CASINOTE

全国5万5千人のファンのためのオフィシャルカジノートです

ピスト

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ある年を境に一気に流行ったのがピストバイクと呼ばれる、Fixed gear Bike。それまでBMXこそ自転車と言い張ってた俺だったが、T19のシンゴやキックスくん、スノーボーダーのウエさん(植村能成氏)らが乗ってたことや、当時トランスワールドジャパン勤務だったので周りもピストライダーが増えてった影響で興味を持って同僚から名車、『3 Rensho』のヤレたフレームを譲り売ってもらった。この頃撮影で知り合ったT19のオオさん(大滝ひろし氏)がまた情報に詳しくて。情報だけでなくカルチャーにも詳しく、この頃サンフラスシスコでブイブイ言わしまくってたMASHの存在なんかも教えてもらったり。そんなオオさんのピストも本当にパーツのセレクトからセンスが良い上にシブくて、この人からはいろんなものを吸収させてもらった。ちなみに今、中目黒の事務所に置いてるBMXのS&Mの24インチもオオさんの影響だ(この話は今度また)。ピストのフレームはかなり年季が入ってヤレてたけど、曲がりもなく状態は良かったので、オオさんの紹介で当時まだ神宮前にあったCARNIVALに出向き、いろいろパーツを揃えて組んでもらってマイバイクが完成した。昔からいろんな乗り物が好きだけど、自分でいじれるのはスケボーだけ。自転車は空気入れるのとサドルの高さ調整するくらいしかしないので、セッティングはプロに任せるのだ(笑)。
初めて乗るFixed gearに違和感を感じるも、それすら心地よく、とにかく細いタイヤのスピード感は爽快そのもの。一漕ぎでどんだけ走るねんってくらいスイスイ走る。まさしくコンクリートジャングルを駆け抜ける最高の1台だ。BMXの鬼漕ぎとは対照的だ(それはそれでいいのだが)。しかもFixed gearだけに足は常にペダルと同期してるから下り坂で高速回転になり、危うく死にそうになった経験がある。

爆発的に広がったピストブームだったが、ノーブレーキが故に日本中のあちこちで事故も多発。R246では死者も出たそうな。そんなことで現在はFixed gearでもブレーキ装着が義務化され、もしノーブレーキで走ってるのがバレたら切符を切られるという事態になった。アホらしい。

ピストの乗り心地は抜群だったけど、ブレーキつけるならなにもFixedじゃなくていいやんって思ったし、都内の道路ではピストに対してだけ警察の過剰な取り締まりもあったのでマイバイクからは距離を取るようになった。ただ、それなりに愛着を持って作り上げたバイクだけに人に譲るのももったいなくて、このチャリだけは今も会社のガレージに眠っております。近々空気入れて久しぶりに走ってみるか。

贅沢な夢

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梅雨入りした東京、中目黒のオフィスで悶々と考える。寒くなる11月から花粉の終わる4月くらいまでハワイに住んで、ノースで気ままにサーフィンしながら、サーフィンの写真を撮るカメラマンになりたい。ただの贅沢でしかないですけど(笑)。あるいは人生をやりきった人の特権か。
この写真のようにサンセット浴びてサーフィンして〜〜〜〜!!!(その前にうまくなりたい!!)

幕張の地で 2011

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今年もレッドブル・エアレースが幕張で開催され最高の天気の下、室屋さんが母国2連覇という完璧なストーリーで幕を閉じた。

最近ではFacebookが過去の出来事なんかを教えてくれるんやけど、実は6年前と同じこの日も幕張でレッドブルのイベントがあり、我々は撮影チームで今回のエアレースが行われた海岸沿いに集結していた。

2011年、東日本大震災のダメージからまだ3ヶ月。この時期に復興目的としたイベントとして、Red Bullが幕張と横浜元町でF1を走らせるという、今のレッドブルなら「ふ〜ん」て感じで流しそうだけど、当時はすごく大変でインパクトのあるイベントの一つだった。実際、元町では超スロー走行ながらも国内の公道ではじめてF1が走ったこともあり、この2日間はすごい人がいたのを覚えてる。

はじめて間近でみるF1は迫力そのもの。音もすごいし、写真のように無謀ともいえる追い撮りを敢行したけど、マジで死ぬかと思ったくらい、その圧力は相当のものだった。
そして何より驚いたのは、この日、最後の走行でテンションの上がったドライバーが、予定になかったアンコールを勝手にしたせいで、スタッフの一人がF1に撥ねられるという事故が起こっていたのだ。幸い、ドライバーも瞬時の判断でブレーキをかけ、そのスタッフも火事場のクソ力的な能力でF1を飛び越えようとした結果、接触はあったものの命に関わるものではなかったのが唯一の救い。もしあれで死んでたらRed Bullという会社の存続にまでかかわってくるくらい衝撃的なシーンだった。

もちろんオフィシャル撮影チームとして入ってた我々のカメラには完璧にその時の様子が収められており、当時はトップダウンでこのフィルムは抹消するように、、、まぁ、そんな噂があったかなかったかは置いといて、縁を感じるのがこのスタッフの存在。実は彼こそがこのAIR RACEの実行委員長も務める河野さん。なんとX-Fighters大阪大会の時も実行委員長として国や行政相手にいろいろ立ち回ってもらったし、今もGO BIGで実行委員会のひとりとして大会をサポートしてくれている裏方のスペシャリストである。

正直、事故を見た瞬間は「あの人、終わったな〜」と思ってたけど、その後に再会し、豪快だけど気を配れる人柄に意気投合し、今もいろいろ仕事したり、アドバイスをもらったり、阪神の試合を観に行く中だ。まぁ、何が言いたいのかというと、こういうデカイことする人は簡単に死なない。2020年の東京五輪でもきっと暗躍してるのではないだろうか。こういう人の存在は自分自身刺激になるし、この先もなにをやってくれるのかとても楽しみだ。


この時期になると思い出す

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この時期になると思い出すのが2013年に行われたRed Bull X-Fighters大阪ラウンド。
どうしてもあそこがピークと思われがちなんだけど、そりゃそうよ。FMXというものが競技になって、右も左も分からない日本人ライダーたちがコツコツ積み上げてきた結晶ともいうべき一大イベント。ナイトロサーカスや他にやってきたどのイベントよりもインパクトも大きく、日本のFMXのレベルが一気に引き上げられた年でもあったような気がする。

英吾くんの記者会見から1ヶ月もせんうちに、彼が亡くなり、みんなあたふたしてる中でもこれだけは遂行しないといけない執念みたいなものがあった。

今週末に控えてるエアレースも同じRed Bullが催すグローバルイベントだが、Facebookなどで盛り上がりを見るたびに、あの日の忙しくも充実した日々を思い出す。
これは英吾くんも言ってたことやけど、何が嬉しいって俺たちがいままで世界で「すげー!」、「かっこいい!」と思ってきた、世界を日本でみせれることがたまらなく嬉しかったのだ。

だからこそ、俺は実行委員会と連携していろんな仕事や、アイデア、アドバイスなど持てるものはすべて出してきた。それだけではない。一人でも多くのFMXライダーにこの舞台で関わってもらうように動き回ってきた。今のようにそれぞれが自分のスタンスでやることやるのも時代かもしれないけど、これはRIDE FOR LIFEもそうだけどそこに関わった人で作り上げてこそ、という俺の思いがある。みんなにどこまで伝わってるかはわからんけど、決勝戦で会場の大型モニータをみてるみんなといることがどれほど誇らしかったか。俺はリナルドにTシャツ取られて上半身裸にスタッフビブスという変な格好やったけど(笑)

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海外でいつもお世話になってるメディアセンターに入った時も感動がひとしお。今までは招待されてばかりで恩返しの意味も込め、そうした海外メディアの人にもしっかり日本のFMXをアピールできるよう、ガイドブックなんかもこれまでの他の国のやつより気合い入れて作った。

結果は結果で、当然そこにシナリオなぞ存在しない。でもあそこで東野とトムが戦ったこと、その前のトレインに日本人ライダー含めみんなが参加してくれたこと。大きな英吾くんのフラッグを掲げれたこと、なにもかもがスペシャルすぎて、今のFMXに少し物足りなさを感じているのはこうしたストーリーを作り出してないことにあるんじゃないかって最近思う。単なるイベント興業でなく、もっとストーリーを作り、伝えていくことが大事なんだと大阪でのX-Fightersを振り返るたびに自分自身にも問いかけたい。

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今映像を見て振り返っても、ライダーのレベルや時代も含めてすべてがマッチしていた。過去にすがりつくのは良くないが、FMXの一番いい時代を映したこの大会は未来永劫語り継がれるのだろう。



モトパーク森の近くの山

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50ネタ連投。俺たちのふるさと、モトパーク森でおそらく当時のGO BIG終わって、そのあとのチルタイムかな〜?こいつも付き合い長いけど、フォトグラファー、ジェイソン・ハレイコとUG(柄悪い!)でモトパーク森の奥の方、四駆のコースまで行かせてもらったっけ。とにかく冒険。

思えばあそこには冒険心がある。
モトクロスに乗って初めて見るコース。山をショートカットする心地よさ。スケールの大きさに飲み込まれそうになったのもこの場所が最初だった。

しばらく行ってないので、ゆっくり休暇で行ってみたい。

デスボウル

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群馬にあるデスボウルに50でライドするダイス。このデスボウル、簡単そうに見えるけど難易度はかなり高い。リップを抜けれそうで抜けれない絶妙の高さ。それなのにダイスはガンガン攻め込んでたな〜。俺なんてトライして、ものの数分でヘタレコケしてパンクやろ。。。
CREDITの三沢くんもこの頃出会ったっけな?ここだけじゃなくっていい感じのパークとか案内してくれて、楽しい撮影ができたのも懐かしい思い出。
撮影ツアーとか久々に回ってみたいな〜。

藤沢の夜

11年08月14日19時38分15秒

2011年8月に行われたGO BIG藤沢のアフターパーティ。ダイスが結婚するかなんかだったでかなり大盛り上がりだった。大盛り上がりすぎてあまり覚えてないんだけど、この楽しそうな写真は残っている。

過去10年のGO BIGの歴史においても藤沢は盛り上がった会場。何かしらの伝説が残ってる気がする。ジャンプも大きいし、レイアウトもおもしろいから、またいつか、あそこで大会してほしいな〜。

今年もみんなで美味い酒が飲みたい。


Profile
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梶野 仁司(カジノヒトシ)
Hitoshi Kajino

職業:映画監督、プロデューサー、ライター、編集者
フュールメディア株式会社代表取締役社長

京都府相楽郡加茂町(現・木津川市)出身。
24歳のとき上京し、映像の世界へ。その後、助監督を経てフリーランスになり、5150FILMsを立ち上げ『FULL METAL BOOGIEシリーズ』などをリリース。

2005年、雑誌『トランスワールドモトクロスジャパン』副編集長に就任後、翌年から兼映像部チーフディレクターとして『MTV SPORTS YAVIBE』や数々のコンテンツを担当した。
プロデューサーとしても多くの作品に従事し、2009年にトータルメディアレーベル『FUEL MEDIA』を設立。2012年2月、『フュールメディア株式会社』の法人化に伴い代表取締役に就任しながら映像制作を中心に活動を続ける。 2014年2月に上映された佐藤英吾ドキュメンタリー映画「RIDE FOR LIFE ~The Eigo Sato Story~」で映画監督デビュー。 スポーツやアスリートをテーマにしたドキュメンタリー作品を手掛け、映像作家、アクションスポーツジャーナリストとして活躍する。フリースタイルモトクロスを中心に国内外のアクションスポーツメディアを手掛け、ジャンルを問わず多くのアスリートとも交流を持つ。




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