CASINOTE

全国5万5千人のファンのためのオフィシャルカジノートです

おそらく2008年くらいの南カリフォルニアにて

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昔に投稿した記憶のある写真やけど、好きな1枚。
南カリフォルニア、テメキュラにあるTWITCHのバックヤードで110にまたがり爆走する孝太。かっこいいよね〜。
こういう乗り方がプロの乗り方で、真似ようとしてもなかなかできなかった。

アメリカはライトがいいとよく言うけど、本当に何を撮っても映える。まぁ、日本には日本の良さもあるんだけれど。そして驚くのがこのバックヤードの広さ。もはや牧場レベルで、ここでTWITCHはでっかいシェパードを5匹位飼ってたから、ちょっとした動物園みたいやった。ちなみに別の年、そのシェパードがバックヤードから脱出し、TWITCH夫妻と東野と俺で夜中探し回ったのもいい思い出だ。

2006年 白老町でのFMXイベント

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それまで北海道とは無縁と思ってたけど、NOOKとの出会いで北海道の魅力にはまった。
弟子屈のイベントも今となっては伝説としか例えようがないが、この白老町でのデモも俺の記憶には鮮明に残っている。海をバックにしてのジャンプに夢中でシャッターを押した中での1枚は確かトランスワールドモトクロス誌の見開きにも使ったっけな。俺はこっちの方が好きやけど、雑誌に載ったのは別のウィップ。Nookeyの力の抜けたウィップがいい感じやな〜。

夜はライダーたちと1時間以上かけてススキノに行ったっけ。
そして初ススキノも堪能(笑)。ダイスやBBたちと徘徊しまくって、札幌の先輩、今岡ミイラのアテンドでとにかくめちゃくちゃな夜だった。

写真を中心に

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しばらく放置してた、というかブログもすっかり時代遅れな感じでなかなか更新する機会も減ってしまった。昔は自由奔放に発言していたこのブログも、今ではFMXのレポート的なものになりつつあり、俺自身のやりたいこととはまったく違う方向に進んでしまった。なにもかもが消費されていくだけの時代。時の流れとはそんなものか。

しかし、俺自身が数ヶ月ぶりに開いたこのブログ。アクセスも消えたんやろな〜と思ってたら、なんとまだ数字が残っていた(笑)。このブログの閉鎖も結構考えたのだが、そんな人が少しでもいてくれるなら、との思いもあり、もうちょっとしばらくここを残すことにした。ただそれは日記のようなものではなく、俺が今まで撮りためた写真、そしてこれから撮っていく写真を掲載していく場にしたい。それは報道であったりアートであったり、まぁやってることはInstagramとかわらんけど、その時の思い出やエピソードを少し掘り下げることで、その空気を感じてもらえれば嬉しいです。
俺自身がファインダー越しから覗いたいろんな世界を少しでも共有できればと思いまして、一応再開ということです。更新頻度はあいかわらず気ままにやっていきますけど。

というわけで、適当に取り出した過去のハードディスクの中を探してみると出てくる出てくる。デジタルというのは本当に便利ですね。ただ、俺も過去に幾度となくデータの破損をくらったこともあり、実は2008-2009の写真がかなり少ないんです。2009年は英吾君とRed Bull X-Fightersを全戦回らせてもらった貴重な年。映像は残ってるけど、写真のデータがむっちゃ少なく落ち込んでました。しかし、この頃ハマってたフィルムのデータが少し残ってて、その中からの1枚です。

これはRed Bull X-Fighters 2009の第二戦、カルガリー。おそらく本番1日前にトリックのルーティンを考え中の英吾君と東野。
この大会は歴代のX-Fightersの中でも5本の指に入るくらい印象に残っている。
コンペティターとしての頭角をメキメキ出してきた東野が勝ち残っていくかと思いきや、初戦のメキシコラウンドから連続で英吾君が決勝に進出した。決勝は東野と並んで応援してたのを覚えてる。そして東野が頻りに「やっぱ英吾君はすげ〜や」って100回くらい言ってて「おまえもすげーよ」って5回ほど返したのも覚えてる。
結果英吾くんはマドゥに破れたものの、この戦いを終えてランキングトップになるという珍事に、英吾くんも「ありえね〜」って笑ってた(笑)。カルガリーはアフターパーティーも最高に楽しかったし、なによりポディウムに上がると、帰国後楽しいボーナス(内容は秘密)が英吾くんから出たのが最高にいい思い出。

FMXに関しては特に思い出が多いけど、特に2008-2010は本当に楽しいことばかりだった気がする。
こういう時間を共有できたことが今の俺の基盤にもなっているのだ。

GO BIG 2016 ピシャリます。

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今年もこの季節がやってきた。ある意味国内FMX1年の締めくくり。プロ野球で言うところの「ファン感謝デー」的な要素も含まれた(?)、FMX選手権、GO BIG。昨年はもう少し遅くやったんだけど、あれからもう1年かー。ありきたりな表現やけど、本当早かった(笑)。

GO BIG実行委員会として毎月定例会議をしながら、運営スタッフたちがいろいろ動いてきてくれた。俺は実行委員長という重責な役割のプレッシャーに何度もさじを投げようとしたが、その度にスタッフが諦めるなと支えてきてくれた。しんどいものはしんどいので、早くここから解放されたいというのが正直なところではあるが、実際利益とか名誉とかそんなもん抜きにしてFMX発展のためにここまで支えてきてくれたスタッフのみんなには大きな感謝しかない。こういうことは終わってから余韻に浸りながら感動的に書くものだろうが、やはりシーンの中心にいるライダーたちにもこういう人たちのサポートがある上でGO BIGが成り立ってるんだということは伝えておきたい。

トムPが来てくれることは大きな励みにもなった。「GO BIGに出たい」って会うたびに言ってたのは内心、社交辞令と思ってたしw、実際呼ぶとなったらGO BIGの予算じゃどうしようもないくらいのスーパースター。ランプの設置やトラックについてトムに合わせることは難しく、やっぱGO BIGという日本の大会にトムがどう合わせてくれるのか?ってところがギリギリまで心配やったけど、本人はやっぱり日本が好きみたい。そして佐藤エイゴへの思いはいまだ色褪せることがない。そういう気持ちが嬉しかった。

俺はFMXライダーではなく、ただのFMX好きのクリエイターだ。ライダーそれぞれにいろんな考え方があるのは、これだけこの世界にいると理解はしているよ。でも、ここ数年急激に成長してきたシーンの中で、いろんなものが追いつかなくなってきてるのを肌で感じていた。いくら世界を目指せと言っても、リスクの高いトリックが次から次に進化していくばかりで、世界との差は広がる一方。スポンサーも思うように付かない。デモの数だけ増え、練習する時間もままならず、そこにいざ「コンテストやります!」といったところで、そこまでモチベーションを上げれるライダーはそう多くはいない。

GO BIGをやる!って言った以上、大会の実行委員長として、どうすればライダーのモチベーションが上がるのかいろいろ考えたよ。例えば賞金を上げるとか、会場をもっと街の中でやるとか。まぁ、これでもかなり背伸びしてる部分はある。ケチることは簡単だ。でもそれだけじゃファンを満足させることはできないし、新しいファンなんて見る気にもならないでしょ?ライダーたちのかっこよさ、頑張りを一人でも多くの人に見て欲しい。若干俺のわがままも入ってるけど、現場に来てくれた人には絶対満足してもらえる自信をもって準備しています。俺の解釈ですけどGO BIGとはライダーが本気というかムキになれる大会でありながら(ライダーの本性が出て面白い)、ファンのために開催する1年に1度のお祭りであるべきやし(ライダーとの距離感とかね)、こういう場所が無くなってしまうとほんま日本のFMXはデモや演出的なショー要素だけのものになってしまう。こうやってライダーがムキになれる場所を持ち続けることでひょっとすると世界で活躍するスター選手や新しいライダーを生み出すことができると思うし、本当の意味でのプロフェッショナルが育つ場所にもなると思う。10年以上育ててきたシーンで何にも残らないことが一番もったいない。

今さら日本のFMXシーンに対して固いことを言うつもりはない。でも、GO BIGはライダーとファンが一体になれる場所であるべきだ。だから、ライダーは今の自分を目一杯カッコよく見せればいいし、ファンはその声援をライダーに届けて欲しい。俺たちも一生懸命、この"お祭り"の準備をしてきた。あとはみんなが求めるかっこいい日本のFMXをこの場所から発信してくれればそれでいいと思う。主役はライダーたちであり、あなた自身ですよ。

11/6は歴史に残る日になるでしょう。初めての人も、いつも来てくれる人も一緒になって大騒ぎしましょう。10日前の天気予報では晴れ!!ピッシャーーーー!!!
最高の1日になること間違いないね。オフビでお待ちしとります。

チケットをまだ買ってない人は、ローチケへGO!GO BIGを続けていく意味でも多くのお客さんに来てほしいです!

前売り¥4,000 Lコード L:34776

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ライド・フォー・ライフ

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Photo by Yusuke Kashiwazaki

英吾くんの亡骸と対峙したときのことはほとんど記憶にない。ただ覚えているのはみんな泣いていたということだ。悔し泣き?悲し泣き?いろんな感情が溢れ出そうになるのをみんな必死でこらえ、ただ泣いていた。

葬式の準備が忙しかった。なぜか親族側の打合せに参加することになり、英吾くんならこういう送り出しがいいんじゃないかと提案したり、準備したり。その中でも生前の英吾くんの映像をまとめる役割はなかなか大変なものだった。
東京に戻り、事務所にこもる。莫大な過去の映像資料の中から英吾くんの記憶をたどっていく。はじめて会ったMOSH RIDE。一緒にアメリカに行ったベイカーズフィールド。グローバルX-GAMES。AIR-X、その他数えきれないほどのデモやイベントの記録。人目も気にせず泣きながら有り日しの英吾くんの映像をチェックする。あの時は開きっぱなしの蛇口のように涙が止まらなかった。

しばらくして、映画の話がぽっと出てきた。遅かれ、早かれこういう話にはなると思っていた。というのも、そもそも英吾くんの亡くなる2日前まで撮影していたのも、彼のドキュメンタリーコンテンツをレッドブルで制作するという話を進めていたので、ドキュメンタリーの準備は既に進んでいたということもあり、映画化の話に辿り着くことは自然なことではあった。しかし、英吾くんがこの世を去って、まだ1年も経ってない中で心の整理も出来ていないままに、何をどう進めるべきか、その時の俺はよくわかっていなかった。

ただひとつだけ確かなことがある。それは俺が佐藤英吾を撮り続けてきたということだ。過去の映像を頭の中で反芻する。出会った頃から亡くなるまでの記録を頭の中で並べてみるだけでストーリーが出来上がってしまうほど、この男の人生はドラマだと思った。俺がはじめて英吾くんに出会ったのはMOSH RIDEだったけど、当時首を怪我してたのでその時は撮れずに、初めてジャンプを撮影したのは菅生でのイベントだったと思う(たしかドデカイ、スイッチブレードをカマしてた時)。そうそう。大阪の(西田)ジュニアも出てたっけ。マクメッツのジュニア!(笑)。思い出せばいろんなエピソードがほじくり出されて来るが、当時何もない日本で活動を始め、手探りで答えを探しまわってた日々。傷だらけのまま世界に飛び出し、行く所々でボコボコにされ、それでも自分のスタイルを信じ抜き走り続けて、やがて世界に認められた、というのが佐藤英吾だ。もちろん彼の功績はそれだけではないが、結局死んだからって「はい、サヨナラ」だけではないスケールの男だってことをみんなに伝えたいと思っていた。

映画化に当たって、超えなければならないハードルは山ほどあった。デリケートなテーマだ。いろんな思いが交錯し、どこに焦点を合わせていいのか悩ましかったが、俺は俺の知る佐藤英吾を伝えればいいのだと思いながら、彼と交わした様々な言葉を思い返し、制作をスタートすることにした。
奥さんの香織ちゃんを説得することも簡単なことではなかった。説得というと説明臭いけど、なぜこの映画を作るのか?英吾くんとみんなの繋がりや、瑛大や晏奈の将来的な親父に対する想いや。そこでアメリカ行きの話のエピソードが出てきた。俺はアメリカで撮影するプランを話してたら、香織ちゃんが泣き出すから何事かと思えば、英吾くんからのメールの話(映画で言ってるとこです)があって。話がそういう風に進んで、撮影に入っていく訳だけども、終始、英吾くんの導きを感じずにはいられなかった。香織ちゃんの大きな協力もあって準備は着々と進んでいった。

英吾くんの家族のことも気にしていた。親父さんにお袋さん。そして兄貴の智洋。映画を観ているだけでは淡々と話している印象があるかも知れない。しかし、英吾くんの家族ほど辛さや悲しさは俺たちの比では無く、その心中を察すると映画どころの話ではなかったはずだ。しかし、このプロジェクトに共感し、インタビューにも応じてくれた。正直、親父の友重さんがあそこまで話してくれるとは思わなかった(笑)。ただ静かに話す一言が重く、英吾くんへの愛を感じられずにはいられない。それは母のちづ子さんのコメントにも溢れている。

一旦動き出すと、制作も一気に突き進んでいく。スケジュールや制作費の管理。編集のための下準備や音楽の制作。

俺は作品の構成をわかりやすくするため、ストーリーをいくつかのセグメントに分けていた。構成をはっきりと分けるためで、これだけの長編になると尺にも気を使う。漠然とナレーション台本も執筆を始めた。たしか清瀬駅前のスターバックスでタイプしたのが始まりだった気がする。この時に既にナレーションはドレイク・マッケロイお願いしようと思っていた。英吾くんの友人であり、英吾くんのスーパースター。まさしく相思相愛の仲であり、テレビでキャスター歴もあるドレイクがこの映画のナレーションにピッタリだとナレーション台本を作る段階から思っていた。
イントロの部分は英吾くんのブログから引用したり、自分の持っている映像素材とどううまく組み合わせられるかという道筋を立ててナレーションは完成した。
インタビュー撮影も国内から進めていく。英吾くんの家族から始まり、ホームコース、モトパーク森のオーナー、森さんやローカルライダー達。

撮影が始まると、編集も徐々に本格化してきた。過去の映像を映画用にアップコンバートするため、使用する部分をセレクトするのだが、これには時間を要した。でも、ほんとMOSH RIDEの頃からの映像を振り返ってみるが撮り方やテクノロジー的な部分に歴史は感じるが、鮮度が当時のままだった。まだ友人と言うには距離感があった時代。それでも身内にしかみせない顔で語る彼の姿を見るだけで、胸が締め付けられた。でもこの顔こそが英吾を愛したみんなに見せないといけない姿である。懐かしい時間に包まれながら、The Eigo Sato Storyは徐々に形になっていく。

タイトルについてだが、最初はThe Eigo Sato Movieにする予定だった。しかし、ストレートすぎると言うことでRed Bullからタイトルをつけるよう助言された。なんかいろいろアイデアを出すもののしっくりこなかった。こういう時は得てして神が舞い降りてくるものだ。その神が、我が社の部下である川崎に舞い降りた。タイトル打合せでスタッフが集まりいくつかのタイトル案を矢継ぎに出していく中で、、

「RIDE FOR LIFE」なんてどうでしょう?

うん。いいね。しっくりきた。
いいタイトルに考える時間は必要ない。結局川崎の金星で、この映画は「RIDE FOR LIFE〜The Eigo Sato Story〜」という正式タイトルに決定した。
映像以外にも上映の話や試写会の進め方、映画以外の部分にまで話が広がって、なかなか集中出来る環境に切り替えるのが大変だったが、来るアメリカロケにまで向けて突き進むしかなかった。
日本での撮影、特にオープニングに使う英吾くんのバイクを撮影する時は、寒い鮫川で震えながら撮影したし、金屏風がヤバすぎる森さんのお宅(城)を借りたりして、順調にインタビュー撮影を進めていった。

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Photo by me

アメリカには英吾くんと関わりのあるMX-VIRUSのメンバーを中心に連れてくことにした。限られた予算の中で利益のことをもう少し考えるのが普通なのだろうが、俺は元々このマネーでみんなでアメリカに行こうと決めていた。むしろそのために予算取りに奔走したし、説得してきた部分もある。また、東野がアメリカでガレージからバイクまで、広くサポートしてくれた要因はかなり大きいものだったと言うことは伝えておきたい。一昔前じゃこんな撮影するのももっと苦労しただろう。でも世界のFMXの中心であるテメキュラにおいて東野のパワーはもはやイチライダーとしての枠を超えている。本当に助かった。

また、今回渡米するにあたって実現したかったのが、カメラマンにジェイ・シュワイツァーを招きたかった。「On The Pipe」という名作からわかるように、彼からは本当にいい刺激をもらってきたし、なんといっても「Moto XXX」時代からの生き承認でもある。彼の師匠はあのスノーボードムービーの金字等、マックダウプロダクションを率いるMack Dawg(本名Mike McEntire)本人だ。自分の映像のルーツを受け継ぐヤツと、こうして一緒に仕事が出来ると言うのはいい経験だった。

しかし、このジェイ・シュワイツァーはいわゆる「アメリカ人」(笑)。とにかくユルく、制作チームはモヤモヤしていた。特にフィッツランドでの空撮ではあわやヘリが届かないという話になって、うちのクルーも怒り爆発(笑)。なんとか無理矢理もう1台チャーターして、そのヘリが予想以上にデカくて、でもそこは自由の国。ヘリの運転も自由気ままに、ライダーギリギリのとこまで攻めて、結果論ではあるものの、かなり迫力ある映像が撮れた(笑)。

CT_110113_FMX_1338Photo by Chris Tedesco


海外ライダーは本当に良く集まってくれたと思う。これも英吾くんの人柄なのだろうけど、メッツガーやTWITCHも実際に会うまで撮影は無理だろうと思ってたし、セッションにしたってその場所に行ってみるまでわからなかった。それでも、予想を超えるライダー達(しかも一流ばっかり!)で、この年のRed Bull X-Fightersもすごいメンバーが日本に来たけど、それと同様にすごいライダーが集まった。スーパーレジェンド、ラリー・リンコーグルなんて会えると思ってもいなかったし、ましてやあそこのパートは想定していなかった。アメリカでの撮影では誰かに触れるたび、こうして英吾くんの思い出が語られ、ストーリーになっていく。まさに台本のない純粋なドキュメンタリーだ。

アメリカロケもクランクアップし、東野邸での打ち上げのシーンがメイキングにも残されているが、あそこでメソメソしてるダサい監督は置いといて(笑)、本来ならば映画のフィナーレとして、あの場所に英吾くんがいるべきだと思ってたし、そんな終わり方だったらどんなにハッピーエンドだったか。しかし、この映画はどんなに進めても英吾くんはいない。大阪城の時もそうだったけど、この喜びを一番ぶつけたいはずの本人がいないことに胸が締め付けられ、とんでもなく悲しい気分になった。

帰国後、すぐにインタビューをケンバットくんに翻訳してもらい、映画はどんどん形になっていった。
パソコンでのオフラインもほどほどに、編集室に吸い上げられ、クオリティが高められていく。何度試写しても心を揺さぶるものがあった。売れるとかじゃなく、この映画は間違いなく人の心を揺さぶる映画だ。エンドロールまで出来あがったときは肩の荷が下りる思いだった。
それからゆっくり寝れるかと思ったけど、そんな甘いものではない。映画の準備はとんでもなかった。しかも配給会社が急遽自分の会社になり、配給の手続きやら、PRやら、もはや何の会社かわからないくらい準備に追われて、いよいよ英吾くんの命日から丸1年。いわきアリオスにて試写会が行われた。

これまでの時間、ただひたすら英吾くんのことを、そしてFMXのことを知ってもらおうと、無我夢中で作ってきました。自分にとっても映画監督デビューとなる作品になりましたけど、やはりこれは英吾くんを愛したみんなで作った映画です。俺はその道筋とキッカケを作っただけです。英吾くんと仲間達が本気で好きで作り上げてきたシーン。その場に自分も立ち会えてきた感謝と責任をこのRIDE FOR LIFEに込めて仕上げてきました。

7/29にいよいよブルーレイ&DVDが一般リリースされます。ここまで来るのに多くの人が協力してくれたことに作品の監督として、「ありがとうございました」の一言を伝えさせてください。
そしてこの作品が一人でも多くの方の手に取っていただき、英吾くんが伝えたかったものや、FMXというスポーツについて、そして佐藤英吾自身を、それぞれのライド・フォー・ライフに重ねて観てほしいと思います。

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Photo by Schran.net


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LOVEIGOBIG

この1ヶ月は怒涛の出張ツアーでした

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国内外あちこち行きまくってた5月末〜6月末の1ヶ月。ちょっとカジノートも更新してなかったのでまとめてアップしましょう。

まずは撮影で人生初のハワイに。特にマウイには感動した。マウイ→オアフと、デビューにしてはマニアックな攻め方やったけど、ハワイにハマる人の気持ちがわかった。時間の流れはゆっくりやし気持ちがいい。
誕生日を現地で迎えるということもあってホテルをハレクラニで優雅に過ごしてみた。優雅すぎて一人じゃおもんなかった(笑)。やはりハワイというかこういうリゾートってのは誰かおらんと面白さも半減するなー。オアフで一人の観光客なんてほとんどおらんし(笑)。車借りて島回ったり、スケボーしたりサーフィンしたり、一人で出来うることは堪能したけどね〜。心残りはカフナバーガーを食えなかったこと。波の高い冬頃にまた行ってみたい。

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約1週間のハワイを経て、次はアメリカ本土上陸。すっかり日本の地方より慣れてしまったLAに寄り道する。行きつけのスケートショップ、Brooklyn Projectのランプがリニューアルされててやばかった〜。
ここは完全に寄り道やったので、1泊してオースティンに。

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3年連続のテキサス、オースティン。相変わらず楽しみは少ない町。でもX-GAMESはかなり盛り上がった。
この車はうちのベテラン制作M氏が手配したレンタカー、「CHRYSLER 300S」。いや!おかしいでしょ!!高級車すぎ。乗るのは楽しいけど支払いが…。ローカルバーガー「WHAT A BURGER」が案外イケる。

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天候が不安定だったけど比較的過ごしやすく。とにかく今年はMOTO-Xがアツかった!

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帰国後はそのまま愛知のダイスたちに会いに。久々の国内撮影セッションしたり、怪我で入院中のゴンタの見舞いに行ったり・・・

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そっから鎌倉葉山方面に。日本の海も捨てたもんじゃない。そしてかつて住んでたころには気づかなかったけど鎌倉湘南エリアはいいお店が多かった。あ〜楽しかった・・・

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そこから熊本。地震の爪痕は思ったより深刻だった。。
そんな中Red Bull白龍走が今年も開催。3333段の石段はWorld Runより過酷だろう。今年も俺の持ち場は0段目。みんなは「楽そう」というけどアップダウンの往復何回もやってるうちに太ももパンパン。

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福岡WINGSと。鼻の下も伸びるっちゅうねん(笑)

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最終目的地スペインマドリッド。ここで行われるRed Bull X-Fightersは毎度ハンパない。なんやかんやで5年ぶりくらい?のマドリッドで懐かしくもあり。X-FightersやX-GAMESの記事は次号バンザイマガジンで掲載するのでお楽しみに〜。

旅といえば何かしらのアクシデントがあって、それが伝説となり積み重なっていくからおもしろいんやけど、今回もいろんな伝説がありました。。中でもマドリッドでは初めての同行者が逮捕(*一緒に行ってた大地じゃないからね。)。翌日には釈放されて事なきを得たけど、ほんま何が起こるかわからんのが海外。そして海外に慣れてない奴は旅行であろうが仕事であろうが浮かれてるのは間違いない。そんなやつは決まって何か喰らう。

こんな感じで1ヶ月間の間ほぼ出っぱなし〜。子どもたちもすっかり慣れたのか、あまりブーブー言わなくなりました。こうやって親離れしていくねんで(笑)。

これだけあちこち行ってると、人からみれば羨ましがられることもあるけど、俺からすればやることだらけで大変なことがほとんど。あと海外とか行けば思うけど、やっぱり趣味って大事よな〜って思う。ぼーっとその場にいるのと、そこに趣味があるだけで世界は違うからな。例えばなんてことない外国の路地を歩く。それはそれで初めての場所だし新鮮やから発見はあるかもしれない。でもそこにスケボーをプラスしたら?もっと気持ちいいし、楽しいし、その景色は絶対脳内に焼きつくよね。

怒涛の出張シリーズから一転、今は事務所にこもってます。出てるのもこもってるのも仕事をしてるという意味では同じ。疲れもたまるし、こういう時ほど寝れなくなるし、しんどい。
今追い込みかけてるバンザイマガジンの編集と8・7のMOSH ON DIRTが終わったら少し休暇を取ろうと思う。

意外や意外。初めてのNGK

16 HDR-2先日関西での撮影が中止になり、実は生まれてはじめてになるんですけど、大阪のお笑いの聖地「なんばグランド花月」に行ってきました。
なぜ今まで来なかったのか?ってくらい刺激的な場所で、俺らは基本テレビの中での芸人は目にしても、LIVEでのお笑いってのは若手くらいしか観たことなかった。
当日は西川のりお、上方よしおや、Wヤング、中田カウス、ボタン、月亭八方などバリバリのベテランに加え、なんでだろ〜のテツトモがゲスト出演、若手も実力派のコンビ、そして後半は吉本新喜劇(Mrオクレに感動!)という超豪華ラインナップ。ステージ上の芸人はそりゃもうパワフルで、テレビなんてほんと生ぬるいと感じさせる、観てるこちらがヒヤヒヤするような爆弾発言と、大阪らしいゴリゴリの内容が盛りだくさん!お笑いはやっぱりROCKやな〜と、観てて普通に笑えました。

「観る側に心の余裕がないとお笑いというのは笑えない」。ダウンタウン松本人志さんが言ってた言葉だがもっともだなと思った。昔は心の余裕も何もないし、お笑いやってたころなんて心がメラメラギスギスしてるからほとんど笑うことなんてなかったもん。今では花月のシートに腰掛け、ゲラゲラ笑える自分がいたのに少し驚いた。

一緒に行ってたBUTCHも刺激を受けまくてったし、弊社新人多治見はなんと言ってもこのステージに上がったこともある"元芸人"。感じることも多かったことだろう。

難しいこともいっぱいある世の中ですが、やはり我々は人の心を動かすのが仕事。仕事ばっかりしてて作業部屋にこもっていても外は見えない。いろんなものに触れて観て、まず自身の経験値を増やして、少しゆっくりする時間も作ればいいものは自ずと作られていくんじゃないかと思った5月の大阪でした。

しかし、連日飲んで食って大阪におると太る!
夏前にまた減量せなあかんな〜(笑)。
Profile
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梶野 仁司(カジノヒトシ)
Hitoshi Kajino

職業:映画監督、プロデューサー、ライター、編集者
フュールメディア株式会社代表取締役社長

京都府相楽郡加茂町(現・木津川市)出身。
24歳のとき上京し、映像の世界へ。その後、助監督を経てフリーランスになり、5150FILMsを立ち上げ『FULL METAL BOOGIEシリーズ』などをリリース。

2005年、雑誌『トランスワールドモトクロスジャパン』副編集長に就任後、翌年から兼映像部チーフディレクターとして『MTV SPORTS YAVIBE』や数々のコンテンツを担当した。
プロデューサーとしても多くの作品に従事し、2009年にトータルメディアレーベル『FUEL MEDIA』を設立。2012年2月、『フュールメディア株式会社』の法人化に伴い代表取締役に就任しながら映像制作を中心に活動を続ける。 2014年2月に上映された佐藤英吾ドキュメンタリー映画「RIDE FOR LIFE ~The Eigo Sato Story~」で映画監督デビュー。 スポーツやアスリートをテーマにしたドキュメンタリー作品を手掛け、映像作家、アクションスポーツジャーナリストとして活躍する。フリースタイルモトクロスを中心に国内外のアクションスポーツメディアを手掛け、ジャンルを問わず多くのアスリートとも交流を持つ。




当ブログに掲載されてるFUEL MEDIA、およびBLACK VEGAS制作の写真、動画の無断転用は一切お断りします。
相談はinfo@fuelmedia.jpに問い合わせてください。



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