ジャンク魂物語(バイク遍歴)

2014年01月05日

カメラ@Nikon F2 モータードライブMD-3 修理


あけましておめでとうございます。

唐突ながら、新年の一発目はジャンル外のカメラの話題から始めようと思いますが、、、(汗)
この話題は、私のジャンク道のはじまりにも係わることでもあります。

1519167_1542035041_156large
【写真】フル・メカニカル機の最高峰!

・・・

時は1980年代初頭にさかのぼり、、、中学校にあがって写真クラブに入った私は、クラブの仲間たちとカメラ店を巡ってはカタログ収集に興じる毎日。

いずれ自分のカメラがほしいと思いつつも、中学生の財力ではおのずと時代遅れの中古品が対象となるわけで、カタログ集めに通う店も最新機種の並ぶ大手販売店から鼻眼鏡のおじいさんが営むような田舎の「写真屋さん」に移り、ショーウインドウに並ぶ旧式のカメラに憧れ、店の片隅に置き忘れられたレアな絶版カタログを求めて隣町まで遠征したりするように。

そんな「中古屋めぐり」は、その後に興味を持ったバイクやパソコンにも波及し、やがて、情報量が豊富な専門誌の個人売買欄を経てネットオークションなどに場を移しつつ現在に至るわけで、これまで手にした様々な機材のほとんどがリサイクルショップや個人売買の中古品という「ジャンクな魂」は、そんな歴史とともに育まれたわけです。

当然ながら、それらの中古品には故障のリスクもつきものですが、それらを自力で修理しながら知識を得て、より安価でハイリスクなジャンク品に手を出し、やがて修理自体が目的化していくと(苦笑)

・・・

今回修理したNikonF2は、そんな中学時代に新聞配達のアルバイトで手に入れた最初のカメラで、私がはじめて手にした「中古品」という意味でも、記念碑的な一品です。

RIMG0030
【写真】モータードライブMD-3+MB-1

とはいえ、デジタル全盛の昨今、このカメラの出番はほとんどなくなり、時々手にしてその感触を楽しむ程度のコレクションと化しているのですが、先日おもむろに電池を入れて動かしてみたところ、ガシャっと怪しい動きの後にモーターの空回り音がむなしく響くだけの状態に(汗)

そもそも、モータードライブは単なるかっこ良さに惹かれて購入したもので、プロカメラマンのように酷使したわけもないのですが、ネット検索してみると、静音化のために樹脂化されたギヤが、経年劣化でも割れてしまうことがあるとのこと。

一時期それが問題になり、メーカーが対策部品を再生産していたり、リペア会社や個人でギヤを制作販売していたこともあったようですが、現在では私が探した限り通販などでもまったく見当たらない模様。

最後の頼みはオークションということで検索すると、貴重な修理ギヤを出品されている吾人が居られ、勇んで落札!

RIMG0023
【写真】落札品と取り外したギヤ

さっそく、修理に取り掛かりましたが、ネット情報ではギヤ交換に関する記述はいくつか見つかったものの、バラし方を解説するサイトが見つからず、「とにかくやってみる」方式で挑むしかないと(汗)

まずは、目につくところのネジを外そうということで、本体底部の5本のネジから。

BlogPaint

RIMG0012
【写真】底板が外れたところ

底板を外すと、三脚座金具の横にモーターが見えたので、金具を取り外して中を観察。

RIMG0033
【写真】三脚座

写真には非常に写しづらいのですが、三脚座の金具を外した穴の真下にモーター軸のピニオンギヤが見える設計で、おそらく、ここからグリスの補填などのメンテナンスも出来るよう設計されているのかもしれません。

そこで、破損したと思しき樹脂製のピニオンギヤを精密ドライバーの先端でまわしてみると、手の感触でもわかるくらいにギヤが空回りしているのが確認できました。

ただ、目視できる限りではギヤが割れているようにも思えなかったので、ギヤを固定している芋ネジを増し締めし動作確認してみましたが、相変わらずモーターは空転。

そうなるとやはり対策ギヤとの交換が必須ですが、モータを取り囲む金属カバーは下部の筐体を兼ねていて、これ以上の分解には表面を覆っているラバーを剥がして上下筐体を連結するネジを探さねばならないと。

ラバーは、無理に剥がすとその力で歪んでしまい、貼りなおしても微妙に型崩れするので手を付けたくないところですが、意を決して上面から皮剝き。

RIMG0012
【写真】皮剝きした上部

すると、上下筐体を接合していると思しきネジが出現したので、黒ひげ危機一髪感覚で感触を探りながら一本ずつ抜き取り。

結局、抜ける限りのネジを全部外しても動きがなかったので、グリップ底面の電極周辺の5本のネジも外し。

RIMG0018

RIMG0018
写真】グリップ下部の電極部分

それでも一向に変化がないので、グリップ側面辺りの内・外2枚のラバーをはがしてみると、それぞれに一本ずつのネジを発見。

BlogPaint

BlogPaint
【写真】写真は組み立て時に撮影。

また、背面の枚数カウンター部分のカバーを外すと1本のネジが見つかり、それらを取り外すと、底面部分がグハッと分離♪

BlogPaint

RIMG0017
写真】グハっと底面のカバーが

これで、モーター部がむき出しになりましたが、ふと気が付くと、本体内部でカラカラと固定されていないパーツがみつかり、、、どうやら上部のネジを外した時に、余計なネジを外してしまった模様(汗)

BlogPaint
【写真】画像のネジ4本は、部品の固定用

もう少し慎重に行くべきでしたが後の祭りなので、ひとまず、カラカラパーツを拾い上げて元に戻し、モーターの取り外し。

前後ステーを固定する4本のネジを外すとコロッとモーターが分離できました。

RIMG0007RIMG0022
【写真】モーターを固定するステー

そこで、破損したと思われる樹脂ギヤを取り外し、真鍮ギヤを取り付け。
その際、ギヤに付属していたグリスを塗布。

RIMG0021
【写真】交換前の樹脂製ギヤ

RIMG0002
【写真】対策品は真鍮製

RIMG0009
【写真】静穏目的で樹脂化された部位だけに、グリスアップは重要

あとは、分解と逆手順で組み立てて作業完了ですが、夢中で分解してしまったため、ネジの組み合わせが微妙になってしまい、仮組しながらネジの組み合わせを確認し、再構築(汗)

以下、備忘録としてネジの組み合わせを記録しておきます。

RIMG0015
【写真】底面は短くて小さな黒ネジ

RIMG0014
【写真】カウンター蓋部分は長めの黒ネジ

RIMG0006
【写真】モーター座は頭の大きな黒ネジ

RIMG0008
【写真】モーター後部は頭が大きめのステンレス

RIMG0016
【写真】三脚座は短めのステン

RIMG0017
【写真】電極部及び側面と上面巻き上げ軸付近の一本は中長ステン

BlogPaint
【写真】上下連結の外周部4本は長ステン

組みあがったMD-3をF2に取り付け試した結果、モータードライブは無事復活!

たしかに、樹脂ギヤと比べて音は大きくなったようにも感じますが、むしろこの音を聞くために大切にしているカメラなので、問題なし。

そして、取り外した樹脂ギヤを改めて確認すると、やはり、締め付け用の芋ネジ穴周辺から割れていた模様。

あと、どうしたことか?背面のカウンターに連動して巻き上げが自動停止する機構が機能しなくなってしまい、おそらく、バラシ過程で部品を脱落させてしまったのが原因と思われもしますが、ひとまず巻き上げ動作できるようになったので、これでよしという事で(汗)

このカメラだけはさすがに聖域としてバラシ修理などはしたことがなかったので、勇気の居る作業でしたが、「やってみりゃ、なんとかなる」と、妙な自信を抱きつつ、、、(苦笑)

中をあけてみると、一つ一つのパーツの加工から小さな配線の半田付けひとつ「いい仕事」感が漂い、この時代のものづくりに改めて敬服する、新年のひと時でした。

cb50jx_honda at 15:54|PermalinkComments(5)

2011年09月28日

ジャンク魂物語@その7 BROS(手入れ)編

漠然とした閃きだけで購入し、何となく乗り始めたブロスでしたが、、、

先述したような事情で気持ちが離れてしまい、さらに追い討ちをかけるように通勤の足としていた仕事を辞めてしまったため、ほとんどバイクに跨らない日々が続き、車検切れのまま放置してしまうことになったのですが、、、

このレポートを書くために過去の資料を探してみると、いつかきっと綺麗に仕上げたいという意思は継続していたようで、2000年の末頃にトップブリッジ(新品!)とステップ、2001年にガソリンタンクとメーター、2006年には外装パーツなどなど、、、着々と部品を集めていたのですが。

問題は2001年から2006年までの空白で、そこで何があったのかといいますと。。。

2001年に手に入れたタンクはデッドストックものの新品だったのですが、あろう事か、千載一遇の出物を開封する時にうっかり傷をつけてしまいまして(汗)

小さな線傷だったので自から補修を開始したものの、泥沼に填まって手が付けられない状態に。

BROS
【写真】プロへの相談に使った画像

エアブラシで補修するため調色用の塗料を買い集めたりもしたのですが、これ以上傷口を広げないためにもプロの手を借りようと思ったのですが、

RIMG0003
【写真】アウトレット品が1本100円で売られていました!

3重塗りの必要なキャンディーカラーの補修は難しく、全体を塗りなおす以外補修方法は無いと、ほとんどの業者に断られてしまい、意気消沈。

その問題がクリアできない限りせっかく用意したパーツたちも無駄にしそうで、手詰まりのまま2006年まで動きが止まってしまったと。

ところが、ひょんなきっかけで、同じく不動になっていたゴリラの修理に目覚めたことで突然のようにバイクブームが再燃し、ブロスのほうも再捜索した結果、ブラシイラストを手がける塗装工房で修理を引き受けてくださることになり、早速依頼することに。

そもそも無理のある作業なので、熟練したプロの手を持ってしても良く見れば補修痕が判ってしまう感じでしたが、、、

RIMG0608
RIMG0609
【写真】光の角度によって、少し黒ずんで見えます。

幸い、修復箇所はタンクキャップの近くで、フューエルコーションを貼ったらほとんど目立つ事もなくなり、長年の懸案が解決と。

救われついでにリアカウルの再塗装もお願いしたのですが、元のステッカー類を残すことは出来ず、無印のリアカウルに。

そのまま使っても良かったのですが、純正の外観にこだわりがあったので、ステッカーを地道に探す間、とりあえず自家塗装カウルでやり過ごすことに決め、一部に破損のあるジャンクカウルを入手し自家塗装。

そのときの記録が以前の紹介写真になりますが、、、オデッセイなどの4輪用塗料は、ブロスの紫系に比べやや茶系の赤色で、隣り合わせに見比べると違和感がありましたが、装着してしまえばそれほど目立つことも無かったので、まあ良いことにして、、、

1519167_238408660_1large
【写真】自家塗装のカウルを装着しています

とりあえず、中古で手に入れていたステップやメーターなどを組み込んで、久々の車検取得へ。

とは言え、数年来放置してしまった車両が復活するまでには数々の苦労がありましたが、何とか走行できるようにした上で、最終整備を近所のショップに依頼。

最初の車検で交換したディスクパット以外の消耗品はすべて交換という事で、中古購入時と同じくらいのお金が掛かってしまいましたが、久々の公道走行は嬉し楽しくお釣りがくるくらいに大満足と。

・・・

そんな復活劇に導かれるように、新たな動きが!

後にも先にも一回きりのことでしたが、ずっと捜し求めていたリアカウルのサイドロゴが7枚纏め売りという奇跡的な出品を発見!

RIMG0624
【写真】未だに5枚残っています

これまでの苦労が何だったのか?と思うほどあっさり落札できたのですが、さらに、もっと希少だったリアのHONDAロゴもほぼ同時に手に入り、最高の状況が整ったのを機にクリア塗装に出しまして、いよいよ、緊張感バリバリの新品&新塗装外装へ。

RIMG0627

RIMG0628

勿体無いようなコンディションの外装で、怖くて乗れないような状態でしたが、(苦笑)

そんな流れもあったので、気楽に乗れる青外装へ交換していたという事情もありました。

RIMG0532
【写真】青外装

その辺りから、CBレストアと時期が重なるのですが、CBパーツ探しの傍らスーパートラップ管に興味が湧き、アクシャルフローディスクなども導入して現在に至りますが、、、

CBレストア完成(仮)で、士気が上がっているこの状況で、もう一息整備を進め、車検取得へ。。。

といいつつ、そろそろ寒くなってきてしましたし、今はCBに乗るのが楽しくて仕方が無いので、時期をずらすかどうか検討中だったりしますが、、、(汗)

とりあえず、作業経過は引き続きアップして行こうと思います。

cb50jx_honda at 03:25|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2011年09月26日

ジャンク魂物語@その6 BROS(入手)編

ちょうど話題が上がったところで、過去の記事を整理していたらBROSに関する書き掛けの記事が残っていたので、自分自身の記録と回想のため、記事を仕上げておきたいと思います。

・・・

話は、だいぶ以前にさかのぼり、、、地球が滅びる筈(?)だった、1999年。

それ以前は学生時代のツーリング仲間に誘われ遠距離ツーリングに出ることもしばしばでしたが、お互い仕事が忙しくなるにつれて連絡も少なくなるのと共に、何となくバイク熱が冷めて単なる足代わりと化していたのですが、、、

ネット時代の訪れとともに、それまで個人売買の舞台だった場所が、雑誌などの紙媒体からWebに移行。

当時はまだオークションはありませんでしたが、Web版の「じゃまーる・オン・ザネット」にはジャンルを問わず、ジャンク魂くすぐる物件の数々。

当初は、パソコンパーツを専門に漁って居たのですが、次第にバイクパーツも探すようになり、
入手したパーツで少々くたびれてきたシルクロードの修理などもしましたが、新たな刺激が欲しいと思うようになって調べているうちに、自分の中でバイクブームが再燃!。

そんな中で見つけたのが、ワインレッドのブロス、8万円!

CAE3ICIF
【画像】奇跡的(?)に発掘された当時画像

画像は、取引時に相手の方から送られた参考写真ですが、今見ると、この車両を引き取りに行ったその日の情景がはっきりと蘇ってきます。

・・・

いまだに、人気のほどがよく分からない存在のBROSですが、浪人時代に何の先入観も無く「カッコイイ!」と思った記憶と、一度は近代的な水冷エンジン車に乗ってみたいという興味と。
左右非対称大好きな異形メカフェチ的目線で、エルフ・モト開発のプロアームが「タマラン」と言う憧れがありまして。。。

elf3-03

elfe-16
【画像】エルフ・モトの泣ける画像はこちらより拝借

ちなみに、、、その執着は今もなお続いていて、片持ちサスの自転車についつい目が奪われています♪
Cannondale-On-large
【画像】片持ちサス自転車!Cannondale On large

プロアーム装備車としては、下の画像のようなロスマンズカラーのVRF400Rにも興味はありましたが、なにより自分に似合わないと思ったのと、車の性格上安価な固体は乗り潰された感じの物が多く厄介に思え、ターゲットをBROSのほうにロックオンと。
2870618
【画像】VFR400F

なかでも、ワインレッドのブロスが気に入って探して居たのですが、そもそも流通量が希少な上にワインレッドを所望となると滅多に出会えることもなく、やっと見つけた出品の商品情報を見ただけでも、あまり状態のよい個体とは思えませんでしたが、このチャンスを逃すまじと連絡を取る事に。

そこで、上の画像の場所へ現車確認に行った結果、機関的にはまあまあ調子よさそうでしたが、リアカウルは日焼けして色あせ、タンクの大きな窪みにパッドを貼ってごまかしてる?感じで、ディスクローターの消耗度合いから見ても、18000キロという走行距離すら疑わしく思え(汗)

「う~ん」と思いましたが、「まあいっか」と手に入れてから何とかするのが「ジャンク人間の心得」ですので、、、その場で購入を決めて載って帰り、「ヨンヒャク」になると、車検を受けなくちゃならんのだと、改めて感じつつ陸運局で名義変更。

確か、数ヶ月で車検切れになったのですが、とりあえず通ればイイやと言うことで、近所のバイク店でブレーキ系だけ見てもらい、はじめての車検場へ。

緊張した割りにあっという間に取得できましたが、それをクリアしただけでも、なんだか大人になったような気分(笑)

しかしながら、購入時点でかなり状態のよかったシルクロードに比べ、あちこちに「ケチ」のついた車体は、磨いても磨いても美しくならず、次第にモチベーション低下。

しかも、、、振り回しやすい単気筒車を乗り継いできたもので、BROS程度の前傾でも乗車姿勢に馴染めない感じで。。。(冷や汗)

それに、、、出来心で手に入れた水冷エンジンの「近代兵器」でしたが、そもそも”エルフ・モト萌え”は鑑賞するほうの趣味で、乗るほうの趣味は「旧車派」なので、ブロスの「Vツインの鼓動」ですらモーターのように味気なく感じてしまったりで、すっかりバイク自体から遠ざかる事になってしまいました。

・・・

その後、幾多の過程を経て今ではすっかり愛着もわいてきたBROSですが、シルクロードが最もよく載ったバイクであるならば、ブロスは最も手間とお金を掛けたバイクかもしれませんので、これまでにコツコツ手を入れてきた歴史を、続編にて振り返ってみたいと思います。

cb50jx_honda at 19:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月05日

ジャンク魂物語@その5 シルクロード(ディスク化)編

Silk002
【写真】シルクロード。何故か残っているのがピンボケ写真ばかりでした(汗)

遠隔地バイク購入も、すっかり板についた感じの私たちでしたが、、、仲間内で最後に中型に乗り換えた私を加え、ツーリングクラブを結成!
東北一周や本州横断する新潟への旅など、出動機会・規模ともに飛躍的に伸び。
結果的にわがバイクライフの中で最も長距離を共にしたのが、シルクロードだったと思います。

しかしながら、そもそも状態が良かった車体は、それまでの”手の掛かる子”らに比べて刺激が少なすぎ、、、何か弄りたい衝動に駆られる日々。

そこで、シルクロード最大の不満点であった、フロント・ドラムの効きの悪さを何とかしようと思っていた矢先、「寄寓にも」というのは余りにも辛い出来事が。

大学卒業を控えるストレスフルな日々のなか、事故を起こしてしまいまして、、、体は無事でしたが、示談交渉が難航し、悪夢の日々で。
(さすがに、それ以来は無事故を続けています)

学校の卒業が迫っていたのもありますが、それ以上に精神的ダメージが大きく、その後しばらくバイクに乗る気にはなれませんでしたが、卒業を機に心機一転、修理に着手。

ブレーキが甘かったのも事故要因のひとつと言えなくも無かったですので、これを機に懸案だったブレーキ交換をしようと、各種パーツリストなどを取り寄せ情報収集した結果、フォークインナーと右アウターはシルクロードのものをそのまま使用し、左だけ兄弟車のRSZ用を流用。

そして、キャリパーとホイールは、多孔式ディスク仕様のⅢ型クラブマンのものを(単にデザインの好みで・・・汗)選択したため、一筋縄では行かない作業になりましたが、、、
【注】未確認ですが、RSZ用をそのまま使えば、ポン付け出来たかもしれません。

Silk004

Silk003
【写真】ブレーキ換装後の姿 

少し記憶が曖昧ですが、結果的にキャリパーはワッシャーをかます程度でそのまま装着でき、ややセンターがズレてしまうホイールは、左アウター側を2ミリほど削る事で解消できると判断し、知り合いに紹介された町工場に依頼し、作業完了。

フロントが、19から18インチに変更されたため、ややハンドリングがクイックになりましたが、デザイン的には相性抜群!当然ながらブレーキの効きも格段に向上し、私だけの一台に!

Silk001
【写真】隣に並んで居るのは、家族の足用ロードフォックス

そんな訳で、これまでのバイク遍歴を振り返ってまいりましたが、現愛車のホンダ・ブロス、その他諸々については、折を見て、レストアの話題に絡めて書かせていただこうかと思います。

にほんブログ村 バイクブログへ
ランキング参加中。
バナーリックにご協力ください



cb50jx_honda at 01:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月04日

ジャンク魂物語@その4 シルクロード(入手)編

7548af61
【写真】ホンダ・シルクロード

50ccに代わって、長旅の魅力も教えてくれた柿色号125JXでしたが、更なる飛躍を求めてステップアップ。

・・・と言うか、、、あまりにも調子よく走っていたのと、悪い意味での馴れが重なり、メンテナンスも疎かになっていたのだと思いますが、オイル切れで焼きツキを起こしてしまい、エンジン不動(汗)

修理をするにしても、既に日常の足として欠かせなくなったバイクに修理が済むまで載れないのはきついと言う事で、新たな物件を探す事に。

とは言え、それ以前からステップアップは考えていましたので、狙いは決まっていまして、、、。

それが、このブログの「TL化計画」の基になったシルクロードでした。

バイトに向かう途中の信号待ちで並んだ白いバイクに一目惚れしたのがきっかけで、、、ヨレヨレのオッチャンが商用車のように転がして居た物でしたが、荷台に据え付けたタンデムシートが可愛らしく、「なんだ!あのバイクは!!」と、、、バイク年鑑を紐解きその名を見つけたのでありました。

そこで、必死に探し始めると、、、今でこそひそかな人気車種になっていますが、当時は恐ろしくマイナーな存在で、かつて無いほどの難航しまして、、、結果的に手に入れることが出来たのは、またしても、「運命の地」群馬(苦笑)

CB50購入時の、激寒の帰り道にぶつぶつ文句を言っていた友人が、何故か遠隔地バイク探しに嵌ってしまい、今度は彼の買い物に付き合って、あの時とは別の「秘密基地in群馬」に。

そこは、先例と比較にならない規模で、、、基地に向かう道中の川原端などに保管場所が点在し、本拠地には廃倉庫(?)を改造した2階建てのガレージに整備工場まで併設!(圧巻)

ガレージには、プレミア級の希少車や、納車予定のレストア済み車両など、川原端とは一線を画す「上玉」が陳列されていまして、その中に、今まさに探しているシルクロードが!

友人の付き添いと言う本来の目的を忘れ、私も譲り受け交渉すると、すでに売約済みとのことで、別に探して下さる事に。

「つまらないバイクだよ~」と、主さんは仰いながらも熱心に探してくれたようで、10日ほどで発見の連絡。

個人所有の物件で、教えられた群馬の住所を訪ねると、あの時よりずっと綺麗な車体が用意されておりまして、、、初めて跨る中型バイクで千葉まで搬送(汗)

いきなり2倍になった排気量は凄まじく、とうとう「ごっこ」を卒業した気分(笑)

大学卒業も間近になった頃、遅咲きの中型デビューと相成った訳です。

・・・

そして、、、柿色号@125JXの顛末ですが。

シルクロード入手後も、しばらく並べて保管していたのですが、自宅付近に昔ながらのバイク店を見つけまして。

絵に描いたような鼻眼鏡の職人風情のご主人に、ココなら何とかしてくれそうと相談したところ、「持ってきてみなさい」と。

徒歩10分くらいの距離を押して行くと、様子を見るなり「ピストンリングさえ手に入れば何とかなるから、ちょっと置いてけ」と言う事で、託して数日で見事に復活。

途中で様子を見に行って筋の入ったシリンダーを見せてもらいましたが、、、何とも申し訳なく頭が下がり、、、そして、嬉しく、どれだけ頼もしく思えたことでしょう。

今では、その店もなくなって寂しい限りですが、、、ご健在で居られる事を祈ります。

と、そんな復活を遂げた柿色号も、例に漏れず家庭不和(?)の原因になり、引き取り手を捜したところ、過去に同車を所有していた知人が「懐かしいので引き取ってもよい」と言う事に相成り、めでたく嫁入り。

学生のうちに中型に乗りたいという希望が無ければもう少し長く載りたい車でしたが、結果的に、私が所有したバイクの中でもっとも短命な一台と言う事になってしまい、今でも少し残念です。

そんな訳で、、、(まだまだ、つづく・・・苦笑)

にほんブログ村 バイクブログへ
ランキング参加中。
バナーリックにご協力ください



cb50jx_honda at 00:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月03日

ジャンク魂物語@その3 柿色号125JX編

000000496
【写真】憧れのヨンフォア

段階的ステップアップを狙ってCB50から乗り換えた同125JXですが、これがまた、CB50以上の希少車で、入手には大変長い道のりがありました。

当時の私の最大の憧れは、ヨンフォアと呼ばれるCB400F。

バイク雑誌のホンダ特集で目にして、一列に並んだエキゾーストが美しくうねりながら集合する造形に衝撃を感じた私でしたが、プレミアム級の中古車価格に恐れをなし、「ヨンフォア風味」の125JXに焦点が絞られたのでした。

125JX_s
【写真】CB125JX

でもって、もし手に入れることが出来た日には、タンクを赤く塗って「HONDA Super Sport」のロゴでも入れたろか!と、小さな野心を燃やしながら、中古車雑誌を物色し続けました。

そこで見つけた”出物”は、神奈川県郊外より出品の1台、、、と言うか、2台(汗)
所謂「実働部品取り車つき」と言うもので。

交渉により、好きなパーツ総取りで一台に纏めてOKと言う事になり、前述の友人に助っ人を頼んで神奈川へ。

2日ほど通った記憶がありますが、(今思うともっと通ったかも?)、実働車体に厳選パーツを組みまくり、最終的には神奈川から千葉まで載って帰ると(汗)

跨った感じはCB50を僅かにスケールアップした雰囲気ですが、走ってみると2.5倍の排気量は絶大。
立ち上がりのトルク感と、速度が上がった時の安定感に感動。
二人乗りだって出来ますし、「2段階右折って、何?」と。

もちろん、30キロ規制なんて足かせも無く、、、
けっして、「出  し  て  ま  せ  ん」・・・が、軽く100キロは出るんじゃなかろうかと(汗)

しかしながら、、、繰り返すまでも無く、ジャンクマシンは追加整備項目満載で。

50に比べて外観も悪かったので、シートの破れ補修から始まり、各部の塗装・錆び取り、などなど、、、今回のCB50レストアの「磨き系作業」は、この頃の経験に拠るものがもっとも多い気がします。

そして、「ヨンフォア・ルック化」の野望ですが、結局反故に。

なぜならば、、、

当時の個人売買情報に掲載できる写真ははモノクロだったもので、取引現場に行って初めて「オレンジ」のそれと対面し、一瞬で一目ぼれ!(笑)
柿色のタンクが、何とも言えずベリー・キュートで気に入ってしまい、ヨンフォアルックはどうでも良くなってしまったと♪

そんな”柿色号”でも、いろんな所に行きました。
中でも、台風明けの休日に長野方面へツーリングに出かけたときには、豪雨で20号線にがけ崩れが発生し、大きく富士五湖方面を迂回。

予定を大幅に越え、夜のうちに長野に入るはずが20号線に戻れたのが翌朝になってしまったのですが、そんな大雨の中でも柿色JX号は良く走り、楽しい思い出を作ってくれました。

(懲りずに、、、250編へ続きます)

にほんブログ村 バイクブログへ
ランキング参加中。
バナーリックにご協力ください



cb50jx_honda at 14:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月02日

ジャンク魂物語@その2 CB50JX編

3万円で購入したジャンクCB50を乗りこなすのは、やはり容易な事ではなく。

タイヤやブレーキパッドなどの消耗品交換に始まり、ポイントの接点不良、タペット調整、クラッチの張り付き・・・などなど、から、大きな事では(詳細がどうしても思い出せませんが)何らかのトラブルがあってシリンダーをバラした事もあったかと。

そんなトラブルを経るごとに、バイクメンテナンスの知識も身につき、たくさんのことを教えてもらいましたし、基本的には丈夫なバイクだったと思います。

また、千葉の自宅から30キロほど離れた都内の大学まで、雨の日も風の日も毎日バイク通学し、品川でのアルバイトや、練馬や世田谷の友人宅にも度々遠征、、、房総半島に泊りがけでツーリングに出かけた事もありました(汗)

特に、ある年のクリスマスの晩には、バイト帰りに大雪に遭い、凍える手でクラッチを握る事が出来ず、自販機のコーヒー缶で手を温め、幸せそうな街の灯りにマッチ売りの少女のような気分になった事もありましたが、それでも電車に乗ろうとは思いませんでしたので、今思えばずいぶん根性があって若かったと思いますが、お陰で都内の道もずいぶん覚えましたし、今まで乗ったどのバイクよりも、走る楽しさを教えてくれたマシンでした。

・・・

そんな楽しいバイクライフを送る中、大学への通学途中に起こってはいけない事件が。

人生初の左折巻き込み事故です。

幸い怪我は無かったのですが、バイクのほうはフロントフォークがへし曲がり、運転不能に。

事故相手が軽トラックで、バイクと共に家まで送り届けてもらい、最終的には廃車にする事になったバイクの購入代金を保証してもらう事で決着。

しかしながら、そこまで愛情を注いだバイクだけに簡単に廃車には出来ず、痛々しい姿のまましばらくの間保管することにした訳ですが、たまたまバイト先に趣味を兼ねた副業で解体業を営む社員さんにその話をしたところ、部品取り車を安価で譲っていただける事になりまして。

「エンジンは判らないけど、足回りは大丈夫だから」との事で、譲り受けた車体に事故車のエンジンと外装を総移植し、登録的には2代目として再生!フォークの曲がった事故車は、社員さんにドナドナしていただき、解体されました。

そんな機体が、現在レストア中のCBという訳です。

・・・

その後は、事故も故障も無く順調に走り続けたCBでしたが、中型免許取得と同時に兄貴分の単気筒車であるCB125JXを購入したことで、搭乗機会も激減。

ちなみに、いきなり400を買うことも出来ましたが、段階的ステップアップを経験したくて、敢えてひと回り大きいだけのバイクを手に入れてしまったため、50の存在価値が薄れてしまった訳です。

すると次第に家族の目も厳しくなり、「乗っていないバイクをなぜ処分しないのか?」などと迫られた挙句、転売するにしても綺麗にしてから・・・と、バラバラにしたまま戻せなくなって現在に至ると。

もちろん、その気になればすぐに再生できたと思いますが、処分するのが忍びなく、ささやかな抵抗の結果だったのかもしれません。

(せっかくなんで、もう少し続きのバイク遍歴など続編で)


cb50jx_honda at 21:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

ジャンク魂物語@その1 CB50JX (入手)編

当時
【写真】現役当時のCB50

レストア関係のレポートが一段楽した感じなので、レストア中の機体についての思い出などを振り返って見たいと思います。

時代はさかのぼる事20年、平成元年に大学入学した私は、一年生の夏休みに山形の合宿所に通って普通自動車免許を取得。

晴れて免許を取得したものの、車を買うお金はありませんので実家の車を運転する事になりますが、同時期に姉も免許を取り、家族4人で共用する事になった車は乗りたい盛りにほぼ自由にならず、欲求不満に陥った私は、普通免許で運転できる原付2輪車の購入を思い立った訳です。

手っ取り早い選択はスクーターですが、マニュアル車の運転を覚えたばかりで「何は無くともギアチェンジ!」という事で、めぼしいバイクの物色に掛かりましたが、、、レプリカブーム全盛の頃でしたので、当時流行っていたのはNSRやYSRなどのミニレプリカか、フルスケールですと、NS50かRZ50、ガンマ、ARあたり。
何故か、カブ・モンキー系の横型エンジン車には興味がわかなかったのですが、あえて言えばJAZZ辺りも良いかと。

そんな時、私の目に衝撃的に映ったのは、確かその年のモーターショウで発表されたTZR50でした。

ショウモデルは真っ白なソリッドカラー(だったと思う)で、スマートな美しいデザインに惹かれましたが、どうせ発売されても高価ですし、そもそも新車購入は考えていなかったので、ひたすらミスターバイクBGを読み漁る日々。

すると次第に興味は旧車に傾き、目をつけたのがCB50というバイクだった訳です。

当時の雑誌にも殆ど取り上げられる事のなかったCB50を始めて目にしたのが大学のバイク置き場で。
白地に赤・青・黒ラインのJXでしたが、その適度な丸みと軽薄でないスリムさが絶妙なバランス感で、「こんなバイクがあったんだ!」と、まさに一目惚れ。

特徴的なリアカウルのデザインは好みが分かれるところのようですが、私はむしろそこに魅力を感じました。

もちろんその頃はネットオークションなどございませんので、探し場所はバイク雑誌の個人売買欄がメインですが出品される事は殆ど無く、販売店頼みで、近所の大きめのバイク店で尋ねると、「そんなのやめて新車買いなよ!」と、軽くあしらわれる始末で、迷走が続きました。

そこでついに発見したのが、群馬県から出品された3万円のジャンク品!

ちなみに、当時の私は、バイクの事を教えてくれた師匠的立場の友人が載っていたGSX250が、5万円で買ったものだと聞いて衝撃を受けまして、、、それ以来私の中での価格破壊は未だに続いており、10万円以上のバイクを買ったことがありません。

今でしたら、修理用のパーツ探しも楽なので迷いませんが、当時はそういった環境も無く、修理する腕も無いので、さすがに無謀とは思いましたが、アレだけ探しても見つからなかったものを逃す手は無いと、若さゆえの好奇心も手伝って、バイク師匠の友人を伴って高崎線に乗り込みました(汗)

向かった先は碓氷峠の廃業したドライブインを改造し、ジャンクバイクが山のように詰まれた秘密基地のような場所で、油まみれの駐車場には雑誌で見た購入希望のCB50が。

画像の通り、黒地に緑・黄緑・黄ラインのCBは、一目惚れしたマシンとは色違いでしたが、こちらもなかなか美しい!と。

状態も決して良くは無く、CRCで黒光りしたパーツが乾けばくすむ事も承知でしたが、動き始めてしまった感情が止められず、購入を決意。

友人曰く、「俺だったら買わないけど、あの時のお前に何を言っても無駄だと思った」と(苦笑)

購入を決断したのだし、帰り道も当然駅まで送ってもらえるものと思いきや、まさかの現地解散(涙)

寒風吹き荒れる碓氷峠を横川駅まで歩いた道のりは、その後何年にもわたり友人との語り草になりましたが、、、忘れる事の出来ない思い出深い一日となりました。

そして、数日後。

駅まで送ってくれなかった元オーナーさんでしたが、納車時には、群馬から軽トラで運んでくれまして、親切なのか不親切なのか?ワカラン人でしたが、今思えばやっぱり親切だったと♪
今、そんな事を思い出しながら日記を書いていて、再びあの秘密基地を訪れてみたいような気もします(笑)

そんな訳で、晴れてわが人生で初の「エンジン」を手に入れた訳です。

(その2へ続く)

にほんブログ村 バイクブログへ
ランキング参加中。
バナーリックにご協力ください


cb50jx_honda at 00:11|PermalinkComments(4)TrackBack(0)