読んだり 聞いたり しゃべったり

読んだらしゃべりたくなるでしょ? 面白い話を聞いたらしゃべりたくなるでしょ?  そして、時には独りであれこれ考えて・・・・やっぱり誰かに聞いてもらいたい。 おつきあい願えますか?

8月のはじめ頃から、腰や脇腹や胸などが痛くて痛くて、家事が一切できなくなり、食欲もなくなって結局入院してしまったが、どうやらあれは陶板浴の好転反応だったようだ。

そう思う理由のひとつは、長野から帰って再び陶板浴に通うようになって9日目、昨日あたりからまた痛みがひどくなってきたからだ。考えてみると、入院中や長野への旅行中など、陶板浴に通えないときには身体の痛みはほとんど無くなってしまった。また、先の入院のとき、まだ抗癌剤が効いてくるはずのない翌日に、酸素量が98だったのを思い出す。以前と比べて明らかに良くなっていた。でも、退院まぎわ(抗癌剤が効き始めた頃)には97に下がっていた。

3日前の検査では、がんマーカーは急上昇していたものの、酸素量はやはり98,十分な量だった。癌が死滅するとき一時的にマーカーが急上昇するという現象も、陶板浴の本には書いてあったので、そういうことなのかも知れない。いや、そういうふうに、良いほうに考えておこう。それこそが、「攻めの養生」であり、中村天風のいう「積極的な生き方」なのだから。(悪い方に考えると、悪い自己暗示にかかる) 


ただ、問題はこんな調子では、痛みのために陶板浴にかようことも、家事をすることもできなくなってしまうこと。がん患者の好転反応の例として、あまりに痛みが激しいので病院へ行って化学療法を受けてしまった、というものが出ていたが、これこそ私が8月にやったことと同じだ。抗癌剤をやればやるほど、好転反応の痛みはひどくなるというから、ここを乗り切らなければならないのだが、いったいどうやって乗り切れというのだ。8月のときと同じで寝ていれば痛みはないが、一日中寝ているわけにも行かない。安保徹先生( この先生も癌の世界では超有名)がインタビューの中で、あまりに好転反応が激しいときには、「入浴時間を短くするとか、しばらく休むとかすることも必要」と言っていられる。でも、私の場合はどのくらい休めばいいのだろう?

とりあえず、明日は休みにして、当分は1日おきでやってみよう。症状の改善がなかったら、3日ぐらい休んで、それから1日おきにしてみようか。自分にあった利用法を身につけるまでには、だいぶ苦労しそうだ。 

トントンは今回、近所で見かけた面白いものを写真に撮って送ってくれたのだが、今日のやつは凄い!
激安の眼鏡屋は珍しくないが、この品揃え(在庫数)には目を見張る。品物がいいとか悪いとかのレベルではない。ここまでくると、アートだ。

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 値段がまた凄い。これにはびっくり !photo 5

少し風邪気味で、どうも調子が出ません。
 
こんなときに、トントンの作品は嬉しいプレゼントです。

今日は、主人の買い物を待つ犬。

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久しぶりに、トントンの写真です。

確かにワイルドな、この人一流のおしゃれで決めていますね。
ここまで徹底すれば、大したもんです。

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養生塾に参加して、帯津先生は埼玉の帯津三敬病院以外に池袋にもクリニックを開いていられることを知った。養生塾で申し込めば優先的に診察してもらうことができるのだが、いったん福井に戻ってから出直すのは大変なので、養生塾が終わったその日にそのまま池袋のクリニックに伺うことができるようにアレンジしてもらった。

クリニックは「庶民的なホテル」の地下1階にあり、明るくオープンな雰囲気だった。驚いたのは先生の診察で、問診のあと別室で「身体を見る」のだが、最初に「手を出してください 」と言われ、血圧かと思ったら、脈を診られたことだ。その後、お腹、胸、背中に聴診器をあて、「ここに胸水がありますね」。次に、トントンと叩いたあと、触診。首筋の触診もされて、「リンパは腫れてませんね」。

脈をとられたなんて何年ぶりだろう!最後までいっしょだった参加者の一人が、「主治医なんて、顔も見ずに、コンピューター見ながら話すんですよ」と言っていたが、さすが帯津先生は顔も身体も直接見て、触れて、判断される。そこで漢方薬の処方もしてもらったのだが、これがまた本物の煎じ薬なので、かさばるのなんのって。


帰りがけに、先生がアレンジされた気功「時空」のDVDが欲しいと申し出ると、DVDが付録として付いている御著書『白隠禅師の気功健康法ー深呼吸法「時空」実践のすすめ』 にサインをして渡してくださった。でもそれは、看護師さんが、「先生、サインしてあげて」と、親しげに命じて(?)のことだったのが愉快だった。ニコニコとサインしてくださる先生の足元を見ると、やっぱり裸足にサンダル履きだった。先生は裸足がお好きのようだ。


「攻めの養生」には「ときめき」が大事だということだが、翌日の歌舞伎には大いにときめいた。何もかも初めてのことで勝手はわからないが、前から7列目という願ってもない席なので、とても良く見える。昼の部は午前11時から、何と4時近くまであり、すぐに夜の部が始まってしまうのだ。役者さんたちは大忙しだろう。

昼の部の演目は三題。最初の郭話はごく一部らしくていいテンポで話が進み、二番目は唄と踊りの演目。時代は平安時代のはずなのに、平維茂(たいらのこれもち)こそ狩衣姿だが、更科姫(実は戸隠山の鬼)はじめ大勢の女性たちはみんな江戸の風俗。染五郎の演技や踊りはすばらしかったけど、あの時代錯誤にはどうにもなじめなかった。3番目の「競伊勢物語」になるともっとひどく、文徳天皇崩御のあととあるのに、服装はみんな江戸時代のそれだし、「〜だわいな」という女性の話し方もくるわ話と変わらない。

要するに歌舞伎が発達したのは江戸時代で、その頃には時代考証して服装を整えるということをしなかったのかもしれない。でも、能の衣装を見ればわかりそうなものだ・・・・。いや、逆に能とは一線を画して、庶民の楽しみとして親しみやすい風俗にしたのかもしれない・・・などと、よけいなことを考えてしまう私だった。

何はともあれ、百聞は一見にしかず。
とにかく一流の歌舞伎なるものをこの目で見たし、やみつきになる気持ちもわかって、そのまま帰路についたのであった。
 

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