2013年10月

平安期の井戸跡から国内最古の将棋の駒「酔象」出土 奈良・興福寺旧境内

 奈良市の興福寺旧境内にあたる奈良市登大路(のぼりおおじ)町の平安時代の井戸跡で、11世紀末(平安時代)の将棋の木製駒4点が見つかった。奈良県立橿原考古学研究所が24日発表した。
同研究所によると、このうちの1枚は今の将棋にはない「酔象(すいぞう)」という名前の駒で、現在主流の将棋では使われておらず、これまで鎌倉時代に通常の将棋と異なる形の「中(ちゅう)将棋」などで使われていたとみられていた。
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この「酔象」と一緒に出土した木簡に、「承徳二年」(1098年)と記されてあり、1976年に京都市南区の14世紀中ごろ(室町時代)の集落遺跡、上久世城之内(かみくぜしろのうち)遺跡から出土した例を約250年さかのぼり、「酔象」では国内最古となる。
同研究所によると、過去に「酔象」の駒は京都市橿原考古学研究所の鈴木一議主任研究員は、「平安時代の将棋にすでに酔象という駒が使われていたことは、将棋の歴史を調べるうえでも貴重な発見だ。当時、寺の僧侶や寺の関係者らが将棋を日常、楽しんでいたと考えられる。将棋の起源や歴史的変遷を考える上で極めて重要な発見で貴重な史料となる」と話している。

県立橿原考古学研究所は、ことし6月から奈良市の興福寺の旧境内で発掘調査を行っていた。発掘現場は奈良県庁東側の観光駐車場で、平安時代から興福寺の子院・観禅院があった。役目を終えた後にごみを埋めたらしい井戸跡(深さ約3.7メートル)から、土器や瓦、木簡とともに将棋の駒4点が見つかった。今の将棋でも使われる「桂馬」と「歩兵」のほかに「酔象」と書かれた駒、各1点と不明の駒1点で、現代の将棋の駒に近い五角形だった。木製で一部破損しているが、大きさは縦25ミリ、横15ミリ、厚さ2ミリと今よりはやや小さめで、「酔象」の駒は裏面に墨の跡はなかった。「桂馬」「歩兵」の裏面には「金」と書かれていた。

今回の調査地の西約200メートルの旧境内跡では1993年、「天喜六年」(1058年)と記された木簡や、「玉将」「金将」などの駒15点、「酔象」を指すと見られる「酔像」と練習書きをした木簡が出土。鎌倉時代に出現したとされる酔象が、平安時代にはあった可能性が指摘されていた。

将棋は、インドが起源とされ、平安時代には中国経由で日本に伝わり、盤の升目や駒の数の異なる「小、中、大将棋」などが生まれたとされている。
「酔象」は現代の本将棋(駒数40枚)にはないが、鎌倉時代以降の駒数がもっと多い「大将棋」や「中将棋」で用いられたことが文献などでわかっているが、平安時代については知られていなかった。真後ろ以外の7方向に1つ動け、敵陣で成ると王将と同じ動きをする。江戸時代直前ごろに小将棋から酔象が除かれ、現在に近い様式になったとされる。

情報元:日本経済新聞、読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、NHKニュース、各電子版。
写真は、左:読売新聞、中央:興福寺旧境内から出土した将棋駒(赤外線写真)=奈良県立橿原考古学研究所(読売新聞)、右:奈良市の興福寺旧境内から出土した、「酔象」と墨書きされた平安時代の将棋の駒=奈良県橿原市(共同通信)

初秋の北アルプス 遭難事故多発 70歳以上

 初秋の北アルプスでは高年齢者の遭難事故が多発した。とくに70歳以上遭難が目立つ。また、山中にキノコ採りに入った男性の滑落死亡事故が多発した。
 以下、長野県警山岳救助隊山岳情報より、「長野県山岳遭難発生状況(平成25年9月7日~9月30日)」を表にまとめた。

H25・9山岳遭難事故

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