2011年05月12日

コミティア96を終えて…

最近ふと

「自分が作った物は多くの人に知ってもらうべきか」

と言うのを考える。


これは自分だけの話じゃなくて、

コミティアで参加してる多くの人たちも含めて。


正直、作った作品を多くの人に知ってもらうには、

それ相応の労力が必要だと言うのは理解できる。


しかし、

・作る事を目的としてるのか

・見てもらう事を目的としてるのか

によって、その労力に対する手段は大きく変わってくると思う。


その辺りを考えていくうちに、

なんだかコミティアは自分が考えていたよりも

非情な場所だったのかもしれないと思った。



作る事を目的とする場合は、即売会は発表の場として

とても有意義な場所だが、


見てもらう事を目的とするなら、

即売会はただの発表の場ではなくて、


「作品を宣伝 ” してもらう ” 為の場所」


であるべきでは無いかと思った。


「作る事を目的とする」って言うのは

単純に作品を完成させるって事以外にも

「自分が妥当と思うだけの評価がされれば良い」

と言う事も含まれる。


逆に「いろんな感想を聞きたい」

というのが「見てもらう為に作る」と言う事だと定義しよう。


どうも、コミティアはこの二つの状況が

ごっちゃになってるような気がして、

その混在具合があまりいい雰囲気を

醸し出しているようには見えなかった。


これまでコミティアにサークル参加していて

周りのサークルや会場全体から

常々感じていた辛気臭い雰囲気っていうのは


「見てもらいたいのにあまり目をかけてもらえない」


そんな不満がにじみ出ている気がした。


正直に話すとコミティア会場は居心地が良くない。

なんでだろうか。

その「辛気臭い」という考え。


その根拠は表情である。

サークル参加してる人たちの顔を見ると

なぜか皆一様に笑顔が薄い。

訴えるモノがあるのに、消化不良という感じ。


「見てもらいたいのに、見てもらえない不満」


が原因なのではないかと思う。


これが「単なる疲労の蓄積が原因」というなら

自分の勘違いで済むのだが、

そうでないなら現状のコミティアの即売会は、

その模様を大きく様変わりさせる必要が

あるのではないかと感じた。


「サークル参加する人たちがもっとやる気を出してアピールしろ」


という理屈もわかるのだが、「それは何か違うぞ」と思った。


「作品を作る事」と「作品を知って貰う事」は全く別の技術である。

作品を作る事に没頭出来ても、作品を知って貰う為の広報的活動、

その広報にどれだけの力を入れられるのか、どんな手段で、

どのような効果が、どれだけの人が見てくれるのか。


「そこまでする余裕も技術もないし、とりあえず参加して後は適当でいいや~」


っていう雰囲気もすっごい感じてたワケです;


実際ほかのサークルの人たちの参加した感想を

聞いてないからわからないんだけど、

その辺りどう思ってるのかなぁってどうやって

聞けばいいんだろうね;初対面で;


と言っても、コミティアの方針はどうも読み手側意識が

強い印象があるので、作り手のカリスマ性が突出してなければ

吐いて捨てるだけと言ったスタンスに変更はなし!と思うので、

こんな事ここで言っても意味は無いんですけどね^^;

ただまぁ、何かしら記録として残しておけば、将来的に

自分が何か気づくべき部分もあるだろうと思って書いてます。


その辺りを考えた上で、次のコミティア参加するとなると、

もう今から全力で取り込むしかないって感じですが;


そーうまく行かない問題を既に抱えていて

さて、どうしましょうかねと言ったところです^^;





cdager at 02:18│Comments(0)TrackBack(0)

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