2005年08月15日

終戦の詔勅と大叔父

このブログは、相変わらず「開かない」状態が続いている。私には原因が分からず、全くお手上げなので、ライブドアの人が直してくれるのを待っている。

全然読めないブログだけど、今日は書きたいことがあるので、書いてます。


今日から3回くらいに分けて「終戦の詔勅」について書きたいと思う。

これは興味が無い人にとってはは全く興味がない内容だし、つまらないと思うけど、ちょうど今年は戦後60年。おそらく明日には、玉音放送がどこかのニュースやドラマで聞けると思う。

その玉音放送の原稿を誰が書いたかについて、戦前、宮内省で仕事をしていた大叔父が雑誌に書いていた記事のコピーが手に入ったので、私の家族に伝わっている「お話」を書きたいと思う。


終戦の詔勅(玉音放送)の原稿を誰を書いたかについて、一般的には、内閣書記官長だった迫水久常さんという人が下書きをして、それを漢学者だった川田さんが漢文として書き上げ、最終的に安岡正篤氏が加筆修正した、という感じで伝わっているようだ。

中には「迫水書記官が自分1人で書いて安岡氏が加筆修正した」「安岡正篤氏が起草した」といったことを書いているものもあった。実際、迫水書記官は「自分が全部書いた」といったような手記を残している。


でも、我が家(母経由)で伝わったいた話は、これとは全然違う。非常に謙虚で職務に忠実だった1人の漢学者と、目立ちたがり屋で嘘つきの男の話になっている。


母から聞いた終戦の詔勅にまつわるお話はこんな感じだ。

当時、大叔父、木下彪(ことら)は、戦前宮内省の御用掛をしていた。戦前は天皇や皇族方は公の場で読まれる文章は、通常の日本語とは違う、漢文調の日本語をお使いになっていた。これは漢文に精通した人でないと書けないので、漢学者であった大叔父も宮内省の嘱託としてその文章を書く仕事をしていたわけだ。紀元2600年の記念式典では、大叔父が起草した文章が読まれたと聞いている。


さて、終戦まぎわ、大叔父は、同僚で、親しくしていた漢学者の川田瑞穂氏から、「これをどう思うか?」とある原稿を見せられた。それは数日後、天皇が玉音放送でお読みになったあの原稿の初稿だった。大叔父は、それについて感想を言える立場にはないと感じて「よろしいのではないでしょうか」とお答えして返したそうだ。だから、我が家の言い伝えと私の記憶が正しければ、大叔父は、詔勅の原稿に目を通した、一番最初の人間と言うことになる。


川田氏は、その後、2案、3案とパターンの違う原稿を書いたが、やはり初めに書いたものが一番できが良く、昭和天皇のお気持ち反映しているということで、初稿を関係者に提出した。

川田氏は、その後、何度かごく少数の関係者に意見や感想を聞きながら、修正加筆し、最終的に安岡正篤氏に目を通してアドバイスをもらい仕上げた。

そして8月15日の玉音放送となる。


ところが、その後、あの文章は誰が書いたのか?ということが話題になり始めた。「貴方が書いたのですか?」と聞かれ、積極的に否定をしなかったので、あの人ではないか?と言われた人もいたし、「自分が書いた」と名乗り出た人(迫水書記官)もいた。


当の川田氏は公には全く何も語ることはなかったが、迫水氏が「自分が書いた」という文章を雑誌か書物に書いたため、家族にだけ「実はあれは自分が書いたのだ」と言い残し、数年後亡くなった。ただ、その迫水氏の文章がもとになり、迫水書記官「詔勅作成」説が定説となり、多くの新聞や雑誌は、以後、それを追随している。


大叔父は、「詔勅を書いたのは迫水氏だった」というのが話題になった当時には、台湾の大学で教鞭を取っていた。その記事を台湾の雑誌で読んで、非常に驚いたらしいが、すでに日本では、それが一般常識になっていたし、当の川田氏が亡くなっていたので、事実関係を知っている当人として、また川田氏と親しかった同僚として内心とても悔しい思いをしたと思う。

・・・で、いつか分からないけど、この終戦の詔勅のいきさつについては、大叔父がある専門誌に数回にわたり手記を書き残し、また、戦後60年の今年、なぜか、突然、その叔父の手記を読み返したくなって、昨日になって叔母から借りることができたので、こうやって、大叔父と川田氏の無念を果たしています。

実際、大叔父は、手記の中で、迫水さんのしたことに対し、ずいぶん怒っておりますが、なんせ、手記を書いたのが、ごく少数の人しか読まない専門誌だったので。


ただ、昭和63年7月6日の各新聞には、大叔父の証言や大学教授の研究として「詔勅は、川田氏が草案を作成した」という記事が載っているので、興味がある人は図書館に行って調べてみてください。・・・どうして、この時に発表することになったかの裏話も面白いんだけど。


というわけで、ながながと書いてしまいましたが、明日は大叔父が書いた手記をご紹介します。ブログの全くの個人私用ですが、インターネットは、事実を探している方々に読んでもらう機会があるので、この場をお借りして、大叔父の遺したものを発表したいと思います。










caycegoods at 00:32コメント(1)トラックバック(0)日記  

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コメント一覧

1. Posted by ブログ夢想花   2015年08月02日 07:49
5 お早うございます。

興味深く、拝見させて頂きました。
私は、1943(昭和18)年生まれで、
玉音放送のことは、後のニュースなどで知りました。
勉強になります。有難うございます。

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