内山峠といえば、五年前に軽井沢方面から下仁田に向かってドライブしたときに見つけた石柱の写真を撮っていたのを思い出したので、今日はそれを記します。

下仁田浅科線と初谷鉱泉への道との交差点
 まずは、長野県道44号線(下仁田浅科線)を群馬方面に向かって走っていましたが、初谷鉱泉へ下っていく道との交差点のところに駐車スペースがあります。その駐車スペースの片隅にあった石柱です。
群馬・長野県境標柱1

群馬・長野県境標柱2
〜二枚目の写真の上にポインタを載せると文字が浮き上がります
 それがこれ。最初は文字が彫られているのがよくわからず、何の石柱かと思いましたが、近づいてみると長野県と群馬県の県境を示す、県境標石であることがわかりました。
 この標石は駐車スペースに寄らないとまず見つかりません。だからこそ撤去されずに残ったのかもしれませんが・・・。

荒船山艫岩
 この場所からは艫岩がよく見えていました。五年前に通ったときも秋で、ススキの穂が風に揺られていました。


 さて、県境を離れて東に向かうとっすぐに国道254号線旧道と合流し、東に進むと神津牧場へ向かう道との分岐点に出ます。ここは旧国道のほうへ向かいました。

旧国道254号線
 そしてここからが旧国道254号線内山越えの最大の難所。九十九折りで一気に下っていく区間です。1.5車線の急坂ヘアピンカーブが連発するこの道に路線バスが通っていたとはにわかに信じ難い。
 そして、この九十九折のカーブのところに変わった石柱が設置されていました。

旧国道254号線の石柱1
(10号)

旧国道254号線の石柱2
(12?号)

旧国道254号線の石柱3
(14号)

 上段に“神津”、中段に“○○号”(○に数字が入ります)、下段に“上信電鉄”と彫られています。中段はヘアピンカーブのナンバリングと思われます。上下どちら側からナンバリングしていたかは失念してしまいました。何分五年前のことで・・・。

旧国道254号線の石柱4
 石柱の横に“横浜子供会”と彫られていました。神津牧場へ向かうハイキングの目印として設置されたものなのでしょうか。
 正面上段の表記が左書きなので戦後に設置した可能性が高そうですが、わざわざ石を用いるあたり最近のものではなさそう。今ならばヘアピンカーブの番号を表す標識は道路標識のような感じで金属板に記して設置するでしょうから。

 また、正面下段に記されている上信電鉄は今も高崎〜下仁田間に鉄道線を走らせている鉄道会社です。上信の上は上州ですが、信は信州を意味しています。大正時代に鉄道線を余地峠を越えて佐久羽黒下まで延伸する計画もあったために名付けられました。しかし計画は不況と急峻な地形に阻まれ、あえなく頓挫。それでも昭和15(1940)年に県道野澤富岡線が改修され車で内山峠を越えられるようになったのを機に、昭和17(1942)年から下仁田〜中込間にバスの運行を開始して上信の連絡を果たしました。しかし、戦況の悪化によって翌年に運行を休止してしまったそうです。
 上信間の連絡は不調に終わった上信電鉄ですが、昭和50年代まで自社発注で鉄道車両を新造するなど健闘していました。しかしマイカー普及が進んだ最近はバス路線を大幅に縮小するなど経営が苦しいようです。

写真はいずれも2002年撮影のものです。今も石柱があるかどうかはわかりません。

参考資料:JR・私鉄全線各駅停車4 関東700駅(小学館刊・1993年発行)
 また、旧国道254号線については、土木学会デジタルアーカイブスにある「道路の改良」第21巻5号の「地方通信」、第22巻6号の「地方通信」、7号の「地方通信」に載っていました。道路改修に対する期待の大きさが伝わってきます。