捕虜虐殺シーン

 ネットには、南京大虐殺や731部隊について、碌な知識もないのに「捏造ダー」と頭から決めつけている人々がいる。そういう人々をやっつけるために、清水潔は前作よりリアルなCGで捕虜虐殺シーンを再現したのだろう。私は、元兵士たちが証言した捕虜虐殺は、ほぼ事実であろうと思っている。蒋介石は自軍の兵を見捨てて南京からコッソリ逃げてしまった。いきなり大量の敵兵が投降してきても、日本軍には与える食料さえない。敵が全面降伏していない以上、捕虜を釈放すれば、また敵軍に戻って兵士になるのは必定であり、他に選択の余地が無かったことは想像に難くない。逆に、揚子江岸での事件以外に、市民を無差別に虐殺したとする証言が元兵士から出てこない以上、いわゆる南京大虐殺は捏造だと思っている。捕虜虐殺はせいぜい1万5千~2万人程度。30万人の虐殺なんて論外であり、そんな証拠もない。

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 『南京事件Ⅱ』の最大のウリは虐殺シーンの精巧なCGである。戦後のぬるま湯のような平和の中で生きてきた日本人にとって、あのようなシーンを見るのはショックであろう。露骨な視覚効果によって、視聴者の「反日」「反戦」感情を煽りたてるのが清水潔の狙いである。だが実際、日中戦争も日米戦争も、捕虜をほとんど捕らない凄惨な殺し合いだったのであり、あの種の残虐行為はザラにあった。日本軍は太平洋の各地で「玉砕」したことになっているが、はっきり言ってあれは米軍に皆殺しにされたのである。戦陣訓に『生きて虜囚の辱を受けず』という一節があるが、現実には捕虜になっても生き延びたいと思うのが人の情。それができなかったのは、米兵が捕虜をほとんど捕らないから。投降したって殺される可能性が高いため、結局、死ぬまで逃げ惑うしかなく、地下壕に籠っているところをガソリンを流し込まれて焼き殺されたり、重傷のところを戦車でプチプチと踏み潰されて殺されたのだ。捕虜となって生き延びた事例は極めて少ない。


 日本海軍は日本海海戦で漂流するロシア兵を救った美談に倣い、戦争当初は米兵や英兵を救出していたが、米海軍が日本兵を全く救出しないため、やがて止めてしまった。米海軍は日本船を撃沈すると、基本、乗組員を見殺しにする。情報が必要な場合のみ、数人、救出することがある程度。時に機関銃で皆殺しにすることもある。



 日本のメディアは、日本兵が加害者のケースばかり執拗に報じてきたが、日テレは、天安門事件や通州事件での虐殺を『南京事件Ⅱ』で使ったような精巧なCGで再現する勇気があるのだろうか? もしそんなことをしたら、日テレと読売新聞の北京特派員は国外追放となり、今後、何かにつけて取材の嫌がらせをされるだろう。それが怖いから、日テレのみならず、日本のメディアは全て、中国に忖度する。そんな連中が、日本政府に対してだけは『権力監視がメディアの使命』などと豪語して、日本の戦争犯罪を暴きたてる様な番組ばかり作る。何故なら、日本政府なんて怖くないから。何もできないと知っているから。そうやって作られた番組のせいで、日本だけが歴史問題で不利な立場に追い込まれていく。自国のメディアのせいで。かくして、言論の自由を許さない人権弾圧国家の中国や北朝鮮の悪行には何も言わず、日本だけをイジメぬく空気が世界中のメディアの中に醸成される。メディアの本性は弱い者イジメであり、本当に怖い権力には逆らわない。

4.上海・南京戦のカラクリ

 清水潔は、南京事件、重慶爆撃など、日中戦争を描きながら、その始まりとなった第二次上海事変を全く描こうとしない。南京大虐殺を世界中に喧伝し、被害者アピールをし続ける中国政府にとって、一番都合が悪いのは、日中全面戦争が、国民党軍の上海・日本人街への先制攻撃によって始められたという歴史的事実である。蒋介石はドイツ軍顧問の助言を受け、上海の西側に防御陣地を築き、上海に日本軍をおびき寄せた上で叩く計画を練っていたのだ。結果、上海戦は激戦となり、辛勝した日本は、中国軍の敵対行為をこのまま放置できないとして南京攻略を決意する。清水潔は、日本の上海派遣軍が、邦人保護を口実に侵略を開始したかのように描いているが、真っ赤な嘘である。



 南京が陥落する前に、蒋介石は自軍の兵隊を置き去りにしたまま重慶へ逃亡。大敗北によりメンツを失った蒋介石は、親中反日で凝り固まっていた欧米メディアを利用して市民への虐殺行為を強調した「南京大虐殺」プロパガンダを海外に発信し始める。それがアメリカの反日プロパガンダ映画「バトル・オブ・チャイナ」に採用され、東京大空襲や原爆投下の口実として使われ、戦勝国の「歴史」として定着することになった。この段階で、中国もアメリカも、揚子江岸の捕虜虐殺に関する詳しい情報を持っていない。だから戦後、戦犯裁判で南京大虐殺を証明する証拠に窮した挙句、「百人斬り」の記事を持ち出して虐殺と関係のない日本軍人を処刑するようなことをしたのである。

 アメリカは東京大空襲や原爆投下など、民間人の無差別大量虐殺を犯しているが、こうした戦勝国の戦争犯罪を免罪とする魔法の論理として「南京大虐殺」は機能している。プロパガンダで敵の残虐行為を喧伝すれば(大概は、虐殺かレイプ)、原爆を投下しようがジェノサイドをやろうが正当化できてしまう、そんな悪しき前例が「南京大虐殺」。戦争に反対する日本の平和主義者ほど、「南京大虐殺」の信者になるもの。彼らは、現在のアメリカや軍産複合体を批判するくせに、当時のアメリカが戦争を仕掛けるために暗躍した歴史には全く無頓着で、「日本が先に悪いことをしたから、罰が当たった」というような単純な因果応報史観に陥って、せっせと日本軍の粗捜しをしては「虐殺の証拠だぁ」と喧伝する。アメリカは邪悪な国家に罰を下す神なのか? あの戦争で世界の覇者となったアメリカにとっては、正に「役に立つ馬鹿」( useful idiot)といったところだろう。


5.結論

 戦勝国の正義は敗戦国の戦争犯罪によって裏打ちされているので、戦勝国の世界支配が続く限り、敗戦国の戦争犯罪が免罪にされるはずはなく、単なる歴史研究のテーマとして決着することは不可能である。南京事件に限って言えば、大規模な捕虜殺害は行われたものの、30万人にのぼる民間人虐殺は捏造であろう。が、それを中国側が認めるはずもなく、その点を日本のメディアが追及することもなく、捕虜虐殺の部分だけを虫眼鏡で拡大して、「大虐殺は本当でしたぁ」ってことにされてしまう。

 南京事件の場合、中国の歴史カードであると同時に、アメリカの正義を証明するカードでもあるので、ことは余計に厄介である。日本の力が強くなれば、アメリカは南京虐殺を声高に非難するようになり、中国の力が強くなれば、その非難の声が弱くなるものの、虐殺認定そのものは決して消えることはない。アメリカ自身が犯した虐殺行為とは明確なダブルスタンダードが適用される。

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 今や中国は経済力で日本を遥かに抜き去り、核ミサイルで日本中を焦土にする武力を有し、尖閣には毎日のように領海侵犯してくるというのに、日本のメディアは相変わらず「反権力」をバカの一つ覚えのように唱えながら、歴史問題で日本政府の足を引っ張り続ける。こんな動画を作った結果、中国人は益々、反日感情を高ぶらせて日本人を憎悪するようになり、その反動で日本人も中国人が嫌いになるだけである。左翼メディアが日本人に贖罪意識を植え付けるべく歴史問題を悪用してきたため、日中関係も日韓関係も壊されてしまった。困ったものだが、今はネットがある。メディアがプロパガンダを一方的に垂れ流す時代は終わりを告げた。問題報道があればネットで事細かにチェックされ、拡散され、それがメディア不信となって跳ね返ってくる。視聴者を無視した「反権力」マスターベーション・ドキュメンタリーがいつまでも通用するほど甘くはない。

 




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