CASINOTE

全国5万5千人のファンのためのオフィシャルカジノートです

瀬尻稜

ryosk8la1

彼も今ではすっかり逞しくなり日本を代表する存在になってるが、俺にとっては大切なツレの一人。それなりに濃ゆいトリップを一緒にしてきたというのも多少はあるのだろう。年齢差はたぶん20歳。年の差だけだとかなりのものを感じるが、プライベートでも気軽に話せる間柄だ。

そんな稜とはじめて行った海外トリップが、彼が中学を卒業したタイミングでBLACK VEGASの企画でLAに行ったとき。まだ幼い彼は、やんちゃな先輩たちの後ろをついてくるようなキッズだったけど、もっとガキの頃からスキルと同時にプロ意識も持ってる奴だったので、ひとたびスポットでシューティングとなると、すげー技をガンガン決めてくる。メイクするのを予想はしてても、そのトリックを成功させるまでのプロセスは年齢なんて感じさせない凄みを感じた。

この1枚はハリウッドの駅で、結構ゲリラ的に撮ったのを覚えてる。キックアウト食らうまでに何回トライできるか?結構現場はシリアスな空気やったけど、このステアでスイッチヒールをバチっとメイクするあたりがかっこいい。

最近あまりトリップ行ってないので、そろそろ一緒につるみたいな〜。
てか、たまには事務所に顔出せよ(笑)

SUPER CROSSは一生に一度は観戦に行くべき

IMG_0858


多くのFMXイベントは国内でも観れるようになった昨今。しかし、今でも日本で語り継がれるのが「ジャパン・スーパークロス」だ。80年代から90年代にかけて、神宮球場や西宮スタジアム、大阪球場、東京ドーム、福岡ドームで開催されてたというのだが、残念なことにこの頃、俺はモトクロスのこともよく知らなかったので実際に観ることはなかったのだが、兄貴が好きでよく大阪球場に行ってたのをなんとなくだが覚えている。あれから本当の意味で伝説になってしまったジャパン・スーパークロスだが、やはりそのルーツというか、本場と言えるのが、”AMA SUPER CROSS”。これまでに3回観る機会に恵まれたのだが、これはマジでやばかった。モトクロスの魅力がそこにいるだけで全部伝わってくるし、素人でも玄人でも楽しめる、アメリカのエンターテイメントスポーツの真髄と言っても過言ではない。

駐車場ではいろんなブースが立ち並び、スーパースターのライダーたちがサイン会をしていたり、ファンがBBQを楽しんでたり。全日本モトクロスでも似たようなことはしてるんだけど、格が数段違います。もうお祭りというか、完全にカルチャー。レース前の選手の登場もレーザー光線や花火でスタジアムを彩り、腹に響くようなBGMと低音ボイスのMCがたまらなくかっこいい。席に座ってるだけでレースが一望でき、ジャンプが多いことでワンミスで形勢逆転する展開は常に飽きることがなく、ライダーたちの攻防にスタンドが湧く。

俺が訪れたうちの1つ、2006年1月22日のアナハイム2は印象に強く残ってる。
当時のスーパースターがこぞって集結。王者、リッキー・カーマイケル、ジェームズ・スチュワート、チャド・リード、エルネスト・フォンセカ、ジェレミー・マクグラス、タイラー・エヴァンスなどなど・・・一緒に行ってたAMAマニアの宮本将平(現バンザイマガジンアートディレクター)は常に勃起状態(笑)。レースの方はリッキー、ババ、チャドの3つ巴が続く緊迫したレースでリッキーが貫禄で勝利した。レース後、ダートクール誌の撮影で訪れてた大先輩、柴田カメラマンが「これは人生が変わるくらいのレースだ!!こんなレース観れてラッキーだよ!」と興奮気味に話してたのを今でも覚えている。まさしくSUPER CROSSとはこういうもんだぞ、というものを見せつけられたレースだった。

国内のレースシーン(全日本モトクロス)は残念なことに人口も増えず、厳しい状況が続くと聞く。
いつかスタジアムでのスーパークロスが復活すれば、この場所を目指したいキッズが現れ、ゆくゆくは業界の発展に繋がると思うのだが、大きな国産メーカーもMFJもなにもアクションは起こさないのは疑問でしかない。シーンへのリスペクトが感じられないのだ。ここで一発、大手企業がボンっと投資してジャパン・スーパークロスが1夜だけでも復活すれば何かが変わるのは間違いないでしょうね。

YAVIBE最終回のイベント

IMG_2689

伝説のTV番組、MTV SPORTS "YAVIBE"の最終回にもなった公開収録のステージ上。左はWOWですっかりお馴染み、Doggyこと笠原啓二郎、右はヒップホップ界の重鎮、YOU THE ROCK☆。その両者に挟まれてるのが、赤モヒカン時代のBUTCH。この番組で起用するにあたり栃木から上京し、モヒカン、サングラス、ヒゲという出で立ちとBUTCHという名を与えた。「素顔を見られると死ぬ」という設定から、アクションの際にどれだけ怪我をしても、ズレたサングラスだけは命がけで守っていた(笑)。
水ロケの際は水中眼鏡に切り替える要領の良さも覚えたが、あれから10年以上経った今も相変わらず仕事の要領は悪く、最近もテレビやCMに出演し挽回を図るものの、一向にスーパースターへの道は開かれない。まぁ、そのインディーズ感がBUTCHたる所以でもあるのだが。

あれからずいぶん時間も流れた。周りの仲間たちも家庭を持ち、家も変わったりしているのだが、BUTCHだけは中目黒の4畳半の小さなウサギ小屋から変わることがない。そしてその場所が偶然にも我が事務所から徒歩3分の場所という切っても切れない仲はこの先も変わることがない。いや、はよ引っ越せよ(笑)

X-GAMESのメダルの価値

xgamesmedal


ずらりと並んだX-GAMESのメダル。おそらく前にもアップした写真かもしれないがあえて投稿します。
これは2009年にTWITCHことジェレミー・ステンバーグ邸を訪れた時に撮った写真。
2003年だったっけな〜。当時、日本にとってX-GAMESというのはどの競技においても出場することすら難しく、メダルなんてオリンピックのメダルくらい遠い存在だった。当時の同僚だったプロウェイクボーダー、高岩"MATT"正人がASIAN X-GAMESで獲得したブロンズメダルを見せてもらって、一緒にいた英吾くんとものすごく興奮したのを覚えている。

他にもメッツガーがテメキュラに自身のショップを持っていた時に訪れ、あの伝説の2002年フィラデルフィアのゴールドメダルが展示されてたのをみて、ションベンちびりそうなほど興奮してた。

2011年に東野がダブルグラブフリップを引っさげ、はじめてMOTO-X Best Trickのシルバーメダルを獲得したあの夜も忘れられない。LAの安いモーテルの一室で、念願のメダル獲得に東野も俺たちも興奮が冷めぬまま朝までしゃべってた。どうでもいい記憶だが、この日の夕食は吉野家だった(笑)。その翌年には念願だったMOTO-X Freestyleでゴールドメダルを獲得。Best Trickでもシルバーメダルを獲得し、日本のアクションスポーツ史に大きな足跡を残した。東野の血の滲むような挑戦を知っているだけに、観てるこちらも目頭が熱くなった。
ちなみに、この年、X-GAMESが終わったそのまま、俺はロンドン五輪の日本代表に同行し撮影に行ってたのだが、体操の内村航平や柔道女子の金メダルを触らせてもらう機会にも恵まれ、世界にほとんどいないであろうX-GAMESと五輪のメダルを首からかけさせてもらったカメラマンとなったのだ(笑)。

そして、今ではスノーボードでも、スケートボードでもX-GAMESのメダルが現実のものとなり、時代の流れを感じるとともに、メダルへの憧れは夢のままだけではない時代になった。
人によっては五輪のメダルより価値のあるものとされるX-GAMESのメダル。単純に順位や数字だけの評価ではなく、リアルなシーンによるリアルな評価があるからこそ、選手たちは価値を見出すのだろう。

今ではX-GAMESの映像コンテスト「Real」シリーズでもクリエイターにそのチャンスが生まれた。実際、第1回Real Motoでは俺の友人でもあるドイツのクリエイターがドレイク・マッケロイと手を組み見事ブロンズメダルを獲得し、自慢された(くやし〜w)。アクションスポーツ映像に携わってきた自分としてはいつかこのチャンスをモノにしたいと思ってるし、X-GAMESという夢の舞台はこのメダルの存在感があるからこそ、何年経っても輝き続けているのだと思う。

Kottonmouth Kingsとのセッション

IMG_1252


俺の人生のベスト10イベントのひとつが2005年のマルチプレックスinお台場のKottonmouth Kingsとのセッション。フルメタルブギーファンには馴染みのある、あのオープニングコールもここお台場のテントに囲まれたバックヤードで撮影した。
KMKはすごく好きだったので、いろいろ一緒の時間を過ごせて幸せだったし、ライダーたちも舞い上がってたな〜。あまり細かく書くと物議を醸すので詳細は伏せるとして(笑)、この写真を見てもそうそうたるメンバーがフレームに並んでいるのがわかる。

KMKのメンバーもFMXが好きでデモを見に来たり、KMKのライブではライダーたちがステージに上がったりダイスとコータが50で乱入したり、とにかく無茶苦茶で最高の時間だった。今もたまにお台場でのイベントは行われているが、あの頃のような熱気はもう戻ってこないだろう。みんなトンがってたしかっこ良かった。

左から東野、ダイス、孝太、D-LOC、DJ Bobby B、BB、エイゴ。

攻めつつも楽しむ

IMG_5421
古いハードディスクにいろんな写真が入ってて、中を見だすと仕事の手が止まってしまう。家の掃除してて懐かしのアルバムを開いた時のやつね。まぁ、デジタル時代なんでその量もかなりのもので、データの整理って実はすごく重要な作業。ちゃんとしとけば何年経っても「あの頃の写真」をすぐに発見できる。

今日も懐かしい1枚が出てきた。
これは2010年、LAのホームデポセンターで開催されたX-GAMES、Skateboard Streetでの1コマで、確か前日の練習日だったと思う。スケボー界のスーパースター、ライアン・シェクラーとP・ロッドのセッションですね。X-GAMESなんでピリピリした空気かと思いきや、そんなことなくみんな楽しそうにセッションしてたのを覚えている。やってることはハンパないのに、このPロッドの表情から楽しさが伝わってくるね。ちなみに当然のようにファイナルに残った二人だが、シェクラーが攻めすぎて足を骨折。優勝はP・ロッドという印象深い大会でもあった。

攻めつつも楽しむ。スケボーも東京五輪正式種目採用で金メダルばっかりにフォーカスされがちやけど、アクションスポーツの競う原点はこの言葉にあると思う。仲間のプッシュがあるからレベルアップできる。スケボーに限らずアクションスポーツのそういう空気感をもっと日本の一般スポーツメディアは気付くべき。

でも、俺自身スケボー写真の難しさを気付かされた1枚でもあるね。タイミング的にはまだまだへたっぴ。スケボー写真の奥深さと魅力を感じたきっかけになった、へたくそだけどお気に入りの1ショット。

おそらく2008年くらいの南カリフォルニアにて

IMG_8884


昔に投稿した記憶のある写真やけど、好きな1枚。
南カリフォルニア、テメキュラにあるTWITCHのバックヤードで110にまたがり爆走する孝太。かっこいいよね〜。
こういう乗り方がプロの乗り方で、真似ようとしてもなかなかできなかった。

アメリカはライトがいいとよく言うけど、本当に何を撮っても映える。まぁ、日本には日本の良さもあるんだけれど。そして驚くのがこのバックヤードの広さ。もはや牧場レベルで、ここでTWITCHはでっかいシェパードを5匹位飼ってたから、ちょっとした動物園みたいやった。ちなみに別の年、そのシェパードがバックヤードから脱出し、TWITCH夫妻と東野と俺で夜中探し回ったのもいい思い出だ。
Profile
DSC_52733
梶野 仁司(カジノヒトシ)
Hitoshi Kajino

職業:映画監督、プロデューサー、ライター、編集者
フュールメディア株式会社代表取締役社長

京都府相楽郡加茂町(現・木津川市)出身。
24歳のとき上京し、映像の世界へ。その後、助監督を経てフリーランスになり、5150FILMsを立ち上げ『FULL METAL BOOGIEシリーズ』などをリリース。

2005年、雑誌『トランスワールドモトクロスジャパン』副編集長に就任後、翌年から兼映像部チーフディレクターとして『MTV SPORTS YAVIBE』や数々のコンテンツを担当した。
プロデューサーとしても多くの作品に従事し、2009年にトータルメディアレーベル『FUEL MEDIA』を設立。2012年2月、『フュールメディア株式会社』の法人化に伴い代表取締役に就任しながら映像制作を中心に活動を続ける。 2014年2月に上映された佐藤英吾ドキュメンタリー映画「RIDE FOR LIFE ~The Eigo Sato Story~」で映画監督デビュー。 スポーツやアスリートをテーマにしたドキュメンタリー作品を手掛け、映像作家、アクションスポーツジャーナリストとして活躍する。フリースタイルモトクロスを中心に国内外のアクションスポーツメディアを手掛け、ジャンルを問わず多くのアスリートとも交流を持つ。




当ブログに掲載されてるFUEL MEDIA、およびBLACK VEGAS制作の写真、動画の無断転用は一切お断りします。
相談はinfo@fuelmedia.jpに問い合わせてください。



r4l_po
  • ライブドアブログ