2009年11月19日

直線と曲線。

お疲れ様です。


大分麦焼酎の、「二階堂」ってご存知ですか。
僕はお酒は全然飲みませんが、このお酒のCMは結構好きなんです。

曰く、「始まりと終わりを直線で結べない道が、私の道」なのだそうです。


実際、生きてて目に付くものには、何であれそんな実態があるようです。
だけど直線に見せたがるのは、何ででしょうね。

直線のつもりが、曲線。
絵を描いていてもよくあることなんですが、そういうの、振り返った時にやっと気付いて、「ぷっ」と吹き出してしまいます。なんで気付かなかったんだろうなあ、と。
そんでもって、その方が絵としてもおもしろかったりするから、楽しい。

論文も一緒。一直線で書いてみても、うっかりつくった曲線におもしろさや新たな論点が見つかったりする。

偶然を許容して、初めて見える楽しさ。

厳密な計画とそれによる成果への期待だけを前提とすれば「失敗」に見えるかもしれませんが、広い意味での「可能性」や意義に関してみれば、その方が、何かとよかったりするのかもしれません。



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2009年10月22日

父親。

お疲れ様です。

昨晩、父親が来訪。
出張ついでに泊まっていきました。

そんな父親の最近の口癖は「迷ったときほど前をむけ」。

そうします。

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2009年10月14日

やりたいこと・やるべきこと

お疲れ様です。

最近少しだけ、ある領域の意識が変わってきました。

やるべきことを優先させてきた、自己の古い意識を改革。

「やるべきこと→やりたいこと」へ、という転換を、
「やりたいこと→やるべきこと」という転換へ。

意識の先に来るべきものはどっちだったか。
今までは義務感が優先。それを無理やり自身の欲求と信じ込んできた。
しかし、これからは少しずつ自身の欲求を優先させていきたい。

やりたいことがあるから、ここにいるんだよな?

散々勝手をしてきたが、それでも意識は義務感に支配されるという妙な状況が付随してきた。それを変えていくことが、今必要と感じる。

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2009年09月18日

綱渡り。

おはようございます。

研究しながら、バイトいきながら、とりあえず頑張ってます。

先日、「ドクター試験落ちたらどうするか」に関して、色んな人と話す機会がありました。いや、思ってみれば確かに「落ちたら」身分的にフリーターみたくなるわけで、考えないわけにはいかなかったんです。

そんなこんなで色々動いて、バイト先の塾のほうでは、「万が一落ちたら、講師の仕事の他に、塾長の仕事のいくつか任せてもらえる」契約をとってきました。とりあえず、食べる分には大丈夫らしいので、ひとつ保険をかけることはできたか、と。

いやー

我ながらこの人生、ほんと先が見えなくて焦ります。

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2009年08月28日

果てが無いかは行ってみないと分からない。

お疲れ様です。
そしてお久しぶりです。

こっちはバイトと修士論文準備に追われる毎日です。

今年も就職活動をすることはなく、結局「果て無き」所を目指すようです。

昨日、研究室にて先生に修士論文の進行状況を報告。
特に大きなダメだしをされることなく、方向性だけ確認して終了。
それでも、書けば書くほどに自分の考えが浅はかであることに気づく。
まあ、研究なんてそんなもの、と半ばあきらめてはいますが。

なんだか、人と違う道を歩くことに、ほとんど抵抗を感じなくなってきている今日この頃です。これがいいことなのか悪いことなのか。それは神のみぞ知ることでしょう。

実際は半プラグマティストとして、神の存在とかはあんまり信じるくちではありませんが。本当に神がいたとしても、僕のする研究の果てに何があるのかなんて、教えてほしくはないですしね。その「果て」の在り様を見つけるのが、僕の人生の意義でもあるでしょう。

そうえいば、J・デューイはコロンブスを「反省的実践者」の代表例として挙げたことがあるそうですよ。まあ、そのことには賛否両論あるようですが。

ではまた。

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2009年06月18日

最近思うこと。

お疲れ様です。

気がついたら6月も半ばを過ぎました。
修士論文を書かなきゃならんのですが、なかなか「進んだ」と言える瞬間には遭遇することができません。

最近思います。ただ夢を抱くのは結構すんなりいくんですが、それを追い続けるのはなかなか体力が要る。

やればやるだけ必要な知識や経験、物事が見つかり、面倒くさい心の方が前に出てくる。それに負けないように自分を奮い立たせてノートや文献、パソコンの前に座るわけですが、その「抗い」にものすごく体力を消耗する。消耗しきった時に限って新しい「不足」が見つかるもんだから、もう全部投げ出してしまった方がよっぽど楽なんじゃないかとも思う。

「この生き方じゃないとだめだ」とか、「今あきらめたらあとで絶対後悔する」とか、そういう形而上学的な判断を行使するだけの勇気も、ポストモダンの思想をあれこれ見てきた今となってはずいぶんと少なくなっているわけで、あげくのはてに金銭的な問題がのしかかってくるのだから、今の生き方のデメリットばかりが僕の中で大きくなっていくのを感じる。

だけど、、なんだろうなあ。
いまこれを止めてみても、誰も文句は言わないだろうし、むしろ楽になる人はいるだろうということもわかるけど、、。なんとなく、ゼミ室にこもって文献と格闘するのが「楽しい」とも勘違いしてしまっているから、もはや止めることも面倒くさいと思い始めている。

なんだかんだ言っても、ここまで来ちゃったのは事実なので、もうすこし勘違いしたままでいこうかとは思ってます。

ただ、やっぱ体力が要るな、とは思うわけで。
我ながら、本当に自分は面倒な人間だと、つくづく思います。

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2009年03月28日

親不知。

お疲れ様です。

世間様が日本野球のWBC連覇をお祝いしている頃。
僕は右下の親知らずの痛みに苦しんでいました。
現在もまだ少し腫れています。

上京してもう丸5年が経ちますが、歯医者に世話になったのは初めてのことです。正直、何をされるのかビクビクしながら行ってきました。

結局、親知らずを抜くことは無かったものの、レーザーで歯肉の表面を焼いて?炎症を防ぐという感じの治療を受けました。レーザーで焼くことが何で炎症を防ぐことにつながるのか、専門知識のない僕にはさっぱり分からなかったのですが、、。とにかく、来週もう一度行って来るので、治り具合などなど聞いてきます。

それにしても、治療前後の痛みはなかなか強烈で、痛み止めをもらったものの、治療後の二、三日(つまり昨日までですが)は何もする気が起きませんでした。やるべき仕事を全てほっぽりだして、友人知人の皆様にありとあらゆることを助けていただきました。本当にすいませんでした。


、、、、
話は変わりますが、修士課程一年目、後期の成績が出ました。
去年は本当にありとあらゆることが上手くいかなかった一年でしたが、ここにまでまさか影響力を残しているとは思いませんでした。期待通りにはいかず。

とにかく、少しずつ体調も元にもどりつつあるので、いろんなことを一から組み立て直していこうと思います。どうか見捨てられませんように。

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2009年03月23日

研究と楽器の狭間。

お疲れ様です。

最近楽器のことを全然書いていないので、少し書いてみようかと思います。

コントラバスには、月一回の家音の演奏会がある関係で、コンスタントに触れられているわけですが、学部生時代のように集中して練習する機会が無くなったというのが正直なところです。時間は作ろうとすればなんとか作れるのですが、何より練習場所が上手く見つからないわけで、集中して練習することは本当に稀になりました。大学まで出てきてサークル棟でちょっと場所を借りようにも、実際にサークルに入っている訳でないからなんとなく遠慮がちになってしまうし、まず大学まで楽器を運んでくるという、大きな手間に嫌気がさしてしまう。コントラバス奏者として、楽器運搬を苦に思うのは既に「終わっている」ような気もしますが、大学院での研究を第一に考えねばならない立場から考えても、正直、その時間を「もったいない」とも思ってしまいます。

練習日誌を書こうにも、書けるだけの気づきもなく。
おそらく一年前より更に腕は落ちたのではないかと思っています。
卒団オケの頃が、おそらくはピークだったでしょう。
当時ほどは楽器を鳴らせていないのを常々感じています。
7月に本番の、あるオケに誘っていただきました。しかし、果たしてどれだけ対応できるか。非常に心配です。

なんだか暗くなってしまいましたが、できることをやるしかありません。

とりあえず、研究に戻ります。


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2009年03月11日

桜の花「だけ」が欲しい。

お疲れ様です。


ふと思ったのですが、「桜(さくら、サクラ、sakura)」という曲名、またはそれに関連する曲というのは、この国にはものすごく多いんですね。年齢層に関係なく複雑な想いを含みこむことができる存在というのは決して多くないと思うのですが。そういう貴重な存在としての「桜」には、いったい何があるのか。季節や伝統に関するものは容易に想像できるにしても、それだけではないような気もします。話は少し変わりますが、「桜」に関する宣伝や広告も多くなってきていますね。受験シーズンを越えて、その先にある入学シーズンにも備えてということでしょうが。

ところで、塾講師や家庭教師として働き始めてもうずいぶんになりますが、このところよく次のようなことを耳にします。「「がんばれ」とか「よくがんばったね」とか、そういう言葉云々で機嫌をとるよりも、具体的に何をしたら成果がでるのか、結果が出るのかが知りたいです」。ここで批判等をするつもりはないのですが、どこかの予備校かなにかのポスターにも似たようなことが書かれていました。みながそうというわけではないでしょうが、情操的なものを含みこむ「過程」よりも見た目に分かりやすい「結果」を重視する(もっと言えば、もはや「過程」は無くとも「結果」さえあればいい)という傾向が、また一つ強くなっているような気がします。

塾の子の一人は、いつも「解答」だけを求めて、内容理解には興味を示しません。
僕ら講師の機嫌をうかがい、会話の中から「解答」だけをかすめ盗ろうとします。
実際には、僕はそういうのは「何故か」嫌いなので、たとえその子が模範の「解答」どおりに書けたとしても、そのように「書いた」理由を求めるようにしているのですが。その子にとっては、むしろその「説明」をすることの方が難しいようで。

このような状況があるのはなぜなのか。実際に教える僕らがそうしてしまっているのか。それとも背景にあるだろう、より大きな流れのためか。また、その流れというものが、更にどのように大きな背景から出た「支流」なのか。ここでは吟味しきれないが、整理してみたくはなる。

しかし、一つ少なくとも考えなければならないのは、そのような「支流」に乗った多くの人々が、そもそも求める「結果」をよく「知っている」のかどうか。
分かりやすく言えば、「あなたが求める「結果」とは何か。「成果」とは何か。それは、そもそも「過程」といったものと切り離せるようなものだったのか。」

見捨てられた「過程」には、それを吟味する為の時間が含まれていたはずだが。
何を「過程」とみなし、何を「結果」と見なすかは難しい、が。
最低限、その「難しさ」に気づく必要はあるだろう。

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2009年03月09日

淡々。

お疲れ様です。

少し研究が軌道に乗り始めました。
ボランティアの練習は相変わらずで、バイトも変わらず。
ただ、誘ってもらったオケの方は練習にいけていないのだけれど。

とりあえず今は本業を優先する気持ちでいます。
色々迷惑かけたらすいません。

今はとにかく淡々といきます。

cb_putimura at 13:53|PermalinkComments(0)この記事をクリップ!