2014年09月

土器片の「最古級平仮名」は古今集和歌 平安京の貴族邸宅跡から出土

 平安京にあった貴族、藤原良相(よしみ)邸宅跡(京都市中京区)で2011年(平成23年)に出土した土師(はじ)器の土器片(9世紀後半)に記されていた最古級平仮名は、最初の勅撰和歌集「古今和歌集」にある「幾世しも」の歌-とする新説を、南條佳代佛教大講師(日本書道史)が、同大学の紀要に発表した。
 南條講師が分析したのは、土師器に記された平仮名。土師器には、平仮名が約40字書かれているが、意味が分かっていなかった。
 これまでの京都市埋蔵文化財研究所の記者会見資料などでは、中心部の文字は「いくよしみすらキれ□□ち」とされていた。(□は欠字など) 
 一方、南條講師は12文字について「いくよしもあらしわか□を」と判読。古今和歌集の巻第18にある作者不明の「幾世しも あらじわが身を なぞもかく 海人の刈る藻に 思ひ乱るる」(長く生きられないわが身なのにどうして漁師が刈る藻のように思い乱れているのか)に当たるとしている。
 藤原良相は文学を愛し、仏教への信仰もあつかったが、応天門の変(866年)で失脚、翌年亡くなった。南條講師は「良相の気持ちが邸内に伝わっていたのでは」としている。
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情報元:共同通信、msn産経ニュース(写真とも)

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 2012年28日、京都市埋蔵文化財研究所は、平安時代の都だった平安京で、当時の貴族・藤原良相(ふじわらのよしみ:813~867年)の邸宅跡(京都市中京区)から出土した9世紀後半の土器片約20点に「かつらきへ」(葛城へ)など和歌とみられる平仮名が墨書されているのが見つかったと発表した。
 良相(よしみ)は嵯峨天皇の信任が厚かった藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ)の子。兄良房(よしふさ)は皇族以外で初めて摂政となった。
 同時期の平仮名は多賀城跡(宮城県)などでもわずかに出土しており、最古級となる。これまで最古とされていた同時期の平仮名よりも現在の形に近く、10世紀前半とされていた平仮名の成立が半世紀ほどさかのぼる9世紀後半に確立していたことを示す一級の発見で、「今後の日本語研究の基準となる希有な発見で日本語の歴史を考える上で貴重な史料」とのこと。合同調査した京都産業大の吉野秋二(よしの・しゅうじ)准教授は「平仮名の確立は10世紀と言われていたが、今回の発見で、約50年さかのぼることが分かった」としている。
 仮名は9世紀に、1音に1字を当てる「万葉仮名」、万葉仮名の草書体を用いた「草仮名(そうがな)」、そして現在用いられている「平仮名」の順に移行するとされる。
  土器片は、平安時代前期の右大臣(政権ナンバー3)、藤原良相(ふじわらよしみ)の邸宅跡から昨年11月に出土。庭の池に張り出した建物の周囲から、墨書のある(墨で文字が書かれた)皿や高坏(たかつき)などの土器の破片が約90点が見つかった。うち約20点に墨で「かつらきへ」(葛城へ)「きなくひとにくしとお□はれえす」(□は欠損部、□を「も」と推測すると「来泣く人憎しと思われえす=うとましく思われて」)などと、ひらがなや、漢字が崩れてひらがなになる途中の「草仮名(そうがな)」が百文字を超えて書かれていた。「け」「あ」「ら」「と」「は」などは現在と同じ形。1ミリ前後の細かな文字がびっしりと書き込まれたものもあった。大半は良相(よしみ)が没した867年前後のものとみられる。
 京都大学大学院人間・環境学研究科の西山良平(にしやま・りょうへい)教授によると、神楽歌「朝倉」には「葛城へ渡る久米路の継橋の心も知らずいざ帰りなむ」とあり、その一部とすれば、邸宅で神楽が行われ、その際に記された可能性がある。また同時に見つかった木簡には「む」を表す草仮名に近い平仮名があった。
 一方、9世紀前半の井戸跡で、檜扇(ひおうぎ)と木簡を発見。それぞれ万葉仮名で手習い歌の「難波津」を示す「奈尓波」などと記されていた。同じ遺跡で万葉仮名から平仮名までが見つかったことで仮名の変遷が分かるという。
 同教授は「時代が特定でき、資料価値が高い。影響は、日本語、日本文学、国風文化の成立過程など多方面に及ぶ」とコメント。井上満郎・市埋蔵文化財研究所長は「良相邸は一流の文化人が集うサロンだったと考えられ、国風文化の萌芽がみられる」と述べた。

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情報元:日本経済新聞電子版、読売新聞電子版、共同通信、msn産経ニュース(写真左とも)、asahi.com(写真右とも)






秋のあぜ道に咲く野花

  相棒の柴犬との朝の散歩。さて、今日はどのコースを歩こうか。田んぼ周辺のおよそ4キロを歩くことにした。歩き始めは短パン、半袖シャツでは薄ら寒く感じていたが、しばらく歩くとうっすらと汗ばんでくる。
 田んぼのあぜ道の野草の花々に秋を感じる。淡黄色の直径2、3センチのコマツヨイグサ(小待宵草)。こいつの花期は5月から10月と長い。待宵草の仲間は名前のとおり夕方に開花して翌朝早くしぼんで鮮やかな赤橙色を呈するが今日は薄曇日なのでまだ開花しているようだ。花期が長いといえば、ツユクサ(露草)も6月から9月にかけて咲く。9月は花の色がもっとも鮮やかだという。
 いま、あぜ道でもっとも目を引くのがツルボ(蔓穂)という草丈20センチ程の花。ニラのような葉茎に薄赤紫色の細長い花穂をつけて群落している。昔、公家が参内する時に使った長柄傘をたたんだ形に似ているためにサンダイガサ(参内傘)あるいはサンダイグサ(参内草)とも呼ばれるとのこと。その近くでは野生のニラが白い花をつけて群生しているが気を引かない。
  田んぼを散策後、コースを変えて川原に出た。二番電車が鉄橋にさしかかるところだった。さわやかな秋をじる風景だ。朝食はあっさりと、炊き立ての白飯に、自家製のナスとキュウリのぬか漬けと味噌汁がいいな。

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長野県内山岳遭難事故(平成26年8月11日から9月15日)

 警察庁の発表によると、今年7~8月に全国で発生した山岳遭難事故は583件、遭難者は699人で、統計が残る1968年以降で最悪。都道府県別の発生件数は、長野が103件で最も多い。遭難者の年齢別では、60歳以上の高齢者だけを見た場合は全体の49・4%で、ほぼ2人に1人という結果だった。
 北アルプス槍・穂高連峰一帯で、遭難対策として登山者にヘルメットを貸し出す動きが広がっているという。しかし、長野県内山岳では、8月11日から9月15日の一ヶ月間の遭難事故件数は63件、遭難者数は65人。うち死者数は11人、行方不明者は2名で、昨年同期間よりもわずか減少したが事故発生件数そのものは17件増加している。遭難事故件数と遭難者数がほぼ一致していることはほとんど単独登山であることを示している。
 以下に、長野県内で本年8月15日から9月15日までに発生した遭難事故を山岳別にまとめた。秋の北アルプスなどの山岳登山を計画している中高年齢の方たちにはぜひ参考にしていただきたい。
 (情報元:長野県警山岳救助隊山岳情報)

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独酌

 9月16日。火曜日。敬老の日から1日経った。老人入り(65歳を入老年と)してはや5年余。孫たちからの祝い酒も若かりし頃のように一気呑みとはいかない年齢。チビリと独酌。加速度的に流れ進む時の中で抗うことのできない自らを省みる時、無常を感じるのも歳を経た証だろうか。奥の細道の旅中での芭蕉の心の乱れをわが身に重ねて同化する。夢は枯野を駆け巡る。にじむ涙。独酌。
 
 大雪山系の旭岳で平年より9日早く初冠が観測されたとのこと。北国の山岳は、はや初冬を迎えたようだ。わが千葉房総里山は初秋。涼しい朝も日中はまだまだ汗ばむ季節。稲田は大半が刈入れが済んで田面は丸刈りさながら。。粘土質の田ゆえ、雨が降るとコンバインが沈んで動かなくなるので、この3日間の晴れ間にここぞとばかりにコンバインがあちらこちらでうごめいている。
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 我が家の庭の巨峰は今年は大半が色づかない。4年目で主幹が太くなって、140914_0656~02今年は房数がいままでに無く多くて黒く色づくのを楽しみにしていたが、緑色のままだ。ためしに一粒試食したがやはりすっぱい。手入れが悪かったようだ。栗の樹は植えて35年余。年々収穫量が減っていくのも手入れをしないからだろうか。反省。来年こそ。
 反省点。黒とう病と害虫(コガネ虫)対策の薬剤散布をしなかったこと。黒とう病にかかった房は黒い斑点がでて色づかず固い。コガネ虫には葉っぱを食い荒らされて太陽光のエネルギーを吸収できなかったようだ。一房に最低10枚の葉が必要とか。薬剤散布は抵抗感があるが、素人には必要不可欠か。
 
  再びチビリと独酌。暗闇の庭から響く虫どもの音が騒がしくも心地よい。

 

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