スイス地元紙「ルマタン」が18日、スイス南部バレー州の標高2615メートルのアルプス山脈のスキーリゾート地の近年後退が進んでいる氷河から、先週の13日、男女の遺体がミイラ化した状態で発見されたと報じた。

 地元のバレー州警察によると、リゾート地のレ・ディアブルレに近いツァンフルロン氷河の標高2615メートル地点にあるスキー場のリフト付近で、氷河の割れ目に一部が埋もれた中で寄り添うように並んでいた2人の遺体をスキーのリフト会社「グレーシャー3000」の保全作業員が偶然、見つけたという。遺体は凍っていたため保存状態も良かった。第二次世界大戦期の服装を着た男女だった。

 地元警察は体のそばにあった身元を特定する証明書と荷物とDNA鑑定の結果から、2人が75年前の1942年8月15日に行方不明となっていた当時40歳の夫と当時17歳の妻の2人と確認されたという。た夫婦であると特定したと発表した。この一帯は標高約2600メートルの山腹で、現在はスキー場やホテルが並んでいる。

 同社幹部のベルンハルト・チャネンさんによると、夫婦の遺体は第2次世界大戦時の服装をしており、近くに2人のリュックサックやガラス瓶、本、腕時計、ブリキのおわん、いくつかのバックパック、男性用と女性用の靴が一緒に見つかったという。
 地元警察の発表やリゾート企業の代表の話によると、夫婦が誤って氷河の割れ目に落ちて死亡し、そのまま凍結したが、最近氷河が後退したので表面に出てきたとの見方を伝えている。

 夫婦は靴屋を営んでいたマルスラン・デュムランさんと、教師であった妻のフランシーヌ・デュムランさん。牛を放牧していた牧草地へ乳しぼりに出かけたまま行方が分からなくなった。
 
 夫妻の7人の子供たちは当時4~13歳だった。現在も存命なのは娘2人のみで、上の娘のモニーク・ガウチーさんはAFPの取材に対し、警察当局が19日午前に最終的な検査結果を電話で知らせてくれたと語った。
 スイスの公共放送RTSとのインタビューでは、両親がいなくなった朝のことを振り返った。「天気の良い日で、2人は歩いて谷へ向かった。父は歌を口ずさんでいた。母親が父親とこのような遠出をすることはまれだった。間隔をあまり置かずに妊娠しており、険しい土地でもあったためだ」と語った。またガウチーさんは、葬式が22日に行われると明かした一方、「2人を抱擁するために、その前に会えれば」と述べた。

 一番下の当時4歳だった娘で現在79歳のマルセリーヌ・ウドリ=ドュムレンさんは地元ローザンヌのル・マタン紙に対し、「75年待ったニュースだ。わたしたちは両親が行方不明になって以来いつか見つかると信じてずっと探し続けてきた。氷河には3回登った。この知らせを待ち続けて75年がたった今、私を深く慰めてくれて心の奥底から平安が得られたと言うことができる。葬儀を行えるとは思ってもみなかった。これでやっと長らく待たされた両親の葬儀ができる。黒い喪服は着ないつもりだ。白の方がいいと思います。私が一度もなくさなかった希望を表しているから」と語った。

 存命の2人のめいで、夫婦の孫にあたる女性はAFPに対し「おばたちは、ようやく両親の死を悼むことができて満足している」と語った。

 デュムラン夫妻が行方不明になってから2カ月の間に、残されたきょうだいは別々の家族に引き取られ、その後、年月と共に連絡が途絶えてしまったという。

 バレー州のアルプスや河川では、1925年以来この夫婦を含め280人が行方不明登録されている。州の法医学責任者は公共ラジオRTSに「氷河が縮小し続けていることから、今回のような発見がさらにあると予想される」と語った。

 参考記事
  ①AFP BB NEWS 2017年07月19日
  ②ロイター  2017年07月19日
  ③NEWS JAPAN 2017年07月19日
  ④東洋経済ONLINE 2017年07月18日
  ⑤JIJI COM 2017年07月19日
  ⑥NHK NEWS WEB 2017年07月19日
  ⑦YOMIURI ONLINE 2017年07月19日
  ⑧朝日新聞デジタル 2017年07月19日
  ⑨日刊スポーツ 2017年07月18日
  ⑩Sponichi Annex 2017年07月18日

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   ていた福島隊員の遺体が現れた暖冬の年で雪が解けて埋もれていた福島隊員の遺体が現れたところを第
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